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プロローグ2


 (オレ)が目を開くと、そこは一切の色がない……白一色の世界だった。

 尤も、横一文字に広がるアレが地平線である自信もなければ、上空の白い壁が空だという確信もなく。

 付け加えると、何やら遠くに浮かんでいる数多の、大小様々な白い球体が一体何なのかすら分からず……要するに己が今いる空間は、今まで見たこともない酷く非現実的な場所であり……

 この光景が夢か現かの区別すら付かず、自分の目を擦って周囲を見渡すのを己は二度三度と繰り返してしまう。


(何処、……いや、何なんだ、此処は)


 異なるルールの世界……そう呼ぶしかない異様な光景を前にした己は混乱の最中にありながらも、近くに転がってあった愛刀を掴むと僅かな音と共に鯉口を切り、いつでも刃を抜き放てる姿勢を保つ。

 自分の身に何が起こったか分からない以上、そして己に出来ることがコレしかない以上……己はこの場でこうする以外の術を持たなかったのだ。

 そうして居合の姿勢を保つことで混乱から立ち直った己は、必死に記憶を探り……自分の身に何が訪れたのかをようやく理解した。

 

(嗚呼、己は……)


 ……『死』。

 自分の命が終わってしまった事実をようやく受け入れた己は、絶望の余り膝から力を抜くと地に伏し……そうして指の一本を動く気力すらも湧かずに項垂れたまま、静かに純白の床を睨み付けることしか出来なかった。

 幸いにして痛みはなく……銃弾によって穿たれた胸の穴も額の穴も塞がっているらしい。

 だと言うのに何故か頬を横一文字に抉られた傷だけは痕になっているようで、絶望のあまり痙攣した頬には、微かに傷跡が残っている感覚があった。

 もしかするとこの傷跡は、「剣術によって受けた傷はそのまま残したい」なんていつかの己の希望に沿った形になっているのかもしれない。

 だが、そんなことよりも……


(死んだのか。

 死んでしまった、のか。

 つまり、己は……これ以上、剣の道を究めることは、叶わない、のか)


 ……そう。

 傷跡の心配より、自身の死を嘆くより……己の胸中にあったのは、この期に及んでもそんな一念だけだったのだ。

 五歳の頃に初めて竹刀を握った。

 七歳の頃に初めて公式の試合で勝ちを知った。

 十二歳の頃に剣道ではなく剣術の門を叩き……

 十八で才能の限界を知った。

 それでも自らの限界を認められずに鍛え続け、二十三になった頃、ただ歳だけを重ね続ける焦りと成長を止めた自分への怒りから、自分の限界を無理やりでも突破しようと命がけの実戦……闇賭博なんぞに身を投じ……

 結果、このザマである。


(あの最期は無様だった。

 ……銃と奇襲への対策を練らないと、な)


 己の最期に幾ら悔いがあったとしても、こうして死んでしまった以上「悩んでいても仕方ない」と割り切った己は、自らの死の反省を踏まえ、最も身体に馴染んだいつも通りの行動を……不意に奇襲を受けるという前提を組み込みつつも、いつもの鍛練を始めることにする。

 己は静かに立ち上がると愛刀『村柾』を抜き放つとゆっくりと正眼に構え、そこから唐竹、袈裟、逆袈裟、右薙ぎ、左薙ぎ、右切り上げ、左切り上げ、逆風、刺突と一連の動きを繰り返す。

 背後から突如として狙われる、右側から不意を討たれる、左側から槍で狙われる……数多の奇襲を想定して、数え切れないほど繰り返した鍛練に回避への意識を取り組みつつも、一連の動きを終えた。

 その時のことだった。


「~~~~~っ!」


 刺突を終え、大きく息を吐き出して愛刀を構え直した己は、その時になってようやく『何か』が自分の一足一刀の間合いの内に立っていることに気付き、必死に悲鳴を押し殺す。

 奇襲への対応を意識した稽古の最中に、全く気付くことなく間合いに入られた……相変わらず気配の察知が甘い自分に対して内心で自らを罵倒しつつ、それでも間合いを取るために後ずさりながら『ソレ』の方へと振り向き……

