その7
七滴 四十年前──秋
「ツムギ、のどがかわいた」
マユコが全身汗まみれで言った。
今日も快晴で風も南寄りのもわっとする大気の中、朝から二人は雑草をひたすら引き抜いてた。
「うわっ、汗でびっしょりだね。ちょっと家の中で休もう」
土間に戻ると扇風機の風を強にしてマユコに浴びせた。それから冷蔵庫で冷やした水を注いだコップを渡すと、それを一気に飲み干して
「おかわり」
マユコは紬にコップを突き出した。それに冷たい水を満たして
「もう少しゆっくり飲んで。飲み終わったら少し横になっていて」
「うん。ちょっとおひるねする」
マユコの返事を聞くと紬も水をごくごくと喉を鳴らしながら飲んだ。
そして外に出ると雑草取りの続きを始めた。取った雑草を一所に集めると結構なサイズの小山になった。
「こんなところでもう良いよね。よし、終わり」
腰をトントンと叩きながら周りを見回し庭がすっきりしたのに満足した。
「こんにちは」
道の方から男の声がした。
その方を向くと紬たちと同じ世代に見える青年がキャップのつばに片手を添えて
「こんにちは」
と、もう一度挨拶をした。
「ええと、何かご用ですか?」
「あの、自分はコバト便って言う宅配会社の山口と申します。この辺りを担当していまして荷物をお届けにあがる事があると思いますので宜しくお願いします。それから、集荷にも伺えますので何か御用がありましたら、是非ご連絡ください」
山口と名乗った男は、チラシを差し出した。紬が受け取ると、
「この電話番号に連絡いただければ、直ぐに伺います」
軽く会釈して立ち去った。
紬は受け取ったチラシをくしゃくしゃと丸めるとエプロンのポケットに突っ込んだ。
家に入って丸めたチラシをゴミ箱に捨てると土間の流しで手と顔を洗って居間に上がった。
窓から入り込む刈草の匂いを含んだ風を浴びながらマユコが大の字で気持ち良さそうに寝息を立てていた。紬はその無邪気な寝顔をのぞき込んで、つるんとしたおでこににそっとキスをした。
少しずつ季節は進み、日中も過ごしやすい気温になり、紬とマユコは庭からの心地よい風を浴びながらマスコット作りに精を出していた。
淡い色の細い毛糸をかぎ針で細かく編んで十五センチ角の正方形を作ると小さな綿球を包んで──てるてる坊主が出来上がった。薄桃色、ひよこの様な黄色、若草色、水色、淡い紫陽花色、生成り色の六色で、きゅっと絞った首の部分に小さな金色の鈴を付けた見るからにありふれたマスコットだ。
これは、まだ繭がマユコをお腹に宿していた時に紬のために作ったのが始まりだった。
それをバッグに付けてバイトに行くとそこのオーナーの目に留まり、御守り的なマスコットとして売りたいと言われ──それが当たってマユコは内職する事になった。
色ごとに運が開けて願いが叶うとうたって売り出すと、彼氏ができたとか臨時収入があったとか試験の成績が良かった等、タウン誌や学生向けのファッション誌に取り上げられ、繭の手作りなので大量生産できない事が付加価値となって大人気になった。
一過性の流行りだろうと思っていたが、予想に反して需要は衰えず、今では紬のかつてのバイト先以外に二カ所のファンシーショップにも卸していた。そこで、マユコの負担を助けるために紬もマスコット作りを手伝った。
「あと何色を何個?」
「ももいろをさんこと、みずいろがいっこ」
「じゃあ私、水色を作る」
「うん。おねがい」
二人無言で手を動かした。紬が必死に水色のマスコットを一つ作る間に、手先の器用なマユコは桃色のを三つ美しく作り上げていた。
仕上がった物を全て検品し、小さなビニール袋にパックして納品用の箱に収め終えると、
「これでよし。明日、小包で送るね」
紬が首をぐるぐる回しながら言った。
窓を見ると、ここに住み始めた頃より日が短くなり、外はすっかり暗くなっていた。
「おなかすいた」
「はいはい、すぐご飯作るね」
夕食後、二人は目と肩と首筋の疲労で布団に倒れ込む様に横になると、すぐに寝息を立てた。
翌日、たくさんのマスコットを梱包した物を郵便局で発送手続きし終わった帰り道、
「おはよう。くださいな」
紬とマユコは、おばちゃんの店に寄った。おばちゃんが口をもごもごさせながら出てきた。
「おはよう。今日は随分と早いね。今、朝ご飯を食べてたところよ」
「食事中にゴメンね。郵便局に行った帰りで、彼女がアイスを食べるって言うから。マユコ、アイスのケース見ておいで」
マユコは棒付きアイスを取ってくると
「これ、ください」
レジ台に置いた。ついでに、食パンとマーガリンと柿を三個と牛乳を買って店を後にした二人の後ろ姿を見送りながら、あのアイス好きの娘は落ち着きが出て少し大人っぽくなったなと、おばちゃんは思った。
そして、
「ま、元々いい大人なんだろうけど」
小さく呟いた。
家へ向かう途中、マユコはアイスを舐めながら
「ツムギ、家のおくの林をぬけると、大きな水たまりがあるの?」
問いかけた。
「ああ、そうね。大きな池って言うか小さな湖って言うか…」
「あさごはん食べたら行っていい?」
「うーん、あそこ結構深いのよ。水が凄く透き通っているから浅く見えるんだけど。ちょっと危ないからマユコに言わなかったの。じゃあ、一緒に行こう」
それを聞いたマユコは嬉しそうに微笑んだ。
※ ※ ※
「紬さん、マユコさんが作っていたマスコットって『てるるん』言うのじゃないですか?」
「そうなのかしら。私たちは注文受けて作ったら先方に送って代金を口座に振り込んでもらうだけで、その先の事は知らないの。それがどんな名前で売られていたのかも分からない」
「フェルトじゃなく細い毛糸で編まれたのが優しい感じで、私もマジソンバッグに付けてました。あ、マジソンバッグはその当時学生鞄の代わりにみんな持っていたやつで」
「知ってる。制服着てる子たちが色んなカラーのを持っていたのを駅とかで見かけたわね。ここで降りるわよ」
紬さんの話は私が過ごした時代の事とつじつまが合っている。本当に私より年上なのかしら。
ホームに降り立った私達は薄暗い改札へ向かった。下車したのは二人だけで駅員の姿も見えない。
「ここ無人駅だから、切符はこの箱に入れて」
紬さんに習って小さな木箱に切符を入れた。
「ここから先は街灯が殆ど無いから、これ使って」
彼女はトートバッグから小振りな懐中電灯を二つ取り出すと一つを私に差し出した。
駅から続く道は一応舗装されていたが、長い間手入れされていないのか、所々風化してでこぼこと荒れており気をつけて歩かないと躓きそうになる。その為私たちは足元を照らしながら無言で歩いた。そのまま五分程進んで紬さんが足を止めた。
「どうしました?」
下を見続けていた私が顔を上げると、
「ここが、おばちゃんの店」
彼女が灯りを向けた先に、枯れ草や伸ばし放題の枝に覆われ崩れかけた木造家屋が浮かび上がった。
文字はもう読み取れ無いが看板だったと思われる物も見てとれた。
「さ、進みましょう」
灯りを足元に戻し、私たちは歩き出した。