02-14
一夜の妻、もしくは神の妻。
男女の営みが結婚を前提とする神殿の教え上、娼婦という存在は認められない。
だからこそ、彼女たちは一夜のみの妻となる、もしくは神の愛を万人に分け与える神の妻となる……それが彼女たちが「仕事」をする上での神殿への言い訳なのだと、彼女と同行した半日足らずの道の途中でそんなことを聞いていた。
正直、己は娼婦という存在に忌避がある訳でもないし、彼女は十分に魅力的な女性だと感じている自分がいるのも紛れもない事実であり……つまり、一夜だけでも彼女を妻に迎えるというのは、己にとって非常に魅力的な誘いだった。
だけど……それでも己の回答は決まっている。
「……悪いな」
己は小さくそう呟くと、非常に魅力的なその女性の身体をやんわりと押しのける。
「ちぇっ、残念。
ひょっとして……故郷に良い人でもいるのかい?」
そういう商売をしている以上、袖にされることにも慣れているのだろう。
己の軽い拒絶に、アルメリアは軽く肩を竦めると……好奇心半ばという様子でそう尋ねてきた。
「いや。
ただ、明日は結構きつそうだからな。
……その分の体力も惜しいと思っただけさ」
真面目に答えなくても構わなかったのだろうが……素気無く女性を袖にした罪悪感からか、気付けば己はそんな理由を口にしていた。
事実、試合前日のボクサーにセックスが禁止されているのは、その体力すらも惜しむ激戦になるから、だろう。
……科学的根拠があるかどうかはしらないが、己が明日乗り込むのは炎の王の本拠地。
そこで今日出来なかったことを……命尽きるまで愛刀に全てを託し、力の限り戦おうというのだ。
12ラウンドを戦うボクサーよりも、更に限界ギリギリまで体力を注ぎ込み、文字通り死力を尽くして百足共を屠ることになるのは間違いない。
「……それって、もしかして対岸に渡る、つもりなのかい?」
話をしている内に、己の視線は自然と東側を……炎の王がいると言われている大河の向こう側を向いていたようで、アルメリアは己が何をしようとしているのかを察してそう尋ねてきた。
「まぁな。
それが己の仕事、ってやつだ」
アルメリアの問いに己は愛刀「村柾」の鍔を鳴らしながら、そう頷いてみせる。
今日一日でソレをどう使うかを目の当たりにした彼女は、それ以上何かを告げることなく俯き……己はそんな彼女に振り返ることなく手を軽く振ってその場を立ち去ることにした。
寝床の場所くらいは聞いていた己は、そのまま部屋へと潜り込み……粗末な木組みと薄っぺらい毛布を置いただけの寝床に横になる。
「……明日は、愛刀に全てを賭ける。
何もかもを、出し切ってみせる。
今日みたいな無様な姿は、二度と晒すかよ」
灯りと言えば窓から入ってくる微かな月明かりのみという暗くて狭い部屋で、己は小さくそう呟くと目を閉じる。
百足共相手に極限まで体力を使い尽くしていた所為か十を数える必要もなく、己の意識は闇へと飲み込まれていったのだった。
翌朝。
寝起きの己は寝ぼけ眼のまま、周囲を見渡し……愛刀を手にしたところでようやく覚醒する。
そうして立ち上がった己が次に行ったのは、身体の状態確認だった。
「……意外と、悪くないな」
あれだけ死力を尽くして愛刀を振るったにもかかわらず、あれだけ限界ギリギリまで身体を使ったにもかかわらず、筋肉痛もなければ疲労を残すようなこともない。
それどころか、血豆が潰れた手のひらに傷の跡もなく、ましてや毒を打ちこまれた筈の左腕に腫れすらないのだ。
(……【再生】ってヤツか)
己は不意に、神殿で鑑定眼を持つ少女が口にした天賜とかいう超能力の中に、そんなのがあったのを思い出す。
今の己にとって、天賜とかいう訳の分からないモノは、愛刀を振るうのに邪魔となる雑音でしかなく……ある意味、嫌悪の対象でしかなかったのだが。
「ま、これくらいは良いか」
だが、貰ってしまった以上はある程度妥協しなければならないだろう。
己はそう小さく呟くと同時に、強張っていたらしき肩の力を抜く。
実際の話、己が求めているのは剣の極みであって、江戸時代や戦国時代……刀が日常的に振るわれていた時代への回帰ではない。
ガスコンロは使うし、電気は使う、筋肉痛にはサロンパスを貼って怪我をすれば縫合もするし抗生物質で化膿を止めることもある。
食事には栄養学を考えるし、面倒な時はカップ麺を食べ、サプリで誤魔化すこともあった。
古の剣豪たちはそれらの知識もなく食事を摂り家事に時間を費やし自然の中の知識で怪我を癒していた、というのにだ。
要するに……剣の道を極めるためだったら、別にその途中で科学の恩恵に預かることも忌避するつもりはない、というだけの話なのだが。
である以上、戦い以外の場所で天賜を忌避するなんて無駄なことだろう。
尤も、今朝、己の身体に筋肉痛が残っていたとしても、毒で左腕が動かなかったとしても……己は百足共に戦いを挑みに行っただろうから、天賜という超能力は己の行動に何ら影響を与えた訳ではなく、ただ「あれば便利」程度の道具でしかないのだが。
……だけど、そんな己でも一つだけ譲れないことはある。
(戦いの場に超能力を、拳銃を……愛刀以外の、両手で振るう以外の武器を持ちこむのだけはダメだ。
それだけが身元不明の死体に成り下がった己の……最期の誇り、だからな)
己は内心でそう呟くと、愛刀「村柾」を鞘から引き抜き、窓から入ってくる僅かな朝日に翳してみる。
