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みずうみ──紬と繭と京子  作者: モリサキ日トミ


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その3

(しづく)  四十年前──夏


七月下旬、(つむぎ)(まゆ)は外房の海に来た。二人は海の家に荷物を預け水着になると、鬱陶しい梅雨が明け弾けるような日射しを浴びながら水辺に向かって走った。

入り江になっているこの海岸はとても穏やかで波打ち際には小さな子供たちが大勢はしゃいでいた。


「繭、あの岩場の突端までいくよ」


紬は静かな波に飛び込んだ。


「繭、泳ごう」


「紬…」


紬の張り切り具合に繭は少し困った様な顔で泳ぎ始めた。

紬の泳ぎは美しくとても速かった。しなやかに水を蹴り、まるでフィンを付けているみたいだ。繭は必死について行った。


二人は半年程前に知り合った。繭のバイト先に紬が入ってきて、お互い年齢が近い事もありすぐに仲良くなった。境遇も似ていて就職浪人組でバイトをしながら就活をしていた。二人とも人見知りで人づき合いが苦手だったが似た者同士で話が合った。どちらも天涯孤独な境遇で、お互いにその事を知ってからは益々無くてはならない存在だと感じている。


それにしても紬の泳ぎは速い。全然追いつけない。少し波のうねりが大きくなってきた。繭は引き返そうかなと思った。その時、事は突然起こった。

繭は水面から姿を消した。誰かに足を引っ張られている感じがした。海水が鼻や口に入ってくる。苦い、塩っぱい、苦しい、何が起きているのか理解出来ない繭はパニックになった。体の何処かでビリビリする痛みを感じた。


「助けてっ」


激しく脈打つ頭の中で叫んだ。そして暗闇に落ちた。




「繭、まゆっ」


気が付くと、紬がこちらに向かって何か叫びながら肩を揺すっていた。どうやらごつごつした硬いところに寝かされているのだと繭は感じた。

陽射しの強さと熱い空気に晒されている感じがしたが怠くて動きたくなかった。

急に胃から何かが上がって来た。必死にうつ伏せに起き上がり一気に吐いた。

つらい。目まいがする。体に力が入らない。繭は吐きながら涙を流した。

紬は背中をさすりながら力無く謝った。


「繭ごめん。私が泳ごうなんて言ったから」


繭は無言のまま吐瀉物を避けてゆっくり横になった。吐き気は治まってきたが今度は下腹部が痛い様な熱い様な不快感に襲われた。

紬はもう一度謝った。


「繭、本当にごめん」


「少しこのまま休ませて」


繭は小さな声で言いながら目を閉じた。


どのくらい時間が経ったのだろう。太陽は少し西に傾きジリジリと二人を照りつけていた。


「繭、お水飲む?」


紬は水筒を繭に差し出した。繭はゆっくり体を起こすと水筒の水をゴクゴク飲んだ。


「美味しい。生き返った」


繭はぎこちない動きで周りを見た。やや平坦な岩場で入り江の入り口なのかも知れない。岩場の先の海は白波が立っている。

自分の腹部を触るとタオルの感触だった。バスタオルが掛かっていた。紬が手を伸ばしたので水筒を渡した。


「ありがとう。でもこれどうしたの。海の家にあるんじゃ…」


「急いで荷物取ってきた。入り江の(へり)に沿ってこの岩場まで行き来できるから。それより大丈夫?」


「うん、多分。だけど、あの時私どうなったのかな。泳いでいる途中で何かに足を引っ張られた感じがして鼻や口の中に海水がいっぱい入って息が出来なくて…ああ死んじゃうって思った」


「気分が上がって張り切って泳ぎだした私がいけないの。本当にごめんなさい」


「気にしないで。こうやって生きてる」


繭は微笑みながら腰に掛けられたバスタオルを取った。


「えっ何、これ」


ワンピースタイプの水着が腰の辺りから引き千切られて下半身が剥き出しになっていた。


「とにかく服に着替えよう。少しベタベタするけど急いで家に帰ってシャワーしよう」


「うん。そうする」


繭はゆっくり立ち上がり汐と日射しでヒリつく体に服を纏った。


「歩ける?」


「うん。大丈夫」


紬は右手でサマーバッグを二つ持ち、左手で繭の手を引いてゆっくり歩いた。

入り江を回り込むように続く岩場を少し進むと駅へ出る遊歩道に辿り着いた。


「駅近の海水浴場で良かったね」


上りの電車に揺れながら繭も紬もシートで脱力した。


「繭、私の肩にもたれて少し眠って。降りる少し前に起こすから」


「うん」


繭は目を閉じるとすぐに小さな寝息をたてた。




    ※ ※ ※


「紬さん、今の話っていつ頃の事なの」


私が尋ねると


「そうね、四十年ぐらい前かな」


彼女は遠い目をしてグラスを揺らしウイスキーに浮かんだ氷をカラカラ鳴らした。

私は美味しいコーヒーを当に飲み干し、彼女の話をつまみに二人で水割りを飲んでいた。


「その頃なら私も夏に一度だけ房総の海に行ったな。駅近の浜があって電車一本で行けるのって便利でした」


私は遠い夏の記憶を頭の中で巡らせた。


「その頃、紬さんはいくつ?」


「そうね、繭が二十一だったから私もそのくらいね」


私はなんとなくその曖昧な言い方が気になった。東京タワーが出来る前に生まれたのなら四十年前の紬さんはもっと年を取っている訳でつじつまが合わない。そもそも、今現在どう見ても二十歳そこそこの彼女の話はやはり作り話なのだろう。まあ、私も気持ち良く酔っぱっらってきたからこのフィクションの話に付き合う事にした。

彼女はアルコールのせいか機嫌良く水割りのおかわりを作りながら繭さんとの出来事を続けた。

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