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みずうみ──紬と繭と京子  作者: モリサキ日トミ


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14/16

その14

十四(しづく)   現在①


「京子さん、京子さん」


誰かが私を呼んでいる。

そういえば両腕が痺れている。

テーブルか何かにうつ伏せになって寝てしまったのかしら。

顔を上げるとカウンター越しの正面に紬さんの綺麗な顔があった。すっきりとした目元の彼女とは対照的に、私の顔面はひどく浮腫んでいる。鏡など見なくても瞼がぱんぱんに腫れているのが分かる。


「私、どうしてしまったのかしら。紬さんの実家の方にいたのではなかったかな。紬さん冷たい水の中に入っていたんじゃ…大丈夫ですか?」


「ええっ、京子さんこそ大丈夫?ちょっと飲みすぎちゃったかな。私たちずっとここで飲んでいたじゃない」


「いや、二人で出掛けましたよね。紬さんと繭さんとマユコさんの話、あの湖までの道すがらマユコさんのサカリが始まったところまで話してくれましたよね。でもマユコさんはその後…受精懐妊して体がぼろぼろになって湖の深い所にいる大きな二枚貝の中に閉じ込められた事がなぜか私の頭の中に残っているんです。この部分、紬さんから直接聞いてないのに…」


「そのマユコさんって人の話、興味深いわね。ところでお水飲む?」


「いただきます」


手渡された水のグラスを持ちながら店内を見渡した。

暖かみのあるライトに照らされたL字型カウンターだけの小さな店内。私は相変わらずL字の角から二番目の席に座っていた。

水を一気に飲み干して、ふうーっと息を吐いた。そしてもう一度周りを見渡した。


「ちょっとトイレ借ります」


私は立ち上がった。

トイレから戻ると、


「やっぱり私たち出掛けましたよね、紬さん」


ホワイトボードのとなりに飾られた額のそばに行き、そこに納まっていた絵柄とその素材が変わっているのを見ながら言った。

紬さんはため息混じりに答えた。


「…ええ、そうよ。やっぱりその場凌ぎの小細工はダメよね」


「それにね紬さん、私の靴に枯れ草がへばり付いているし、これって湖へ向かう道に散らばっていた草を踏んで歩いたからですよね。でも、どうやって私はここに、このお店に帰ってきたんですか…」


「レンタカーを近くに用意しておいたの」


「枯れ草の上に座り込んで眠っていた私を動かすのは細身の紬さんでは無理なんじゃないですか」


「私こう見えてかなり力持ちなの」


「あの場所が何処なのか私には分からないけど、かなり電車を乗り継いで行きましたよね。車で戻るにも時間がかかったんじゃないですか。今は、ええと夜の十時過ぎ。ここを午後七時頃出てこの時間に戻れたのはなぜ?湖に辿り着くまで二時間、紬さんが水に入ってからも三十分以上経ってたはず…」


「わざと電車を乗り継ぎして遠くまで出掛けた様に見せたの。私の故郷ってね、実はここからそう遠くない所なの」


腑に落ちない顔をしていた私を見て紬さんは言った。


「とにかく座って、京子さん。今コーヒーを入れてるから」


いい香りが漂ってきた。私はスツールに戻って出されたコーヒーを一口飲んだ。

香り高く甘くて苦味酸味の少ない深いのにマイルドな味。


「ああ、美味しい」


少しほっとしたが、心の中ではモヤモヤが膨らんでいく。


「あの…なぜ私なのですか?紬さん、繭さん、マユコさんの事をなぜ私に話したんですか?それなりの理由があったんですよね」


私は紬さんの顔をじっと見た。すると彼女は私の顔を見つめ返して言った。


「京子さん、あなたが高校生ぐらいの時、あの外房の海に行ってたでしょう」


「紬さんと繭さんが泳いだっていうあの入り江の海水浴場ですか?」


「ええ」


「そうですね十七歳ぐらいだったかな、梅雨明け直ぐに家族と泊まりがけで行ったと思います」


「その時あなたは私と会ってるの」


「私と紬さんがですか?」


「ええ。よく思い出してみて。入り江の入り口、外海との境目辺りの岩場で私とあなたは会っているわ」


私は重い頭の中を一生懸命巡らせた。

ああ、あれは自分の記憶の中で唯一の家族旅行だったと思う。

嬉しくて、海に行ったのも初めてで、泳げない私は波打ち際で膝下まで浸かったり、入り江の突端までの遊歩道から岩場へ行ったのだったかな。

その時の事…、強い日射し、波の音、潮の匂い、ええと──岩場で──鮮やかな色をしたバッグが二つ置かれていて、華奢で綺麗な顔立ちをした水着の若い女の人がバスタオルを掛けて横になっていた。

