02-11
(コレが……炎の王の眷属か)
砦の近く……凡そ百メートルほどまで近づいた頃、己はようやくソレをじっくりと観察する機会に恵まれた。
その生き物を一言で言い表すとするならば、やはり真紅の巨大な百足だろう。
尤も、己の知っている百足とはちょっとばかり違っていて、長さが約二メートルほどで顎は四つに分かれており、触手らしきモノが六つ生えているのだが……それでも足が百近くあるその姿はやはり百足と言うしかないだろう。
(ちっ、炎の王って呼ばれる訳だ)
その百足は火を放つ訳ではないのに、「炎」を冠する名で呼ばれているのは……こうしてうじゃうじゃと一斉に群がられるとまるで炎が燃えているように見えるからか。
そうしてじっくりと視認できる距離まで近づいた所為で、向こう側もこちらに気付いたのか、砦へと押しかけていたらしき数百……いや、近づいてみるともう少し少なそうだが、それでも二百は軽く超えるだろう赤い百足の中の一匹が、じわじわとこちらへと近づいてくる。
(……遅い、な)
ソイツらの移動速度は意外と遅く、体感的には子供が走ってくる程度の速度だろう。
ただ、体勢を低くして寄ってくるその姿は……非常に剣を振るい難い。
それもその筈で、己の習得した剣術というのは、あくまで人が人を斬り殺すための概念。
地面を這うように迫ってくる相手を斬り殺す術など……
「……たとえ、人でなくともっ!」
とは言え、手段がない訳じゃない。
己は前へと踏み込むと同時に、愛刀「村柾」を地を這うギリギリへと振るい……逆さ袈裟と逆風の中間のような軌道を通す。
もし愛刀の長さを熟知していなければ、もし小石一つでも転がっていれば、無意味に切っ先が欠けることとなるその地面すれすれのその斬撃は、見事に己の思った通りの軌道を描き……
【ギィイイイイイイイイイイイっ!】
四つの牙を持つ顎を開いて襲い掛かってきたその百足の頭部を真っ二つにと切り裂くことに成功する。
(硬いっ!)
だが己は、腕に返ってきたその弾力……この紅い百足の甲殻の硬さに驚いていた。
慣れぬ逆風の斬り上げだった所為か、振り下すよりも力が入ってなかったのは事実ではあるが……それでも相手の突進に合わせて真正面から切り裂いたのだ。
人であればさほどの抵抗もなく致命傷を与えられる筈の斬撃が、まるで革の鎧を着た人間を叩き斬った時のような……それは、アメリカに渡って賭け死合いに出る前に練習した、革鎧を着込ませた巻き藁を叩き斬った時の感触に近い。
しかもこの百足共は人間の胴体と同じ太さか、若干細いくらいなのだ。
(胴斬りに近いか)
江戸時代の頃には、死者や罪人などを横に寝かせ、日本刀で試し斬りをしてその切れ味を調べたというが……
この百足を斬るには、革の鎧を着込んだ人の胴体を切り離すほどの斬撃を放たなければならない。
(しかも……っ!)
