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王妃とお茶会


本編は第15話までゆっくりと進む展開になっています。

テンポよく物語を追いたい方は、『王子護衛騎士編』の『ここまでの人物紹介』を先に読んでから続きを進めるのがおすすめです。


人物や関係性を把握した状態で読めるので、スムーズに物語に入り込めます。


じっくり読みたい方はそのままどうぞ。お好みのスタイルでお楽しみください!


 王宮の奥深く、陽光が柔らかく差し込む離宮の一室。

 磨き上げられた大理石の床が陽の光を反射し、室内に仄かな輝きをもたらしていた。窓辺には、初夏の風に揺れる花々が咲き誇り、優雅な香りが微かに漂う。

 部屋の中央には円卓が置かれ、その上には美しい銀の器と、繊細な細工が施された磁器のティーカップが並んでいる。

 卓上には、琥珀色の紅茶が注がれたポットと、彩り鮮やかな果実のタルト、焼きたてのスコーンが整然と並べられていた。


 サーディスは、王妃シャルロット・カタリーナ・ヴァルトハイトの招きに応じ、この部屋へと足を踏み入れた。扉が静かに閉ざされると、室内にはほのかな緊張感が漂う。


(……まさか、王妃殿下に直接お茶へと誘われるとは)


 予想外の招待だった。王宮では、王族が騎士や護衛と個人的に茶を共にすることなど、ほとんどない。ましてや、それが"王子の新たな護衛"である自分となればなおさらだった。


(王妃は、何を考えているのか)


 この招待が礼儀的なものなのか、それとも別の意図があるのか。それを探るためにも、この場の会話には慎重に臨むべきだった。


 「ようこそ、サーディス。貴方の話は聞いていたわ。少し話をしてみたくなったの」


 王妃は穏やかな微笑みを浮かべ、サーディスを迎え入れた。透き通るような白い肌、優雅な仕草、ゆったりとした物腰。彼女の一挙手一投足は、まさしく王宮の中心に立つ者のものだった。

 サーディスは静かに礼を取る。


(噂……ね)


 王妃の言葉を反芻しながら、サーディスは慎重に席についた。

 王子の護衛としての力量、武術大会での優勝、貴族の茶会でのやり取り。それらが彼女を"特異な存在"として宮廷の話題にするには十分すぎる要素だった。

 だが、噂というものは"良いもの"ばかりではない。


 貴族の間では、彼女を"出自の怪しい無礼者"とする者もいた。また、色で王子に取り入った女狐だと陰口を叩く声もある。彼女自身、それらの声が耳に入らぬはずもなかった。


(それでも、こうして私を招いたのか……)


 王妃は、そうした噂を気にも留めないのか、それとも別の意図があるのか。答えを探るように、サーディスは慎重に王妃の様子を観察する。

 侍女が紅茶を注ぐ。琥珀色の液体がカップに満ち、芳醇な香りが立ち上る。甘く優雅な香りが室内に広がり、淡い緊張を包み込むように空気を和らげた。


 サーディスはカップの縁に指を添えながら、ゆっくりと視線を上げた。目の前には、変わらぬ微笑を浮かべる王妃の姿があった。

 この茶会が、単なる"形式的なもの"なのか、それとも。まだ、それは分からなかった。


「あなたはオルメスの唄が好きだそうね?」

 王妃が穏やかに微笑みながら、カップを口に運ぶ。サーディスの手が、僅かに止まった。


「……オルメスの唄を、ご存じなのですね」


「ええ、とても好きよ。あの詩は寂しげだけれど、心に響くものがあるわ」

 王妃の言葉に、サーディスの胸の奥で何かが僅かに揺れた。


(そう……知っている。なぜなら――)


 遠い記憶が、静かに蘇る。まだ幼かった頃。王都の屋敷の庭園で、優しい声が響いていた。


「この唄を知っているのね? いい詩でしょう?」


 金糸の髪を揺らし、静かに微笑む女性。

 彼女は貴族の娘だったサーディス――いいや、"ミレクシア・アルノー"の前に静かに腰を下ろし、小さく詩を口ずさんでいた。


 "月は眠る 夢に溺れて

 風は囁く 誰が嘆きし

 黄昏に 想いは巡る

 ただ、一つの名を抱いて"


 彼女が詩を詠むと、それはまるで月光のように穏やかで美しく響いた。


 "王太子妃"として、まだ幼かったアレクシスのそばに寄り添っていた。

 ミレクシアにとっては、母のような存在ではなかったが、それでもどこか憧れを抱かせる気品と優しさを持つ人だった。


「この詩はね、古い時代のものなのよ」


 彼女は、静かに詩の意味を教えてくれた。


 "誰かを想う切なさと、過ぎ去った時への嘆き"。


 だからこそ、この詩には"優しさと寂しさ"が同居しているのだと。


(あの時……この詩を知ったのは、この人からだった)


 過去の記憶が、胸の奥で絡まる。


 ――彼女は敵なのか?