 

(何っ、だ、これはっ)


 とは言え、『ソレ』の気配に気付かなかったのは、別に己が鈍かった所為ではないらしい。

 何故ならば『ソレ』は、背の丈が己と同じ……約一七五センチほどで、球の形をした頭に逆さの円錐をした身体があるものの手足らしきものは見当たらず、原理は良く分からないが明らかに空に浮いているという、この世にあり得ない形状をしていたのだから。

 一言で表すなら「男子トイレのマークを立体化した」ような『ソレ』を前に、己は愛刀を下して下段……地の構えを保持しつつも視線を向ける。

 正眼や上段、八相ではこの敵だか味方だか知的生命体かすら分からない相手を無闇に刺激してしまうと考えた故の苦肉の策だが……生憎と『ソレ』に対してそんな駆け引きは意味をなさなかったらしい。


『そう身構える必要はないぞ、人の子よ。

 これからの私の提案は、その方にとっても損などないのだからな』


 何処からともなく聞こえてきた、男女のどちらとも判断し辛いその「声」が、眼前の物体から放たれたモノだと気付くのに数秒を要した己だったが……その突拍子もない言葉の意味を理解するには、更に数十秒を要することとなってしまった。


「……提案?

 取引でもしようというのか?」


『とは言え、その方に拒否権などない。

 何しろ、この提案にその方が頷くことは既に「分かっている」のだからな。

 これは事後承諾……いや、ただの作業的な説明に過ぎない』


「……てめぇ」


 未だに何が起こっているか分からない己に突き付けられた、まるで神か悪魔かのようなその傲岸な物言いに、己は怒りのあまり知らず知らずの内に愛刀『村柾』を握りしめていた両の手から力を抜き……軽く握り直す。

 怒りに硬直した力任せの握りではなく、今まで学んできた剣術の、最速で相手の首を、目を、腹を……即ち急所を断ち命を奪うための握りへと。

 ……だけど。


『剣の道を究めたいのだろう?』


 だけど、『ソレ』が放ったその一言で、己は自分がもうこの神だか悪魔だか分からない存在に抗う術などないと、思い知ることとなった。

 当たり前と言えば当たり前で……剣のみに生きてきた己は、もはや他の道を歩むという選択肢など、とうの昔に忘却の彼方へと捨て去っているのだから。


「……話を、聞こう」


 愛刀を鞘へと戻し、その奇妙な幾何学形をした物体に真っ直ぐ向き合った己を、『ソレ』がどう思ったのかは知らないし、知る術もない……いや、そもそも知りたいとも思わない。

 ただ、『ソレ』はそんな己の機微など気にする様子もなく、感情の窺えない声で言葉を続けるだけだった。


『その方には、これから一つ……分かりやすい言葉で言うならば、とある異世界を救ってもらう。

 私がこれからその方を跳ばす世界は、異世界の邪神によって力を得た「六王」という存在により、存亡の危機に……いや、詳しいことは向こうの司祭から聞くように。

 ああ、あちらの言語は脳に焼き付けておく』


「何、どういう……いや、一体何の話だ、おいっ?」


 恐らく『ソレ』にとって、(オレ)なんかは取るに足らない存在なのだろう。

 まるで相手が理解する理解しないなんざどうでもよく、説明するという手順が必要な……コンビニの店員の年齢確認作業のように、俺の反応も返事も意に介す様子もなく、ただ決められているからそう言葉にしているだけ、という印象が強い。


