誤算
ゼファルは、自らの身に起こっていることが信じられなかった。
防戦一方。それも、一方的に押されている。
彼はクレストの一員。王直属の精鋭として、どれほどの戦士が相手であろうとも"一対一"ならば決して負けることはないと確信していた。
ましてや今回は、毒を塗った短剣を用意している。一瞬の傷をつけるだけで、勝負は決まるはずだった。
("小娘一人に押されている"……だと?)
ゼファルの目が、鋭くサーディスを捉える。
だが、その視線の奥にあるのは、かすかな困惑。
サーディスは圧倒的な速さと鋭さでゼファルを追い詰め続けていた。刃を交えるたびに、ゼファルの腕が痺れる。
間合いを取ろうとすれば、驚異的な速度で詰められる。影を使った瞬間移動も、"すべて見破られる"。
"前に戦った時とは、まるで別人"だった。
(……何が変わった?)
ゼファルの冷静な思考が、それを探ろうとする。
技術の向上か?
否。
"純粋な力"が桁違いに強くなっている。剣の威力、速度、すべてが異常なほど増している。
それはただの鍛錬の積み重ねでは説明がつかない。
(こんなことが……あり得るのか?)
ゼファルの足が、無意識に後退する。
それを逃さず、サーディスの剣が猛然と迫る。
"ギィン!"
辛うじて短剣で受け止める。だが、受けた瞬間、ゼファルの腕が痺れた。
(この威力……!)
まるで"人間の剣"ではない。一撃ごとに確実に削られていく。
サーディスの剣は、ゼファルの影を引き裂くように、鋭く、冷たく、そして"迷いがない"。
その剣は"殺すための剣"だった。
("奴の剣"は……以前と違う)
ゼファルはようやく、"違和感の正体"に気づく。
サーディスの剣からは、"王子を守るため"の気配が消えていた。
今、目の前で戦っているサーディスは"ゼファルを殺すことしか考えていない"。その剣に宿る意志は、一切の躊躇もなかった。
(……このままでは、押し切られる)
ゼファルは、僅かに息を吐き、冷静に考える。
"まだ負けるわけにはいかない"。
彼は、次の一手を打つべく、隙を探し始めた。
しかしサーディスの剣には、もう"隙"すらなかった。この戦いに、逃げ場はない。ゼファルは、それをようやく理解し始めていた。
サーディスは、戦いながら確信していた。
(……やはり、圧倒的に強くなっている)
かつてゼファルと剣を交えた時、勝つには魔剣を解放しなければならないと踏んでいた。
だが、それは雑兵を斬り捨てるうちに変わった。
――魔剣すら必要ない。
ゼファルは完全に防戦一方。
これまで彼の動きは研ぎ澄まされ、隙のない殺意を持っていた。
だが今はどうだ? 焦りが滲んでいる。受けに回っている。追い詰められている。
(……"魔の浸食"が進んだ)
それが、今の彼女を形作っていた。
特に――
(左腕と左目)
左腕は、もはや"人間のもの"ではない。
常人では考えられない膂力を備え、剣を振るうたびに"破壊"を伴う。
ゼファルの短剣が受け止めるたび、彼の骨が軋むような感覚がる。
そして左目。
ゼファルが影に溶け込もうとも、その姿は"鮮明に映っていた"。
――逃がさない。
ゼファルの姿が影に沈む。次の瞬間、彼は背後へと回り込んだ。
(……無駄だ)
振り向くより速く、サーディスの剣が迎撃する。
ゼファルの短剣が火花を散らした。
死角など存在しない。
(……これは"浸食"が進んだ証拠)
普通なら、この"変化"を恐れるべきなのかもしれない。
だが――
サーディスの内側で、何かが"煮えたぎる"。
ゼファルの剣を受けるたび、あの拷問の記憶が蘇る。
"血まみれの身体、焼けつくような痛み、あの冷たい声――"
今までのような冷静さではいられない。
体中の血が煮え立つ。指先が震える。
それは恐れではない。
――"怒り"だ。
この男は、あの時と同じように、上から見下ろしていた。
あの時と同じように、"俺の勝ちだ"と言わんばかりに微笑んでいた。
その顔を、何度も何度も思い出した。
痛みと屈辱の中で、何度も噛み締めた。
何度、何度、何度、殺したいと願ったか。
――今、それを果たす時だ。
ゼファルの動きが、わずかに鈍る。
(……揺らいでいる)
見逃すわけがない。
サーディスは、荒々しく踏み込んだ。
ゼファルの短剣を、力任せに弾き飛ばす。
"ギィン!!"
鋭い音とともに、ゼファルの短剣が宙を舞った。
(……っ!)
ゼファルの目が驚愕に揺れる。信じられない力。
剣を握る力ごと弾かれた。クレストの精鋭として、ただの"力で押し負ける"などありえない。
だが、目の前の女は――もはや人ではない
ゼファルの冷静な思考が、初めて揺らいだ。その一瞬の隙を逃さず、サーディスは剣を突き出す。刃が、ゼファルの喉元に突きつけられた。
――"詰みだ"。
ゼファルの呼吸が止まる。
目の前の"騎士"は、すでに騎士ではなかった。
かつて"小娘"と侮った女は今や"魔の力を持つ"怪物へと変貌していた。その冷徹な目が、ゼファルを見下ろしている。
クレストの精鋭として、死の恐怖を感じたことはなかった。
"敗北"を感じた刹那、勝負は決していた。
サーディスの剣が、一瞬わずかに動く。ゼファルの喉元へと、あと数センチ。
次の瞬間――
「"十年前の真実が知りたくないか?"」
ゼファルの低い声が、闇の中に響いた。




