表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/67

稽古と笑顔


本編は第15話までゆっくりと進む展開になっています。

テンポよく物語を追いたい方は、『王子護衛騎士編』の『ここまでの人物紹介』を先に読んでから続きを進めるのがおすすめです。


人物や関係性を把握した状態で読めるので、スムーズに物語に入り込めます。


じっくり読みたい方はそのままどうぞ。お好みのスタイルでお楽しみください!



 陽が傾き始め、淡い橙色の光が石畳を照らしていた。

 軽く汗を滲ませた兵士たちが訓練を終え、次々と木剣を片付けながら去っていく時間帯だ。

 だが、訓練場にはまだ熱気が残っている。今日の訓練場には、いつもと違う光景があった。


 戦闘服に身を包み、長い銀髪を後ろで束ねた女剣士。左目を眼帯で隠し、黒い手袋をはめた彼女が、無数の兵士たちと向かい合っていた。王子アレクシスの護衛騎士を務める女剣士であり、先日の武術大会で優勝した者。

 そもそも、彼女が訓練場に立つ必要はなかった。すべては、一人の兵士の何気ない一言が発端だった。


「すみません……よろしければ、一手、お願いできませんか?」


 最初はただの頼みだった。サーディスも、王子の護衛という立場を理由に、断ろうとした。


 だが――


 「いいだろう。サーディス、やってやれ」


 王子が、即座に許可を出したのだ。

 その瞬間、訓練場の空気が変わった。"武術大会の優勝者と手合わせができる"。

 その言葉が広がると、次々と兵士たちが名乗りを上げ、いつの間にか"稽古をつけてもらいたい者"の長蛇の列ができていた。


 サーディスは、王子を一瞥した。


(……余計なことを)


 心の中で恨みを吐きながらも、引き受けた以上は手を抜けない。

 一人目、二人目、三人目――。


 次々と兵士たちと手合わせをしながら、それぞれに異なる指導を行う。

 重い剣を振るう者には、力に頼らず技を磨くように。機敏な動きをする者には、動きの無駄を削るように。攻めばかりに偏る者には、守りの大切さを説く。

 容赦なく、無駄のない剣撃で兵士たちを叩き伏せながら、的確な指導を加えていく。


「攻撃が単調すぎる。変化をつけなさい」

「剣の軌道を読まれている。次の一手を考えながら動きなさい」

「あなたは力に頼りすぎだ。少しでも崩されたら立て直せないぞ」


 厳しく、的確に。


 指導を受けた兵士たちは、倒れながらも満足げに頷き、次の挑戦者へと場所を譲る。


 その様子を、王子アレクシスは少し離れた場所で眺めていた。

 最初は気まぐれで許可を出しただけだったが。


(思った以上に、兵士たちが熱心だな)


 彼は、興味深そうに目を細める。サーディスの指導は、単に相手を打ち負かすものではなかった。

 それぞれの癖や未熟な点を見抜き、的確な助言を与えている。その姿に、王子は思わず小さく微笑む。


(やはり、ただの剣士ではないな)


 彼女の立ち振る舞い、剣の精度、相手を見る目――どれを取っても、一介の武人の域を超えていた。

 サーディスは、無駄口を叩くことなく、黙々と稽古をつけ続けている。

 夕陽が落ちる中、訓練場には、彼女の剣閃が静かに響き続けていた。。

 兵士たちとの稽古がひと段落し、ようやく静けさが戻り始めた訓練場。

 熱気が冷めやらぬ中、サーディスは最後に残った木剣を片付けようとしていた。


 しかし、その瞬間――


 「……私も君に剣の稽古をつけてもらいたい」


 落ち着いた、しかしどこか楽しげな声が響いた。

 サーディスは、ゆっくりと視線を向ける。そこには、木剣を片手に持ち、肩に担ぐようにして立つ王子アレクシスの姿があった。


「王子……?」


 王子は微笑を浮かべながら、軽く木剣を振ってみせる。


「この流れで私だけ仲間外れにされるのは、さすがに寂しいと思わないか?」


 その言葉に、サーディスはわずかに目を細める。


「王子には専属の教練士がいるはずですが」


「いるさ。でも、彼らとの訓練は"型通り"のものばかりだ。たまには実戦に即した稽古も必要だろう?」

 王子の声音は軽い。しかし、その瞳には純粋な興味が宿っていた。


「それに、君がどれほどの強さか、実際にこの手で確かめたくなった」


 サーディスは、内心ため息をつく。


(また余計なことを……)


 とはいえ、ここで拒めば"王子の挑戦を退けた"と見なされる。周囲の兵士たちも、興味津々といった様子で見守っている。

 サーディスは無言のまま、再び木剣を手に取った。


「……分かりました。お相手しましょう」

 その言葉に、王子の微笑が深まる。


「光栄だな」


 軽く手首を回しながら、王子はゆっくりと間合いを取る。

 木剣を両手で握り、慎重に構えを取るその動作には、一切の無駄がない。

 "本気"の構え。それが、一目で分かった。

 サーディスもまた、静かに呼吸を整え、木剣を掲げる。


「では――始めましょう」




 夕陽の光が二人の影を長く伸ばし、訓練場に新たな緊張が走った。

 "カンッ!"