 それとも、ただ過去の思い出の中の"優しい人"のままなのか。


「……私も、好きです」


 サーディスは静かに答えた。王妃は微笑んだ。

「まあ、それは嬉しいわ」


 カップの縁に指を添えながら、王妃はどこか懐かしそうに目を細める。


「この詩を口ずさむ人に出会うのは、久しぶり」

 柔らかな声が、ゆっくりと響く。


 王妃は微笑みながら、静かにサーディスの表情を観察している。

「……肩に力が入っているわね。緊張しているのかしら?」


 穏やかに投げかけられた言葉に、サーディスは一瞬、自分の背筋が張り詰めていることに気づいた。

 ここは戦場ではない。王妃は武器を持たず、敵意を向けてもこない。それなのに、いつの間にか、無意識に身構えていた。


 王妃は微笑を崩さぬまま、手元のカップを静かに置く。

「今はただ、お茶とお菓子を楽しみましょう?」


 そう言いながら、優雅な手つきで銀の皿を指し示した。繊細な装飾の施された皿には、美しく盛り付けられた焼き菓子が並んでいる。香ばしいナッツの香り、ほんのりと甘い砂糖の匂いが立ちのぼる。


 サーディスは、一瞬だけ逡巡する。


(……この方は、復讐とは関係ない)


 警戒心を抱かせる素振りもなく、ただ穏やかに"会話を交わしたい"と望んでいるだけのように見える。

 ならば、ここで過剰に身構え、王妃の好意を拒むのは逆に"失礼"にあたる。


 サーディスは、そっと息を整えた。


「……はい」

 そう答えながら、ゆっくりとカップを手に取る。


 紅茶の香りが鼻をくすぐり、カップの中で金色の液体がわずかに揺れた。 熱を帯びた陶器が指先に触れる感触。ほんのひと口、唇を湿らせるように口に含む。

 舌の上に広がる、優雅で繊細な味。甘さと渋みの調和がとれた香り高い紅茶だった。


 「おいしいです」

 王妃はその様子を満足そうに見つめ、再び微笑む。


 「よかった。私の好みの茶葉なのだけれど、なかなか癖が強いものだから」


 その一言に、サーディスの中で張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩んだ。

 礼を失しない程度に、少しだけ力を抜いてもいいのかもしれない。




 夜の帳が静かに王都を包み込む。王宮の窓には柔らかな灯りがともり、涼やかな夜風が庭園を抜けていく。

 サーディスは、王宮の回廊を歩きながら、先ほどの茶会の余韻を思い返していた。

 王妃シャルロット。優雅で品のある女性だった。彼女の言葉には棘がなく、笑みには温かさがあった。

 宮廷の厳格な空気の中でも、王妃の前では張り詰めていた神経がほんの少しだけ緩んだ気がする。


(……私が"落ち着く"なんて)


 そんなことを思う余裕はないはずだった。それでも、王妃が"オルメスの唄が好きだ"と微笑んだ時、サーディスの胸の奥には、かすかに安堵のようなものが生まれていた。


 "オルメスの唄を教えてくれたのは、王妃だった"


 それを思い出した時、ほんの一瞬だけ、過去の記憶に触れた気がした。

 だが、それもすぐに振り払う。


 "私は、ただの護衛"。

 "過去に囚われるべきではない"。


 そう自分に言い聞かせながら、足を進める。

 その時だった。


「サーディス」


 名前を呼ばれ、サーディスは立ち止まる。回廊の向こうから、アレクシスが歩いてきた。


「こんな時間に、どうした?」


 王子は、特に詰問するでもなく、ただ気になったとでも言うように尋ねる。

 サーディスは、静かに首を振った。


「先ほどまで王妃殿下のお茶会に同席しておりました。その帰りです」


「そうか」

 王子は、それを聞いてわずかに口角を上げる。


「母上が、喜んでいたよ」

「……王妃殿下が?」

 サーディスがわずかに目を見開くと、王子は頷いた。


「母上は長らく"共に語らえる相手"を求めていた。茶葉の好みも、詩歌の趣味も、"共感できる相手は久しぶりだ"と」


 その言葉に、サーディスは言葉を失う。


(王妃殿下にとって、そんな相手がいなかった……)


 王宮の人々は多くとも、王妃の立場では"本当の意味で語り合える相手"は少なかったのだろう。

 それは、サーディス自身もよく理解できることだった。


「それは……光栄なことです」


 そう言いながらも、心の奥が僅かにざわめいた。

 王妃との時間は、確かに"穏やか"だった。幼い頃の記憶と重なり、久しぶりに"何も考えずにいられる時間"だったのかもしれない。

 王子は、サーディスの表情をじっと見つめる。


「……君も、少しは落ち着けたか?」


 サーディスは、一瞬だけ返答に迷う。

 "落ち着いた"――確かにそうだった。

 だが、それを認めることは、どこか"自分が揺らいでいる"ような気がした。


「……王妃殿下のお心遣いのおかげです」


 そう返すと、王子はふっと小さく笑った。


「そうか。それなら、よかった」

 その何気ない言葉が、なぜか胸に刺さる。


("よかった"……?)


 王子が、ただ純粋にそう言ったことが、妙に引っかかる。


 まるで、"私が落ち着けること"を望んでいたような――。


(そんなはずはない)


 サーディスは、静かに息を吐く。


「では、私はこれで」


 王子に一礼し、再び歩き出す。王子はそれ以上引き止めることはなかった。

 だが、サーディスは背を向けたまま、僅かに拳を握る。


(私が、王妃殿下との時間に安らぎを覚えるなど……)


 それは、ありえないはずだった。

 復讐を果たすために、ここにいる。


 けれど――王妃の優しい微笑みと、王子の"よかった"という言葉が、なぜか頭から離れなかった。

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