眼前では、頭を二つに割られた百足が、悲鳴と思しき凄まじい金切音を上げながら、四方八方へとのたうち回っているのが見える。
頭を真っ二つに割られても即死しない……その凄まじい生命力こそが、この手の生き物と相対した時の最も厄介なところ、ではないだろうか。
「……挙句、うじゃうじゃ、集まってきやがった」
その悲鳴を聞きつけたのだろう。
取りあえず、砦を攻めていた内の十匹ほどがこちらへと首をもたげてこちらを威嚇し……器用なことにそうして首をもたげた最中にも、後ろ半分の足を利用して身体全体は己の方へとにじり寄ってくる。
「隙だらけっ!」
だが、そんな意味のない威嚇行動などに臆する己ではない。
威嚇しているその百足の真正面へと飛び込み……大上段からの袈裟斬りにて真っ二つに両断してみせる。
読み合いも兆しを窺うこともない、ただの力任せの一撃ではあるが、知能のない百足相手にはそれで十分だったらしい。
「っととと」
尤も、一撃を振り下した隙を狙い、左右から百足の牙が襲い掛かってきたのだが……それも予期していた己には関係ない。
後ろへと跳んだその動きを利用して、逆風の斬撃を放つものの……渾身の腕力を込めた筈のその斬撃は、僅か二寸ほどしかその胴へと刃がめり込まなかった。
百足の甲殻はどうやら己が思っているよりも固く……退きながらの、しかも刀身の重さを込められない下から上への斬撃ではその胴を断つことは叶わなかったのだ。
【ギィイイイイイイヤァァァっ!】
その百足は斬られた痛みの所為か変な金切音を発して暴れ始めるものの、特に死ぬような様子は見せないことから……やはりこの手の虫類は、ある程度は深く斬り込まないと命を奪うことも叶わないらしい。
(……ちっ)
そうしている間にも、前後左右から百足共が迫ってくるのを視界の端に捉えた己は、思いっきり右手へと……砦とは逆方向にいた百足へと飛び込む。
「らぁっ!」
牙をむき出しにして襲い掛かってきた百足の頭部を唐竹に叩き割り、その横を駆け抜けてこの死体を盾にするという己の戦術は……
「がっ!」
頭を叩き割ったことで殺した筈の死体が跳ね、その尾が己の胴へと食い込んだことで見事水泡と帰したのだった。
三方を囲まれた所為で、如何にこの包囲を切り抜けるばかりに思考が回り、百足の生命力を考慮から外してしまった所為だろう。
「がっ、がはっ」
吹っ飛ばされた己は、衝撃に咳き込みながらもその転がる勢いを利用して跳ね起き、それでも手放さなかった愛刀「村柾」を正眼へと構えたのだが……
「……キツイな、コレは」
今の一撃で呼吸が乱れた所為か、身体中が疲労を自覚し始めたのが分かる。
大きな百足の胴体という重量級の物体に撥ねられた所為で、ダメージは身体の奥底まで響いており……疲労の所為もあり、膝が早くも笑い始めていた。
しかも眼前には全く怯むどころか恐怖や疲労という概念もないだろう、巨大な百足がうじゃうじゃと己に向けて迫ってきている始末である。
「まだだぁあああああああああっ!」
己は死への恐怖と数の暴力に挫けそうになる心を、必死の叫びで鞭打つと……手にしている愛刀「村柾」を近くの百足へと叩き付ける。
腰が引けている所為か、疲労とダメージで踏込が浅い所為か、己の放った斬撃では百足の胴の半ばまでしか切り裂けず……
斬られた痛みによるものか、それともただの反射でしかないのかは分からないが、斬撃を受けた百足はその場で暴れ始め……己は慌てて後ずさると、その胴が振るわれる軌道上から身を逸らす。
「まだっ!
終わってっ!
たまるかぁっ!」
一撃で屠れない以上、反撃が来るのは仕方ない。
そう割り切った己は、またしても近づいてきた百足の頭部に向けて、二度・三度と斬撃を振るう。
腰に力が入らない所為で速度を重視し過ぎたのだろうそれらの斬撃は、眼前の百足の牙を切り裂き眼球を抉り触手を断ったものの、即死させられるほどのダメージにはなり得ない。
「ちぃ……っ!」
そのまま突っ込んできた百足の頭部を躱したつもりだった己だが……僅かにそぎ落としていない牙が左の左腕を掠めたらしい。
服を切り裂いて皮膚を一枚だけ切り裂いたその牙の一撃に、己は軽く舌打ちすると、行きがけの駄賃とばかりにその百足の胴へと大上段からの唐竹を叩き込む。
その斬撃を放ち終え、百足の首から少し上の部位が空を舞った……次の瞬間だった。
