05-47
「な、何だありゃぁっ?」
「手……手、なのか?」
「あ、ありえねぇ……何だ、ありゃ」
砂の中から出てきた巨大な白い右手らしきモノ……正直、己も初見の衝撃が強すぎて一瞬だけ意識が吹っ飛んでしまったのだが、どうやら骨が寄り集まって出来たらしきその物体に、黒真珠の連中は動揺を隠せず口々にそう呟いており、彼らの動揺っぷりがあまりにも酷いお陰で、己は正気に立ち戻ることが出来たのだった。
実際問題、明らかに一撃を加えられると分かる……その巨大な右手が明らかな隙を見せているというのに、動揺していた己は斬りかかる動作にすら移れなかったのだから、修行不足にも程がある。
「……お、おいおい」
「また、かよ……」
そうして全員が動揺している間にも、砂の中からもう一本の巨大な……恐らく左手と思しき物体が砂を割ってその姿を現す。
続いて、人のソレとは明らかに違う……どう見ても現存する生き物とは全く違う巨大な顎を持った魚とも言えない、不気味な顔がゆっくりと砂の中から出現してくる。
「ば、ば、化け物、だ……」
背後で誰かがそう呟くのが聞こえたが、それ以外にソレを何と表現すれば良いのだろう?
左右に開くようなワニの顎の中に、何とかって古代肉食魚のような顎があり……顔の殆どが全て口になっているような生き物を模した形をしていたのだから、化け物以外にコレを言い表す言葉などある筈もない。
そんな顔が現れた後には、肩と胴体……らしき物体が姿を現し、ソレの全体像がようやく見えてくる。
手の平だけで二メートルほど……人間を握り潰せるだろうその巨大生物は、上体のみで五メートルはあるだろうか?
尤もソレは、何処となく人間とは縮尺が違っていて……手のひらが奇妙に大きく、肩や胴体は比較的小さい中、頭も二メートルほどと大きく……完全に人間を模しただけの、子供が作った出来の悪い粘土細工みたいな形をしていた。
しかも背中からはタコかイカか、それとも全く別の生物を模したのかは分からないが、十数本の先端に爪のある触手が動き回っていて、己が知る生物とは生態系どころか構造原理そのものが明らかに違っている。
「……何なんだ。
何だよ、コレはっ?」
グデフのそんな悲鳴を聞いて、己も思わず頷いてしまいたくなるほど『ソレ』は理不尽の塊だった。
骨の集合体でしかない癖に、生物的な動きをするその様子を見てしまうと……もはやコレは出来の悪い骨細工というよりも、一個の生命体と言った方が正しいだろう。
下半身は砂に埋もれたままで出てこないが……己の皮膚を刺す感覚的には、あの胴体のど真ん中の、心臓辺りにヤツの力の源たる「核」があるようで、急所は通常の生物とそう大差ないらしい。
そんな、明らかに生物とは異なる構造の、明らかに生物としか思えない動きをする……要するに、どう見ても巨大な化け物としか言いようがないソレが、ゆっくりとこちらを睥睨してくる。
眼球がないその頭でどうやってこちらを見ているのかは分からないが、己たちの方へと顔を向けているのだから、少なくとも観察はしているのに違いない。
「ひっ、ひぃっ?」
視線があった……と言うよりは意識を向けられたことが分かったのだろう。
黒真珠の一人がそんな悲鳴を上げたのと、誰かが武器を落した音が背後から聞こえてきたが……それも無理はない。
象よりも、肉食恐竜よりも巨大なこのサイズの生き物を目の当たりにしてしまえば、勇気や度胸などという思考を発揮する前に、生物的本能が恐怖を訴えてしまうのだから。
「……ははっ」
その巨大な白い化け物を見上げ、身体が震えるのを自覚しながらも……己の口からは自然と笑いが零れていた。
正直、剣術というのは人間を斬るためのモノだが……日本古来から、鬼退治、化け物退治の逸話は幾つも残されている。
ならば所詮は巨大なだけの人外一体……刀で斬れぬ訳がない。
そうして頼りない愛刀を握り直すことでようやく恐怖を振り払った己が、前へ踏み出そうと重心を傾けた……まさにその時、だった。
「……叔父貴、なのか?」
その巨大な化け物の何処に面影を見い出したのかは分からない。
だが、ゲッスルがそう呟いた途端、『ソレ』は動きを止め……ゆっくりとゲッスルの方へと顔を向ける。
『ゲッスルか。
命ばかりは助けてやるから、とっとと失せろ。
あの街からじゃない……このクソのような国から、だ」
黒真珠の長の呼びかけに返ってきたのは、何処から声を出しているかは分からないものの、そんな……耳にしただけで分かるほど、憎悪を隠す気もない吐き捨てるような怨嗟の声、だった。
その余りにも昏い、容赦など一片もない声に黙っていられなかったんだろう。
「何があったんだ、叔父貴っ!
