05-32
「なんてことをするんじゃぁああああああああっ?」
背後からそんな爺さんの悲鳴を聞きつつ、己は宿の外へ……この港街を覆い尽くそうとする霧の中へと飛び込んでいく。
視界はほぼ真っ白で、数メートル先が見えないほどの酷い状況ではあるものの、眼前に立つ敵を見逃すほどではない。
そんな純白の霧の中、爺さんの言う連中……霧の王の手下である亡者とやらは、まさに海賊の亡霊としか言いようのない姿をしていた。
皮膚も肉も剥がされ尽くされた剥き出しの髑髏の、空洞の眼窩には眼球らしきモノは一切存在せず、代わりに珊瑚のような何かがびっしりと詰められていて……要するに、眼前で動いている亡者と呼ぶしかない人型は、明らかに死んでいた。
その骸骨は厚手の服に日よけ帽、手袋を身に纏ってはいるものの、それら全てが海水に濡れ苔生してフジツボまでもが発生している様子は、まさに海の底に沈んだ「海賊のなれの果て」としか思えない有様なのだ。
そのぶかぶかの、フジツボが付いているような手袋でどうやって錆びた槍を握っているのかは分からない。
分からないが……亡霊を相手にするなんて、生まれて二度目の体験だ。
尤も、北の霊廟で見たのはまさに死にたてのゾンビという感じの連中だったが、今眼前にいるのは船幽霊か餓者髑髏……和風ホラーの領域だろう。
「……面白ぇ」
まぁ、ゾンビだろうと亡霊だろうと骸骨だろうとミイラだろうとキョンシーだろうと、己の興味はたったの一つ……愛刀が通じるかどうかだけ、だ。
愛刀を抜き放った己は、眼前の骸骨が槍を突き出して来るのをまっすぐに見つめ……突き出された槍をひらりと右斜め前へと踏み込んで躱すと、その隙だらけの小手へと愛刀を叩き込んでみる。
「……斬れる、な」
己の愛刀は少しの抵抗と共に、亡霊の左腕の服と内部の骨とをあっさりと叩き斬る。
骨に刃を当てた所為か、切っ先に抵抗が残る感覚に己は舌打ちを一つ放つが……そうしないと切る場所が他にないのだからどうしようもない。
……骸骨相手では、人間を斬り殺す際のセオリーである『切っ先三寸』は通用しないのだから。
いや、そもそも血も肉も持たぬ骨ばかりの存在というのは、「刃を用いて血管や神経、腱や筋肉を断ち切る」という剣術の理合い全てが通用しない相手である。
斬った傷口も、濃い霧の所為で薄っすらとしか見えないものの、骨髄があっただろう部位から霧と海水とが噴き出ているだけで、血が噴き出すような様子は見受けられない。
「……っと。
この程度じゃ動くよな、やっぱり」
当然のことながら骸骨は痛みすら感じないらしく、左腕を斬り落されたというのに一切の動揺も怯みも見せず、残った片腕で錆びた槍を突き出して来る。
だがその一撃は、控えめに行っても攻撃とは言い難い代物で……今までと同じ感覚のまま片腕で突き出された槍は、見当外れの方向へと突き出されており、躱す必要すら感じない……「ただ槍を持った手を言われた通りに動かしただけ」の動作でしかなかったのだ。
その事実に呆れた己は、息を軽く吐き出すと同時にその場で愛刀の刃を返すと、残された相手の右上腕骨へと峰を叩き込む。
峰打ちとは殺傷力を落して相手を制圧する技ではあるが……どうしても刃先を損耗してしまうこの手の相手には有効な技だろう。
そんな己の予想は見事的を射ていたようで、愛刀「村柾」の一撃はたとえ峰であったとしても一撃で上腕骨を砕くことに成功していた。
こうして両腕を奪ってしまえば、いくら既に死んでいる骸骨であろうとも何も出来やしない。
そう考えた己は、次の戦闘に一瞬だけ意識を向け……
「……っとぉっ?」
直後、両腕を失った骸骨は欠片も躊躇うことなく唯一の攻撃手段である「噛み付き」を敢行してきて……完全に虚を突かれた己はそんな慌てた声を上げてしまう。
延々と武器格闘ばかりを繰り返してきた己にとって、急所である顔面を相手に無防備に突き出す「噛み付き」という技は、正直なところ完全に想定外だったのだ。
とは言え、この骸骨の動きは全体的にそう早くなく……反応こそ一瞬遅れたものの、動きを見た後に柄で顎を打ち抜いて防ぐことが可能なほど、己と骸骨兵との間には速度の差があった。
そうして顎を強打されたことでバランスを崩した骸骨の、更にダメ押しで左膝を踏み砕くことで、己は相手の機動を奪い……ようやく無力化することに成功する。
タイ捨流ってほどでもないが、己も中国武術における腿法のコツは齧っているので、こういう奇策も出来ないことはない。
尤も、蹴りを放てば正中線が狂ってしまうので、己としてはあまり頼る気はないのだが。
「さて、と。
……まぁ、休ませてくれる訳がないわな」
そうして一体の骸骨の戦闘力を完全に奪ったところで周囲を見渡し……己はそう溜息を吐く。
事実、霧がかかって遠くを見渡すことは出来ないが、目視だけでも数体……音から判断すると、下手したら十数体の骸骨がこちらへと向かってきているのは分かる。
「……これは、思ったよりもキツい、な」
切っ先三寸を当てるだけで死ぬ、腕一本眼球一つ奪えば激痛で戦意を失う、数体を斬り殺せば怯えて勝手に逃げ出すような野盗共と違い、痛みを感じず恐怖も感じず逃げ出しもしない上に死という概念すらない骸骨の群れが迫っている事実に、己はそう小さく呟くと……唇の端を釣り上げる。
……剣が通じない骸骨共に自分の剣が何処まで通じるか。
笑ってしまうほど愚かな状況、笑ってしまうほど馬鹿な前提条件ではあるが……その馬鹿なことをやりに己はこの国に出向いてきたのだ。
ここで退くなんて賢い選択肢を取れる筈がない。
「……かかって、きやがれぇえええええええええっ!」
この街で暴れ回る骸骨兵全てをここへと呼び込む覚悟で己はそう叫ぶと……眼前の骸骨の頭蓋へと、渾身の力を込めた峰を叩き込むのだった。
2021/03/26 20:59投稿時
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