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剣の道、屍山血河【旧題JD→SM】  作者: 馬頭鬼
JD:5「霧の王」
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05-44


 そうして順調と思われた船旅だったが……太陽が頭上と水平線のど真ん中辺りへと辿り着いた頃、急に追い風が消え失せてしまい、まるで(オレ)や黒真珠の連中の覚悟を嘲笑うかのように、船はさっぱり前へ進んで行かなかってしまう。


「くそっ、ここまで着いたのにっ!

 グデフっ、もっと速度を出せっ!」


 黒真珠の長であるゲッスルが苛立たしげに義足を甲板に打ちつけながら、そう怒鳴る。

 だが、人間一人が幾ら怒鳴り散らしたところで、天候を変えることなど出来る筈もなく……そして、風が止んでからちょうど太陽が地平線のすぐ上にあるのを見ると、このまま風が順調だったとしてお霧の王の本拠地にたどり着く頃には夜になってしまうに違いない。

 挙句、その頃には漕ぎ手たちも疲労困憊の極みにあり、霧の王と戦うどころか立ち上がって島に上陸することすら叶わないだろう。


「落ち着け、ゲッスル。

 勝手も知らん敵地に闇討ちでも仕掛ける気か」


「あぁっ?

 俺は落ち着いて……落ち着いて……」


 地の利もない敵地で偵察を行いもせず、しかもこちらから攻撃を仕掛けようとしているのがバレてる相手に、真正面から夜襲をかけるなんて、愚策を通り越して自殺行為としか言いようがない。

 そんな至極当然のことを告げた己の言葉に、ゲッスルは一瞬だけ激昂し血走った目を己に向けるものの……すぐさま冷静でない自分に気付いたのか、大きく息を吐き出して目を閉じる。


「……ああ、くそ。

 確かに冷静じゃなかったようだな」


 すぐさまゲッスルがそう告げるものの……これから挑もうとする霧の王はコイツの脚を奪い、故郷を追い込み、家族や友人の仇でもある相手なのだ。

 入れ込まない方がおかしいだろう。


「全員、休憩っ!

 ここで一晩を過ごすから、飯の準備っ!

 明日は朝から戦闘だっ。

 ……呑み過ぎるなよっ!」


 それでも、僅か数秒で冷静でない自分に気付き、一呼吸で頭に上った血を下すと、すぐさま方針を切り替えてしまう。

 その切り替えの早さ、気が短いながらも人を上手く使う能力、脚を奪われた相手へと臆せずに幾度も挑めるその胆力は……時代が時代なら大軍の将にでもなれたことだろう。

 尤も、この神聖エリムグラウト帝国は拡大政策を取り止めて久しく、成り上がりが難しい時代が続いており……その挙句、突然現れた六王の侵略によって一気に滅びの縁へと立たされている状況だった。

 だからこそこの男は、こんなちっぽけな密貿易の長として燻っていたに違いない。

 まぁ、部下たちを扱うのに必要とは言え、個人的には敵地の真ん前で酒を飲むのはどうかと思うが……死地を前にして眠れない者も多く、酒の力を借りるのも一つの手、なのだろう。


「そんな訳だ、ジョン。

 海上でもう一夜を過ごし、明日の朝にカチコミをかける」


「ああ、聞こえていた。

 己なら、いつ戦っても構わない」

 

 落ち着きを取り戻した後のゲッスルは冷静にそう告げると、己の返事に片手を上げて甲板の下へと降りていき……恐らくは甲板の下で櫂を漕いでいるグデフたち黒真珠の連中に今後の連絡を告げに行ったのだろう。