刃毀れに歪み、捩じれ……あれだけ凄まじい戦いを経た所為で、空中を舞う蜻蛉だろうとも触れるだけで両断出来たあの切れ味はもはや見る影もなく。
「今日も頼むぞ、相棒」
己はそう呟くと刀身に触れ、【金属操作】と小さく内心で呟いてみせる。
日本刀の構造についてそこまで詳しくはない己だったが、それでも何度も見た愛刀の形や重さ、重心位置などは知り尽くしている。
神から授かったという天賜は凄まじく、己の念じるが儘に愛刀「村柾」の刃毀れは消え、歪みも捩じれも正され……僅か三秒を待たずして愛刀は己の記憶にある最良の状態へと戻っていた。
(……凄まじいものだな)
時間という一点において一流の研ぎ師の仕事よりも凄まじいその仕事っぷりに、己は今さらながらに神から授かった天賜という超能力の恐ろしさを悟る。
もしコレを戦いで使おうものなら……【加速】や【剛力】だけでなく、【加熱】や【水作成】、【鉱物作成】なんかでも、凄まじい成果が出せるのではないだろうか。
それこそ、拳銃のように、子供でも大の大人を労力なく殺害出来る……
「ははっ。
だから何だってんだ」
己は剣に生き剣に死ぬ。
それだけは曲げることのない己の矜持であり……今さらその生き方を変える気もなければ、変えられるとは思えない。
事実、闇試合なんぞに出て命を落とし、それでもまだ変えられないのだから筋金入りだ。
「さて、と。
……死ぬには良い日だ」
窓から差し込む光を眺めた己はそう小さく呟くと……首を鳴らして肩を軽く解しつつ、部屋を出るのだった。
文化の違いというのは恐ろしいものだ。
外国に行けば簡単に学べるそんな当たり前のことを、己は今さらながらにようやく思い知っていた。
「……心臓が止まるかと思ったぞ」
「はははっ。
神殿兵さまはこの手の厠を使われたことがなかったのですかな。
聖都の方では不浄の獣は忌み嫌われ、見える場所には出てこないと聞きますし」
便所を済ませた己の呟きを聞きつけたらしく、平の兵士らしき青年がそう笑い返してくる。
まぁ、笑われるのも無理はなく……和式っぽいその便所に己が座ったその時、突如として便所の穴から豚っぽい生き物が顔を出し……己は思わず悲鳴を上げてしまったのだ。
何となく気になった己が話を聞くと……どうやらその六本脚で背中にのみ鱗のある豚のような生き物は、不浄の獣と呼ばれていて、こちらでは汚物や生ごみの処理係として飼われているようだった。
取りあえず、便所の穴から頭を出してきた場合、殺さない程度にぶん殴って大人しくさえてやれば良いというのを聞いた己は、今さらながらに文化の違いに眩暈を覚えたものである。
まぁ、そんな一幕はあったものの、己の予定が変わる訳もなく。
己は宴会をしていた広間へと向かい、その辺りに転がっていたまだ食べれそうなヌグァと肉とを適当に口の中へと放り込み……ついでとばかりに昼飯の弁当として大きめのヌグァを一つ、懐へと放り込む。
(これで昼飯は問題なし)
腹が減っては戦は出来ぬという以上、朝飯を喰らうのと昼飯の確保は必須だった。
そうして食事の確保だけした己は、近くの比較的綺麗な盃を取ると、【水作成】で器を満たし、一気に飲み干す。
「……行くとするか」
もうこれ以上この砦に用はない。
そうして砦を出ようと歩き始めた己だったが……
「やぁ、神殿兵さま。
やはり朝が早いのですな」
「昨日は凄まじかったですよ、神官さん。
今度、剣の使い方を習いたいものです」
すれ違う兵士という兵士が、親しげな様子と敬意の感じられる程度で声をかけてくる。
正直、剣の腕を褒められるのは気分が良いのだが……こうして持ち上げられることに慣れない己としては居心地が悪くて仕方なかった。
付け加えると、昨夜の宴席で一度酒を共に飲んだという経験が、彼らが親しげに話しかけてくる理由の一つだと思われる。
正直、これから始まる百足退治に意識が向いていた己は、兵士たちの相手を面倒だと感じつつ……それでも二言三言言葉を交わす程度だからと諦め、適当に相手をしながらも己は、昨日歩いた砦の通路を逆に辿っていく。
戦闘の興奮から冷めてなかった昨日と違い、今はゆっくりと周囲を見渡す余裕があり……そうして周囲を見てみると、此処は意外と歴史を感じさせる砦のようだった。
石畳は踏み鳴らされてすり減っていて、曲がり角などは何やらぶつけたような跡までが見える。
銃眼らしき箇所の周囲には、最近使ったらしき削れた跡があり……事実、昨日は炎の王の眷属相手に籠城戦をしていたのだったか。
「……こういう歴史を辿る旅ってのも悪くないな」
近い未来、確実に起こるだろう地獄のような戦いへの覚悟を決めている所為か、己は何処となく静かな気持ちになっていて……そんな感想まで口から飛び出してくる始末だった。
剣を振ることしかして来なかった……と言うか、恋愛だろうと趣味だろうと剣以外の何もかも長続きしなかった己からそんな観光旅行みたいな言葉が出て来たことに、自分で驚きつつ、通路を歩き正面入口へと向かう。
そうして、砦から外へ出た……そこに、その男は待っていた。
「やっと来たか、義兄弟よ」
身体の要所を金属で補強している革の鎧を着込んだ、筋肉質の巨漢……己を義兄弟と呼ぶ男が完全武装を整え、戦意の漲った獰猛な笑みを浮かべながら、己へとそう告げたのだった。
2017/09/23 20:41投稿時
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