『ああ、『天賜(レクトネリヒ)』は少し特殊なのを用意しておいた。

 その方も気に入るだろう』


「れくと……何だって?」


 眼前の存在が妙な言葉を放つものの、聞き取ることすら出来なかった己はすぐさまそう聞き返す。

 だけど……幾何学的な存在の『ソレ』は己の抗議すら意に介さず、虚空に向かって何やら魔法陣のようなモノ……『ソレ』と同じく幾何学模様が幾重にも折り重なった立体の陣形を描き続ける。

 描き続けているのだろう……手足もない『ソレ』の正面に立体の陣形が展開し続けるというその不可思議な光景を前にして、完全に置いてけぼりを喰らった己は、いい加減我慢の限界が訪れていた。


(ふざけ、やがって。

 どうせ死んだ身なら……目にモノ見せてやる)


 人の意思を気にする様子もない傲岸不遜な『ソレ』の言動に、苛立ちを止められなかった己は、愛刀『村柾』の鯉口を切るべく親指を鍔に当てる。

 それとほぼ時を同じくして……いや、まるでその幾何学的存在が狙って鍔の鳴らす音をかき消したかのようなタイミングで、己へと言葉を発す。


『そうそう、伝え忘れていた。

 向こうの世界は剣と槍と弓が主流の世界だ。

 存分に斬り合い、殺し合い、戦うが良いぞ』


「……なん、だと?」


 そう尋ね返しながらも、己はその時、自分が笑っていることを自覚していた。

 人は生まれを選べない。

 剣の道を歩もうと思った己は、剣と言えば竹刀で叩き合うのが精いっぱい……もし人を斬り殺せば罪に問われ、牢獄に放り込まれて剣すら振るうことも叶わなくなる。

 そんな不遇の世に生まれてきたのだ。

 だけど……コイツの語る通りの世の中ならば。

 殺し殺されるのが日常的な世の中ならば、日本では叶わなかった生き死にの狭間を刀一本で戦い続け、「剣の道を究め、極める」ことが可能なのではないだろうか?


「だが、己もただの人でしかない。

 あっさりと死んで、終わるかもしれないぞ?」


 そんな楽しげな世界へと赴くことになる、いや……かもしれないとは言え、不安がない訳ではない己は、そんな当然の懸念を口にしていた。

 かもしれないと敢えて表現したのは、まだ眼前に佇む「この幾何学形の物体」を信じられないからだ。

 尤も……だからと言って断るという選択肢など、もう己には存在しない。

 剣の道を歩むことしか出来ない自分にとって、このまま死ぬことも、刀を振るえない世界へ生まれ変わることも、真っ平御免で……

 この(オレ)という人間は、もし地獄が戦いに満ちているのならば、平和な天国よりは地獄へと赴きたいと考えるほど度し難い存在なのだから。


『何を言っている。

 もう答えなんぞ、出ているだろう?

 それにその方の意に沿うような『天賜(レクトネリヒ)』にしておいた。

 上手く使えば、永遠に殺し合うことが出来るだろう』


 そんな己の懸念を、その幾何学的存在はあっさりと吹き飛ばす。

 もし『コレ』の言葉が事実ならば……己は道半ばで挫け、だけど諦めることも出来ず、修羅の道へと足を運び、そうして無意味に屍を晒すこととなった。

 それでもまだ、挑もうとする衝動を抑えきれない最果てへと……剣の極みに到達することが出来る、かもしれないのだ。

 己はその期待に、自分の唇の端が吊り上っていくのを止められない。

 既に異世界へと行く返答などする必要はない。

 この存在はその答えを知っているし……己ももはや、断るどころか抵抗しようという気持ちすら抱くことも叶わないのだから。

 

『その刀と服はサービスしておこう。

 さぁ、飽きるまで戦い続けるが良い、修羅の落し子よ』


 結局神か悪魔かの判断すら出来なかった、その幾何学的存在がそう告げた次の瞬間、不意に凄まじい立ちくらみが起こったかと思うと……

 己の意識はそのまま闇の中へと閉ざされてしまったのだった。



20217/08/31 21:05現在(更新時)


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