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Arrived coin

 アモバンは苦い。その白い身体に似つかわしくない苦さである。それをどろりとする舌の奥に押し込むと、舌の上や喉の入口が毒で塗られたように苦さの痕跡が確かめられる。

デパスで入眠していたころが懐かしいが、私は変わってしまった。あの甘さに酔っていた時期は見えていなかった。それか、逆で、私がどんどん目隠しを厚くしていっているのか。

 アモバンは凡そ三十分程で溶かされ、血流に乗って全身を廻り、私を浮遊感の支配する世界へと引き摺りこむ。私の視覚、触角、ひいては聴覚までもが、並べられたドミノが首尾よく大胆に雪崩れてある種のグラデーションの残像が立ち現われるように、空をつかむのと同様の、実体のないものに変容させられていく。午前二時の心細い蛍光灯の照らす六畳の部屋に、私の目は不意に射し込む鋭い日光を見るようになる。それは一瞬ののちには消え去って、その痕跡は認められない。しかし私の目はその姿を意識の桎梏に収まらない次元で見ているのである。その意味では私は私に横たわる無意識の領域に近づいているのかもしれない。私の目は光を、私の耳は鐘の音を、私の指は神の御影を触知できるようになる。鋭利な刃物の重苦しさに貫かれる地平で、私は最後の国に引き寄せられていく。ひとつの眠りの訪れは、私への真の世界の到来をも意味している。


 彼女は夢に出てくる。私はその姿に一抹の期待を寄せる。シフォンケーキのような甘く膨らんだ期待を。しかし彼女の冷徹な顔から吐き出される声は、とても空虚に満ちていて重たく私の前に立ちはだかる。

「お前は誰だ。そして何のためにいる」

「わたし? 私は誰だろう……、誰なんだろうね……」


 結婚だと、ふざけるな。どんな思いをして線路を外れたと思っているんだ、どいつもこいつも当初の願いを忘れて、真っ当な人間になりたがっている。吐き気のするうすら寒い欲望だ、そんなの結局自らを金や名誉に目が眩む乞食に過ぎないと思っている証だ。少し輪から離れたら不安がって急いで踵を返す子供と同じだ。お前は何を思って輪から離れたんだ、そこには揺るぎない信念があったんじゃないのか。それは安心という名の幻想にただちに屈してしまう脆弱な精神に過ぎなかったのか、ふざけるな、自分は違うぞ、と私は思った。それは大衆と自分は異なっているという、道を外れた者特有の優越感であり、それに縛られていることは私に変に心地のよい居場所を与えていた。

 大学の同輩たちは次々と結婚に希望を託し、あるいはそれを実現し、束縛された生活に身を堕していった。私は大学を卒業してから二年、とりあえず日本学生支援機構による学生ローンの月賦と家賃ほどあればいいと、派遣のバイトを断続的にこなすのみで、他は文章を書いていた。小説だ。それだけが自分を証明してくれる気がした。自分の思いの受け皿として機能し、また新たな生命に繋いでくれると。小説家になんてなれるわけがないと、その分母親の小言は日増しに酷くなるのだった。それから逃れようと同輩に連絡を取れば、結婚の話題しかなく、私の行き場は文書に向かった。独り暮らしではどこかに出かけるのも面倒で、友達だって――高校まではほとんどゼロに近かったのだ――元から多いわけもないから大学を卒業すると、それぞれが各々の多忙の日々に連れ去られて離散した。私はそれまでは国内の文学しか読んでなかったので、海外のものを手に取るようになった。サリンジャーやヘルマン・ヘッセやチャールズ・ブコウスキーやフィッツジェラルドなんかを読んだ。チナスキーの精神に励起され、シンクレールの罪悪感に共感し、フラニーの戸惑いを愛で、デクスターやアンスンの直面することとなった物悲しい無常観に自分を重ね合わせ、胸を打たれた。また、高校の時に読んでいた太宰の『二十世紀旗手』を流し読みして「暗いなー」と笑ったりした。六月の夜風がカーテンの裾を揺らして気づくと、ウォッカを呷った。これは誰にもはっきりと分かることだったが、決して笑っている場合などではなかった。しかし、もう私には根本的な感情が欠如していた。急き立てられることも、世界が終わるという危機感も、命を持て余しているという罪責感も、親に対する当てつけも、自分は他人とは違うという劣等感の裏返しである万能感も、未来の生活への不安も、身体からも脳からも抜け落ちて、引っかかるところがなかった。怒ったり悲しいと思ったりすることはあるものの、どれも結局はどうでもいいことでしかないことを私は殊に思うのだった。それ故、私は自由だった。執着していた白峰佐緒里のことですら、もう霞んだそれほど価値のない河原の小石に変わりなかった。私は誰に咎められることもなく、アルコールを飲み、文章を書き、日中外を散歩したりするのだ。犯罪を犯すこともなく、消費税は納めている。年金は稼ぎが少ないから減額してもらっている。