 そうしてまた一晩やることがなくなった己は溜息を一つ吐くと、先ほどからは随分と近づいた、夕日とは真逆の方角に浮かぶ霧の王の島を睨み付ける。

 走っていけばもう一時間もかからなさそうなあの島は、生憎と海上を走ることの出来ない己にとっては一晩かけてもたどり着けない遥か遠い場所なのだ。


「……明日、か」


 己は愛刀「村柾」を引き抜くと、その刃を夕日に翳して刃毀れ一つないことを確かめる。

 明日、己が味わうのは全身全霊を注ぎ込んでもまだ届かない、真の地獄なのだ。

 刃毀れ一つ、目釘の緩み一つ、柄糸の解れ一つで命を失う……そういう場所であり、武器の手入れすら疎かに出来る場所ではない。


「おい、飯を持って来たぞ、ジョン。

 粗末なモノだが、英気を養ってくれ」


 そうして愛刀を眺めてどれくらいの時間が経ったのかは分からないが……甲板に義足がぶつかる音に視線を上げれば、ゲッスルが手に食事を持ってこちらへと歩いて来ていた。

 出てきた料理は塩漬けの魚と固焼きのヌグァという船上定番の保存食であり、海上に出てからはもう三食はコレを繰り返していて、正直喰い飽きたと言っても過言ではない代物だったが……


「塩分は、少しでも取りたいと思っていたんだ。

 明日は、幾らでも流れるだろうからな」


 それでも己はその定番の味を……いや、塩化カルシウムを欲していた。

 これは予想と言うより予感なのだが……明日はほぼ確実に、こうして口から摂取した以上の塩分を、汗や血という形で垂れ流すことになるに違いない。


「……神殿兵(ハルセルフ)のあんたでも、やはりあの霧の王を討つのは厳しいのか」


 そんな己の覚悟を察したのだろう。

 ゲッスルが腰の湾剣を鳴らしながら、そう呟く。

 その問いを聞いた己は、視線を宙に彷徨わせながら……過去に相対した六王たちを思い浮かべ、静かに口を開く。

 

「まぁ、アイツら六王って連中は、常識の埒外だ。

 忠誠により死者を操る屍の王、身体の一部を変化させた毒虫を操る炎の王、狂気によって猿を駆りたてる猿の王、意のままに牙獣を操る牙の王……どいつもこいつも人の手に負える相手じゃなかった。

 猿の王と牙の王に勝てたのも、今思えば奇跡みたいなものだ」


 猿の王は狂気の毒に冒された挙句、剣のみに生きるという矜持を捨て去り天賜(アー・レクトネリヒ)を用いてようやく勝利を掴み取った……実質負けみたいなものだった。

 牙の王に至っては(アー)(ソルタ)の矢によって一方的に滅ぼした挙句、一騎打ちを挑んで死にかけた……実質引き分けみたいなものである。

 その挙句、屍の王には配下である英霊の七騎士をたった二体滅ぼしただけで敗北し、炎の王には破れた挙句、情けをかけられた。

 即ち……己は未だに「独力では六王と名を冠する存在から勝利をもぎ取ったことがない」有様なのだ。


「……霧の王も、同類だと?」


「……ああ。

 だからこそ、挑み甲斐がある」


 胸骨を叩き折られ陸上で溺死したあの苦痛を、炎の王の眷属によって腹腔と頭蓋を食い破られたあの灼熱を、猿の王の狂気から逃れるために自らの刃を胸に突き立てたあの激痛を、牙の王によって全身を食い千切られる恐怖から逃れるため自爆した、あの屈辱を。

 それら全ての敗北の味を思い浮かべつつ、己は愛刀の柄を握りしめ……そう嗤う。

 その笑みは、己自身でもかなり凄惨なものだと実感するほど酷く歪んだ代物で、正直、直視に値しない代物だったらしい。

 少なくとも、かなりの修羅場を潜り抜けただろう眼前の大男でさえも、ひきつった愛想笑いを浮かべるのが限界だったようで……それほどまでに己は自分自身の才の無さを憎悪しているのだろう。


「……喋り過ぎた。

 もう寝させて貰う」


 それ以上、自らの情けなさを口にする気にはならなかった己は、そう一言告げると毛布を身体に巻きつけると、愛刀を抱いて目を閉じる。

 こうしていれば熟睡は出来ずとも、身体を休めることくらいは出来るだろう。


「あ、ああ。

 明日は、頼む」


 そして、己のその心境を知ってか知らずか、ゲッスルはそう呟き……

 そのまま二度目の船上での夜は過ぎて行ったのだった。


2021/04/08 20:41投稿時


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