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グロウセリー・オブ・ザ・デッド

作者: さむらいみ

「あんまり触らないほうがいいぜ」

 

 田舎道で見つけた寂れた雑貨屋の床に座り、賞味期限切れのサバ缶を食いながら、カズヤに言う。

 もう朝から三度目だ。

 確かもう二十代の中盤になったはずのカズヤは食料が足りてないこのご時世だというのに、顎に巨大なニキビを作っていて、それが気になるらしく、ことあるごとに指でそのニキビを触っている。

 本人が気になる気持ちもわかるが、それをずっと見せられてるこっちも気になって仕方がない。

 そのうえ、ニキビを触っている時は、どこかほかの事が上の空に見えて、俺の不安を煽る。

 集中力の欠如は、確実に死につながる。

 今はそんな世界だ。


 謎のウィルスが蔓延し、死者が蘇った。

 お約束通り、死者どもは生きている人間の肉を食い、死者に噛まれた者は同じく死から蘇り、また生者を食らう。

 ゾンビが跋扈する混乱の世界。

 文明の崩壊と、人類の終焉。

 映画の中だけだと誰もが思っていた世界が、現実となった。

 

 俺とカズヤは山中にある古い病院を要塞化して立て籠もる30人ほどのグループに属していた。

 今日は二人で、物資調達のために一つ山を越えた集落へ探索に出て来ていた。

 元々がこの辺りは過疎の村で、住人が少なかったこともあり、それほど多くのゾンビがいるわけでは無い。探索は二人で充分だと思われた。

 村の外れに一軒の雑貨屋を見つけ、ドアを壊して中へ入った時も、中はもぬけの殻だった。

 その店は、まだ誰にも荒らされた様子もなく、宝の山が眠っていた。

 保存のきく食料や、生活用品がほぼ手つかずで残っていたのだ。

 俺たちはさっそくそのうちの一つのサバ缶を開けて乾杯した。本来見つけた物資は全てコミュニティの物だが、危険を冒す偵察隊には、その程度の役得は暗黙の了解だった。

 

 サバ缶を食べきり、すっかり弛緩した空気が突然の物音で震えた。

 見上げると、天井板が抜け落ち、大量の砂埃と共に二体のゾンビが降って来た。

 ゾンビどもは、向かい合って座る俺たちの真ん中に落ちた。

 立ち上る砂埃に一瞬視界が奪われる。

 砂埃を透かして、二体のゾンビが骨のように痩せたそれぞれの手足を絡ませて、床の上で激しくもがいている。

 晴天の霹靂、という言葉がこの状況に相応しいのかどうか、わからなかったが、しかし俺たちはその瞬間、完全にフリーズしてしまった。

 脳裏に、フラッシュバックするように映像が浮かぶ。

 老夫婦が営む田舎の雑貨屋。

 ある日、爺さんが外でゾンビに噛まれ、店に逃げ帰る。店の外でドアをガリガリと引っ掻くゾンビ。爺さんは、婆さんを呼んで二人で天井裏に隠れる。そこならたとえドアを破られてもゾンビが昇ってくる心配はない。

 じっと息を殺し、天井裏に潜む二人。

 やがてゾンビが諦めて行ってしまい、ほっとした顔で爺さんを見た婆さんの目に、白濁した目の爺さんが涎を垂れ流しながら噛みつこうとしている顔が映る。

 二人はゾンビ化した後も、そのままそこから動けないまま、じっと天井裏にいたのだろう。俺たちの気配で動き出し、腐りかけていた天井が抜け落ちたのだ。

 落ちてきたゾンビが、もがいていた動きを止め、それぞれ俺とカズヤを見た。

 爺のほうが、俺に向かって手を伸ばしてきた。

 婆のほうは、カズヤに向かって早くも立ち上がって覆いかぶさろうとしている。

 ゾンビと戦うには、ちょっとしたコツがある。

 簡単なことだが、それは必ずある程度の距離を保つことだ。どんなに弱った相手でも、接近しての格闘はリスクが高い。

 幸い爺は落下の衝撃で足が折れたらしく、俺に向かって伸びたのは腕だけで、俺はなんとかそれを躱して飛びのくことが出来た。

 いったん別室へ退避しようと俺たちがいた店舗から家屋スペースへのドアを開けた。

 振り向くと、カズヤは乗りかかる婆の首を掴んで噛みつこうとする婆の顔を遠ざけている。

 襲われた時は、まずは自分の身を守ること。仲間を助けるのは義務ではない。

 これはコミュニティの中で徹底された決まり事だった。

 一人を助けるために三人が死ぬハリウッド式理不尽は、現実世界には通用しない。

 俺はカズヤを放置したまま、ドアの向こうの部屋へと飛び込んだ。

 ドアを閉め、すぐに台所へと走り、包丁を探す。武器として持ってきたものは全て店舗へ置いたままだ。何か武器になるものが必要だった。

 流しの下の観音扉を開けると、錆びた包丁が数本見つかった。

 その中で最も尖った物を取り出す。

 付近を漁り、箒と汚れた雑巾を見つけ、包丁を箒の柄の先にきつく結びつけた。

 それを持って、店舗へと続くドアを足で思い切り蹴り開けた。

 思い切り蹴ることで、もしもドアの向こうにゾンビがいた場合、襲い掛かられるリスクが減る。

 これもゾンビとの戦闘におけるちょっとしたコツだ。

 俺たちが飯を食っていた辺りに、上半身だけで床を這う爺と、完全な死体となって横たわる婆の姿が見えた。

 俺は床へ飛び下り、爺の頭に包丁を突き刺した。

 カズヤの姿は、消えていた。

 そして、床には点々と着いた血痕が、開け放った外へのドアまで続いていた。


 噛まれた箇所によるが、ゾンビに噛まれた人間がゾンビ化するまでには、だいたい早くて30分、遅いときは数時間の猶予がある。

 まだ大丈夫とは思ったが、それでも一応は即席の槍を握り直し、充分の警戒心を持って俺はドアの外へと足を踏み出す。


 カズヤは店から狭い道路を挟んだ向かいに聳える巨大な銀杏の木の根元で、幹に背をもたれて座っていた。カズヤが投げ出す両足の下には、クッションのように厚く銀杏の枯葉が積もっている。