 現在は前のバイトでの蓄えを浪費して、専ら文章作成に打ち込んでいる。行く宛てのない文字列であることは分かっているが、他にすることなどないのだった。夜になり、大学在籍時から服用を続けている睡眠薬をアルコールで飲み干すと、意識は水中へそっと沈んでいく。午前二時に帰り着くタクシーのエンジン音がどこか遠くから聞こえていたが、鼓膜を震わすその音はたちまちに水面を隔てて鈍くなり、私を傷つけることがなくなる。


 私は夜の街にいる。それは見たことがあるようなないような街だ。少なくとも下宿先の近くではない。辺りを見渡しても人の姿はなく、しんとしている。私は月光に照らされた道を大通り沿いに歩いた。街灯がぽつぽつと灯っているから、そうしていれば道に迷うことはなかった。歩くとコツコツと通りに足音が反響した。自動車も全くいない通りなど、滅多に出くわしたことがなかったので珍しく思い、まるでここが私の街だとでもいうような錯覚を覚えた。いつもこうであれば、もっと毎日が過ごしやすくなるだろうことも。月は真上に昇り、細く淡い雲と戯れている。タクシーもなければ、コンビニですらも閉店となったみたいに灯りを落とし、扉を閉ざしていた。二車線の通り沿いに歩道を歩き、色をなくした信号を横切り、マクドナルドがある四つ辻まで出た。二階建ての大きなマクドナルドも今は海に落ちた瓶のような古めかしさを伴って夜に浮かんでいた。視線を道の先に戻すと、私はあることに気がついた。燐光を伴って物質が光りを空気中に発していたのだ。近づくとそれはバス停の時刻表だった。屋根のついたバス停でそれは薄く仄かな寒色の光りをぽつんと漂わせていた。それは街灯の温かな灯りと異なり、透き通る海月のような色で不思議なオーラを纏っていた。私は時刻表に刻まれた文字を読もうとしたが、それはどうしても解読不能だった。何もギリシア語で綴られているわけでも、かすれているわけでもない、目を凝らしてもぼんやりとして判別できないのだ。私が諦めずに解読に挑戦していると、今度は音が聞こえた。それは目覚し時計やメトロノームのような定期的な音を鳴らし、徐々にはっきりと大きくなってくる。私が振り返ると、誰かが私の下って来た道からこちらに向けて走り寄ってきていた。胸がドキリと高鳴り、私は途端に不安を感じた。時刻表なんかに構ってる暇はない。逃げようと思い、足を踏みだした。初め、慣れないことに足は縺れそうになったが、なんとかステップを踏み、走りだすことができた。

 私は路地に駆けこんだ。急な発信に全身の血流が脈打ち、耳元で鼓動がドクドクと聞こえる。無茶苦茶な進路を取り、追いかけてくるそれから私は逃れようとした。杳として知れない姿から一寸でも身を隠さねばと思った。

 しばらく走り、もういい加減撒いただろうと、息を抜いてクールダウンしようとするとすぐ真後ろで足音がした。その時からである。私は足を踏みだし、それ以来、足を止めることができなくなってしまった。追手は私の隣に並んだ。私は隙をついて、逆方向に身を翻そうと画策したが、それは叶わなかった。もはや私の身体は私の命令を聞かなくなっていたのである。しかしそれは足だけのようで、首を傾けてその並走者を垣間見ることはできた。既に暗闇に慣れた目はその顔を捉えることができた。その者は私よりも幾分背を低くした女の子だった。セミロングの黒髪が宙を揺れ、息をテンポ良く吐きだしながら腕を振って、持久走選手よろしく私の真横を走っている。上下統一されたカラーのジャージを軽やかな身躯に纏わせていた。怪物かなにかかもしれないと怯えていた私は少なからず安堵したが、少女の表情は中学生のようであれば、高校生でも通じると見え、あるいは成人しているのかもしれないと年齢を定めさせないところがあった。私はなぜかそこに暗示のようななんらかの愛着を感じる。

