05-36
十の弩によって狙われながらも、眼球をあまり動かすことなく己が周囲を見渡したところ、矢が放たれるまでの間……二歩で跳び込める圏内には盾となりそうなものは見当たらなかった。
更に言えば、さっき襲い掛かってきた巨漢は義足の大男が現れた時にそそくさと逃げ出していて近くに居らず、周りに拒馬槍や堀はあるものの少し遠くて射線を避ける役には立たないのが実情である。
つまり……全力で物陰に逃げ込むことで現状を打破するのは難しいのが分かる。
(……畜生、計算ずくって訳だ)
こうなった以上、出来ることと言えばたったの一つ。
己はそう覚悟を決めると、息を吸い込み……左手で鞘の鯉口付近を掴むと、右手を柄に添えて右半身に構える。
相手が横に並んで己を狙っている現在の立ち位置を考えると、己を中心とした扇状に射線が描かれるのが必然であり……つまり、放たれる寸前に飛び込めば、当たるのは一矢か二矢に過ぎないと容易に推測できる。
ついでに連中が放とうとしている矢に鏃がついていない以上、直撃さえしなければ……肩口や身体を霞める程度ならば問題はなく、最悪は頭蓋への直撃を喰らうか足を奪われさえしなければ、軽い打撲を受ける程度で済むだろう。
そうすれば、後は次の矢を番えるまでの間に連中の懐へと入り込むことが出来……その瞬間に己の勝利が確定する。
要するに、多少の打撲に耐えさえすれば、この窮地を食い破るのはそう難しくないという訳だ。
勿論、鏃がついていたところで重要臓器や関節部に刺さらなければ……そして矢が突き刺さる激痛に耐えさえすれば同じ結果になるだろうが。
そう結論付けた己が覚悟を決めると、蹴り出すための左足に力を込めて石畳の感触を確かめつつ、身体を前傾させ、小さく笑みを浮かべ……いざ矢が放たれようとする、その瞬間を見極めて飛び込む姿勢を整えた……その瞬間だった。
「参った参った。
俺たちの負けだよ……神殿兵ジョン=ドゥ」
黒真珠の棟梁らしきその男は、一斉攻撃の合図をあっさりと放棄し……両手を挙げて降参のポーズを取って見せる。
先ほどまで殺し合い……いや、その寸前だったにも関わらず、そして己がまだ愛刀を手放していないにも関わらず斬りかからないと確信しているようなその態度は、この男の胆力が凄いと言うよりも、恐らく己が何者かを知っている証に違いない。
「……耳が早いな?」
「船乗りは情報が命でな。
まぁ、船に乗ることすら出来ない俺たちは、陸に上がったアザラシってところだがな」
そう判断し愛刀の柄から手を離した己が義足の男にそう問いかけると……男は自嘲気味に笑うばかりで己の問いを否定しようとはしなかった。
「グデフの阿呆は言っても覚えてなかったようだがな……異国の剣を携えた神殿兵なんざ見間違う訳がないだろう?
大体、森の王を討った、そのたったの十二日後に牙の王を討つような、戦闘狂の化け物と殺し合いするなんて酔狂な真似、俺の趣味じゃねぇ」
グデフってのはさっきの巨漢のことだろうが……どうやらその口ぶりから察するに、隻眼のこの男は完全に己のことを知っているらしい。
実のところ、ほんの二日前に牙の王を討ったことまで知られているのだから、噂話を耳にしたというよりも「己のことを調べていた」と考える方が正しいだろう。
「で、試した結果はどうだった?」
そうなると先ほどの一幕は……グデフとか言う巨漢が襲い掛かってきたのは偶発的なものだとしても、ついさっき大量の弩で狙われたのは、己の力量が耳にした情報通りか確かめるモノだったに違いない。
つまり、この大男が率いる黒真珠という連中は、窮地に立たされており、猿の王、牙の王を討った己の力量を欲している……そう推測した己は、連中が話をしやすいようにそんな問いを口にして水を向けてみる。
「……文句のつけようがねぇな。
正直に言って、俺は神殿も神聖帝国もいけ好かねぇ。
いけ好かねぇが……こっちも選り好みしてられる立場じゃねぇ。
頼む……手を貸して欲しい、ジョン=ドゥ」
己の推測通り、そして己が誘導した通り、義足の男はそう告げて己に頭を下げてくる。
少しばかり出会いは険悪だったとしても、こうして大の男が真正面から筋を通して頭を下げてきた以上、拒むほど己は狭量ではないつもりである。
「悪いが己は、まだ修行中の身で……貸すほどの力量はまだない。
だから、己はあんたらに力を借りたいと思っている。
黒真珠の力を貸して欲しい」
だからこそ、己は少しだけ頭を下げ……己から頼むという形を取って見せる。
この手の連中は面子を大事にするきらいがあり……相手の面子を立ててやれば付き合いは随分と楽になると、アメリカで賭け試合をしていた頃の経験から己は思い知っている。
尤も、そうして一歩引いて相手を立てた理由は、この黒真珠連中は本格的に武術を嗜んでいるような輩はおらず……斬った張ったをしてもあまり面白くなさそうというのが理由だったが。
そもそも、この連中が戦っている霧の王は神聖エリムグラウト帝国を滅ぼそうとしている六王の一体であり、死地を求める己が戦おうとしている相手でもある。
案内役がいた方が色々と面倒が省けるに違いない……己にそんな打算があったのも事実だった。
「……あ、ああ、分かった。
俺は黒真珠を率いるゲッスル……見ての通りただの漁師で、礼儀作法なんざ疎い男だ」
その自己申告によれば、眼前の大男は体格に恵まれた上に実戦を経験して本職を超えた迫力を持っただけの『ただの漁師』らしい。
尤も、眼前の大男は幾度となく修羅場を経験し、兵士よりも鍛え上げられていて、どう頑張って見ても「ただの漁師」とは思えなかったものの……残念ながら眼前の黒真珠の長の言葉を否定する材料を己は持ち合わせてはいないし、否定する必要性も感じない。
たとえ、その腰に提げている湾剣が明らかに対人相手に使い込まれている代物であったとしても、だ。
「じゃあ、まずゲッスル。
霧の王の情報を教えてほしい。
今日、己は此処へ着いたばかりで、連中のことを知りもしない」
「ああ、この海の切っ先へよく来た。
歓迎するぞ、ジョン=ドゥ」
そうして手を握り合った己は、ゲッスル率いる黒真珠の拠点へと……改築に改築を繰り返し砦へと化した造船所の中へと足を踏み入れたのだった。
2021/03/30 21:43投稿時
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