05-40
ゲッスルの全く参考にならないアドバイスを聞いた己は、手元の杯を一気に呷る。
黍粉を始めとする雑味と、どぶろく特有の舌触り……そして舌を刺す炭酸の名残と咽喉を焼くアルコール。
それらの感覚を確かめている間にも、黒真珠の頭ゲッスルは己の杯に再び酒を注ぎ……こちらをまっすぐに見つめながら口を開く。
「俺もそうだったさ。
こんな稼業な上、叔父貴が少し派手にやらかしたこともあって……今の嫁を貰うまでは、家庭なんてクソだと思ってたさ。
だが、餓鬼が出来てからは意外と何とかなるもんだぞ。
そうそう、うちの息子は十歳で後継ぎなんだが……これがクソ生意気でなっ」
どうやら己の様子を見て、冗談を言っていると思われたのが気に入らなかったらしい。
ゲッスルは声を少し荒げ、そんなことを言い始めた。
途中から家庭内の助言から軌道を外れ、子供の愚痴と見せかけた自慢話になっている辺りが酔っ払い特有の言動だったが……それはまぁ、父親としてはよく見受けられる特徴である。
「そんなもんさ。
ああ、うちには、娘は七歳が二人いるっ!
俺に何かあったら、頼むぞ、兄弟っ!」
その流れに便乗したのだろう。
黒真珠一の巨漢であるグデフは大声でそう叫びながらも盃を向けてくる。
己は眼前の巨漢が口にした言葉を特に意に介することなく、向けられた盃を一気に飲み干すと……
「くたばりさえしなけりゃ、何とかしてやる。
だから、そのデカいガタイして無駄に死ぬな」
巨漢の肩を空にした杯で殴りつけながらそう笑う。
尤も、酔っていながらとは言え笑いながらとは言え、言っていることに嘘はない。
己が持つ……いや、神から押し付けられた天賜という名の手妻を使えば、他人の手足の一本を生やすことなど容易いのだ。
……多少激痛が走るらしい上に、何処までの怪我が治せるか分からない以上、こちらの言葉で「奇跡」と呼ぶよりも、ただの手妻としか言いようがない代物なのだが。
「はははっ。
神の御加護次第ってヤツだな、そりゃ。
俺だって脳天かち割られりゃ終わるぜ」
「誰がてめぇの脳天に手が届くってんだ。
あの骸骨共の空っぽの頭蓋じゃ、幾ら知恵を捻り出しても無理だろうが」
己の言葉に巨漢はそのデカい頭に触れながらそう笑い……ゲッスルもその言葉に乗じて笑ってみせる。
そういう姿を見せられると……この黒真珠の頭は確かに密輸組織のトップというよりも、近くの猟師が集まった寄り合い所帯と言われた方が印象としては正しい気がしてきた。
酒宴が始まる前に軽く聞かされた話ではあるが、この海の切っ先では、国の定めし法律と神殿が定める教えが今だに両立しており……更には神聖帝国に併合されたばかりの所為か、その両者がまだ曖昧なところもあって、この街の連中にしてみれば密輸と沖合漁業の二つに大差はないのが実情らしい。
「確かに、今まではクソったれの神相手の博打に勝ってきたがな。
次も大丈夫って保障なんざ、何処にもないだろう」
「だから、こうして盃を交わすのさ。
俺たちは義兄弟……何があっても家族の面倒は見てやる、ってな」
それは恐らく……己が知っている歴史の、任侠系のヤクザに近い考え方ではないだろうか?
現実問題として自分たちの命や稼業を脅かす存在がいて、残された家族がいた場合、人はそうそう鉄砲弾みたいな生き方なんて出来やしない。
だからこそ、義兄弟に家族を託すことで安心して戦いに赴ける……元は任侠映画でお馴染みの「杯を交わす」という言葉もこうして使われ始めたんだろうと推測できる。
まぁ、第二次世界大戦後の混乱期にはそういう任侠も居たらしいものの……今や裏ビデオとシャブ売るだけのチンピラが殆どになってると聞いてはいるが。
その辺りは日本で真剣を使った賭け試合がないか探っていた頃にそういう連中十数人を叩きのめし、真剣で致命傷寸前まで追い込んだりしている頃に聞かされた話だったが。
「……くそ。
酔っちまったか」
要らぬことを思い出したり、意味もなく楽しくなって笑いはじめたり、思考にとりとめがなくなってきたりと……己は完全に酔っているのだろう。
そう自覚しつつも、次々に注がれる酒を見て「残して立ち去る」という思考は生まれる筈もなく……己はただただ盃を呷り続ける。
ついでに言うと久々に食べた海鮮味噌鍋擬きが郷愁を誘ったのかもしれない。
己はよそわれるがままに鍋を口へと運び、注がれる酒をひたすら飲み干し、その空の杯を見た誰かにまた次がれ……
「……頭いてぇ」
見事に翌日、己はただ真っ直ぐ立つのが精いっぱいという二日酔いのアホと成り果ててしまっていた。
愛刀を抜いて振るおうにも正中線すら保てない有様であり、今敵の襲撃があれば非常に苦戦するだろう。
「まぁ、水を飲めば何とか……」
己はそう呟くと、周辺を見渡すものの……周囲は死屍累々の雑魚寝状態であり、水が何処にあるのか聞けるヤツすらいない有様だった。
仕方なく己は部屋を出て、ふらふらと歩き……もうこの際だから海水で顔でも洗おうかと潮の匂いに誘われるようにドックの方へと足を運び……
「……ははっ。
今、このタイミングで来るかよ」
船の準備が出来たことで、屋内のドックに海水を入れていたのだろう。
船が浮かんだ屋内のドックだというのに、狭い海面から白い霧が立ち上がり始めたのを目の当たりにして、己はそう軽く笑い……愛刀「村柾」を抜き放つ。
正直に言って、体調は最悪であり、実力の半分も発揮できないのは明白だったものの……常在戦場が剣士として当然の心意気である以上、酒を飲み過ぎたなんてのは言い訳にすらなり得ない。
だからこ己は、酒臭い口から唾を一つ吐き出すと、酒の所為で鈍くなっている愛刀を握る指先、身体のバランスを司る爪先などの末端に意識を集中し……少しでもアルコールを脳内から追い出すべく息を大きく吸い……
「かかって、来やがれぇああああああああああああっ!」
肺胞の奥底からアルコール分全てを吐き捨てるような全力でそう叫ぶと、海面から上がってきた骸骨兵に向けて愛刀を振り下したのだった。
2021/04/04 08:53投稿時
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