表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/67

決断


 ゼファルは、川の流れを見つめながら思考を巡らせていた。


(……思っていたよりも、逃げ足が速い)


 王子とその護衛。彼らは間違いなく限られた時間の中で最適な逃亡経路を選び、追手を翻弄している。特に、護衛の騎士サーディス。


(明らかに、山の知識がある)


 山道を知り尽くした動き。通常の兵ならばためらうような地形でも、迷いなく進んでいる。

 これまでの情報では、彼女はただの護衛だったはず。しかし、その動きは"ただの護衛"というには不自然なほど洗練されている。

 ゼファルの目が鋭く細められる。


(……何者だ)


 彼は川岸をゆっくりと歩きながら、地面の微細な変化を観察した。すると、わずかに湿った葉が目に入る。水滴がついている。

 ゼファルは無言でしゃがみ込み、慎重に指先で葉を撫でた。


(……まだ乾いていない。ついさっきの痕跡だな)

 さらに地面に目を落とすと、小さな水の粒が点々と散らばっている。


 "誰かが水をすくい、喉を潤した"


 それ自体は不思議ではない。


("全員が"川に入ったわけではない)


 水の痕跡は一人分。つまり、片方は水を口にしていない。ゼファルは、そこでようやく"彼らの状況"に気づく。


(どちらかが、水を飲んでいない……いや、逆か?)

 にやりと笑う。


(どちらかは"毒を口にした"可能性が高い)


 水に仕込まれた毒。それが効いているならば、今この瞬間、王子たちは"万全の状態ではない"。


 であるならば――"素早い行動は不可能なはずだ"。


 ゼファルは、ゆっくりと立ち上がり、視線を森の奥へ向けた。


("追い詰める")


 彼は、周囲の追手に低く命令を出した。

「"王子たちは、このすぐ近くにいる"」


「……ッ!」

 兵士たちは瞬時に反応し、周囲の警戒を強める。


「"茂みを探れ。奴らは、毒が回るのを警戒して身を潜めているはずだ"」

「了解!」


 兵士たちは即座に動き出し、武器を構えながら慎重に茂みの中へと散開していく。

 ゼファルは、静かに短剣を抜いた。その刃は、夜の闇を吸い込むかのように鈍く光る。


「……さて、"狩り"を始めるか」


 その冷たい声が、夜の森に溶け込んでいった。王子とサーディスの発見は、もはや時間の問題だった。




 森の奥、湿った土の感触がかすかに伝わってくる。サーディスは、全身にまとわりつく"重さ"に苛まれていた。


(……クソッ)


 喉の奥が焼けつくような感覚。体の芯が鈍く痺れ、指先に力が入らない。意識が遠のきそうになるたび、歯を食いしばり、なんとか踏みとどまる。

 だが膝が崩れそうになるのを、王子の腕に支えられなければ、しゃがんでいるのすら困難だった。


「……サーディス?」


 王子の低い声が、近くで響く。

 すぐそこまで敵が迫っている。まともに戦えなければ、捕まるのは時間の問題。王子に戦わせるわけにはいかない。


(……魔剣を抜けば、解毒できるかもしれない)


 ふと、頭に浮かんだ可能性。

 魔剣を解放した時。深い傷が、まるで"時間を巻き戻すように"瞬時に塞がった。

 ならば、この毒も"魔剣の力で押し流せる"可能性がある。


(……だが)


 サーディスは、ふっと息を吐く。

 その代償も理解していた。魔剣を抜くということは、また"魔の侵食"を受けるということ。この体の"何か"が、さらに魔に蝕まれる。


 ――すでに、左腕と左目が"人間のものではなくなりつつある"。


 それでも抜けば、今ここで戦える。王子を守ることができる。


(……だけど、そのまま気を失うかもしれない)


 毒が回り、意識が朦朧とする中で魔剣を抜けば、耐えきれずに"意識を持っていかれる"かもしれない。意識を失えば、王子を守るどころか、戦いすらできない。

 王子一人に戦わせる? 

