もし人魚姫が“超”現実主義だったら【続】
陸の王子イェラルクは変わり者で、個人の潜水艇を用いて海底調査に出るほど、海に憧れていた。
深海に棲まう生き物たちの生態を観測し、膨大な記録として残すことが彼の目標だった。
その日も、例に漏れず王子個人が所有する潜水艇で海底を探索する予定だったのだが…
「おい…なんだこの数は」
異様な数の魚たちが潜水艇を取り囲んでくる。結構深いところまで潜っているはずなのに。その異常な光景は王子を不安にさせた。
そして王子は運命的な出会いをする。
窓の外に群れる魚…その奥に何かいる。普段はビビりな王子でも、海のこととなると途端に人が変わる。王子は恐怖を思い出す前に、窓へと近づいていた。
揺蕩う海藻のような赤毛と、珠玉のような緑色の瞳。加えて、この上なく美しいオーロラ色のウロコ。
(にににに、ににん、人魚ォ!?!?)
あまりに非現実的な出会いに、王子はしばし呆然とする。もっとよく見たいという知的欲求を思い出す頃には、人魚はとうに姿をくらませてしまった。
一方そのころ、海底都市科学の街は騒然としていた。
何やら魚たちが各々ヘルメットを装着し、計測器具のようなものを掴んで(?)いる。その指揮を執るのは、これまたヘルメットを装着した人魚姫であった。
ずらっと整列した魚たちに告げる。
「これより、海底の地形図を作成する!!」
((……何があった?))
しもべ達は姫の意図が分からず、パックリと口を開いている。
「そしてその図を、私の交渉材料とする!」
おーなるほどー、と呟く魚たち。
「広大な海底を直接測量し記録することは私たちにしかできない!私たちが有用であることを、愛しいひとに誠心誠意、アピールするのだ!!それ、散れ!!人海戦術じゃァ!!」
数万の魚たちが一堂に会し割と長時間働かされた結果、素晴らしい海底図が完成した。
陸上にて。
王子はお気に入りのビーチにて日光浴を嗜んでいた。
「ん、ん…なんだこのカモメ、鬱陶しいな」
先ほどからやたらと近づいてくるカモメがいる。あまりいい気分はしないのできちんと追い払おうとそれを見ると、足に何やら瓶が括られている。
「おお、虐められてたのか。可哀想に」
心優しい王子がカモメを解放してやると、大きな声で鳴きながら飛んでいった。
「やれやれ…ん?何か入っている」
少ししんなりした紙を破かないように広げてみる。
「……っ!?!?!?」
“愛しいひと
これが私のできる精いっぱいです。
どうにかしてそちらへうかがうので
お相手していただけませんか
人魚姫 アーリア”
彼女の手筆と共に、それは見事な地形図があった。
「な、なんと…“現地の声”として生態までもが丸分かりだ…」
ギャァ!という鳴き声の方を見ると、先ほどのカモメが足を突き出す。返事をしろ、ということか。
「あぁ、もちろんだ。私も貴女に会いたい」
快諾の返事をカモメに持たせるとすぐさま、大きな声でひと鳴きした。
その瞬間、海面が大きく揺れる。
どぉーんという音とともに、クジラが飛び上がった。
その口の中から、小さな人影が飛び出す…
それはぐんぐんと水面下を移動してくる。そして勢いよく現れたのは、あの時に見た人魚だった。
「うっ…」
彼女が何か言おうとしている。
「貴女が、アーリア…?」
「うっ……ゔおおぉぉえぇぇぇ」
薬の副作用と、体力の使い過ぎである。
「も、もうし○*%×△■……」
「……え?」
(あ、話し方を習得するの、忘れてた。)
「ひ#※÷◇…い●+°#……?」
「……えと、なんて言ってるか分かん…あ、筆談ね?」
彼女の必死のジェスチャーが伝わった。
「ふむふむ…なるほど、呼吸ができるように肺形成の薬を何日も服用して……下半身の整形は間に合わなかった!?じ、冗談言うな!君の美しいヒレを傷つけちゃダメだ!」
人魚姫は驚いて、思わず自身のヒレを撫でる。サファイアブルーの瞳が覗き込む形でこちらを見ている。
(わぁ、“そら”と同じ色…)
人魚姫はそっと王子の頬に口付けると、優しく笑いかけて言う。
「じゃぁ、@/#*◎:=\♪%……?」
「えと……え……わぁっ!!」
砂浜に書かれた文字を見て、王子は破顔する。
“えらを得たら、共に来て下さいますか?”
「ハハ、もちろんだよ!とても面白そうだ!」
しばしの間水槽を借り、陸での生活を堪能していると、人魚姫の薬が切れ始めた。ちょうどその頃、王子にはエラが形成される。
クジラの体内に潜り込み、いざ海底へ……
潜水服を身につけてはいるものの、ヒレの無い王子は早く泳げない。人魚姫に手を引かれながら海底を探索した。
そして、楽しかったひとときはあっという間に過ぎ…
「さようなら、イェラルク…」
「このひとときは一生忘れられないよ…また潜水艇で遊びに来てもいいかい、アーリア」
「…ええ。思う存分いらっしゃるといいわ」
しかし、人魚姫アーリアは知っていた。
この王子イェラルクは自分自身に惚れたのではないのだ、と…
彼はどこまでも海に憧れている。アーリア自身すらも、きっと”調査対象”としてしか見られていない。
とても悲しいことだ。仕方のないことなのだろうか…
でも、後悔はない。ひと夏の恋に全力を尽くした彼女はまたひとつ成長した。
「陸へ行く夢も叶ったのだもの!私も私の好きに生きるわ!!」
さっさと切り替えた彼女の顔は、思いの外晴れやかだった。
その後彼女は、叔母の助手として人間の暮らしを探求し続けた結果、“陸上旅行パック”を開発する。陸上に憧れる人魚は意外にも多く、彼女の発明は世間に広く受け入れられた。
…そんな未来の話を、彼女はまだ知らない。