表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/67

銀の死神と狂嵐①


 険しい山道を進むにつれ、霧が立ち込め始めた。

 雨上がりの湿った空気が肌を冷やし、木々の葉から滴る水滴が静寂の中で小さく響く。


 サーディスは、山道を進む傭兵団の一行の中で、無言のまま歩を進めていた。

 周囲の木々は霧に包まれ、細かい雨が葉を濡らし、静寂の中で水滴が滴る音だけが響いている。


 だが、その静寂の中で、サーディスの全身が鋭敏に反応していた。


 (……誰かに、見られている)


 直感だった。

 これまでに幾度となく感じてきた"視線"の気配。

 戦場に身を置く者ならばわかる、"敵意の匂い"。


 周囲の空気が変わった。


 風の流れが不自然に変化し、森の奥から"違う気配"が混じっているのを感じる。

 サーディスはわずかに歩調を緩め、注意深く周囲を探った。

 左目に宿る"魔の力"がわずかに脈動する。


 (……殺気?)


 一瞬、背筋が凍る。


 気のせいではない。

 これは確かに"敵意"。

 しかも、遠くから様子をうかがうような曖昧なものではない。


 鋭く、確実に狙いを定めた"殺意"――。


 (……くる!)


 瞬時に体が動いた。

 サーディスは剣を引き抜き、王子の前へと立ちはだかる。


 その刹那――


 轟音とともに突風が巻き起こった。


 木々が激しくしなり、落ち葉が空高く舞い上がる。

 霧が一気に裂け、視界が強制的に開かれた。


 "何かが"、空から降りてくる――。


 その存在は、まるで風に運ばれるかのように滑るような軌道を描き、ふわりと降り立つ。


 濡れた土を踏みしめる音すらわずか。

 大地はほとんど揺らがない。


 金の髪が風になびき、貴族の装いをまとった一人の女性。

 美しい容姿を持ちながらも、鋭い眼光がすべてを射抜くように光る。


 その瞳には、確固たる"意思"が宿っていた。


 「――やっと見つけたわ、王子殿下」


 静かに、しかし力強く紡がれる言葉。


 王子アレクシスの表情がわずかに険しくなる。


「……ジークリンデ」

 王子が低く呟く。


 森の空気が変わった。


 風が不自然な渦を巻き、サーディスの髪を乱しながら木々の葉をざわめかせる。

 まるで自然が彼女の意志に応じているかのような異様な気配。


 ジークリンデ・アーベントロート。


 "狂嵐"の異名を持つクレストの一人。

 王都最強の騎士団の中でも、個としての戦闘力を誇る強者。


 彼女は微笑みながら、軽く腕を振った。


 ヒュオォォ――――


 まるで嵐の前触れのように、周囲の空気が研ぎ澄まされていく。

 サーディスは微動だにせず、剣を持つ右手に力を込めた。


(……今度こそ、私が止める)


 轟々と風が唸りを上げ、森全体が戦場の幕開けを告げるかのようにざわめく。


 "厄介な相手だ"


