サーディスとアレクシス③
(……さて、私はどうするべきか)
王子を守ることはできる。それが"仕事"だからだ。
だが、それは"正しい選択"なのか?
サーディスの復讐の目的は、王家の内乱とは関係ない。彼女が狙うのは、十年前に自分たちを破滅させたものたち。
――王子アレクシスが生き延びたとして、それは復讐の助けになるのか?
――それとも、新王側についたほうが、目的を果たしやすいのか?
論理的に考えれば、今のシス様に従い続けることは"危険"だった。
(……新王側につけば、貴族たちの信頼を得ることができる)
今の王都は、新王派が勢力を増している。王子が反逆者として追われる以上、彼に忠誠を誓い続けることは、王都へ戻った際に敵として扱われるリスクを伴う。
しかし、新王派につけば、王都に潜り込みやすくなる。貴族たちに認められ、情報を集めやすくなり、狙うべき"仇"を一人ずつ潰していくこともできる。
それが、もっとも合理的な選択だった。
(ならば、今ここでシス様を切るのも手だ)
王子の首と、彼が持つ"聖剣"を持ち帰れば、新王側に忠誠を示せる。功績を認められ、"裏切り者"ではなく"英雄"として迎えられる可能性だってある。
それでも私は剣を抜こうとはしなかった。
ほんの一瞬、自分の胸の奥にある"感情"を見つけた。
――シス様を、守りたい。
その言葉が脳裏をよぎった瞬間、私は奥歯を噛みしめた。
(……何を考えている? そんなものは、一時の感傷に過ぎない)
かつての記憶が彼女を揺らがせているのか?
幼き日に交わした剣の稽古の記憶が、今の彼を"昔のままのシス様"だと錯覚させているのか?
私は、すぐにその考えを振り払った。
(シス様を選ぶのは、感情ではない)
冷静に考えれば、今の時点で新王側に寝返るのは"悪手"だった。
たとえシス様を討ち、新王のもとへ首を持ち帰ったとしても――"裏切り者は、決して信頼されることはない"
ゼファルだけではない。討つべき"仇"は、まだ他にもいる。新王の側についたとしても、彼らを確実に始末する機会を得られるとは限らない。
ならば――
(シス様の側にいたほうがいい)
彼の側にいれば、新王側からの動きも監視できる。貴族たちがどこまで関与しているのか、裏で誰が糸を引いているのか、より多くの情報を得ることができる。
なにより、王子が生き延びる限り、新王派は王都の支配を完全なものにできない。
(まだ、時期ではない)
だからこそ、シス様の護衛として残る。それが最善の選択だから。
"シス様を選ぶのは、決して感情的な判断ではない"
ただ、合理的に"復讐の可能性が高い方を選んだ"だけだ。
ゆっくりと息を吐いく。
(――それだけのことだ)
自分にそう言い聞かせながらも、胸の奥のどこかで、別の何かが微かに疼くのを無視した。
私は静かに歩を進め、王子の隣に並んだ。
「……王子、どうなさるおつもりですか?」
王子は、ゆっくりと私を見た。彼の目には、決意が宿っていた。
「私に"王を奪われたままでいろ"とでも言うのか?」
シス様は小さく笑った。
「……"反撃の機会をうかがう"。それが、答えだ」
私は、その言葉を聞いて小さく頷いた。
(ならば、私は"それに従う"だけ)
これは忠誠ではない。感情ではない。ただの"合理的な判断"。
それがどんな結末を迎えるとしても。今は、それが最善の道なのだ。
私――アレクシスは静かに足を止めた。
手は自然と剣の柄に添えられ、目の前のサーディスを見つめる。
そして、何気なく問いかけた。
「……君こそ、それでいいのか?」
私の声には、慎重な"探り"が含まれていた。
彼女は微かに眉を寄せる。
「……何がでしょう?」
私は肩をすくめ、軽く笑ってみせる。
「君が本当に現実的な判断をするのなら、私の首を取るのが最善の手だぞ?」
冗談めかした口調だったが、内心はそうではなかった。今この瞬間が"分岐点"になってもおかしくはない。
――もし、サーディスが裏切るなら、今がその時だ。
彼女は、私よりも遥かに強い。私がどれだけ剣を振るおうと、彼女の前では大した脅威にはならないだろう。もしも今、彼女が本気で剣を振るえば……私は"あっけなく"終わる。
それを彼女が理解していないはずがない。
それなのに――サーディスは何も言わず、ただ剣の柄に軽く触れたまま、淡々と答えた。
「……私は、"王子の騎士"です。それ以上でも、それ以下でもありません」
私は目を細めた。
(……本当に、そうなのか?)
彼女の声は、感情の起伏を感じさせない。
だが、その言葉には確かな"意志"があった。
私は、ふっと息をつく。
「いいのか?」
「何がです?」
「私は君の働きに報いることができないかもしれない」
軽い冗談のように言ったつもりだったが、その奥に滲んだのは"本音"だった。私は、どれだけ足掻こうと、敗れる可能性がある。王座にたどり着く前に"散る"かもしれない。
その時、彼女はどうなる?
私と共に死ぬのではないか?
――それだけは避けたかった。
だが、彼女は静かに目を伏せ、短く答えた。
「では……"貸し"ということで。未来の陛下への」
私は、その言葉に目を丸くした。次の瞬間、ふっと小さく笑う。
「……なるほど。では、"貸し"だな」
「ええ。お忘れなく」
私は、剣の柄を軽く叩きながら、冗談めかして口を開く。
「では、その時の"褒美"は何がいい?」
彼女はわずかに考える素振りを見せ、静かに答えた。
「……そうですね。"爵位"でもいただきましょうか」
私は、思わず目を瞬かせた。次の瞬間、微かに笑う。
「"君が貴族"か……それは面白い」
「私は正当な報酬を望んでいるだけです」
彼女の口元が、ほんの僅かに緩んでいた。サーディスがこうして冗談めいたことを言うのは、珍しい。
私はふと考える。
――父が彼女を"私の護衛に選んだ"のは、本当に偶然だったのか?
父は、戦乱の世を生き抜いた人物だ。人を見る目もあった。彼が、サーディスを"護衛にするよう命じた"のは、剣の腕だけではない。
この日が来ることを、予感していたのではないか?
――"私が、すべてを失いかける日が来ることを"。
そして、その時に"私を守る者"として、"サーディス"を選んだのではないか?
私は、静かにサーディスを見つめる。彼女もまた、同じように私を見ていた。
そして、二人はほんのわずかに、笑った。それは、暗い未来の中で交わされた、束の間の"信頼"の証。
彼女は、私を守るために命をかけると誓った。
ならば――私も彼女を信じよう。
命をかけて。
この"心地よさ"もきっと、それを望んでいるのだろうから。




