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プロローグ1


「ちぃぃっ!」


 眼前に立つ肌の黒い巨漢……2メートルを超える身長と、その巨躯を自在に操る筋力を持つ難敵が放った横一文字が僅かに掠め、(オレ)の頬を紙切れのように易々と切り裂く。

 直後に走った焼けるような感覚に、己は思わずそんな舌打ちを放っていた。


(このデカブツがっ!)


 己のさほど上手くない見切りでは、今の斬撃は躱せていた筈だったのだが……この黒人の巨漢、力任せのパワーファイターかと思いきや、己が想像した以上の技巧派だったのだ。

 その手に持つ大太刀……その握りを柄の先端部へと移動させることで、ただでさえ長い間合いを更に数センチ伸ばすという「小細工」をやってのけるほどには。

 勿論、己がそんなことをやろうとすればすっぽ抜けるだろうソレは、鍛え上げられた握力の裏付けがあってこその技巧で……


「……強い」


 頬を鮮血が流れていく感触に、己は思わずそう小さく呟いていた。

 先ほどの一撃、もし己が直感に従って背後へと飛び退いていなければ、己は両眼を切り裂かれた挙句……数秒後にはなす術もなく惨殺されていただろう。


「惜しいなっ、ジャックモンドっ!

 次は殺せっ!」


「ああ、そうだっ!

 さっさとトドメを刺しやがれぇええっ!」


 二寸ほど後ずさり、手に握る日本刀……村正の技法を真似て現代に造られたという、正真正銘のパチモノで「村柾」と銘を切られたソレを持ち直し、足場の細砂の感触を確かめる己に、そんな英語の口汚い野次が飛んでくる。

 それもその筈で、此処は違法の賭博場。

 人同士が殺し合う姿に賭けを興じる、狂人共の集いなのだから。


(……人のことは、言えないか)


 そういう己も、剣道ではなく剣術に憑りつかれて実戦を求めた挙句、金に困っている訳でも脅迫されている訳でもないのにアメリカへと渡り、違法賭試合(こんなところ)までたどり着いた……正真正銘の剣術キチガイでしかないのだが。


「さっさと、臓物をぶちまけさせろっ!」


「そんな貧弱なジャップなんざ、さっさとジョン=ドゥにしてやんなっ!」


 外野からはそんな声が届いてくる。

 その声に言うところのジョン=ドゥとは日本でいうところの名無しの権兵衛……要するに身元不明の死体のことである。

 この賭博場で惨殺された場合、ハドソン川に流されて身元不明の死体(ジョン=ドゥ)として処理される、という逸話にちなんでいるのだろう。

 尤も……そんな罵声が飛んでくる理由は、分からなくもない。

 何しろ、ジャックモンドとか呼ばれている、明らかに身の丈二メートルを超える眼前の黒人は、この賭博場で十二連勝不敗の大本命であり、対する己は身長は百八十センチにも満たない上に筋骨隆々とも言えない体格で、ろくに期待もされていない……正直に言って「ただの当て馬」に過ぎないのだから。

 何しろ……この戦いは倍率が違い過ぎて「どっちが勝つか」では賭けにもならず、「己が如何にして負けるか」を賭けられているほどだ。

 

「ま、当て馬は当て馬らしく、命賭けの博打でもやってみるか」


 正面から力を挑んでも、技巧を競っても、速度を競っても勝てそうにないと判断した己は、軽くそう笑うと……大上段に構え、真正面から巨漢へと近づく。


「……貴様」


 己の狙いが「捨て身の剣速勝負」という明らかに無謀な賭けだと悟ったのだろう。

 眼前の巨漢はそう唸ると、己の間合いに触れるのを嫌がるかのように背後へと半歩後ずさる。


(かかった)


 巨漢の怯みを見た己は、内心でそう笑うと……そのまま無防備に眼前の黒人との距離をゆっくりと縮めていく。

 要するにこのジャックモンドという名の巨漢は……十二勝という経歴を持ち、富と名声を得たこの強者は、残念ながら気迫で敗れたのだ。

 餓鬼の頃から必死に鍛え上げたというのに未だ達人には少し届かない程度の剣術と、無銘(パチモン)のこの刀一本しか持たない……何の肩書も実績もない、ただの平凡なこの(オレ)に。


「う、うぁあああああああああああっ!」


「はははっ!」


 そして、気迫で追い詰めらた挙句に破れかぶれで放たれた巨漢の袈裟斬りの刃と、それを待ち構え大上段から渾身の一撃で放たれた己の刃……体格差と膂力の差、そして武器の差が明らかな筈の、真正面から放たれたそれら二つの刃の競い合いは。


「あがぁあああああああああ」


 僅かに早かった己の刃が巨漢の左腕と、胸から腹腔にかけての数センチを切り裂くという結末を迎えることとなる。

 腹腔を切り裂かれた巨漢は、情けなくも激痛に悲鳴を上げ涙を流し、見栄も自慢の刀を放り捨ててうつ伏せになり、零れ出ようとする臓腑を必死にかき集めていて……明らかに戦闘不能の有様だった。