 以前の戦いで、その実力はすでに理解している。

 ジークリンデの剣技は並の騎士の比ではない。


 さらに彼女には"風"を操る能力がある。


 攻撃の間合いを自由自在に変え、視界を奪い、剣撃を不規則な軌道で繰り出す――。

 真正面から戦えば分が悪い。だが――


 "今"は戦うことが目的ではない。


 重要なのはジークリンデを討つことではなく、王子を逃がすこと。


 サーディスは決断した。


「ここは私が食い止めます!」


 傭兵団と連携すれば討てるかもしれない。


 だが、彼女がここに現れた以上、騎士団もすぐに追いつくだろう。

 数の勝負になれば、こちらに勝ち目はない。


 ――"王子を逃がすこと"、それが最優先事項。


 「サーディス……!」


 王子の声が、迷いと焦燥を滲ませた響きを持つ。

 サーディスがここに残ると決めたことが、彼には受け入れ難いのだろう。


 ――しかし、時間はない。


「シス様、行ってください!」


 サーディスは強く言い放つ。

 剣を構えたまま、決して後ろを振り返らない。


 王子が躊躇すれば、彼だけでなく傭兵団まで危険にさらされる。

 それを理解しているはずなのに、王子は一瞬、動けずにいた。

 だが、すぐさまゲオルグの怒号が飛ぶ。


「おい、行くぞ! 今は殿下を逃がすのが先決だ!」


 サーディスは、王子が自分を見つめる気配を感じた。

 躊躇い、葛藤し、それでも決断せねばならないことに、彼は歯を食いしばる。


「……絶対に戻ってこい。これは命令だ」


 サーディスの眉がわずかに動いた。

 だが、彼女の答えは揺るがない。


「無論です」


 短く、静かに。

 それだけを言い残し、王子と傭兵団は森の奥へと駆けていった。


 サーディスは彼らの姿を見送ることなく、剣を握り直す。


 前方――そこに"嵐"がいた。


 「逃がしたわね」


 ジークリンデ・アーベントロート。

 彼女は悠然と風に乗り、地上を見下ろしている。

 その金色の髪が揺れ、まるで空に溶けるように風と馴染んでいた。


 「あなたがここにいなければ、今ので終わっていたのに」


 ジークリンデは淡々と告げる。

 サーディスはその言葉を受け流すように、静かに返した。


 「そうだ。だけど――私はここにいる」


 そうして、彼女は地を踏みしめる。

 地に根を張り、決して動かない盾のように。


 王子を逃がし、傭兵団を危険から遠ざけるために。

 この場で"嵐"を食い止める。


 "魔剣を抜くかどうか"――そんな迷いは、今はない。


 サーディスは、剣を構えた。

 空に浮かぶジークリンデは、それを見て微笑を深める。


 「……面白いわね」


 風が唸る。

 地を揺るがすような突風が吹き荒れる。


 そして――

 瞬間、突風が吹き荒れた。


 「ならば、討たせてもらうわ!」


 ジークリンデが一気に間合いを詰める。


 (この速さ――!)


 サーディスは即座に剣を構え、迎撃に入る。

 ジークリンデの剣が横薙ぎに振るわれる。


 サーディスの剣が、"見えない壁"に弾かれるように虚空を切った。


 次の瞬間――


 ジークリンデの"動き"が変わった。

 彼女の姿が、一瞬だけ揺らぐ。ただの身のこなしではない。

 風の流れに紛れるように、ジークリンデの姿が二重、三重に分かれたかのように見えた。


(……幻覚!? いや、違う!)


 サーディスの左目が疼く。

 これは単なる目の錯覚ではない。"風の軌道"を利用した"残像"。

 目を欺くように、ジークリンデの身体が複数に増えたように錯覚させる技。


 サーディスは咄嗟に剣を構え直し、一歩下がる。


 だが――


「遅いわ」


 ジークリンデの声が、三方向から同時に響いた。

 サーディスの視界に、"三人のジークリンデ"が映る。


 一人は正面から突進してくる。

 一人は側面から回り込むように動く。

 もう一人は、頭上――。


 (……包囲!?)


 全方位から襲い掛かる"ジークリンデ"。

 風の力で分身したように見せかける高度な技術。


 だが――


 (この中のどれかが、本物……!)


 サーディスは息を潜め、瞬時に状況を判断する。


「どう? どれが本物かわかるかしら?」


 ジークリンデの声が挑発的に響く。

 曲芸のような身のこなし、敵を翻弄する華麗な剣技――。

 この"狂嵐"の技に、まともに対処できる者など、ほとんどいない。

 普通の剣士なら、全ての方向に気を配り、迷い、そして致命の一撃を受ける。


 だが、サーディスは迷わなかった。

 口角をわずかに上げ、余裕すら感じさせる声で言い放つ。


 「あいにく、"嘘を見抜く"のは得意なんだ」


 左目が鋭く光る。

 ジークリンデの"影"のうち、一つがわずかに"遅れて"動いた。


 (……そこだ!)


