03-05
「よぉ、神官さん。
今日もお勤めかい?
ようやく神官らしい姿になってるな」
「……ああ。
前のはボロボロになったからな」
そうして神殿から外へ出て、南の方へと向かうべく大通りを歩いていた己へとそう話しかけてきたのは、訳もなく常連となっているヌグァ屋の店主だった。
どうやら新調した神官服のことを言っているのだろう店主に対し、己はそう答え……店の方へと歩み寄る。
この話の長い店主を己は少しばかり苦手に思っているのだが、流石に話しかけられたのを無視して通り過ぎるほど非情にはなり切れない。
「よぉ、景気はどうだい?」
「ああ、相変わらず最悪さ。
水は金を取られる、黍粉はまた値上がり、薪の値まで天井知らず。
このままじゃ店をいつまで開けるものか……」
店へと踏み入った己の社交辞令に、店主は三倍以上の言葉で愚痴を零す。
流石にもう慣れてきた己は、それらの愚痴を聞き流しながら店に並んでいる黍粉を焼いたパン擬き……ヌグァへと視線を向ける。
形が多少整っていないのは、何とかって娘さんが焼いたヤツだろうか。
「昔はよかったよ。
井戸は枯れることもなく、街道は安全で黍粉は安く手に入り、薪もそう高くない。
ったく、六王だか何だか知らないが、ろくなもんじゃありゃしねぇ」
「……ま、そりゃそうな」
特に因縁のない一般市民としては当然の店主の愚痴に、己は少しだけ躊躇しつつもそう頷く。
実際問題、あの炎の王の怨嗟を聞かされた身としては、この国には滅ぼされて当然……とは言わないが、恨まれても当然と言えるだけの罪がある。
だが、それはあくまでも虐殺を命じた誰かと実行した兵士たちに罪があるのであって、何も知らないこの店主のような一般市民に罪がある訳じゃない。
だが、炎の王の恨みはこの国全体に向けられていて……
(……やっぱ止めなきゃ、な)
四肢のない少女が告げた猶予……渇水期まであとどれくらいあるかはっきりとは分からないが、聖都で虐殺なんてさせる訳にはいかない。
それまでに出来るだけ技量を高め……炎の王を堂々と討てるだけの剣力を手にする必要がある。
そんなことを考えつつ、己は適当に並んでいるヌグァを昼飯用二つに保存用五つと適当に手に取る。
「ほい、百三十ズーヌになるぜ、神官の兄ちゃん。
って、おいおい。
こんなの出されたなんざ、店やってて二度目だよ、ったく」
その支払いに懐から適当に掴んだ銀貨……エーデリナレから渡された銀貨を一枚渡したのだが、どうやらソレは高い額の銀貨だったらしい。
未だにこの国の数字も読めない己は、判別できなかったのだ。
正直に言うと……剣を鍛える時間が惜しくて文字を覚える気すらもない、のが正解なのだが。
「悪いな、それしかない」
「……ま、何とかなるけどな。
しかし、久々にみたぞ、この硬貨」
そうして釣りとして己の手に返ってきたのは、二十倍以上の枚数の銀貨だった。
正直に言って……じゃらじゃらと鬱陶しい。
懐に放り込みはしたが、あまりにも大量の銀貨は既に『戦いの支障になるレベルの荷物』へと成り下がっている。
「つーか、お偉いさん方もこんな銀貨作るよりも先にやることあるだろうがよ。
庶民に使えやしない通貨なんて作っても、意味なんて……」
銀貨を眺めながらぶつぶつと繰り出される店主の愚痴を聞き流しつつ、己は購入したヌグァを風呂敷に包みこむ。
神殿から適当に拝借してきた品ではあるが……まぁ、構いやしないだろう。
「せめて井戸が出てくれれば、なぁ。
ちったぁ生活もマシになるんだが。
あ、済まないな、いつも」
「……ああ、また来る」
これ以上愚痴を聞かされても堪らないと判断した己は、さっさと手拭いに包んだヌグァを懐へと入れたのだが……どうやらその行動は正しかったらしい。