 葉を落とした枝を通して降り注ぐ陽光が、空を見上げるカズヤに向かって何本もの光の筋を作っている。なんだかそれは一幅の絵のように見えた。

 しかし、左の二の腕を抑えるカズヤの右手の指の間から、血が浮き上がっていた。

 俺は槍を構えたまま、カズヤに近づく。

 もうすぐ冬が来るな。

 その風景に、不意にそんな思いが浮かび、一瞬銀杏の木を見上げる。

 俺は一回立ち止まり、深呼吸をする。

 集中力の欠如は、確実に死につながる。


「ババァのくせに意外と素早くてよ」

 俺が前に立つと、カズヤは俺の顔を見上げ、眩しそうに眼を細めた。そして、自分に向けられた包丁の先を見て、少し嫌な顔をする。

「見せてみろ」

 俺がカズヤの左腕に向けて目線を動かすと、カズヤは傷口を握っていた右手を外した。そして、その手で所在無げにニキビを触る。左腕の肘より少し下辺りにくっきりと歯形が付いていた。

「お前が人間である間にお前を殺すのは嫌だ。だけど、お前がゾンビになるまでここに留まるのはもっと嫌だ」

 俺の言葉に、カズヤがひどく傷ついたような表情を浮かべる。日常で当たり前のように見て来た状況が、いざ自分の身に降りかかった時の絶望感。

「冷てぇよ、タカオさん」

「今から店に戻って10分で物資をまとめるから、その間にどっか行ってくれ」

 カズヤは一瞬今にも泣きだしそうに顔を顰め、すぐに目を落とすと、俺に向かって追い払うように右手を振った。


 店に戻り、急いでまだ食べられそうな食料と使えそうな物資を頭陀袋に詰める。あまり欲張って行動の障害になっては意味が無い。ある程度余裕を残し、俺は店を出た。残りは数日内にまた隊を組んで取りにくればいい。

 カズヤはまだ同じ姿勢で座ったままだった。思わず舌打ちが漏れる。

 気休めではあるが、他の人間に荒らされないよう店のドアを出来るだけしっかりと閉め、カズヤに振り返る。

「それじゃ、俺は戻るから、せめてそこから動くんじゃねえぞ」

「冷てぇよ、ほんとタカオさん、冷てぇよ」

「うるせえ。お前だってそのくらいの覚悟は出来てただろ」

「わかってるよ。わかってるって」

 俺はカズヤを無視して、病院に向かって歩き出す。ここからは三時間の道のり。絶対に陽があるうちに帰りつかなくてはならなかった。物資を入れた袋が肩に食い込む。

 俺が歩き出すのを見て、カズヤが慌てて立ち上がる。

「ね、少しでいいから、一緒に行かせてくれよ。頼むよ。ダメそうになったら自分から消えるから。約束する。ね、いいだろ」

 俺は足を止め、カズヤを振り返った。

「しょうがねえな。着いて来てもいいけど、絶対に俺とは10メートルの距離を取れ。それ以上は近づくな」

「わかった、わかった。絶対近づかないから。さすがタカオさん、やっぱり優しいや」

 

 病院までは緩やかな起伏の一本道だ。迷う心配は無い。

 晩秋の山の、くすみ始めた紅葉が、穏やかな日差しにつかの間色を取り戻している。

 俺の後ろを、10メートルほどの間隔を開け、カズヤが着いてくる。時々立ち止まると、カズヤも立ち止まり、手を振って来る。いちいち手を振り返してやる気は起きない。


「タカオさん、タカオさん」

 15分ほど歩いたところで、カズヤが声を掛けてきた。俺は聞こえている事を示すため、前を向いたまま右手だけを軽く上げる。

「ねえ、タカオさん。お願いがあるんだけどさ、シオリちゃんにはさ、俺がタカオさんを守るために犠牲になったってことにしといてくれないかな」

 俺は足を止め、振り返る。

 カズヤも足を止める。

 俺はすぐに振り返って歩き出しながら、右手を上げてやる。正直、シオリに事の詳細を話すつもりもなかったが、ここでそれをカズヤに言う意味も特に無かった。

「ありがとう、タカオさん。良かった」


 それからも、数分に一度、カズヤは一方的に話しかけて来た。シオリともうすぐ付き合えそうだった、とか、この事態が始まった日、パチスロで20万くらい勝ってたのに無駄になった、とか、小学校の夏休みに田舎でカブトムシを5匹も捕まえた、とか、その時は普段クズだった父親がちょっとかっこよく見えた、とか。

 どうでもよくて、だけど、とても大事な事を話し続けた。


「タガボ、アガ、ダガ・・」

 カズヤの声が次第に不明瞭になって、やがて止まる。

 足を止めて、振り返る。

 カズヤの足は、止まらない。

 午後も深くなって弱まった日差しの中ゆっくりと近づいてくるカズヤを待つ。

 完全にゾンビとなったカズヤの息遣いが聞こえる距離まで来た時、ようやく槍を構える。

 俺に掴みかかろうと両手を差し出すカズヤの眉間に槍先の包丁を突き刺しながら、ふと、気付く。

 血の気の引いた青黒い顔の中、顎のニキビだけは、やけに白く浮き上がって見えた。

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