あんたは確かに海賊行為をしていたっ!
だけど、それはあくまでも海の切っ先を護るため……」
『私は……私たちはっ、その街に売られのだっ!
あの不浄の獣共が神聖だと自称する帝国になっ!』
悲痛とも聞こえるゲッスルの事情を問う声は、霧の王の激昂によってあっさりと遮られる。
事実、その声には憎悪しか籠っておらず……余人が口を挟む余地などありはしないのだと思い知らされるほどに苛烈な代物だった。
『仲間は全て残酷に殺されたっ!
生きたまま解体されっ、魚の餌にされたのだっ!
何が、謀反を起こしただっ!
私たちのっ、何が海賊王だっ!』
「だがっ、叔父貴っ!」
あまりにも苛烈な憎悪の叫びに、霧の王と成り果てた男の甥は必死に食らい下がる。
だけど……その凄まじい激怒と憎悪に取りつかれた者に、言葉など通じる筈もない。
『もはや、私は語る言葉など持たぬっ!
私を裏切ったあの街もっ!
私の部下を殺したあの帝国もっ!
そしてあの売女もっ!
全てを殺し尽くしっ!
私の部下と同じように、魚の餌としてくれるっ!』
己は、霧の王となったこの男に一体何があったのかなんて知るつもりもなければ知ろうとすら思わない。
今の今まで我慢したのは、単純に此処まで連れて聞いて貰ったゲッスルに……黒真珠の連中に借りがあったからに過ぎないのだ。
とは言え、もはや交渉は決裂した。
もう言葉も通じない化け物に成り下がったこの男には……何一つかける言葉なんて通用しないのだから。
『ははっ、語る言葉を持たぬのは、貴様も同じかっ!
あの不浄の獣共が崇める偶像の傀儡よっ!』
己の殺気を感じ取ったのだろう……霧の王は顔を動かし、身内であるゲッスルから己へと意識を変え、そう叫ぶ。
……そう。
己は既に愛刀「村柾」を抜き放ったまま、人智を超越し恐怖しか覚えないような、超常現象の塊のこの化け物を前に、延々とお預けを喰らい続けているのだ。
要するに、既に己の理性は……我慢の限界寸前だったのだ。
「悪いな、ゲッスル。
アレは、言葉じゃ治まらない。
下がってろ」
「お、おいっ、ジョンっ?
待てよ、もう少し……くそっ」
己の言葉に……いや、臨戦態勢になった己が放つ殺気に、流石のゲッスルも頭に上った血が下がる思いをしたのだろう。
多少の未練を残しつつそう吐き捨てると、すぐさま少しだけ後ろへと下がる。
「……待たせたな。
さぁ、楽しもうぜ、未練たらたらの生首野郎」
『はははっ、言ってくれる。
だが……貴様が楽しめる保証はないぞ?』
演出好きの霧の王への手向けとばかりに放った己の挑発に、霧の王も答えてくれたらしい。
心の底から楽しそうに、芝居じみた台詞回しを用いながら、そう嗤うと……
『この、操り人形風情がっ!』
すぐさま身体の奥底で燃え続ける憎悪と共に、巨大な右の拳を振り上げ……己へと真っ直ぐに振り下してきたのだった。




