03-01
「ぁあああああああああああああああっ!」
内臓が内部から燃え上がる激痛と、後頭部を砕かれる……全身を動かす決定的な何かが砕け散る感覚を、己は最大限の悲鳴を上げることで遠ざけようとした。
それはもう、意思ではなくただの本能的なものだろう。
生命体が持つ当たり前の「死から遠ざかろう」とする本能……それが、自らを死から遠ざけようとするのは当然であり、己が悲鳴を上げたのも生物として仕方のないことだったと言える。
(……此処、は?
ああ、そうか)
出せるだけの悲鳴を出し終えた斧は、紅い百足に噛み砕かれた後頭部を確認しながら、そんな当たり前の疑問を抱き……そしてすぐに自己解決して終わる。
死んでから生き返るのも、三度目ともなれば慣れたもので……生憎と、あの死の瞬間の苦痛と絶望にだけはいつまで経っても慣れそうにないのだが。
(……炎の王め。
何が「神兵の心ですらへし折る」だ)
そんな口上の割には、己の苦痛が大したことなかったことに……毒によって内臓が燃え上がる地獄のような苦痛が僅か数秒しか与えられなかったことに、己は思わず声に出すことなくそう呟いていた。
本来ならばあの四肢のない少女は、数度は生き返ることの出来る己に息絶えるまで臓腑が焼け爛れるこの世の地獄を味あわせ、戦意そのものをへし折る筈だったのだろう。
それを僅か数秒足らずでトドメを刺し……苦痛を断ち切ってくれたのだ。
(何度でも来い、か。
……絶対の自信がある、という訳だ。
畜生っ、情けをかけられたっ!)
己は最期に聞いた炎の王の呟きを脳内で再生し……歯噛みする。
確かに彼女が暗に仄めかす通り、今の己が何度挑んだところで、あの大量の百足を突破する術など見つからない。
だからこそ彼女は己に情けをかけて、心をへし折る激痛を与えることなく介錯をしてくれたのだろう。
そして、今の己には、それが情けだと分かるほど……彼女と自分との間に横たわる凄まじいまでの実力差を実感している。
(生き返る回数のある限り、何度でも戦い続ける?
そんな情けない真似、出来る訳がないっ!
最低でも、この己に情けをかけたことを後悔するくらいの……たった一人で百を超える百足を一斉に相手出来る。
その程度の技量を身に付けなければ……炎の王に再び挑むなんて恥の上塗り、出来る訳がないっ!)
自分の無力さに右拳を握りしめ、左手で愛刀「村柾」の鞘をきつく掴みながら、己はそう決意する。
少なくとも今は……今の己の剣力では、百を超える百足相手に刃の切れ味を保ちながら戦い続けるなんて真似は難しい。
せめて、あの「達人の領域」に常に足を踏み入れる……その程度の技量もないのに、あの少女の前におめおめと顔を出すなんて恥知らずな真似、この己に出来る訳がない。
「……そう言えば、っと有難い。
やっぱこっちも治るのか」
百足相手の立ち回りを脳内で思い返しつつ反省を行っていた己は、あの戦いでボロボロになっていた筈の愛刀「村柾」を引き抜き、その刀身を確かめる。
もはや手の一部とも言うほどに扱いなれたその鈍い光を放つ鋼鉄の刃は、まるで砥ぎに出した直後であるかのように鋭利で鋭い光を放ち……あの戦いの最中に目の当たりにした刃毀れも凹みも歪みも、何処かへと消え失せていた。