「……ちっ、いてぇ」


 尤も、己自身も無事とは言えない。

 ジャックモンドという名の巨漢が放った大太刀の一撃は、己の左耳を掠め、左肩の皮膚をごっそりと持って行ってしまったのだから。

 己が立っているのが数多の観客の前でなければ、眼前の巨漢のように泣き叫びながら転がりまわりたいほどである。


(……強かった、な)


 審判が勝者である己の名を呼ぶ声は、周囲の怒号にかき消されいた。

 周囲に飛び散る紙吹雪は己への声援ではなく……失った金の恨みを叩き付ける、己への憎悪そのものだろう。

 それでも己は……剣術に生きることしか出来なかった己は、人を傷つけた罪悪も大勢に損をさせたという罪悪もなく、怒りの叫びと憎しみの視線を一身に受け、花道をゆっくりと帰っていく。

 頬と耳と肩の痛みに眉をしかめ……それでも次の戦いが待ち遠しいという、どうしようもない自分の性質(サガ)に自嘲しつつ。




 結果として、あの巨漢……ジャックモンド何某は死ななかったらしい。

 幾ら賭試合をやっているとは言え、そうポンポンと人が殺されるとなると、流石に揉み消すのも大変なのだろう。

 腕の接合と、腹腔を縫い合わせる手術は特に問題なく完了したと……(オレ)をこの世界へと誘った胡散臭い金貸しから聞かされた。

 そんな己自身もあの戦闘の怪我……頬と左耳、そして左肩の止血と皮膚の縫合を終え、ついでにサービスとばかりに愛刀を綺麗に砥ぎ直して貰い、こうして闇賭博場から帰ろうとしているところなのだが。


(……さて、明日の鍛練は……)


 繁華街の裏手、ビルの隙間から裏路地へと出て来た己は、そんなことを内心で算段しながらゆっくりと歩く。

 周囲は化粧と安いアルコールとドブと吐しゃ物の匂いにまみれ、先ほどまでの血と臓物の匂いが嘘のようではあるが……裏路地で物取りや喧嘩が多いとは言え、この辺りは闇賭博の連中が取り仕切る縄張りである。

 連中から見て今後とも金になるだろう、自ら賭け賭博に寄ってくるようなこんな(バカ)を襲うチンピラなど出てくる訳もなく……そもそも、幾ら拳銃の所持が許されているとは言え、模造刀とは明らかに違う日本刀をこれ見よがしに腰に差した、こんなあからさまな危険人物を狙うアホなんぞいる筈もない。

 こうして浮いて見えるのを承知で、周囲に馴染むスーツなどではなく紺色の道着なんぞを着ているのも、出来るだけ人違いされないようにと運営側に配慮した結果に過ぎない。

 襲い掛かられれば、相手側の構成員を斬殺してしまうことになり……そうすると、たとえ正当防衛とは言え、色々と面倒になるのが分かり切っている。


(ま、人斬りの練習にはなるか。

 だったら、ちょっとくらい強盗が湧いてきても良いかもな)


 そんな物騒なことを考えながら、己がビルの角を曲がった、その時だった。


「……ぁ?」


 パンパンという乾いた炸裂音がしたかと思うと……突如として腹の内側に焼き鏝を突っ込まれたような意味不明な感触が発生したのだ。

 激痛という概念をあっさりと飛び超えるほどの、腹の内部に突然発生したその熱量に、己は悲鳴すら上げることが出来ない。

 腹の内側が焼け爛れていくような地獄の感覚と、その直後から始まった腰の後ろ側から脊椎・延髄を抜けて頭頂部まで突き抜ける、まるで睾丸に蹴りを入れられた時の苦痛と吐き気を数倍にしたような激痛に、己はもがき苦しむことも苦痛に暴れまわることすら出来ず、ただ腹を押さえて動きを止めることしか出来なかった。


(……撃た、れた?)


 身構えることも覚悟を決めることもなく訪れた激痛の所為で混乱の極みにあった己は、ようやく自分の身に何が起こったかを理解した。

 ……だけど。


「てめぇが、てめぇが、俺の金をっ!

 てめぇが勝たなけりゃぁあああああああっ!」


 視線を上げた己の視界に入ってきたのは、薬物中毒者のように血走った目で、手に拳銃を構えた一人の男の姿で……激痛に蹲り身体の自由すらも失われていた己は、唯一にして無二である筈の剣術を使うことすら叶わない。


(嗚呼、畜生。

 己の剣の道は、こんなところ、で……)


 その口惜しさに己が歯を食いしばったその直後。

 眼前の男が放った銃弾が己の頭蓋を叩き割り……(オレ)という剣術に憑りつかれた狂人の人生に終止符を打つこととなったのだった。

 

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