交渉開始
これは数日前の話。
ある日、うちは面白そうな本を手に入れた。
それは随分と昔に書かれたらしく、紙は茶色く変色しており、中身も背表紙もボロボロだった。
表紙は何かの絵が描かれていたようだが、汚れていて分からないし、タイトルも読めなかった。
それでも、中身は何とか読めたので何が書かれているのかと読書家の血が騒いだ。
古い本には当たりが多い。
まだ読んだ事の無い内容である事を期待して表紙を開いた。
予想に反して本の中身には円や星等の図形が描かれているだけだった。
何だ、数学の本か
と落胆する。
だが、それは直ぐに興奮に変わった。
何故なら、そこに描かれていた物がただの図形ではなく、ペンタクル、つまり魔方陣だと分かったからだ。
図形の隣には矢印等で何かが書かれているが、それは英語の様で何と書いてあるのか全く読めない。
片手で辞書を引き引き調べてみると、【召喚】【魔】【返還】【封】等の単語だと分かった。
この単語を見て、もしかしたらっと試しに最初のページに書かれてある英文を全て翻訳してみた。
そして、自分の予想が当たった事を知る。
そのページにはこう書いてあった。
【召喚魔法(しょうかん魔法)
何らかの存在を召喚する魔術(魔法)。
この魔方陣はそれぞれの方位に位置する天使の加護を用いて術者の身を守る。
よって、召喚した対象からのあらゆる攻撃を無効化する事ができる。
召喚魔法において、術者の身を守る魔方陣は非常に重要な役割を担う。
召喚魔法を習う者ならば、目を閉じても正確に魔方陣が書ける様になる位は魔方陣を何度も書くべし。
尚、次の項の魔方陣の種類とその特性を覚えると更に良し】
………うーん。
どうやらこれは『初心者向け魔方陣の書き方』みたいな感じがする。
初心者向け
と言うことは今のうちにぴったりだ。
るんるんと上機嫌にその本を肩に掛けていた鞄に突っ込んだ。
あぁ、楽しみだ。
妹と二人、木でできた立派な門構えの日本家屋にやってきた。
門をくぐると石畳で続く玄関が見える。
そちらには行かず、手の込んだ日本庭園を通り抜けると先ほどの和の雅な雰囲気とは180度逆な外装をした洋館が現れた。
ギィっと軋む扉を押し開き、中に二人で身を滑り込ます。
中に入ると何処からか甘い、良い香りが漂ってきた。
二人顔を見合わせて匂いの元を追った。
そろそろと足音をたてないようにして廊下を歩くと、木と曇りガラスでできた薔薇をモチーフにした精巧なドアが現れる。
そっと開けるとそこには此方に背を向けて立っている一人の白髪の男性がいた。
彼の周辺から甘い香りがする事から、彼がそれを発生させていると分かる。
互いに目配せをすると、足音を忍ばせて二人でそっと男性の背後に近付く。
背後に位置取るとそーっと二人でその背に向かって手を伸ばす。
あと少しでその背に手が近付くと思った時、忽然と男の姿が消えた。
と思ったら襲ってくる浮遊感。
「うわぁっ!!」
「ひゃっ!?」
自分たちの腰に回されている腕の持ち主は先ほど驚かせようとした人物の物だ。
その顔を見て二人揃って頬を膨らませる。
「もー、また失敗したー」
「何で分かるんや、じいちゃん」
じいちゃんと呼ばれた白髪の男性はハッハッハっと豪快に笑った。
「孫に負けるほどまだまだ老いぼれておらんわい」
「……じいちゃんもう84やん、世間的には老いぼれやで」
「そやで、電車とかで直ぐ様シルバーシートを譲られる位は老いぼれや」
「………この間の定期検診ではまだ60代並の肉体年齢じゃと看護婦さんに誉められたもん」
「じいちゃん、リップサービスって言葉知ってる?」
「じいちゃん、社交辞令って言葉知ってる?」
「………お前ら、口だけは達者になったのう」
やれやれと首を振り、二人を下ろす。
84とは言っても、背はしゃんとしており、見た目も60代に間違われる位には若々しい。
そのうえ………
「今日は何を作ってたん?」