その代わりと言っては何だが、切り傷噛み跡満載の、こちらの国に来てから延々と期続けていた道着は原型を留めないほどボロボロで……その上、返り血と己自身の血に汚れてしまい、もう服としての機能を果たさなくなっているのだが。
「今回も随分と早かったですな、神兵よ」
そうして落ち着くのを待っていたのだろう。
己が愛刀を鞘に収めるのを見計らったかのように、少し遠くからそんな声がかけられる。
視線を向けるまでもなく、その声の主は綺麗なまでに剃りあげた頭髪に眉すらもない、この神殿の教皇であるエリフシャルフトの爺さんだと分かる。
少し離れているのは前回、驚いた己によって刃を突き付けられたあの時の再現を警戒しているためか。
「……うるせぇ。
炎の王は恐ろしい強さで、聖都に対する恨みも凄い。
この国の歴史は知らないが……一体、何をやらかしたんだ?」
そんな爺さんの嫌味のような口調に、己は吐き捨てるように言葉を返す。
実際問題……あの炎の王が抱いていた恨みは凄まじいモノで、この聖都と住民たち全て、皇族から神に至るまで全てを殺し尽くそうとしていたのだ。
尤も、己の言葉を聞いても爺さんは全く心当たりがないらしく、小首を傾げただけだったのだが。
(とぼけている、様子はないな。
……本当に知らない、のか)
剣術以外の何も知らない己の人生経験などたかが知れていて、老獪な権力者の吐く嘘を見抜けるとは思えない。
思えないが……それでも己の目で見る限り、この爺さんが嘘を吐いたりとぼけているようには見えなかった。
「っと、では済みませんが、また『見せて』頂けますかな。
いちいち語るのも面倒でしょう」
「……まぁ、な」
そんな己の様子から、語るよりも早いと思ったのだろう。
爺さんは背後にいた孫娘……鑑定眼という能力を持ったエーデリナレという名の少女が己の前へと進み出てくる。
爺さんと同じように頭髪を全て剃りあげたその少女は、己の真正面へと座り込むと、まっすぐに眼球を見つめてきた。
(……これで相手の経験が見えるってんだから、相変わらず凄まじい能力だ)
何となくそんなことを考えつつも、特に見られて困ることもない己はそのまま鑑定眼のによる読み取りを受け続ける。
流石に困るのはあの便所の醜態だけではあるが……不浄の獣なんて生き物を便所で飼っているという己の常識外の風習を想像なんて出来る訳もなく、己が取り乱してしまったのも仕方ないことだろう。
「……嘘」
だが、己の記憶を見ている筈の少女は、そんな失態など意に介す様子もなく……と言うか、目を見開いて驚きを隠そうともしていない。
(一体、何が見えているのやら……)
マジマジと信じられないモノを見たかのようにこちらを見つめてくる少女に、己がそんな疑問を抱いたその次の瞬間だった。
少女は突然、己の両肩を掴んだかと思うと……
「……どうして、勝とうとしないの、ですかっ!」
両肩を揺さぶりながら、感情をむき出しにしてそう叫び始めた。
「私の、見る、限りっ!
貴方は炎の王を討つ機会が、何度もありましたっ!
なのに、何もせずっ!」
少女が叫んでいるのは、炎の王によって己が追い詰められた辺り……小柄による暗殺や不意打ちで本体を狙う戦術を頭に浮かべた辺りのことだろう。
確かにあの時、躊躇わずにソレを選べば己は炎の王を討つことが出来た。
(だけど、そんな勝利に何の意味がある?)
