王子のお茶会②
本編は第15話までゆっくりと進む展開になっています。
テンポよく物語を追いたい方は、『王子護衛騎士編』の『ここまでの人物紹介』を先に読んでから続きを進めるのがおすすめです。
人物や関係性を把握した状態で読めるので、スムーズに物語に入り込めます。
じっくり読みたい方はそのままどうぞ。お好みのスタイルでお楽しみください!
夕陽が差し込み、金色の光が白いテーブルクロスを優しく照らしていた。茶器に注がれた紅茶の湯気がゆるやかに立ち上る。
王子アレクシスは、興味深げに対面に座るサーディスを見つめていた。
「君のことはあまり詳しくは知らない。詩歌に詳しいことは分かったが、他には何かないかな」
穏やかに語る王子の声に、周囲の貴族たちも興味を示す。
サーディスは静かに杯を置いた。そして、涼やかな声音で答える。
「では、余興程度の特技を……嘘を、どんなものでも見抜けます」
その場の空気がわずかに変わった。王子は微かに眉を上げ、目を細める。
「それは面白いな」
貴族たちの間にもざわつきが広がる。
「嘘を見抜く、か……」
王子は口元に指を添え、わずかに考え込むような仕草を見せた。
「では、試してみよう。今から五つの情報を言う。そのうち一つだけが嘘だ」
サーディスは静かに頷いた。王子は少し考え、言葉を紡ぐ。
「王族でありながら剣の腕を磨いているのは、昔、年下の子に負けたことが悔しかったから」
王子の瞳がわずかに遠くを見た。
「子供の頃、剣の試合で負けたことがある。その時の相手は貴族の子息だったが、随分と手厳しくやられたものだよ」
軽く笑いながらそう言ったが、その声音の奥には、微かな懐かしさが滲んでいた。
(……本当だ)
彼は確かに剣術を磨いてきた。そして、それを始めるきっかけになったのは、幼い頃の出会いだった。
だが、その相手の名前は――
王子は、その考えを振り払うように続けた。
今度は、特に表情を変えずに言った。
「詩歌の話が出たことだし、ついでに言っておこう。アーカーシャの唄は、私が特に気に入っているものの一つだ」
静かな口調だったが、少しだけ早口だった。
(……さて、どう答えるかな?)
王子はサーディスの反応を探るように、ゆっくりと茶を口にした。
「……子供の頃は、誰しも愚かなことをするものだ」
王子はそう言って微かに苦笑した。
「私は幼い頃、夜中にどうしても甘いものが食べたくなり、厨房に忍び込んだことがある。執事に見つかり、ひどく怒られたがな」
貴族たちの間から、くすくすと笑いが漏れた。
「それは、また……意外ですな」
「陛下には知られなかったので?」
「さすがにそこまでは行かなかったよ。執事が私を庇ってくれたからな」
少し懐かしげに言った王子だったが、サーディスの目は静かに彼を見つめていた。
「私は一度、騎士になることを夢見たことがある」
貴族の一人が驚いたように口を開いた。
「ほう、それはまた……王族としての責務がある中で、なぜ?」
「子供の頃、戦場に立つ騎士たちを見て憧れたのだよ。剣を振るい、国のために戦う姿は実に美しかった」
王子はゆっくりと紅茶を口に含んだ
。
「しかし、私は王族。兵を率いる立場であっても、剣を取ることは許されない」
「ですが、今は剣術を鍛えておられますね?」
サーディスが静かに問いかけた。王子は目を細め、微笑んだ。
「そうだな……だが、それはあくまで"護身のため"。本来、王族が戦うことなどあってはならないのだ」
どこか遠い響きを持つ言葉だった。
「これは、私の過去のちょっとした逸話だ」王子は肩をすくめた。
「私は昔、一度だけ、公爵令嬢に求婚されたことがある。舞踏会の最中のことだった」
「まあ、それは……」
貴族たちが一斉に関心を示した。
「それはまた……どのような経緯で?」
「単純な話だ。彼女は王家との結びつきを求めたのだろう。だが、私は特に気にもせず、翌日には忘れていた」
サーディスは静かに彼の言葉を聞いていた。
王子は、サーディスの視線を受けながら、わずかに口角を上げた。
「さて、サーディス。私の言った五つの話のうち、どれが嘘だと思う?」
場の視線が彼女に集まる。貴族たちも興味津々といった様子で見守っていた。
サーディスは、ゆっくりと目を閉じ、一つずつ言葉を噛み締めるように考える。
そして、静かに目を開いた。
「答えは……」
王子は彼女の言葉を待つ。
紅茶の湯気が、二人の間を静かに揺らめいていた。
サーディスは静かに王子を見つめた。彼の瞳には、いつもの余裕と穏やかさが宿っている。まるで、彼女の反応を楽しんでいるかのように。
貴族たちは興味津々といった様子で二人を見つめていた。サーディスの礼儀作法が意外にも洗練されていたこと。そして、王子がこうして彼女をからかうように話していること。
そのどちらもが、彼らにとって新鮮な光景だった。
「……王子も、意地が悪いですね」
サーディスは、淡々とした口調で言った。
「どれも本当のことなのでしょう?」
