05-31
「……帝都並、だった、か」
霧に覆われた港街へと到達した己は、周囲を見渡してそう一つ呟きを零す。
事実、この帝都南部の港は大きさこそ帝都と比べると小さいだろうが、家々の大きさや城壁の新しさに高さ、頑丈さ、そして街道の整備具合など……全てが帝都とほぼ同等と言っても過言ではない。
その光景一つだけでも、神聖帝国がこの街や海運に力を入れていることが分かる……この街道沿いに流れている河が帝都まで続いているのを考えると、海運と陸上運送の両方で帝都・港街間での交易によって両都市が発展したのだと容易に推測できるほどに。
尤も、それはあくまでも過去の話。
「……寂れまくってやがる」
霧であまり遠くは見渡せないものの、街に人影は見えず店先に商品は並ばず、喧騒とは完全に無縁のその寂れた街並みは、まるでゴーストタウンを歩いているかのような気分にさせてくれる……己の眼前にはそんな光景が広がっていた。
街への入り口には衛兵すら立っていないのだからその寂れ具合が良く分かる。
「人がいない、訳じゃない、か」
そうして街の中心部へと向かう石畳を適当に歩いていると気付かされるのだが、この街には人っ子一人もいない……訳じゃないらしい。
家々の窓から人影が見えることから察するに、街中の誰もが家の中に閉じこもっているからこそ人影が見えないだけのようだった。
そうして寂れ人影のない街の中を観察しながら、ただひたすらに海の方へと真っ直ぐ歩いていくと、海へと近づけば近づくほどに霧が濃くなっていくのが分かる。
「すげぇ……三十歩先はもう見えねぇ」
街へと入ったばかりの頃は百メートル程度は見えていた筈が、気付けば三十メートル先はもう真っ白になっていた。
街の中でコレならば、海の上だと一歩先すらも見えないんじゃないだろうか?
「おいっ、そこの神官っ!
お前さん、こんな霧の中を歩いて……死にたいのかっ!」
そうして緊張感なく霧の中を歩いていたところで、不意に右手からそんな……声を低く抑えつつ出来るだけこちらに聞こえるように放ったような、くぐもったような声が聞こえてくる。
己が右手へと視線を向けると、十数メートル先には宿らしき建物が一つあって……微かに開いた入口から爺さんが半身を出し、こちらへと手招きをしているのが目に入る。
「……何だ? とととっ」
その呼びかけに気付いて近づいて行った己は、急に胸ぐらを掴まれて宿の中へと引っ張り込まれてしまう。
その強引な呼び込みに、抵抗しようかと身体が反射的に動きかけたものの……その腕は年寄りのそれで大した力もなく、こちらを害しようという悪意も感じなかったので、己はそのまま引きずられるに任せる。
そうして己が家屋の中へと入ったのを見届けると、その老人は歳の割に俊敏な動きで入り口の戸に閂をかけると、近くの大きな机を引っ張って来て入り口の前へと立て掛け、大きく息を吐き出すと己の方へと向き直る。
「……神官さん、か。
お前さん、帝都から来たんじゃろう?」
「ああ、そうだが?」
何処となくこちらを責めるような視線を向けてきた爺さんの問いに、特に隠すこともないと感じた己は素直に頷きを返す。
実際問題、この爺さんが激昂して刃物を振り回してきたところで……もしこの宿に十数名の盗賊団が隠れていて己の所持金を奪おうとしたところで、全員を返り討ちに出来る自信があるからこその素直な反応ではある。
「なら、仕方ないかのぉ。
霧の中は連中がうろついておる。
……死にたくなければ、家の中に隠れるんじゃ」
尤も、爺さんには欠片も悪意がなかったらしく……怯えた様子を見せながらも、何も知らない己に向けて、親切心からそんな忠告をしてくる始末である。
襲撃を疑った自分が間抜けに思えるほど……衰退した所為で盗賊が跋扈し、人心が荒んでいるこの国に来てから稀に見るほど、この爺さんは善良な人だったようだ。
「……連中?」
「そうじゃ。
この霧は……霧の王の領域の証。
霧の王は亡者どもを操り、生者を海へと引きずり込むんじゃ。
お蔭で現皇妃の生まれた帝国第二のこの街も、今じゃこんな有様よ」
爺さんの言葉は真に迫っていて……どう迷信や何かを語っているようには思えない。
語り口は完全にホラー映画か心霊譚でしかないのだが。
「尤も、連中の姿を見て生きて帰った者など、儂の知る限り数人しかおらんがの。
霧の中、逃げ遅れた者の悲鳴だけが聞こえてきて……次から次へと、街から人が減っていきおる」
あまりにもその爺さんの語り口が朗々とした、見事な怪談調だったのを耳にした己は、「爺さん、そりゃ幾らなんでも盛り過ぎだ」と思わず口を開きかけた……まさにその瞬間だった。
先ほど己が入ってきた扉に、ガツンと何か硬い物が叩き付けられる音が響いたのだ。
「ひぃいいいっ!
来おった、連中がっ。
今日はまだこんなに霧が薄いというのに!」
その戸を叩く音が鳴り響いた途端、突如として爺さんは腰が抜けたように崩れ落ち……椅子にしがみついたままそう叫ぶ。
戸を破ろうと武器を叩きつけているらしきその音を、何とかかき消そうとするような爺さんの必死の叫びは……正直に言って逆効果でしかなく、戸外の敵をただ惹き寄せているだけに過ぎないと思われる。
「……爺さん、下がってな」
それでも「非戦闘員としては頑張っている方だろう」と溜息を一つ吐いた己は、愛刀「村柾」の鯉口を切ると、乾いた音を上げ続ける扉を睨み付ける。
連中とやらに、人を海へと引きずっていく程度の力があるのであれば……そしてこの硬質な音から察するに連中が武器を手にしているのであれば、この扉を叩き壊すくらいは容易く出来ることだろう。
とは言え……
「意外に、力ないな?」
ガンガンと何かは叩き続けられているものの、扉を壊して中に押し寄せてくる気配は全くなく……己は少しだけ肩透かしを食らった気分になって息を吐き出す。
そうして数分待ち続けたのだが、百回ほどぶつかった音がした頃に、ようやく扉の一部を壊し終え……錆びた槍の先端が、壊れた扉の隙間から姿を現す。
「ひっ、ひぃいいいいいいいっ?」
それだけで爺さんは怯えた声を出していたが、己は既に相手の能力に見切りをつけていた。
「……ダメだ、こりゃ」
幾ら錆びた槍を使ったとは言え、あれだけのドアを叩き壊すのにこれだけの時間を要しているのでは、大した使い手とも思えない。
亡者だか何だかしらないが、折角武器を手にする知能があるのだから……せめて北の霊廟にいた屍の王の配下くらいの戦闘力は有してほしいものだ。
いや、連中一体一体の戦闘力は大したことがなくても、街の中を大量に彷徨っているならば、己が全力で愛刀を振るっても勝てないほどの戦力の可能性もある……とは言え、そんな凄まじい敵ならば、むしろ己にとっては願ったりというヤツである。
「さてと……じゃあ、小手調べと行きますかっ」
取りあえず敵の戦力を計るために威力偵察を行おうと決めた己は、軽くそう呟くと爺さんが立て掛けたテーブルを力ずくで引っぺがし……ついでにドアを蹴り開けて、連中とやらの面を拝むべく扉から外へと躍り出たのだった。
2021/03/25 18:18投稿時
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