愛と逃亡の果てに
「ところで先生、どこに向かってるの?」
「分かんないよ」
「なんだ適当かあ」
「ずいぶん楽しそうだな。今の俺達の立場分かってる?」
「ちゃんと心得てるよ。でもなんかさあ……」
堪えきれなくなった柏木友香が吹き出す。
小林と友香が逃亡を始めて長い時間が経った。辺りはすでに暗くなっている。
「もう夜だね。先生お腹すいた。どっかファミレスでも寄ろうよ。……って先生聞いてる?」
「あ、悪い。ぼーっとしてた。何?」
「考えごと? 何考えてたか当ててあげる。あの子達のことでしょ?」
小林は黙る。そんな小林を「図星なんだ」とニヤニヤ笑いながら見ていた。
小林はあの時のことを思い出していた。逢沢このはが顔に怪我をし、心配して近付こうとした時。あんな川島ミアと十六夜楓の顔は初めて見た。まあ、今までずっと一緒にいた相手が犯罪者だったんだ。何を考えながらずっと一緒にいたんだろうとか、もしかしたらバレたことで殺されるんじゃないかとか、ミアと楓はあの時そんなことを考えていたのだろうか。なら、あの顔を向けられるのは当然だろう。
“そういえば、逢沢は俺と何を話したかったんだろうな“
実際、あの時のこのはの叫びは聞こえていた。だが、あえて無視をした。もしあの時このはの声に答えていたら、逃亡の意思が揺らいでしまうと思ったからだ。犯した罪は償わなきゃいけない。このはの言葉はごもっともである。小林もそれは理解している。だが、小林とて生きることを諦観した訳ではない。別に何かしらの目標がある訳ではないが、それでもやはり普通の人間として生きていたい。
小林は数分、そんなことを考えていた。
「確かに腹減ったな。ちょうどそこにファミレスあるし、寄るか」
小林の提案に、やったー、と喜ぶ友香だった。
友香は大きなパフェを頼んでいた。それを幸せそうな顔で大口で食べる。よくもまあこんな時に甘い物が喉を通るものだ。
小林はそんな友香を見ながら好物のハンバーグを食べる。こんな状況ではそんなに食べられないだろうと思っていたが、意外に食べれるらしい。だが、いつもと何かが違う。何だろう。……ああそうか、味がしないのか。
食べ終えた二人は店を出て、再び車を走らせた。
「やっぱ先生変だよ。ずっとぼーっとしてる。どうしたの? これからどうなるのか不安?」
「まあな。今は上手く逃げれても、いつかは捕まるかもしれない。柏木は怖くないのか?」
「うーん……。怖くないと言えば嘘になるけど、まあその時はその時でしょ。それがあたし達の運命だったってだけだよ」
少し考えた後に友香が答える。逮捕を受け入れる、その答えに小林は驚いた。友香は自分以上に生きることを諦観しているとは思えなかったからだ。
「なんか意外だな。もっと映画を撮りたいから捕まる訳にはいかないって逢沢に怪我させたお前が捕まることを受け入れるなんて」
「だって、殺人罪なんて何年外に出られるか分かんないし、警察に抵抗したら刑期増えそうでしょ? ……でもそれで脱獄物語とか、刑期を終えた後の犯人の更生物語とか、そういう題材で映画撮れるかも」
映画について語る友香は、とても楽しそうだった。
「お前は本当に映画が好きなんだな」
「自分の好きな世界観を表現できるもん。それで、それを好きだって応援してくれる人がいるんだから、尚更楽しいし嬉しい。だからあたしは映画を撮り続けるの」
「そうか」
そこから車の中には静寂が流れていた。
しばらく走っていると、ある路肩で車を停める。
「どうしたの?」
「いや、もうちょっとでガス欠になりそうだったから。悪いけど、ここから歩くよ」
「分かった。でも、もうここまでかもね」
友香の言葉に、パトカーの音が近付いていることに気付く。そして近くに停まると、中から二人の警察官が出てきた。続けて後部座席から三人の少女も降りてくる。
「やっと見つけたよ。先生」
「逢沢……」
小林と少女達はお互いを見つめ合う。そこには気まずい空気が流れていたが、小林が口を開く。
「……そういえば、あの時何か言おうとしてただろ? 何だったんだ?」
「あー……、えーっと……。あはは。忘れちゃったや。とにかく、先生がちゃんと罪を償って刑期を終えて出てきたらまた話そうよ。それまで待ってるから」
「そうか。川島と十六夜はどうなんだ? 俺のこと怖いと思ってるんだろ?」
「確かに、わたしは先生が怖いです。今までどんな気持ちでわたし達と話してたのかなって」
「でも、あたし達、あれから三人で考えた。その……、この一年間あたし達と過ごした先生は本当に先生だったのか。それとも柏木さんが言っていた通り、いい先生を演じていただけなのか。それが知りたい。あの時みたいに普通に話せるか分からないけど、頑張る」
だから早く出てきてよ。
「……。ありがとうな、お前ら」
小林がパトカーに乗り込んだ。続いて友香も乗り込む直前、このはが問いかける。
「最後に聞きたいんだけど、どうしてまりあさんを埋めた場所が花壇の下だったの?」
「まりあは姫百合が好きだったから。最期は好きなものの傍にいさせてあげたいでしょ? でも彼女が本当に愛していたのは小林先生だったから。先生を殺して隣に埋めてあげれば良かったかな」
友香は殺されたまりあのこと、殺人にまで至った経緯を詳しく教えてくれた。
名前は高崎まりあ。友香とまりあは友達だった。そして、二人は同時に同じ男性を好きになる。それが小林だった。二人で密かに想い合おうと約束していたが、まりあの強引なアプローチを断れなかった小林がそれを承諾。まりあと小林はバレないように付き合うことになった。それは友香にも隠していた。いつものように二人で帰ろうとまりあを探していると、ある現場を目撃する。誰もいない教室でまりあと小林が抱き合っていたのだ。それを見た友香はまりあに嫌悪感を抱いた。あたしも先生のことが好きだって知ってるのに。隠し事をされた。友達だと思っていたのに。そこで友香は決意した。まりあを地獄に突き落としてやると。映画の為のリアリティの追求と言っていたが、一番の動機はまりあへの復讐だった。
サイレンの音は離れていき、次第には聞こえなくなる。また話したいと言ったが、小林が会ってくれるのかも分からない。罪は償わなきゃいけないと警察に通報したが、こんなにも寂しいものなのか。三人は抱き合うようにして泣いた。子供のように泣きじゃくった。嗚咽を漏らしながら。
後日。連日のニュースは友香の逮捕で持ちきりだった。この事件で最新作である『美しい貴女』の公開は中止となった。
新学期を目前に、この事件は少女達の心を深く抉った。