 サーディスは迷うことなく一直線に本体へ向かい、鋭く剣を振るった。


「――ッ!?」


 ジークリンデの瞳に、わずかな驚きが宿る。


 見破られた――


 その瞬間、風が一瞬、乱れた。


 サーディスの刃が"本物"へ向かって一直線に走る――。




 ジークリンデは目を細めた。


 (……なるほどね)


 見破られた。

 それが事実であったとしても、彼女は動揺しない。


 サーディスが"嘘を見抜く力"を持っているのなら、今後もこの"残像"は通じないだろう。


 ならば――


 一瞬の判断で、ジークリンデは残像を"風"とともに消し去る。


 "ズバンッ――!"


 風が爆発するように四散し、周囲の木々を無造作に切り裂いた。

 裂かれた枝木が宙を舞い、そのまま鋭い槍の形状を成す。


 (即席の"風槍"……!)


 ジークリンデはそれらを自在に操り、空気を刃のように変えてサーディスへと"射出"した。


 "ヒュン――!"


 空を切り裂く槍が、一直線にサーディスを貫こうと迫る。


 しかし――


 "キンッ!"


 サーディスは即座に剣を振り、迫る"風槍"を正確に弾いた。

 一本、二本――。


 そしてさらに、地面に散らばっていた小石がジークリンデの風によって巻き上げられる。

 次の瞬間、それらはまるで銃弾のような速度で、サーディスを狙って飛び交った。


 "バラバラバラ――ッ!"


 "石礫の雨"が、彼女の身を穿たんとする。


 しかし――


 "ギィンッ!"


 サーディスはその全てを的確に避け、弾き、払った。

 ただの一発たりとも彼女の肌には触れない。


 (……この女、反応が速すぎる)


 ジークリンデの眉がわずかに動いた。

 "風"を読んでいるわけではない。

 "空気"を察知し、"殺気"を正確に捉え、それに"最適解"で対応している――。


 (今度こそ仕留める)


 ジークリンデは風を研ぎ澄ませ、サーディスが"踏み込んでくる"その瞬間を狙う。


 (……あと一歩)


 サーディスが剣を構え、鋭い突きを放つ。


 その瞬間――


 彼女は突如として"しゃがんだ"。


 (……!?)


 ジークリンデの目がわずかに見開かれる。


 "ザシュッ!!"


 次の瞬間、サーディスの"頭のあった位置"に、鋭い"かまいたち"が発生した。

 もしサーディスがそのまま突きを繰り出していれば、確実に"首"が飛んでいた――。


 (なぜ、"今"しゃがんだ!?)


 ジークリンデの視線が鋭くなる。

 サーディスは何も見えていなかったはず。

 だが、"死角"からの攻撃を、"本能的"に回避した。


 まるで――


 (……いや、まさか)


 ジークリンデはサーディスを見つめながら、確信する。

 この女には、"何か"がある。


 普通の騎士ではありえないほどの"直感"。

 いや、これはただの直感ではない――。


 (私達と同じ……"異能"があるのかもしれない)


 風を操る"クレスト"の者たちと、何らかの"共通する力"が、彼女の中に存在するのではないか――。


 ジークリンデは僅かに息を吐き、"一度"距離を取った。


 "ただの剣士"だと思っていた女が、"それ以上の存在"である可能性を感じながら――。

 ここまで戦った相手の中で、これほどまでに"対応力"のある剣士は数えるほどしかいない。


 ジークリンデは、剣を握り直しながら低く呟いた。


 「……次は、もっと本気を出すわよ」


 サーディスもまた、静かに剣を構え直した。

 戦いは、まだ終わらない。


ここまで見てくれてありがとうございます!

気に入っていただけたら、お気に入り登録をよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