その傍に吐いた跡が見えたので声をかけようとしたけど、そこから更に先の方に、もう一人髪の長い人が座っていたような…。四十年も前の事だから曖昧だ。潮風にストレートな髪がなびいて、私はその人が気になって近付いて行った。五メートル三メートルとかなり大胆に近付いた。

潮騒で私の気配に気付かなかったのか、その人は白波が打ち寄せる海面をじっと見つめている様子だった。二人の女の人に何か事件性があったらどうしようと思って、私はその人のすぐ後ろに立って何をしているのか覗き込んだ。

岩場近くの波間に奇妙な姿が見えた。魚なのか蛸なのかウミウシなのか、形容し難い何かが寄せる波をかぶりながら同じ位置に浮いていた。いや、浮いていると言うよりは(とど)まっていると言った感じだった。

「何だか気味が悪い」そう思った刹那、長い髪のその人が振り返り私を見た。どきっとするほど綺麗な人だった。

ああ、思い出した。紬さんだったんだ、あの時会っていたんだ。


「思い出した?」


「ええ、確かにあの時会いました。その人は今目の前にいる紬さんだったんですね。あれから四十年経っているのに、当時高校生だった私は今こんなおばちゃんなのに、なぜ紬さんはあの時のままなの?」


「それは私が人魚だから。マユコと違って私が生きているのは受精卵を産まなかったから。そうやって生き残った人魚は、どうやら不老不死になるみたいなの」


「つまり、紬さんは…」


「そう、サカリが来るまでの過程はマユコ、と言うか繭に起きた事と同じだった。その後の違いは、私はマユコを守れなかったけど、母は命がけで私を守ってくれた」


「お母さんが紬さんを命がけで…」


「そう、家に上がり込んだ男に母は自身を盾にして私が隠れていた納戸の戸を開けさせなかった。

結果、母は男に殺された。男は怖くなって逃げたのだと思う。行方は分からないまま。そしてサカリの期間が終わると私は横になっていた布団に大量の無精卵を産み落としたの。

その時から私の見た目は今に至るまで変わらなくなったわ。南京錠がかけられた納戸の戸を蹴破ると母はそこの傍で首を絞められて息絶えていた。私は泣きながら母をあの湖の主である二枚貝に預けたの。それから月日が流れてマユコの有精卵も預けたわ」


「そうだったんだ」


私は、紬さんの話を信じることにした。

でも、まだ疑問は残る。確かに四十年前に私たちは出会っていたけれど、今夜、私があの湖に一緒に行った意味はあったのだろうか。


「入り江の入り口の岩場で出会っていたのは思い出したよね」


「ええ。その近くで横になっていたのは繭さんだったんですね」


「そうよ。そして、その時あなたは、海にいたモノを見たでしょう」


「ええ、何かは分からなかったけど」


「あれがオスの人魚よ」


「……」


私は声が出なかった。得体の知れないあの生き物が人魚?


「私はあの人魚と取り引きしたの。私は子供を生んで育てられないから、メスの人魚を育てたい。無事その人魚が卵を産んだら海に届けるからってね。そして繭に人魚の種を仕込んでもらった。あの時の繭はそのせいであそこで倒れていたの。でも、もちろん繭に有精卵なんか産ませるつもりはなかった。無精卵を産み落とさせて私といつまでも一緒に過ごしていくつもりだった」


「繭さんのことが好きだったんですね」


「ええ、ずっと一緒にいたかった」


「紬さん、こんな事聞いて良いのか分からないけど、繭さんも紬さんとずっと…永遠に一緒にいたかったんですかね?」


私の問いに紬さんはしばらく考え込んで口を開いた。


「どうだったのかな。私のエゴだったのは確かね。だからこそ彼女の本心を知りたかった」


「そうだったんですね。あの…話を戻したいんですけど、あの岩場で私たちが出会って、それで…」


「あのね、あの時あなたに(まじな)いをかけさせてもらったの」


「えっ、どう言うことですか」


紬さんは私の隣に座ると、こちらを向いて


「京子さん、両手をいいかしら」


私の手をぎゅっと握った。

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