「ぐ、がぁあああああああああああああああああっ?」
左腕の肘よりわずかに下辺りが、突如として燃えた。
慌ててその傷口の炎を消そうと左腕を身体に叩き付けるが……ただ炎の勢いが増すばかりで何の意味もない。
それもその筈で……己の左腕は、実は燃えてなどいなかったのだ。
灼熱の炎で焼かれているかのような激痛が、頭頂部から足の先まで響き渡り……そのあまりの激痛に己はただ悲鳴を上げるだけで背一杯という有様なだけで。
その凄まじい激痛によって、自分が今戦っている事実すらも忘れ去っていた己の視界の端に、別の百足の牙がふいに写り込んだ。
「う、うわぁああああああああっ!」
その噛みつきを避けられたのは、技量でも体術でも何でもない……ただの恐怖に突き動かされて身体を動かしたお陰だろう。
己はそんな無様な悲鳴を上げながらも、未だに引かない左腕の灼熱感に耐え、迫りくる百足から必死に距離を取る。
幸いにしてこの百足共の動きは遅く……逃げの一手を選んだ己が数十メートルを走ったところで振り返ると、既に百足共とは十メートルほどの差がついていて……どうやら振り返って息をつくくらいの余裕は出来ていたらしい。
「……炎の王、か」
大きく息を吸い込み深く吐き出すことでようやく冷静さを取り戻した己は、静かにそう呟く。
紅いだけの百足の群れに、何故そんな名前がついているのか不思議だったのだが……確かにコイツらを操る王は、炎の王と呼ばれるに相応しい存在だろう。
紅く全てを飲み込みながら迫ってくる、焼け爛れたかと思うほど強力な毒を持つ百足の群れ。
それらはまさに『炎』と呼んでもおかしくない、抗うことさえ出来ない天災に近い存在だったのだから。
尤も……
「だが、斬れるっ!」
幾ら相手が天災のような抗いがたい存在だからと言って、ただ座して死を待つくらいなら……最初に撃たれて死んだあの時に、幾何学的存在の誘いにのって生き返るなんて選択肢を選んでいない。
「斬って死ぬのが、たかが百匹程度っ!
己に勝てぬ道理などないっ!」
己はそう叫ぶと……まだ激痛が響く左腕を使わないようにしつつ、愛刀「村柾」を握りしめてこちらへと向かっている百足の群れへと走り出し……
「ちぇぇええええええええええっすっ!」
そのまま大きく息を吸い込んだ己は、吐き出した空気が音を立てるのと同じタイミングで、愛刀を敵の頭部へと八相……いや、蜻蛉の構えから叩き込む。
二の太刀要らずと名高い、渾身の一撃を意識したその斬撃に頭を割られた百足はその場でのたうち回り始め……周囲の百足を巻き込んで、敵の軍勢の足止めをしてくれていた。
(……くそっ、僅かに遅い)
だが、自らが放ったその一撃を目の当たりにした己は、そう内心で吐き捨てる。
確かに一撃で百足を屠れる斬撃を放てたものの……それでも反省材料があったのだ。
左腕に激痛が走り、思うように動かないこと……ではない。
あれは薩摩の方だったか、左肱切断と言って左腕を斬り捨てたものとして動かさずに刃を振るう手法があり、左に激痛が走るこの現状を打破すべく、不意に思い出したそれを真似てみたのだが……
(僅かに、鈍いっ)
……そう。
先ほどの一撃……威力はは申し分ない一撃だった。
蜻蛉の構えから唐竹への斬撃で、一撃で百足の頭部を断ったのだから、威力は期待通りだったと言っても過言ではない。
だけど……斬ろうと決断してから斬撃を放つまでの「初動」が遅すぎて、相手が知能のない百足だからこそ問題なかったが、もしコレがあの英霊七騎士であったなら、確実に先ほどの一撃は止められていただろう。
その初動が遅い原因など分かり切っている。
……恐怖、だ。
先ほど喰らった、脳天まで響く毒の激痛をまだ身体が覚えていて……本能が百足へと近づくことを拒否しているのだ。
(斬れば斬れるんだっ!
……己の手足、震えるなっ!)
己はそう内心で叫ぶと、右手に握った愛刀「村柾」の柄を左腕の傷口へと叩き付け、激痛に歯を食いしばり……
「かかって、きやがれぇえええええっ!」
そうして自らに喝を入れると……まだ凄まじい数が残っている真紅の大百足共を迎え撃つべく、蜻蛉の構えを取ったのだった。
2017/09/20 20:45投稿時
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