その6
六滴 四十年前──初秋②
「きをたくさんつかったおうちだね。それからはっぱがいっぱい」
「これは雑草だよ。うわーすごい。半年放っておくとやっぱりこんなに伸びちゃうのね」
二人は腰位まで育った雑草をかき分けるように家の入り口に向かった。
紬は鍵を開けて土間に設置されているブレーカーを上げプロパンガスの栓を開けると、畳が敷かれた茶の間に上がった。
「マユコ、こっちに来て。それから雨戸開けてくれる」
「はーい」
マユコは窓の辺りで立ち止まり
「これ、どうやってあけるの?」
紬を見た。
「そうか、アパートには雨戸なんて無かったものね」
紬が雨戸を開けると強い陽射しが部屋を照らし、至る所に土埃がまんべんなく積もっているのがあらわになった。
「マユコ、私トイレ見てくるからちょっと待ってて。あっ、あまり動かないで。ホコリや土だらけだから」
この辺りの家は大体浄化槽で排水を処理しており、これだけは定期的に点検を受けていたのでトイレも問題なく使えそうだ。
「お待たせ。まず掃除機ね。それから水拭き。窓も汚いけど、とにかく床を何とかしよう。マユコも手伝って」
「はーい」
狭い家ではあるが、ある程度きれいになったのは二人で片付けと掃除を始めて四、五時間程経った頃だった。
「マユコ、狭い家だから案内する程では無いんだけど、一緒に来て。ここがトイレ、こっちがお風呂、この奥まった所が納戸」
「なんど?」
「そう、まあ物置みたいな部屋ね」
「ふ~ん。ふあ~」
マユコは大きな口を開けて欠伸をした。
「ああ、疲れたね。マユコ、お腹もすいたよね。さっき買ったおにぎり食べようか」
二人は、紬がお湯を沸かして入れた温かいお茶をすすり、おにぎりを頬張った。
「このおちゃ、おいしいね」
マユコが目を丸くしながら言った。この顔つき久しぶりだなと紬は思った。かつて、繭がとても好きな味や嬉しさを感じた時の表情だったからだ。
「ここはね、湧き水だから美味しいのよ。私はまだ片付けと掃除の続きをするから、マユコはお昼寝してて」
「うん」
紬はバスタオルを小さく畳んで、横になったマユコの頭の下に枕の代わりに差し込んだ。
それから押し入れの敷き布団を二枚を引っ張り出し、陽射しがたっぷり射し込んでいる窓側の廊下に広げて日干しした。
次に冷蔵庫を開けて冷気が出て来たか確認しながら庫内を拭き、風呂場の掃除とバランス釜をチェックした。
「オッケー。お風呂も大丈夫。後は納戸か。ここは今じゃなくても良いかな」
紬は窓の向こうで好き放題伸びている雑草を眺めながら、マユコいや繭との暮らしを思う存分満喫しようと思った。そう、誰にも邪魔されずにずっと二人で過ごせる。
僅かにオレンジがかった色をしたストレートな日射しを西から感じ始めた頃、マユコが昼寝から目覚めたので
「これから買い出しに行くけど、一緒に来る?」
紬が声をかけた。
「うん。いく」
マユコは目を擦りながら立ち上がった。
二人で農道を歩いているとマユコが周りを見渡して言った。
「いろいろなおとがきこえるね」
「そうだね。今まで住んでいた所みたいな人の話し声とか車や電車が通り過ぎる騒音は無いけど、ここは風が吹くと木の枝が葉っぱを揺らしたり畑や道端の草がザワザワしたり、野鳥の鳴き声や虫の声で結構賑やかね」
「マユコ、このおとすき。ツムギはすき?」
「うん。子供の頃からずっと聞いてたから気持ちが落ち着く」
そして、おばちゃんの店に着いた。
「おばちゃん、また来たよ」
「いらっしゃい。家の方はどうだった。掃除や片付け手伝いに行くよ」
「ありがとう。でも大丈夫。ある程度片付いたから、買い出しに来た」