「そうそう、むっちゃええ匂いする」
「ん?今日か?今日はお隣さんにサクランボを貰ったからチェリーパイを作ったわい」
「「チェリーパイ!?」」
二人で声を揃えて目を輝かせる。
「うちらも食べたい」
「私も食べたい!」
「あぁ、今日来そうな気がしてたからの、ちゃあんと二人の分も作ってあるわい」
「「やったー!!」」
60代並に見た目が若々しい上に、お菓子や料理の腕はプロ顔負け。
そんな祖父が二人は大好きだ。
「それで?今日は一体どうしたんだ?」
三人で仲良くパイを食べて紅茶を飲んでいると、じいちゃんが切り出した。
「あ、そやった。忘れてた。あんな、じいちゃんこれ見覚えある?」
鞄から以前この家で見つけたあの魔方陣に関する本を取り出し、渡す。
「ん?どれどれ」
パラパラとページを捲り、中を見るじいちゃんに問いかける。
「どう?」
「………これは多分、死んだばあさんの物やと思うで」
「ばあちゃんの?」
「そや、こないのが好きでよく読んどった」
「ふーん、そうなんや。
他にもこんなんないの?」
何気ない風を装って聞いてみる。
ピシリッと周りの空気が凍った。
ギギギっと壊れたロボットの様に視線を上げて後悔した。
そこには、凍らせている本人がいつも通り柔らかい笑顔を浮かべていた。
いつもと変わらないのに、とても怖い。
目をこらしたら背後に何か現れてそうだ。
だが、この状況で目を反らせる程私は勇者ではない。
勇気?なにそれおいしいの?
「………何でそないなこと聞くんや?」
「…え!?えぇ……と、その…それ、面白かったから………その、もっと他にないかなぁ…て」
恐々とじいちゃんの様子を伺いながら理由を話す。
嘘はついていない。
ただ、所々省いて話しているだけだ。
間違ってもじいちゃんに本当の事を知られてはならない。
頑張れ、自分!
それにしてもじいちゃん怖い。
前に遊んでいて盆栽を割った時に怒ったのも怖かったけど、あれより百倍、いや万倍怖い。
隣に座っている妹なんか、プルプル震えている。
小鹿か。
うちの話でなんとかじいちゃんを納得させる事はできたようだ。
張りつめていた空気が唐突にゆるんだ。
ホッと妹と二人安堵する。
「いやぁ、すまんのぅばあさんの本はもう、等の昔に処分してもうたんや。もうこれ一冊しかあらへんと思うで」
「へーそうなん?残念や」
本当に残念だ。
あんな詳細に魔方陣について書かれている本を持っていたのなら、他にももっと興味深そうな物を持っていたかもしれないのに。
「ほならそれ、もろうてもええか?」
うちの言葉にじいちゃんは暫く悩んでいる様子を見せたがやがてため息を一つ吐くと持っていた本を差し出した。
「ええよ、無くしたりせえへんよう大事にしいや」
「やったー!ありがとうじいちゃん!!」
嬉々として受け取り、持って来ていた鞄にしまった。
その様子をじいちゃんはじっと見つめる。
「?どないしたん?」
「いや、お前たち………最近変わった事に巻き込まれたりしてへんか?」
どくんっと心臓が脈打った。
もしかして、あの杯のことだろうか。
何て考えが浮かぶが直ぐに馬鹿馬鹿しいと打ち消した。
「何もあらへんよ。変な事何て、な?」
「う、うん!そうだよ」
………妹よ。
隠したいのは分かるがその焦って無駄に大きな声を出すのは何かあったと言っているようなものだぞ。
「本当か?」
ほらぁ、じいちゃん疑っちゃったじゃんかさ。
取り敢えず一生懸命頷いた。
「………………何も無いんやったらええ。ただ、何か変な事があって困ったら直ぐに、必ず、相談しいや」
「うん、分かった。ありがとう」
「ありがとう、じいちゃん」
私たちの必死な様子に取り敢えずは引き下がってくれたようだ。
………後半かなり強調されたが。
最後の一言は心に染み渡り、心配されて嬉しい気持ちと隠し事をしている後ろめたさで苦味のような物をうちの胸に残した。




