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みずうみ──紬と繭と京子  作者: モリサキ日トミ


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13/16

その13

十三(しづく)   三十九年前──春③


ここに書かれている紬って…。

でもこのノートの表紙には1968年と記されている。その年だと私は八歳でこの日記の紬は十八歳。本当は私より十も年上だったのだろうか。ずっと同い年だと思っていた。彼女も私と同じようにお腹にたくさんの卵を抱えていたのだろうか。

マユコは、繭は自分の表面がごつごつぷつぷつと膨らんだ下腹を擦った。


「今、何時なんだろう」


この部屋は窓が無いし、時計も無い。トイレにも行きたくなった。

納戸を出ると雨戸が閉まっているため真っ暗だった。手探りで廊下の灯りをつけた。トイレを済ませて、居間に行く。やはり暗いので手探りでで電灯のスイッチ紐を引っ張った。

柱時計は午後四時を回ったところだった。時間が分かったので灯りを消そうとした時、ガタガタと雨戸が揺れた。


「何?」


そして今度は台所の入り口の戸が、すごい勢いでガタガタと鳴りダンダンダンと叩く音がした。


「開けろ!」


野太い声がした。


「誰?紬じゃ無いわ」


マユコの中の繭が呟いた。

危険だ。急いで居間の灯りを消そうとスイッチ紐に手を伸ばした。が、その手を下ろした。


『マユコ、電気を消して納戸に戻ろう』


マユコの頭の中で繭が囁く。

マユコはそれを無視して台所へ向かおうとした。


『だめ!紬が戻るまで納戸でじっとして…』


マユコの目はギラギラと光り口の端からよだれが流れ、繭はずっと奥の方に押し込められた。そして、台所の土間に降りると、ガンガン鳴っている扉の鍵を開けた。



納品帰りの電車で足止めをされていた紬が家の前まで戻れたのは夕方六時を過ぎていた。

辺りは真っ暗だ。

垣根から敷地に入った途端、紬は血の気が引いた。

家の入り口が開いて光りが漏れている。走って家に入ると、むっとする臭いが襲ってきた。

そして居間に──カラカラに干からびた様な状態の裸の男が白目を向いて仰向けで倒れていた。その近くに全裸のマユコが下腹をぱんぱんに膨らませ横たわっている。


「マユコ!」


「紬、マユコを止められなかった」


「えっ、繭なの?」


紬は駆け寄った。


「マユコはあの男を家に入れてしまって、何度も何度も…精子を全てお腹に取り込んでしまった。もう、マユコも私も…」


「繭、マユコを見守ってくれていたのね。ありがとう。もう喋らないで。体に負担がかかるわ」


マユコのお腹は更に膨らみ、きめ細かく綺麗だった素肌がべろっと剥け始めている。

紬は毛布でマユコをどうにか包み、ずるずると引き摺って、


「手荒に扱ってごめんね。でも急いであそこへ連れて行かないと」


台所の隅に畳んであった灯油のポリタンクの運搬に使っていた手押し車に乗せて紐で括り付けた。

暗い道を必死に進んだ。

湖の岸辺に着くと、紬は靴を脱ぎ裸足になり毛布を取ってマユコを肩を組む様にして水辺へ引き摺った。組んだマユコの肩も腕も皮膚がぐずぐずに崩れ骨が見えていた。

そして水に入る時、紬はマユコの膣に手を入れてお腹の卵が水の中にこぼれ落ちないようにしながら湖の深い所へ潜った。


湖の主──母なる大きな二枚貝の前に辿り着くと、それは大きく開いて二人を迎え入れた。


「お母さん、マユコを繭を守れなかった」


紬はマユコの体を貝の奥へ押し込みながら膣を塞いでいた手を抜いた。卵が飛び出て水中を舞おうとする。紬はそこから急いで離れ、大きな貝は卵がそこから出ないように素早く閉じた。


毛布と紐を台車に乗せて、ずぶ濡れの紬は家に戻った。

居間ではまだ、その男が全裸でだらしなく仰向けに伸びていた。紬のいないところでマユコに近付いていたコバト便の山口という男だった。白目を向いたまま口元は緩みかさついた皮膚に垂れたよだれがてらてらと光っている。

紬は生まれて初めて殺意を覚えた。奥歯を噛みしめて男の投げ出された太股辺りを思い切り蹴った。男は相変わらずニヤけてている。紬は何度も何度も蹴り続けた。男のかさついた太股の外側が赤黒くなり、痛みを感じてきたのか、そこに手を当てて、


「うっ、うう」


のろのろと上半身を起こした。


「あんた、自分が何をしたか分かってるの!私の繭に!私のマユコに!」


男は紬を見上げてニヤリとした。そして立ち上がる為に腰を持ち上げようとしたが、動かなかった。


「へへ、あの娘に全部吸い取られて力が入らない」


紬は、脱ぎ散らかした男の服を雑に拾うと台所の戸の外へ投げ捨てた。そして包丁を握った。

のろのろと台所へ這ってきた男に刃先を向けて


「出て行け、早く出てけ!」


声を押し殺しながら言った。

男は相変わらず腰が立たないらしく、そこから土間へ転がり降りた。手と膝でゆっくり進みながら外へ出て行った。

紬は戸を閉め鍵を掛けると居間の床を隈無く拭いた。拭いたところに涙が落ちてそこをまた拭くの繰り返しで時間がかかった。



   ※ ※ ※


寒い。底冷えする。地面の冷気で足先の感覚が無くなってきた。

紬さん、大丈夫だろうか。目の前の水面は微動だにしない。足踏みしたり屈伸したり血行を良くしようと動きながら彼女が戻るのを待った。すっかり酔いも覚めて、何時間か前に紬さんの店で美味しいウイスキーを飲んだのが遠い昔の事のように思えた。

体を動かすのもくたびれて枯れ草の上に腰を下ろした。なんか眠い。紬さんが羽織らせてくれたコートのボタンを留めて体育座りで目を閉じた。

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