「そうかい、嬉しいね。最近は駅の向こう側に大きなスーパーが出来て、こっちはすっかり閑古鳥だよ」
「私はおばちゃんの所で買うよ。まず、お米と味噌と少し野菜ももらおうかな。ティッシュとトイレットペーパーと、それから蚊取り線香。マユコ、魚の味噌漬け焼いたら食べる?」
「おさかなのつけもの?」
「味噌をまぶして味を染みこませた魚を焼いて食べるの。美味しいのよ」
「ふうーん。それよりアイスたべてもいい?」
「夜ご飯ちゃんと食べられるのなら良いよ」
「たべる、たべる。アイス、アイス」
アイスクリームのケースに向かって小走りするマユコを見ながら
「あんた達の話を聞いてると、まるで親子だねえ。ところで、あの娘の病気って何なんだい。ひょっとしてココかい」
おばちゃんは人差し指で自分の頭をちょんちょんと突いた。
「まあ、そんなところ。マユコ、アイス決まった?じゃあ、おばちゃん会計お願い」
紬は、詮索好きのおばちゃんとの話を切り上げ店を後にした。
マユコは右手にトイレットペーパーと左手にアイス、紬はそれ以外の購入した物を両手に
「結構重いね。マユコ、アイス食べ終わったら、少しこっちの荷物を持ってよ」
「うん。もつよ」
今までアイスを握っていた手を伸ばして紬からティッシュペーパーを受け取った。
家に戻ると蚊取り線香に火を付け、土間に蚊遣りを置いた。網戸からは少し涼しい風が入ってきた。
「マユコ、もうすぐお風呂が沸くから、そしたら先に入っちゃって」
「はーい」
マユコが風呂から上がると丁度夕食が出来たので円卓に並べた。
「マユコ、扇風機は首振りにして。私も風に当たりたい」
紬は扇風機の前で風を独占しているマユコに言った。
「さ、ご飯食べよう」
「いただきます」
マユコは焼いた魚の切り身を口に運んだ。
「これが、さかなのつけもの?すごくおいしい」
「そう、良かった」
食事が終わって、二人で食器を片づけた。
「台所ではこのサンダル履いてね」
「おさらをあらうのに、くつをはくの?」
「不思議に思うよね。この家は、母の実家でとっても古いの。で、ここは土間って言うんだけど玄関で台所で荷物置場でもあるのね」
「むかしのおうち。こんなかたちなのね」
「そういう事。お皿を片づけ終わったら今日はもう寝ようね。明日は朝から家の周りの雑草を取るよ」
「うん。わかった」
※ ※ ※
降り立ったホームの時計は午後八時半を回っていた。何という駅なのか確認しようと思ってキョロキョロしていると
「京子さんこれから乗り換えるのが終電なので急ぐわね」
紬さんが私の手を引いて隣のホームに止まっている三両編成の古びた電車に小走りで乗り込んだ。
「結構乗り継ぎが多くて疲れちゃったでしょう。あと三駅で目的地だから」
「疲れてなんかいません。小旅行気分でちょっとわくわくしました。もう何年も家と職場の往復しかしてなかったので。それに、紬さんとマユコさんの話もとても興味深いです。続きを聞きたいわ」
「そう言ってもらうとホッととする。今日──ほんの何時間か前に出会ったばかりなのにここまでずっと付き合ってもらって感謝するわ」
「そんな。さっきも言ったと思うけど私ずっとフリータイムなので気にしないでください。それに、紬さんとこうやって一緒にいて、マユコさんとの話を聞いていると本当に私よりお姉さんなんじゃないかと思ってしまう」
私が言うと、紬さんは何とも言えない表情で小さく笑った。
「この電車を降りると、いよいよ紬さん達が住んでいた家に着くんですね」
「そう。全然来てないから、どうなっているかしら」
紬さんは遠い目をして小さくつぶやいた。