 不意に少女が声を出した。それは穏やかであり、また芯の強さを感じさせるものだった。

「あなたはもう戻れない」

 私はその意味を斟酌してから言った。もうほとんど恐怖は失われていた。

「走るのをやめられないってこと?」

「そう」少女は言った。私たちは迷路みたいな狭い路地からまた大通りに出て、それに沿うようにして走行した。さっきまで上がっていた息は段々と落ち着きを取り戻し、走っていることを知らなければ――いや知っていても、運動していない際の調子に戻ってきていた。それは奇怪な感覚だった。まるで人生ゲームで自分の駒がドラマに巻き込まれ、自分はただそれを眺めているときのような。

「あなたは誰なの」私は思いきって訊ねた。

 少女は一時の沈黙ののちに口を開く。

「君こそ誰なんだ。そして何のためにここにいる?」

「わたし? 私は誰だろう……、誰なんだろうね……」

 私が答えに躓いてると、彼女は「まあいい」と歎息し、そして私の問いには答えることがなかった。また、それが正解のようにも思われた。この夜の地上には彼女と私の二人しか存在しないのだ。そこにわざとらしい名前など必要あるのだろうか。そう思えば、それは無駄のないシンプルでシャープな純粋さのみの美しいことに感じられるのだった。

「何を見るときに現実を知る?」少女はふと訊ねた。その声も息切れなどせずやけに淡々としている。私は少し考えてからそれに応える。

「生き物が死んだときかな」

 ふうん、と鼻を鳴らし少女はそれ以上何も口にしなかった。家々の軒が前から近づいては後ろに流れ、街灯の明かりは線となって私たちを取り巻いた。ずっとそれが繰り返された、それを阻止するものなど少しもなかった。延々と景色が揺れ、遠のいた。私もそれにすっかり慣れ、疑うこともなく足を走らせる。

 朝布団で目を覚ますと机の皿の乾いた醤油がまず目に入った。私専用の廃れた現実がそこにあり、じっと私を見つめていた。


 夜は昼よりも存在が濃くなる気がする。昼間に誰ともぶつからないように雑踏の間をすり抜ける時、他人はあくまで仮面をつけた人形に過ぎない。たとえそれが会話をする相手であったとしてもだ。それは便宜上のものにすぎず、私は誰かに危害を加えないように細心の注意を払いながら生活することしか考えていない。そこに影はない。しかし夜になると事態は逆転する。歩道を歩いてコンビニに向かうとき、私は街路灯や車のヘッドライトに照らされ、石塀やアスファルトや置かれた自転車の上を這う、密度の増した様々な影に脅かされることになる。それはまるで存在が複数化したかのように私の脳に処理される。自分の影でさえ、前方にひとつ、右前にひとつ、左前方にもひとつ、と妨げ得ぬ視界でさえ、三つの影が立ち現れる。しかも影はたとえそれが自分から発せられたものであっても、どこかしら他人の印象を拭いきることができないものである。そしてそれらはそれぞれ二つの眼をもってこちらを窺っているように思える。夜の道はそうして一見穏やかなように見えながらも、隠蔽された視線が飛び交うさながら地雷原のような雰囲気を漂わせることになる。それは錯覚に過ぎない、そんなことは百も承知だ。私も大人なのだ。しかし錯覚だからといってそれがどれほどの心の緩衝材になろう。日常を支配する殆どは錯覚でできているのだ。そんな方便は何の足しにもならない。

 ある日、金魚が水槽に浮かんでいる。それを見て、私はどこか納得した気持ちになる。ニュースで殺人事件が報道され、その犯人がいずれ捕まることが知らされる。終ぞ死ななかった人などいないし、もしそうであればそれは人ではなくなってしまう。単純なことだ、或るものはいつか朽ち果てるし、時間は途切れることはなく、餌をやっても金魚は死ぬ。そういった自然法則に捉われて私たちは生きているし、そこから逃れられることなど不可能で、それになるだけ付き添うように随って生活することがモットーとされる。当たり前だ、生き物なんだから。自分は超自然的存在でもなければ、万物の創造主たる素質があるわけでもなく、世界を構成している掛け替えのない要素ですらない。無門関の第七則には「趙州洗鉢」がある。

   趙州、僧の「某甲、乍入叢林、乞う師指示せよ」と問うに因って、州云く、「喫粥し了るや未だしや。」僧云く、「喫粥し了れり」。州云く、「鉢盂を洗い去れ」。某の僧省あり。