王子の目がわずかに細められる。彼女の反応を確認するように、静かに微笑んだ。
「認めよう。確かに、どれも"本当のこと"だ」
彼は、そう軽く言ってのける。貴族たちの間から、笑い声が上がる。
「なるほど、王子殿下はまた興味深い方をお連れになったようですな」
「武人でありながら、詩歌を口にし、礼儀作法も心得ているとは……」
「まさか、どこかの名門の出では?」
彼らの言葉には、純粋な驚きと興味が混じっていた。
サーディスは、その視線を冷静に受け止めながらも、心の奥で小さく息をつく。
(これ以上、詮索されるのは面倒だ)
だが、王子は特にそのことを気にした様子もなく、サーディスをじっと見つめていた。
彼の視線の奥には、かすかな探るような色が混じっていたが、サーディスはそれを受け流すように、再び静かに杯を手に取った。
「……茶が冷めてしまいますね」
その一言で、場の空気が和らぐ。貴族たちも笑みを交わし、再び談笑が始まった。
だが、王子だけはどこか満足げな表情を浮かべて、サーディスを見つめ続けていた。
茶の香りが静かに漂う。
サーディスと向かい合いながら、私――アレクシスは慎重に言葉を選んだ。
「君について、まだ詳しく聞いていなかったな。生まれはどこなんだ?」
サーディスは微かに瞬きをしたが、特に動揺した様子も見せずに答えた。
「隣国の辺境の寒村の出身です」
「国外?」
私は眉を寄せた。
「ええ。小さな村でしたが、大きな火事で村は全滅しました。生き残ったのは、私だけです」
サーディスの口調は淡々としていたが、その冷静さが逆に違和感を覚えさせた。
「……君だけが?」
「ええ。おそらく、ですが」
表情ひとつ変えずにそう言い切る。その態度は、まるで過去の痛みをすでに切り捨てたかのようだった。
「その後、どうやって生き延びた?」
「山で隠遁者に拾われました。そこで武芸を叩き込まれました」
私はサーディスの仕草を見ながら、考える。
「なるほど。その隠遁者が貴族としての教養も教えたということか?」
サーディスは否定した。
「いいえ。貴族の教養は、傭兵団にいた時に学びました」
「傭兵団?」
「生きるために、金を稼ぐ必要がありました。ある傭兵団に一時的に所属したことがあります。そこで出会った"貴族崩れ"が、貴族の作法を教えてくれました」
私はその言葉を聞きながら、無意識に指でカップの縁をなぞった。
――違和感。
彼女の言葉に明確な嘘はない。
だが、"何か"を隠している。すべてが虚構というわけではなく、真実の中に巧妙に嘘を混ぜている感覚。
「なるほど。君はたまたま教えを受けたというわけか」
「ええ。ですが、貴族の正式な教育を受けたわけではありませんので、あまり大層なものではありません」
サーディスはそう言いながら、微かに話題を逸らすようにカップを持ち上げ、静かに口をつけた。
……うまい。
彼女は自らの素性に触れられたくない。だが、不自然に話を切るのではなく、あくまで"自然に"話を終わらせる技術を持っている。
それに気づいた私は、サーディスの手元を見つめながら考える。
(おそらく彼女は、高度な教育を受けている)
大商人の家の出か、あるいは貴族の出身か。
しかし、彼女の外見がその考えを否定させる。
――銀の髪。
――赤い瞳。
貴族の世界において、彼女のような容姿を持つ者は極めて少ない。もし貴族として育てられたのなら、私が覚えていないはずがない。
(国外の出身、というのは本当なのかもしれない)
だが、それならば――"なぜ、彼女に懐かしさを覚えたのか"。
彼女の話の中には、嘘がある。はっきりとは分からないが、私の本能がそう告げていた。
彼女は、信用できると言えばできるし、できないと言えばできない。少なくとも、彼女は"明らかな嘘"で私を煙に巻こうとしている。
何かを隠している。それは、間違いない。
だが――この数日間、彼女の言動を見ていれば、嘘をついているとはいえ、不誠実な振る舞いをしているわけではない。
彼女は実直だ。愛想はないが、任務に対して忠実で、余計なことをしない。だからこそ、私は彼女を"泳がせる"ために、自由な時間をある程度与えていた。
……だが、怪しい行動は一切ない。
慎重になっているだけかもしれないが、それでも"何かを企んでいる"素振りは見せない。
(彼女は敵か? それとも味方か?)
――長い付き合いになる。
先日、自分でそう言った言葉が、今になって思い起こされた。
サーディス。
果たして、彼女はどこから来て、何を目的にここへ来たのか。私の懐かしさの正体は、一体何なのか。
それを知るのは、きっとまだ先のことになるだろう。
その時、サーディスの手が一瞬止まった。
カップを置く手の動きが、わずかに遅れる。
まるで、何かを考えているかのように。
(……?)
私は、彼女の指先を見つめた。
サーディスは、何事もなかったかのように視線を上げる。
「王子?」
何も知らない、という顔で。
だが、その瞳の奥には、確かに"何か"があった。