 ゼファルを相手に、そんなことは不可能だ。だが、このままではいずれ発見される。


(それだけじゃない……)


 サーディスの指が、わずかに震える。

 思い出すのは、先日――血に塗れた戦場。

 魔剣を抜いた瞬間、体が熱に焼かれるような快楽に包まれた。

 鮮血が飛び散り、剣が命を奪うたび、まるで"剣と一つになった"ような錯覚。


 あの時の感覚が、まだ脳裏にこびりついている。

 あのまま続いていたら――。

 いや、あれ以上に魔剣に呑まれたら――。


(……最悪、王子すら……斬るかもしれない)


 サーディスの喉がひりつく。

 そんなこと、ありえない。そんなこと、あってはならない。

 けれど、"可能性"は確かにある。

 魔剣を抜いた瞬間、理性を失い、目の前の全てを"敵"と認識する可能性。

 ゼファルを倒すどころか、王子までも……。


 そうなったら、何のためにここまで来たのか分からない。


 だが――。


 このままでは、確実に王子は死ぬ。

 ならば、どうする?


 思考が鈍る。本来なら、冷静に最善策を選ぶはずだった。だが、今の自分に、それを判断する余裕はない。

 魔剣を抜くか。抜かないか。どちらを選んでも、"賭け"だった。

 サーディスは、手をゆっくりと"背中の鞘"へ伸ばす。迷っている時間は、もう残されていなかった。


 しかし。森の静寂の中、王子は迷いなく前に出た。彼は静かに剣を抜かず、"あるもの"をサーディスに差し出した。

 聖剣。王権の象徴。この国の正統な支配者を示す唯一の証。

 サーディスは、混濁する意識の中で、それを認識した。


(……なぜ?)


 王子は聖剣をしっかりと握りしめ、そして、ゆっくりとサーディスの手元へと差し出した。


「……サーディス」


 低く、しかし確かな響きを持った声。

 サーディスは、揺らぐ視界の中で、その"真意"を読み取ろうとした。しかし、王子の表情は、迷いのないもので満ちていた。


「"聖剣を預ける"」

 その言葉が、頭の奥に響く。サーディスは、言葉を失った。


 王子は、一歩前に出て、剣を持つ手をさらに押し出す。


「君がこれを持って"国境の騎士団"の元へ行くんだ」


 彼の言葉は、まるで決定事項のように語られた。

 サーディスの喉が強張る。


(そんなことが、できるわけがない)


「……それ、は、どう、う、いみ、ですか」


 ようやく声を絞り出すが、かすれてうまく言葉にならない。

 王子は、微かに笑った。


「"この剣が敵の手に渡らなければ、それでいい"。だから――"君に預ける"」


 その一言が、サーディスの体の奥に鋭く突き刺さる。


(馬鹿な……)


 王子が、王たる証を手放すなどあり得ない。これは、ただの剣ではない。"王家の正統性"を証明するものだ。

 それを手放せば、彼は"王子"ではなくなる。それでも、彼は迷わず差し出してきた。


(なぜ……)


 サーディスの手が、無意識に震える。

 王子は、短く息をつき、続けた。


「私がここに留まれば、共倒れになる。ならば、聖剣だけでも"確実に守る"ほうがいい」


(……私に、これを持って逃げろと?)


 頭が、理解を拒絶する。

 それは"王"として決してしてはならない行為だ。


「"あとは頼んだ"」


 王子は、その一言を残すと、サーディスの手に剣を押し付けた。

 そして、振り返ることなく、前に歩み出た。


「……!」


 サーディスの意識が、"戦慄"によって強制的に覚醒した。王子が向かう先には、ゼファルがいる。その事実を理解するよりも先に、サーディスの体は震え、彼を引き止めようとした。


 しかし――動けない。毒が回る体は、悲鳴を上げ、視界が歪む。


(違う……こんなの、違う! シス様!)

 だが、王子はもう、迷いなく歩みを進めていた。"時間稼ぎ"をするために。サーディスは、それを止めることができなかった。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

次回の投稿は明日の21時予定です。

よろしければ、応援していただけると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