君のいない世界2:水瀬明
まだ11月なのに函館では雪がちらついている。
吐く息が白い塊になって空に溶けた。
平日の五稜郭には人はほとんどおらず、閑散としている。
俺は戊辰戦争の遺品なんかを展示してある記念館にはいった。
記念館には特設ブースが設けられていて、例の発見された遺品とともに、指輪も飾られていた。
俺はテレビで見た指輪と対面した。
土に汚れ、古ぼけて、確かに150年の月日を重ねていることを感じた。
でも、俺にはわかった。
これは…
まことのだ。
そう実感する。
「指輪に興味がおありですか?」
ふと横を見ると、白いひげを生やした爺さんがいた。
「いやいや、失礼。
ずいぶん熱心にご覧になっておられたので…。」
「いえ。ただ150年前にこんな指輪をもつ人がいたのかなと思いまして。」
俺はあいまいに話を合わせる。
どうやら爺さんは記念館の職員らしい。
「それに関してはかなり議論になっていますよ。
当時そんな西洋の風習が受け入れられていたとは考えにくいですしね。
それを差し引いても、この指輪には謎が多い。
この指輪の横の遺体は男性なのですが、指輪の名前は”YOKO”とあり女性です。冷静に考えれば”ようこ”という女性がもっているのが自然なのですが…。」
この指輪に彫られた名前がおふくろで、
それは妹の持ち物だったなんて言えやしない。
ただなんでそれが150年前の遺体の側から発見されたのかはわからないが。
「この遺体は土方歳三のものかもしれないと言われているそうですね。」
「ああ。そんな意見もありますね。
彼の遺体はどこからも発見されていませんしね。
向こうに土方歳三の遺品も展示されていますよ。
彼には函館で夫婦のように暮らした女性がいると言われています。
もしかしたらこの指輪に所縁のある女性かもしれませんね。
島田魁と榎本武陽の日記も展示されていますから興味がおありでしたらどうぞ。」
「ありがとうございます。」
俺は爺さんに礼を言って記念館を進んだ。
榎本武陽の日記は事務的なことが多いようだ。
”明治元年十月二十四日
函館に上陸。”
”土方は才ある人物なるが、懇意なるは難きと感ずるものなり。”
どうやらあんまり仲良くなかったみたいだな。
俺は苦笑してしまった。
”明治元年十二月十日、新撰組に所縁のある女子土方を訪ねて来る。
その女子容は別段美しきことも無し。”
ずいぶん辛口な評価してんな。
特段美人じゃねえって。
”しかし、いつも笑みを絶やさぬ性質故、新撰組の兵ども慕いし様子なり。土方格別に愛しく慕う様あり。”
土方歳三はこの女と恋人だったのか…。
ふうん。
俺は次に島田魁の日記を見てみた。
豪快な大きな字で、書かれた文字を追って読んでみる。
そこで、俺は驚愕した。
”明治元年十二月、水瀬来る。”
水瀬…?
島田魁の日記の「水瀬」は、日にちから言って榎本武陽の新撰組の女と同一人物だろう。
水瀬、俺の名字、そしてまことの名字。
これは偶然か?
当たり前だ。
水瀬なんて全国に何万といるはずだ。
日記を読み進めると、水瀬という人物は土方歳三と恋人同士だろうということがうかがえた。
”明治二年、五月十一日、午後、土方死す。
馬上にて銃弾に倒れる。
潔きことこの上なし。
夕刻水瀬消えゆ。そのさま夢幻のごとし。”
消えた?
姿を消したということか?
函館を去って水瀬という人物はどこへ行ったのだ?
俺の中で警鐘がなっていた。
150年前の遺物として出てきたおふくろの形見。
戊辰戦争時の函館に現われた水瀬という女。
これは…偶然か?
ぐうぜんなのか?
俺は謎を抱えたまま翌日東京へと戻って行った。