店主は愚痴を言うの辞め、引き留めることもなく己を送り出してくれた。
恐らく……彼の中では「店を出ていく客を引き留めることはしない」という線引きが出来ているのだろう。
前回の己はそういう素振りを見せることなく、相槌を打ちながら素直に聞き続けたら延々と話しかけられてしまったのだ。
(ったく、それならそうと言ってくれってんだ)
前々回と前回、酷く無駄な時間を浪費した気になった己はそうぼやきつつ、店を出て歩く。
このヌグァ屋は大通りの近くにある所為か、意外と周囲に人通りは多く……そうして周囲を見渡すと、少し奥まった場所に井戸があるのを見つける。
「……これ、か」
それは、石を積んだだけの囲いに、釣瓶落としと言うのだったかロープが下がり桶が置かれているだけの、簡単な井戸だった。
中を覗き込んでみるものの……井戸の周囲を固めたのだろう石が並べられているのは見えたが、肝心の水は影も形もありゃしない。
「……あれ?
お客さん?」
そんな不審な動きをしていた所為だろうか。
井戸を覗き込んだ己へとそう声をかけてきたのは、ヌグァ屋の娘……確かミジャフとかいう名の少女だった。
「……何を、されている、のですか?」
空井戸を覗き込む不審者に見えたのだろう。
店内で出していた明るい声とは打って変わって、酷く冷たいその声に己は何となく言い訳を考える。
一応、あの店主とはそれなりに言葉を交わした間柄であり、この国での数少ない顔見知りなのだ。
不審者扱いなどされて敵だと認定されると、せっかく場所まで覚えた食料店が一つ減ってしまうことになる。
高速でそんなことを考えた己は、ゆっくりと手を井戸の方へと伸ばすと……目を閉じ、何となく神秘的な雰囲気を演出してみる。
「……なに、を?」
そうして注意をしっかりと引き付けたのを意識しつつ、心の中で【水作成】と唱える。
……天賜と呼ばれる神の奇跡は、どうやら上手く演出できたらしく、己の手の先から発生した凄まじい量の水は一瞬で井戸を満たしていく。
尤も、水脈自体がほぼ枯れかけている現状では少しばかりの水を入れたところで意味がないらしく、すぐさまその水位は下がっていったようだが。
(ま、それでも溜め水くらいにはなるか)
ついでと言っては何だが、周囲に転がってある桶やら甕やらの水を溜めていただろう容器を全て水で満たしてやる。
神官の服を着ていることもあり、意外と救世主っぽい雰囲気を演出できたように思う。
「……嘘、でしょう。
なに、これ……」
そして、己の目論見はしっかりと成功したらしく、ミジャフというヌグァ屋の少女は眼前で起こった奇跡を目の当たりにして目を見開いている。
どうやらこの少女は天賜という超能力の存在をあまり知らないか、もしくは神の奇跡として縁遠いモノだと思っていたのだろう。
手にしていた桶はいつの間にかその手から零れ落ち、足元に大小様々の布が散らばる。
その幾つかが非常に小さい……何というか下着らしきものがあったのは、見て見ぬふりをしてやるのが武士の情けというものだろう。
「……みんなには内緒にしておいてくれ」
奇跡を見せつけ終えた己はそう呟くと、少女の肩を軽く叩き……そのまま井戸の広間から背を向ける。
取りあえずコレで不審者扱いされることはないだろうという打算のためのパフォーマンスは思ったよりも上手くいったらしく、少女が己の背に声をかけることはなかった。
尤も……井戸が見えなくなった頃、背後から突然の歓声が上がったのを聞いて、慌ててその場から逃げ出すことになったのだが。
2017/11/13 07:02投稿時
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