 趙州に新米の僧が、指示を仰いだところ、趙州は「粥座は済ましたか」と訊ねた。それに僧が「済ませました」と応えると、趙州は「持鉢を洗っておけ」とだけ言ったという話である。威儀即仏法、作法是宗旨の世界である。幻想に囚われ過ぎてはいけないのだ、現実の骨子を探り当て、それに従って生きることが肝要で、私はそれを目指している。そのために親の言うことや知人の戯言に付き合う必要など毛頭ない。しかし、私は夜になれば、非実在的世界に存在している。このことは私に新たな生気を吹き込んだ。干からびていた日中の風景もなんだか色を取り戻したかのようだった。夜になり、小説を書く手が止まり、本を読む気すら失せると、ウォッカをジュースで割って、煙草に火を点け、音楽を聴いた。五十嵐が、木下が、ベンジーが、門田が、現実の儚さを、脆さを、美しさを唄っている。私は壁に身を凭れさせ、メロディに身を任せて気分の透き通りを感じると、白くて苦い錠剤を飲み込む。意識が遠のき、目が回り、吐き気が込み上げてくる。私はPCの電源を落とし、よろめきながら布団へと滑りこむ。


 前回のことははっきりとは分からない。しかし、その夢の夜の街で気がつけば私たちは既に走り続けていて、ああ走るのをもうやめることはできないのだ、と思い出す。隣の少女は凛とした表情をして、道を選別する素振りすら見せずに自然に身体を揺らしている。

「ねえ、あなたは魔法使いだと思う?」いくつかの曲がり角を越えて少女は訊いた。

「いいえ」私は前方を向いたままに答える。

「じゃあこの街に魔法使いはいるのかしら」

「いないと思う」

「それは寂しいことではない? こんな広い街に魔法使いの一人もいないなんて。ちょっと信じられないとは思わないのか? あるいは錬金術師でも、ツチノコでもいいわ」

「馬鹿なことを言うのね、そんなのないに決まってるじゃない」私は吐き捨てるように言った。

 私たちはトンネルをくぐるように、いくつもの夜を駆け抜けて行った。風は気持ち良いときもあれば、森の中に入ったみたいな不安を掻き立てるものもあった。森というのはもちろん比喩で、街はどこまで行っても街だった。アスファルトとコンクリートに囲まれた、建物ばかりの街だ。それか少女が枠外へ出ないように意図して進路をとっているのかもしれない。けれど私はそれに恐怖は感じなかった。いつだって少女が隣にいるからだ。決まり事のように、私が眠りに就いて夜の街に到れば、そこではすぐ近くに少女がいた。表情の起伏は乏しかったが、それでもそこにいてくれるだけで私は安心に留まっていられた。どことなく懐かしさの感じられる様式であると思ったが、それが何の経験によるのかは分からなかった。途切れ途切れではあったが、少女は私に多くの話をした。私に質問して、そこから話を引き出していった。それはすぐに終わる類のものもあれば、尾を引くものもあった。私は微妙なその間柄が好きになっていった。

「あなたに大切な人なんていたのかしら?」

「いたかもしれないね、私には余りあるほどの」

「それに助けられている?」

「さあ、そんなことないんじゃないかな」私はどうでもよさそうに応えた。脳裡に映るイメージは両親より先に白峰佐緒里のことだった。それは酷く苦く、渋面せざるを得ない思い出となっていた。白峰に私は踊らされ、いや勝手に私が踊っていたのだ。そこに愛などはなく、人形遊びのような模造された偽りがあるだけだった。人形と夢中になって遊んだ女の子はいつかそれに縫い目があり、それの発している言葉は遍く自分の投影であることを知り、抱きしめることをやめて、現実世界に目を向ける。それと同じだ。どこにでもあるくだらない話。しかし私には重く圧し掛かる、苦々しい気持ちであることには変わりがなかった。それは忌むべき墓標であり、避けようのなかったひとつの人生の教訓となっていた。

 入り組んだ路地を抜け、大通りに出て、小学校の横を通り、アパートの前を横切る。街の道はどれも見たことがないのに、見慣れたものが目に飛び込んでくると思ったら、それは燐光を漏らすバス停の灯りだった。バス停は定期的に私たちを訪れ、そのどれもが淡い光りを湛えていた。電車が高架を一定の頻度で駆け抜けるように、過ぎ去っていくその光りを見るごとに私は、何か得体の知れないものに近づきつつある微かな嫌悪を覚えた。それは小学校の理科室のような、一人でいる砂場のようなどことなく不気味で、実体のつかめないことによる感覚だった。それを感じると私は決まって隣の少女を見つめた。二人であることが確かめられれば、どんな闇も乗り越えられる気がしたのだ。

