表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/67

変質


 じわり、とした感覚。

 皮膚の下で何かが蠢くような気配。


 まるで、骨や筋肉の奥深くで"別の存在"が目覚めようとしているようだった。

 神経を撫でるような、薄気味悪い感触。


 (――またか)


 サーディスは僅かに息を詰め、ゆっくりと袖をめくる。

 そこには、肌に根を張るように"黒い紋様"が広がっていた。


 淡い月明かりの下、それはまるで生きているかのように微かに蠢く。

 静かに波打ち、まるで何かが皮膚の下で胎動しているかのようだった。


 "ズ……"


 瞬間、腕の中を何かが走った。

 血管の奥から這い上がるような、不快な感覚。

 指先に向かって何かが突き進み、それが"別のもの"になろうとしている錯覚。


 (……これは)


 最初に魔剣を抜いたときには、ただの侵食だった。

 だが今は、"侵食"ではない。


 ――"内側から"変わろうとしている。


 左目が疼く。

 眼帯を外してみれば視界の隅で、影のようなものが揺らぐ。

 まるで、眼窩の奥から這い出ようとする何かが、サーディスの視界を歪ませていた。

 その不快感、這い出る何か抑えるように、彼女は眼帯を付け直す。


 "何か"が、サーディスの中にいる。

 "何か"が、そこに確かに存在している。


 ――"シュゥゥ……"


 空気が震えた気がした。


 それが自分の呼吸なのか、別のものの息遣いなのか――サーディスには判別できなかった。


 「……まだ、耐えられる」


 小さく、己に言い聞かせる。

 しかし、その言葉を打ち消すように、頭の奥で声が響いた。


 (本当に、耐えられるのか?)


 その問いかけに、サーディスは無言のまま手を握りしめる。

 指先が震える。


 これは、ただの魔剣の影響ではない。

 これは"変質"だ。


 だが――まだ自分はサーディスでいられる。


 (……今は、まだ)


 月光が照らすその肌には、漆黒の紋様が静かに波打っていた。


 「サーディス?」


 そのとき、不意に王子の声が聞こえた。

 ハッとして、サーディスは袖を素早く戻す。


 「どうした?」


 王子は、鋭い目でこちらを見ている。

 顔に出していたか?


 サーディスは僅かに息を整え、努めて平静を装う。

 何事もないかのように、淡々とした口調で答えた。


 「……やけど跡が疼いただけです」


 王子はしばらく彼女の表情を窺っていた。

 まるでその言葉が"本当かどうか"を見極めるように。

 しかし、やがて彼は軽く息をつくと、静かに言った。


 「無理はするなよ」


 それ以上の追及はなかった。


 サーディスは小さく胸をなでおろす。

 気づかれてはいない。まだ大丈夫だ。


 (……こんなことは、今までなかった)


 魔剣を抜いた直後ならまだしも、何もしていないのに異変が起こる。


 先日の戦闘で、連続して魔剣を抜いた影響なのか?

 それとも、これまでに魔剣を抜いた回数が積み重なったせいなのか?


 どちらにせよ――これは"警告"なのかもしれない。


 (もう、抜かない方がいい)


 そう思いかけた――が。

 サーディスは、ジークリンデとの死闘を思い出す。

 

 (本当に、今後、抜かずに戦えるか?)


 否。


 "抜かなくても済むかもしれない"という甘い考えが、頭をよぎる。

 だが、それを振り払うように、サーディスはわずかに首を振った。


 ――否。


 結局、魔剣を抜かねばならない時は来る。

 そのときになって「抜かないほうがいい」などと甘いことを言っていられるか?


 ならば――


 (私は、魔に侵されても構わない)


 左腕がどうなろうと、左目が何になろうと。

 自分の体がどうなろうと、それは些細なこと。


 復讐さえ遂げられれば、それでいい。

 その結論に至った瞬間。


 ――王子の顔が、脳裏をよぎった。


 (……シス様は、こんな私でも――)


 サーディスは自分の考えに驚いた。

 何を考えている。


 魔に侵されても構わないと言ったはずだ。

 ならば、誰にどう思われようと関係ない。


 しかし。


 (……もし、シス様に見られたら?)


 左腕が変質しても、左目が別のものになっても、王子は"それでも今まで通り接する"だろうか。

 あるいは――恐れ、拒絶するだろうか。


 (いや……)


 サーディスは、自分の考えを嘲る。

 馬鹿か。


 受け入れてもらえると思ったのか?

 魔である己を?

 そんなこと、あるはずがない。


 (シス様のことなど、どうでもいいはずだ)


 これはただの利用関係。

 私が王子を利用しているだけ。

 復讐のために、自由に動ける信頼さえあれば、それでいい。


 そう、何度も何度も、言い聞かせる。


 (シス様は、私が利用しているだけだろう)


 それなのに、心の奥にある微かなざわめきが消えない。


 サーディスはそっと拳を握りしめる。

 左腕の異変はまだ蠢いていたが、彼女はそれを振り払うように、静かに目を閉じた。




<あとがき>

ここまで見てくれてありがとうございます!

気に入っていただけたら、お気に入り登録をよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