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みずうみ──紬と繭と京子  作者: モリサキ日トミ


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9/16

その9

(しづく)   四十年前──冬


今朝はかなり冷え込んだせいか空気は澄み、日の出前の空は深みのあるラベンダー色をしていた。

マユコと駅向こうのショッピングセンターに行ったあの日から胸の奥がもやもやして紬の眠りは浅くなった。今朝も早くに目が覚めたので、パジャマにダウンジャケットを羽織って湖畔へ向かった。

岸辺に横たわっている倒木に腰を下ろすと、少しずつ明るくなってきた空の色を映している水面を見つめながら考えた。考えた、考えた、考えた。

あと少しの間マユコを守らなければ、特に異性との接触は避けなければ。母が私にしてくれた様に。家の奥の納戸の鍵を確認しておかなくては。マユコが外出する時は、例えそれが庭先でも目を離さない、気持ちを引き締めよう。

紬は昇り始めた朝日が照らす湖を見つめながら深呼吸を一つすると家へ戻った。



「ツムギ、どこに行ってたの?」


扉を開けて土間に片足を踏み込んだ途端、マユコが声を掛けてきた。


「おはよう、マユコ」


「おはよう。ねえ、どこに行ってたの?」


紬はダウンジャケットを脱ぎながら


「ちょっと早くに目が覚めちゃったから、外の空気を吸ってたの。すぐ朝食の用意するね」


答えると、マユコが抱きついてきた。


「ツムギ、なんか変だよ。寝ている時も苦しそうな声を上げてたし、昼間も私と目を合わせてくれない。怒ってるの?私何かいけない事をしたのかな」


マユコが涙ながらに話すのを聞きながら、私は自分の欲望の為に繭をマユコを巻き込んでしまったのだと紬は思った。


「ごめんね。マユコはね繭の大切な子どもなの。だから、あなたたに何かあったら繭に顔向け出来ないのよ。最近、急に大人っぽくなってきたから悪い虫が付かないようにって気が気でないの」


「悪い虫って?」


「男の人の事。マユコは可愛いから男の人から言い寄られたらどうしようって、私、まるで娘を心配する父親みたいな感じね」


紬は言いながら苦笑いを浮かべた。

マユコは理解出来ないといった顔つきで言った。


「変なの」


「そうね。さ、ご飯の準備するからテーブル拭いて」


「うん」



それからの日々は平穏にすぎていった。出来るだけ二人で過ごすようにしていた。

今日は灯油を買ってこないと残りが少ないので、紬は空のポリタンクを三つ手押し車に乗せて出掛ける準備をした。

しっかり戸締まりをして、


「マユコ、私が戻るまで入り口の戸の鍵を絶対開けないでね」


そう言って出掛けた。


「分かってる。いってらっしゃい」


そんな紬の後ろ姿を見送りながらマユコは思った。最近のツムギはやっぱり変だ。凄く神経質だし、何かに怯えているみたいだ。私の何を心配しているのだろう。ここに来たばかりの頃より大分落ち着いてしっかりしてきたと自分なりに思っていたのだけれど。


「とにかく、マスコット作るか」


マユコはかぎ針を手に毛糸を手繰った。


年末年始と時は足早に過ぎていった。

松が明け、節分が過ぎた頃、マユコに少し変化が起きていた。それは微かな匂いだ。すれ違いざまに、ふわっと香る。本人は気付いていないようだが紬は感じていた。ほんのり甘くて僅かに発酵したような少し鼻につく匂い。良い匂いでは無いが、癖になりそうな感じがする。毎日入浴はしているが日に日に匂いは強くなっていった。


二月下旬になると、マユコはあまり食事を取らなくなった。綺麗に澄んでいた眼は充血し、体が怠いのか横になる事が多くなった。

二人の収入源であるマスコットの注文数は増え、感謝しながら製作しなければならないのだが、今のマユコは任せられる状態では無かった。彼女に代わって紬は必死にマスコットを作り納期に間に合うように頑張ったが、なかなか思う様にいかない。そうしている間に、マユコの様子はいよいよおかしくなっていった。

そろそろ納戸に閉じ込めなくてはならない。




   ※ ※ ※


紬さんと並んで立って漠然と遠くの方を見ていると、それは突然起きた。私たちの視線の遥か先の地面が沈み始め、そこから水が湧き出した。真上の月明かりに照らされた水はかなりの早さで地面を覆った。


「紬さん、これって」


私が言い終わらないうちに


「京子さん、ちょっと待っててね。冷えてるからこれも羽織っていて。このバッグの中に使い捨てカイロが入っているから使ってね」


紬さんは自分のコートを脱ぐと私の肩に掛けて、トートバッグも渡してきた。そして靴を脱ぐと、パールの入った巾着袋を手にバシャバシャと水を踏み締めて歩き出した。


「紬さん、止めて。危ないわ!」


「大丈夫。京子さんはそこから動かないで」


足から腰そして胸、水は紬さんを隠し、とうとう全てを呑み込んだ。

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