05-27
(こうして見ると、全く隙がない)
何もすることも出来ず、七度目の刃に斃れた己は相手の間合いに入らないギリギリの場所を見極めて相手を観察し……内心でそう嘆息する。
正中線の狂いも偽装、腕力のないふりも偽装、覇気のなさも偽装……七度も殺されてようやく、己は眼前の老人が弱く見えたそれら全てが偽装だと理解出来る。
(この老人の一挙一刀足の全てが、相手を斬り殺すための布石)
そうして偽装していながらも常に間合いを制し続け……偽装により相手が作り出した僅かな隙を逃すことなく、最高のタイミングを見切り、最善の軌道での斬線を描くように太刀を振るってくるからこそ、己は何も出来ずに七度も斬り殺される羽目に陥ったのだ。
「……最強だ」
偽装を含め、心理的有利を作り出す技量。
己に理解すらさせないレベルの足運びで間合いを支配する技量。
そして、それらによって作り出された隙を逃さない身体操作の技量。
反射神経と判断力、身体能力を極限まで極めた宮本武蔵とはまた別の形の……絶望的に高い剣の道の頂き。
達人の域に達しかけてるこの己が、何も出来ずに七度も敗れ去り……しかも「達人の領域」を発動することすら出来ずに斬り殺されているのだから、相手の技量がどれほどに卓越しているか窺える。
「およそ一箇の太刀の内、三段の差別あり、か」
第一、一つの位とて天の時なり、第二は一つの太刀とて地の利なり、第三、一つの太刀とて人和の巧夫に結要とす……とあり。
師より、関八州古戦録という名の読み物にそう書いてあると教わりはしたが……生憎と古書を必死に目を通すより愛刀を振るっている方が性に合っていた己はその書物には手を触れてもいない。
だが、話に聞いたことはあって……それらを体現する技量をまさに今、味わっている最中なのだから、眼前の相手がその人だと確信を持って断言できる。
「……塚原、卜伝」
師より教わった過去にいた、最強の剣客の一人。
どちらかと言うと、相手を騙して島に置き去りにしたとか……そういうセコい逸話の方が表に出る剣豪というイメージだったが。
(……実際に自分がやられる側だと、笑えやしねぇ)
握力の偽装にやられた。
正中線の偽装にやられた。
重心の偽装にやられた。
足運びの偽装にやられた。
視線の偽装にやられた。
間合いの偽装にやられた。
握りの偽装にやられた。
そんな小手先だけの……だけど、己程度の技量では見破れない巧妙な偽装によって意識を逸らされた結果、命を奪われ続けた己としては、それらの小細工が如何に恐ろしいか、文字通り痛感しているところである。
……だけど、これは一度死ねば終わりの実戦ではない。
これだけ騙されれば、もう騙される内容なんてある訳もなく……ここからは真正面から正々堂々の一対一で剣術の競い合いを展開できる。
「これからは……こちらの番だ。
覚悟、しやがれっ!」
己はそう叫ぶと愛刀を正眼に構え……真正面から斬りかかって袈裟斬りに斬り殺された。
「……ふざけ、やがってっ……」
七度殺され、偽装を破ってから十六度。
己は真正面から挑み続け、その度に袈裟斬りだけで殺され続けていた。
(手も、足も出やしねぇ。
速度域自体は己と同レベルだってのに……)
延々と袈裟斬りだけで負けているのだから、剣技もクソもない。
たとえ、眼前の老人が仕掛けてきた詐術や偽装を見抜いたとしても、ただ間合いと位置取りを完全に支配し、最も理に適った斬撃……無拍子で最小の斬撃を放つことが可能であるならば。
つまりは、「人の和」を奪ったとしても、「地の利」と「天の時」とを維持しさえすれば、腕力も速度すらも不要なものでしかない……と、眼前に佇む無双の剣豪に、その二尺三寸の太刀で雄弁に教えられている気分に陥ってくる。
「……これが、真の達人、か」
正眼に構えたまま……要するに完全に腰が引けてしまった己は、ぼやくようにそう呟く。
勝負するという次元にすら相手がいない……そもそも、こちらが全力を出し切るどころか、何も出来ないままに命を奪われて終わってしまうのだから、全力の出しようがないのが実情なのだ。
そういう意味では、「達人の領域」なんて浮かれていた自分は、馬鹿以外の何物でもないと言えるだろう。
何しろ、眼前のこの老人はそんな集中力すら発揮させることなく、ただ己の命を刈り取って来る……むしろ、相手に全力を出させないことこそが奥義とばかりに、先の先、後の先どころか、立ち位置を支配されて何も出来ないまま、さっきから一太刀ですら交えずに命を奪われているのだから。
実戦を戦い抜くような剣豪においては、相手の実力を出させずに勝つなんてむしろ王道。
命のやり取りが日常という実戦の場ではむしろ、全力を出すのに時間がかかるスロースターターなんて人種や、ピンチに陥ったら覚醒して強くなるようなアニメ的な強者は、ただ屍を晒すだけの鴨でしかない。
だからこそ数多の戦場を渡り歩き、殺し殺される経験を積みながらも、剣士同士の果し合いの経験は未だに浅い己は、こうしてさっきから十四度も斬り殺され……本来ならばただ野に屍を晒す羽目に陥っていたのだろう。
「だけどな。
己だって剣の道を歩んできた馬鹿の一人だ。
……このまま終われるかよ」
とは言え、幸いにしてこの場は神の御慈悲によって創り上げられた修練場。
何度命を奪われたところで、この立ち合いは終わりやしない。
だからこそ己は、敗北の予感に震え続ける自らの足に愛刀の柄を叩き付けると、眼前の大先輩に向けて笑みを浮かべ……
ただ蜻蛉の構えをしたまま、全力で跳びかかることとした。
(見境なく放つ、考えなしの全力の一撃をっ!
その小賢しい技量で、受けられるかっ!)
そんな己の一撃は、真正面からの袈裟斬りによって逸らされたにも関わらず、老人の放った一撃は何故か己の首筋を捉え……
斬りかかってくる腕を狙おうと構えた脇構えはそのまま頭蓋を叩き割られ、足を狙おうとした下段はそのまま足先で鍔を押さえられて首を断たれ、大上段の一撃を狙えば無拍子によってそのまま袈裟斬りを喰らい、突きを放てば逸らされた直後に袈裟斬りを喰らい、鍔迫り合いを挑もうと飛び込めばそのまま投げられた挙句に起き上がる前に脇差にて咽喉を掻っ切られ、無理矢理徒手格闘を挑みかかれば眼窩に指を突き立てられた直後に首を断たれ、斬られ突かれ薙がれ断たれ屠られ斃され斬られ討たれる。
何をしても触れることすら出来ず、どんな小細工すらも真正面から返され……よく考えれば武芸十八般を修めた相手に、剣術しか使えない己が色々と手を尽くす時点で迷走していたのがあからさまに分かるのだが……己はこの塚原卜伝という名の達人によって、一方的に命を奪われ続けたのだった。
恐らくは、今後の六王討伐に支障が出る寸前の……神による制止が入るまでの間の、記憶にある限りでは八十回あまりを延々と。
そうして殺され続けた末に、己の放った一撃は塚原卜伝と思われる老人の左手首を斬り落とすことに成功する。
尤も、同時老人の右手から放たれた一撃は、己の首筋を断ち切る見事な袈裟斬りで……結局己は捨て身になっても相討ちにすら届かなかったのだが……それでも、八十数回の敗北の末にようやく勝ち取った成果なのだから、一応は大健闘と言えるだろう。
2020/07/29 20:48投稿時
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