不意打ちや戦術などで勝ちを拾ったところで、剣術での勝利でないと意味がない……誇れない勝利になんぞ何の意味も感じられない。
そんな剣術を使う者の矜持という己の価値観を口にしたところで、神に仕えて生きるこの少女に……いや、そもそも誰かに理解してもらえるなど、端っから考えてもいない。
だから己は、その激昂している少女に向けてただ静かに肩を竦めることしか出来なかった。
「まぁ、落ち着きなさい、エーデリナレ。
全知全能たる神が、彼の望むようにさせよと言われたのだ。
それもまた、神の御心であろう」
「ですが、おじい様……」
その分、齢を重ねたエリフシャルフトの爺さんは話の分かる人間だった。
いや、己という存在を完全に理解し、そういう指示を出したあの幾何学模様がしっかりしていたというべきか。
実際問題、炎の王の暗殺や戦術を使っての敵の撃破など……己の矜持に反する戦い方を強要されたところで、己は役に立たなかっただろう。
そのことを理解した上で、爺さんに先回りして「好き勝手にやらせるように」と指示を出した辺り、あの幾何学的存在が本当に全てを見通す神であると実感出来る。
「まぁ、それは兎も角として……
炎の王と戦ったのでしたら、疲れていることでしょう。
そろそろ陽も落ちて暗くなってきますので……」
未だに納得のいかない様子を見せている少女に気を配ったのか、爺さんは突然そんなことを言い始めた。
生憎とこの場所は神殿の奥深くで外も見えず、今がどれくらいの時間帯かを知る術はないものの……爺さんの言い分を信じるならば、もう外へ出るには適してない時間帯なのだろう。
「……ああ、そうだな。
世話になろうか」
「なら、この者に案内させましょう」
東への旅で野宿の面倒さを十分に味わった己は、思うように誘導されていることに気付きつつも、すぐさまそう頷くことにする。
この神殿の連中にとっては幸いなことに、今日の己はすぐさま稽古に励むことで去っていく「達人の領域」を留めようという気にもならず……爺さんのつけてくれた見習い神官の案内によって己は食堂へと向かう。
「……これが、神殿の食事、か」
数十人が座れるだろう食堂で、眼前に配られた食事を見た己は、小さくそう呟くことしか出来なかった。
他の神殿兵と同じだというその神殿の料理は、肉など影も形もなく、乾パンのようにガチガチに固められた練った黍粉を焼いたものであるヌグァと、イモのスープ、そして黍の茶という酷く味気のない食事だった。
一応、量だけは飢えることはないよう、しっかりと用意されていたのだが……生憎と味の方がアレで、さほど大量に食べたいと思える代物ではない。
それらは、豪華絢爛な神殿の装飾とは裏腹に質素極まりなく……むしろ東の砦に詰める兵士たちの方が美味い物を食べていた記憶がある。
「……華美な神殿の中身とは大違いだな」
「あれは、熱心な信者の方で、素晴らしい職人様がいらっしゃいますので……
善意の寄付と信仰の賜物で御座います。」
何となく発した己の呟きに、隣に座っていた付き人の少年がそんな言葉を返してくる。
尤も、そんな言い分をすぐさま信用するほど己は素直な人間ではない。
(その職人が数年がかりで築き上げる、金箔銀箔の材料に、その間の食事。
それらがどうやって賄われたと思ってるんだか)
基本、ヨーロッパの教会関係が華美で豪華なのは、その分搾取と強奪があったのを知っている己としては、そう内心で呟くことしか出来ないのだが。
この細工の汚れ具合から察するに……恐らくは周辺諸国を呑み込んだ、あの七代皇帝レセムトハンドとかいう屍の王の時代に収奪によって豊かになったその上澄みが投入されたのだろう。
国内からの寄付が如何に善意と信心から成っていようとも、その富は周囲から権力と悪意で強奪されたものであれば、それは悪と断じることが出来る。
そして、帝国によって強奪され無惨に殺された周辺諸国の連中が、何者かから……異世界の邪神とやらから力を与えられ、この神聖帝国を滅ぼそうとしている、と。
(……ま、その辺りはどうでもよいか)
何となく中世ヨーロッパの文明形態に考えが向かい始めた己だったが、すぐさまそんな思索なんざ剣術には何の役に立たないと考え、遮断する。
「……ええ、そうです。
その盲目の職人に与えられた天賜こそが、現代まで伝わる水車の開発に至ったのです。
未だに主食であるヌグァが神のもたらした糧と言われているのは、黍の畑を築く水路、収穫を増やした肥料、そして黍粉を挽く水車の開発全てに神がかかわったとされているからで……」
付き人となった少年が何やら神の素晴らしさを説きはじめたのを適当に聞き流しながら、己は味の感じられない固焼きのヌグァを黍茶を使って喉の奥へと流し込むのだった。
2017/11/08 22:19投稿時
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