 鋭い打撃音が訓練場に響いた。木剣と木剣がぶつかり合い、衝撃が空気を震わせる。

 王子の剣は、決して甘くはない。その速さ、力、技量――どれもが研ぎ澄まされていた。サーディスは、その剣筋を見極めながら思う。


(……昔より、ずっと強くなった)


 幼い頃、王子は剣を振るうことが好きだったが、決して特別に強いわけではなかった。

 けれど今は違う。身分に甘えることなく、"剣士"として鍛え上げられている。


(――あの頃のままじゃ、ないか)


 王子の剣が鋭く振り下ろされる。サーディスは、それを最小限の動きで受け流し、軽やかに身を引いた。


「……さすがだな、君は」


 王子が小さく呟く。その声には、感嘆と少しの悔しさが混じっていた。


「感心している暇はありませんよ」


 サーディスは淡々と告げ、すぐに次の攻撃へ移る。王子もまた、それを迎え撃った。木剣がぶつかり合うたび、互いの視線が交錯する。

 王子の技は確かに洗練されている。だが、サーディスには"実戦経験"がある。戦場で培われた直感と、死線を潜り抜けてきた確かな戦技。それが、ほんの僅かな差となって剣筋に表れていた。


(……昔と同じだ)


 脳裏に、幼い日の記憶が蘇る。


「もう一回! 今度こそ勝つ!」

「私に勝ちたいなら、もっと鍛錬が必要ですわ」

「くっ……次こそ!」


 小さな庭園で、何度も剣を交えた日々。

 王子は負けるたびに悔しそうに顔をしかめ、それでも何度でも挑んできた。


「ミレクシアは手加減してくれないな……」

「手加減なんてしたら、強くなれないでしょう?」

「……そうか」


 まっすぐな瞳で、負けることを恐れず剣を振るう王子の姿。


"シス様は負けず嫌い"


 そう思いながら、サーディスは何度も彼の相手をしてきた。彼が勝てるようになる日は、まだまだ先のことだと思っていた。


 そして今――


王子は、しっかりと剣を握り、鋭い視線でサーディスを見据えている。


(……私は、何を考えているの?)


 もう"ミレクシア"ではない。過去の自分には戻れない。


 目の前にいるのは、かつて仕えたいと願った王子――


 今は、復讐のために利用しようとしている男。


 それなのに、どうして。


 どうして、今この瞬間だけ。懐かしさを覚えてしまうのだろうか。


 サーディスは、胸の奥がじくじくと痛むのを感じながら、それを振り払うように剣を振るった。


 その動きに王子は反応し、木剣を振るう。互いの剣が交錯し、そして、王子の剣が、大きく弾かれた。


 「……っと」


 鋭い打撃音のあと、王子アレクシスは木剣を取り落とした。それと同時に、軽く手を振り、肩で息をつく。


「やっぱり、君には敵わないか」


 そう呟くと、苦笑しながら木剣を拾い上げた。額には汗が滲み、わずかに乱れた髪をかき上げる。

 一方のサーディスは、呼吸すら乱れていない。木剣を持つ手も安定しており、表情にもほとんど変化がない。


 だが、ふと――自分の口元がわずかに緩んでいることに気がついた。


(……私は、今、笑っている?)


 "懐かしさ"が、胸の奥をくすぐる。


「……今、笑ったか?」

 その一瞬の変化を見逃さなかった王子が、じっと彼女を見つめた。サーディスは、瞬時に表情を引き締める。


(しまった)


 剣を交えるうちに、かつての記憶が蘇り、気が緩んでしまったのかもしれない。ほんのわずかな時間だったが、それでも王子の目には確かに映ったらしい。


「……気のせいです」


 平静を装い、淡々と返す。しかし王子は、確信したように微笑んだ。


「いや、確かに笑ったな」


「……失礼いたしました」


 サーディスは視線を逸らし、木剣を下ろした。だが、王子はそのまま彼女をじっと見つめ続ける。


「別に謝ることでもない」

 穏やかな声が耳に届く。


(どうして、こんな些細なことで……)


 サーディスの指が、無意識に木剣を握る。


「君はいつも鉄仮面だと思っていたが、存外可愛らしく笑うのだな」

「――!」

 サーディスは驚き、一瞬言葉を失った。


(何を……?)


 からかうような軽い口調。けれど、その瞳には純粋な好奇心が宿っていた。

 サーディスは戸惑いを隠しながら、ゆっくりと目を伏せる。


「……必要のないことです」


「そうか? もう少し表情を崩した方が親しみを持ってもらえると思うぞ」


「私には必要ないことです」


 王子はふっと笑い、再び木剣を構えた。

「……続けようか。今度は笑う余裕がないくらい、本気でいくぞ?」


 サーディスは、ゆるりと構えを取る。

「……どうぞ、ご自由に」


 その声には、わずかに震えがあった。

 剣を交えながら、サーディスは胸の奥で微かな温もりを感じていた。


(――こんな気持ちは、もう捨てたはずなのに)


 剣を振るうたびに、蘇る記憶。

 かつての誓い。

 かつての信頼。


 "貴方を守る"と誓ったあの日。


 ……そんなものは、とっくに終わったはずなのに。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