「この夜はどこまで続くの」

「夜は嫌い?」私の疑問に彼女は疑問を返した。そしてしばらくしてから言葉を継いだ。

「ねえ、それなら此処は何に似ている?」

「偶然だね、彗星に似ている」私は答えた。

「それはどうして?」

「日常を壊してくれるから」

 夜はどこまで行っても夜だった。


 私は夢の到来、夜の街の襲来によって日常が少しなりとも潤うことを喜んだ。間断のない闇でもそこに溶け込んでしまえばさほど怖くはない。しかし、予期しない航路は私を嘲笑うように未だ見ぬ境域へといざなうのだった。それが当然だとでも言うように。

 ある九月の午後、私は立体曼陀羅を拝みに東寺に出向いた。京都に住むのに東寺にはまだ行ったことがなかったのである。小さな寺社では一人で行くのは緊張するが、東寺のような大きなところであれば大丈夫だった。私は汗を拭いながら、大師堂を礼拝し、金堂に鎮座する薬師如来とその蓮華座に刻まれた十二神将の精緻さを観察し、講堂に入り立体曼陀羅を拝み見た。それはシンメトリーな星座の布置であり、自らが巨大な運命の海に漂っていることを教えてくれる。寺は敷地が広く、疲れを知らない夜のことを思い出しながら全身に疲労感を携え、そこを出るときには日に日に短くなる太陽が既に傾きつつあった。それから私が京都駅まで歩いて戻ったときのことである。私は構内から烏丸口に出た辺りのところで、誰かに呼びとめられた。人違いだろうと思って、振り向くと実際そこには身を知らぬ女性が私の腕を掴んでいた。

「ちょっと、なんですか」私がその腕を払おうとすると、女性は驚くことを口走った。

「ねえ、あたし。覚えてない?」

 その声の響きには、確実に私の記憶に親しいものがあった。私はじっとその顔を見つめた。すらりとしたその女性はにこにことはしゃぎ、私の応答を待っていた。整ったその顔貌は一見して知らないものであったが、そのフォーマルな化粧の奥には私を揺さぶる器質が宿っていた。私は戦慄した。

「さ、佐緒里?」

「正解!」

 白峰佐緒里が高々と指を突き立てた。

 それは尊い時間の流れだった。佐緒里のイメージは当時と随分変わっていた。二十五歳にもなれば当たり前なのだろうが、思春期のあどけなさを脱し、すっかり成人した大人の顔つきになっていた。佐緒里は、今は東京の広告代理店で仕事をしていて、出張のついでに観光していたのだと言い、私と佐緒里は駅前のポルタでパスタを一緒に食べることとなった。佐緒里は今の職場の嫌なところや同僚のことなんかを面白おかしく話し、昔のことも懐かしそうに回想した。あの頃は若かった、なんて回顧する彼女の横顔に聡明さはまだ残っているし、細い十指も健在だった。私がそこに違和感を感じなかったわけではない。佐緒里は私が離れてからの数年間を着実にその身体に刻み込んでいたし、私が親しくしていたのはもうずっと昔のことなのだ。それに私は彼女のことを決して許しはしていなかった。そして許してももらえないだろうと思い込んで生きてきたのだ。

 しかし、その声は私にやさしく降り注いだ。その仕草は、髪の流れは、眼差しは、輪郭の動きは、乾燥して罅割れそうになる私の心に雨滴となって浸食した。私は何よりをも大切に思い、今まで必死に築き上げてきた城砦を、一晩で嵐に吹き飛ばされてしまったかのような思いに駆られ、佐緒里と別れる頃には神経の抜かれた烏賊になり果てていた。私は夜の近づく京都駅で、それまでの二時間を思い返していた。それは素晴らしい時間だった。それは尊い時間だった。そんな疑わしいことが、疑うことのできないほど鮮明な事実として自分に立ち現れたのである。私は、私とはなんなのだろう、とふと思った。私が意固地に死守してきた私というものはこうも容易く崩れてしまってよいのだろうか、と疑念を抱いた。しかしそれすら反故にするほど、佐緒里との邂逅は私にとって掛け替えのないものだったのである。


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