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その8

(しづく)   四十年前──晩秋


少し潰れた丸い形の月は少し西に傾き、夜はじわじわと紬の体温を奪っていく。

彼女は畳んだバスタオルをぎゅっと胸元に抱きながら、鏡の様に動かない漆黒の水面を見つめていた。温暖化の影響で秋の訪れが遅くなった昨今だが、この辺りは十月後半には陽が落ちた途端、急激に気温が下がっていく。

少し前まではあんなに蒸し暑かったのに急に季節は進む。紬の吐く息が微かに白い。


──そろそろ家に戻ろう。


「マユコ、マユコ」


湖に向かって声をかける。月明かりが照らす湖水は微動だにしない。紬は深いため息をついてマユコが姿を現すのをじっと待ち続けた。

どの位時間が経ったのだろう。バスタオルを抱きしめていた腕も手も冷え切って、指先は殆ど感覚が無くなった。ショートブーツの足元も冷たくて結構辛い。水の中なら冷たさは感じないが、空気の寒さは体に応える。

やがて、フラットな水面が少しずつ揺れ始めた。チャポン。音のした辺りを中心に波紋の広がりが暗い中にも見てとれた。


「マユコ、早くこっちに」


紬は片手を思いっきり振った。

バシャッ、バシャッっと華奢な姿が水から姿を現す。岸に辿り着いたマユコは何も身に着けておらず長い髪から水が滴り落ちていた。

ゆっくり紬の目の前まで行くと頭からバスタオルを掛けられ、ゴシゴシと激しく水を拭き取られた。

マユコはされるがままにじっとしている。そして、ぎゅっと抱きしめられた。


「こんなに冷たくなって。帰ったらすぐお風呂に入ろうね」


「うん」


紬は、鳥肌一つ立つことが無く寒がる素振りも見せないマユコに、急いで厚手のスウェットワンピースを着せて


「帰ろう」


彼女の肩を抱きながら歩き出した。


翌朝、陽射しは暖かかかったが気温は低く灯油ストーブを点けると、


「マユコ、起きて。今日も良い天気だよ」


紬が声をかけた。


「おはよう。ご飯よそったからお盆お願い」


マユコがお盆を手に土間に降りてご飯が盛られた茶碗を受け取った。


「味噌汁も乗せていい?」


「うん」


ご飯、青菜とサツマイモの味噌汁、出汁巻き玉子、ひじき煮、蕪の浅漬けを食卓に並べると


「いただきます」


向かい合って食べ始めた。


「ツムギ、今日なにかよていある?」


「特に無いよ」


「私、えきの向こうのショッピングセンターに行ってみたい」


「良いよ。行ってみよう。ねえ、マユコ」


「なあに」


「なんか最近大人っぽくなったね」


「えっ、どこが?」


「何処って言うか、全体的な雰囲気かな。こうやって話している時もあなたのお母さん──繭と向かい合っているみたい」


「だって、私とお母さんって同じすがたなんでしょう。でも、ツムギがそうかんじるのなら、私の中のお母さんが表に出てきたのかな」


「表に出てきた?って繭はマユコの中に閉じ込められているって事なの?」


「わからない。私は私だよ」


「うん。そうね。とにかくご飯食べよう」


食後、食器を片付け終わると二人は駅の向こう側のショッピングセンターへ出掛けた。


「何か欲しい物があるの?」


「そろそろ毛糸がなくなってきたから」


「そうか」


「じゃあフロアマップを見ようか」


「しゅげいやさん三がいにあるよ」


「えっ、そうなの?」


「あ、たぶん」


マユコの言うとおり手芸店は三階のエスカレーター奥にあった。

たくさんの毛糸を買うと


「たまには洋服見ようか」


「いいの?」


婦人服売り場に向かった。お揃いの薄手のニットを色違いで購入した。


「次は、ソフトクリーム食べに行こう。マユコは食べるの初めてだね」


「うん。私ミックスがいい」


「それって繭の好みだ」


「そうなの?よくわからないけど、ミックスっていうのがあたまにうかんだの。それでミックスってどんなあじなのかな」


「食べれば分かるよ。おばちゃんの店のアイスとはちょっと違うよ」


「たのしみ。早く行こう」


「慌てないで。店の場所は…」


「一かいのくだもの店のとなりだよ」


マユコは紬の手を引いて一階へ向かった。


「走らないで。だけど何故店の場所を知ってるの?」


「なんでだろう。ああ、にもつをはこぶ、ええと…コバトびんのお兄さん、山口さんに聞いたんだ」


「えっ、そ、そうなの」


二人共チョコとバニラのミックスソフトを食べたが紬はその味を感じられなかった。

 

帰り道、マユコが


「ツムギ!」


大きな声で呼んだ。


「えっ。何?」


「なにじゃないよ。さっきからずっとよんでいるのに」


「ああ、ごめんね。ちょっと考え事してた」


「ソフトクリーム食べてから、ツムギなんかへんだよ」


「ねえ、マユコ、いつコバト便の人と話をしたの?私たち荷物は郵便局に頼んでいるから宅配便は使って無いじゃない」


「きんじょをさんぽしてた時、あいさつされたの」


「その時以外にも会った?」


「うん。なん回かね。えきの向こうのお店のことを、おしえてくれた」


「ねえ、マユコ」


「なあに」


「もうその人と話さないって約束してくれるかな」


「なぜ?」


「なんかいやな予感がするの」


「あいさつも?」


「うん。あいさつも。出来れば会って欲しくない」


紬はマユコの目を見つめて言った。

その真剣で哀しそうな眼差しに、


「わかった」


マユコは頷いた。




   ※ ※ ※


私達は枯れ草を踏み締めながら進んだ。やがて、左手に雑木林が見えてきた。


「ここを入るわね」


紬さんの後に続いて木々の間を歩いた。右側に黒い塊が見えてきた。


「あそこが私の住んでいた家よ。崩れかかっていて危ないからそっちには行かない。この左の方に行くの」


彼女の家と反対側に歩みを進めると、突然目の前が開けてまるで小さなグラウンドの様な土地が現れた。

周りは雑草だらけだが、そこは、ライトで照らすと耕した農地みたいに柔らかそうな地面が広がっていた。


「ここは昔、湖だったの」


紬さんは小さな声で言った。


「なぜ、水が無くなってこんな状態に?」


私が問うと、


「あの娘の、マユコの為…よ。母の優しさなの」


紬さんの答えに私は疑問符しか浮かばなかった。

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