Rosso
暴力描写あり
だれかを食事に招くということは、
その人が自分の家にいる間じゅうその幸福を引き受けるということである。
ブリア・サヴァラン「美食礼賛」より
これほどまで悪質な食事が今まであっただろうか、今までこれほどまで悪辣な食事があっただろうか
目の前に並んでいる料理はどれもこれも、高級な食材を使用したものだと舌の上で理解はできるのだが
この食事に対して今にも吐きそうな嫌悪感を催しているのは俺の隣でテーブルに腰掛け
食物の刺さったフォークを俺の口へ押しやる長峰の存在に対してだ。
「気に入らん?」
口の端を上げ飄々と尋ねる彼が優越に浸っているのは言うまでもない。
俺の両腕は後ろで一つに纏められて縛られ、足は両膝を一纏めにされ、まるで身動きが出来ない、芋虫のように矮小な存在でしかない。
フォークを皿に投げてワインのボトルを掴みニタニタと笑う長峰の目が、俺は恐ろしい。
何を、考えている。
いつだってそうだ、こいつは、ロクデモナイ事を考えているに違いない。
ラベルに描かれた少女の裸体、ムートンロートシルト1993
こんな状態でなけりゃ最高の酒だ、
長峰は目の前のグラスを無視して瓶口を俺の口に押しやり一口含ませる。
どう考えても、最高に旨い。
ワインを一口喉に流し込んだ長峰が「やっぱワインは分からんのう」と呟き
「兄貴ん為に用意したんや、呑みや」
そう云って瓶を俺の口にねじ込み瓶を傾けた
喉の奥に流れ込む赤が拒絶を許さず、重力に順じて強制的に体内に流れ込む。
息が出来ない苦しさに、口を離そうとするが後頭部を掴まれ逃げることも叶わない。
口の端から飲みきれないワインが流れ、白いシャツが無様に赤く染まった。
ついに苦しくなって目の前もチカチカとしてきた頃、ズルと口内から瓶が引き抜かれる感覚に
限界だった肺の奥からゴボリと上がった空気と贅沢な舌が瓶を押しのけると同時に
後頭部に当てられた長峰の手が力強く俺をテーブルに叩き付けた。
未だ暖かな食物の上で盛大に噎せて喉に残ったムートンをぶちまける、何もかにも台無し、だ
息をしようとすると鼻にワインが回って鼻血の様にダラリと垂れた、粘膜が焼けるような痛み。
どんな美酒だろうがアルコールだということには代わりがない。
グラグラと揺れる頭の上に更に赤が注がれた。
「ワインっちゅーのは空気に晒したらこんなにエエ匂いになるんやなぁ」
トースト、熟したカシス、ローストしたナッツ、サーロインの豊潤な脂、マディラを煮詰めたソース
俺の鼻先に匂うのは生ごみに成り下がった嘗ての芸術品だ
何の意味も何の価値も失ってしまったそれらはただ沈黙して処理されるのを待つだけだ
ただただ、テーブルに散乱する食物であったものを捉える俺の視線はついにグルリと回りだし
フワと熱に浮いた胴体が横に薙いで椅子からずり落ちた
廻る視界の中で長峰が笑って俺の腹を踏んだ。喉に胃液交じりの赤が溢れた
天井がグルグルと、
歪んだ長峰の表情がグルグルと
「何で笑ろとんの」
笑っているのだろうか、顔の筋肉が弛緩してしまったのか
ワイン塗れで、ゲロ塗れで、俺は笑っているらしい。
「クソ不味い酒飲ませやがって」
また長峰が腹を踏んだ。
笑うしかない