表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
みずうみ──紬と繭と京子  作者: モリサキ日トミ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/16

その12

十二(しづく)   三十九年前──春②



「ありがとうございました。またよろしくお願いします」


無事にマスコットの納品を済ませて、紬はマユコの待つ自宅へ急いだ。

商品を届けた店があるこの街から家の最寄り駅までは、二回電車を乗り換えてスムーズにいけば一時間半程で着くのだが、乗り継ぎが上手くいかないと二時間位かかってしまう。

それでも今日は、家を出たのが早かったのでまだ十一時前だ。マユコの好きなシュークリームを買って電車に乗った。

一度目の乗り換えはスムーズだったが、二度目のの乗り換え、つまり自宅の最寄り駅に向かう線でアクシデントが起きた。車両故障で電車が止まっている、復旧の目処が立っていないとアナウンスがあった。


「えっ、うそっ、困った」


紬は小さくつぶやいてベンチに腰を下ろした。しかし一時間二時間と時が過ぎていく。

気持ちは焦るが自宅までの交通手段はこれしか無い。結局この電車を待つしかないのだ。マユコは大丈夫だろうか。不安が膨らんでいく。


紬が出掛けた後、久しぶりに体が調子良かったマユコは、茶箪笥を開けてお菓子を取り出した。かなり古そうな箪笥だったが木目が美しく角が丸く作られており、ガラス戸の中側に籐か竹の皮を編んだ物で装飾された引き戸の物入れがとても凝った造りだった。

三段の小さな引き出しの一番下を開けてみると古い貯金通帳やマユコが見たことの無い古銭と用途不明の鉤型の小さな金具が入った箱があった。

その引き出しを閉めるとその上、真ん中の引き出しがふわっと開いた。「面白い!」と思ったマユコは何回か引き出しの開け閉めを楽しんだ。

ひょっとしたら隠し扉的な物があるかも知れないと、箪笥のあちらこちらを触ってみた。

「ん?」下側の引き戸の奥に手を伸ばして探っていると底に一カ所、直径五ミリ程の穴が開いている事に気付いた。

マユコはあっと閃いて古銭の箱の中にあった鉤型金具を穴に差し込んで引っ張った。底板が持ち上がり、その下に一冊の古いノートが見えた。それを取り出して底板を戻すと引き戸を閉めた。取り出したノートは黄ばんでいて、この部屋以外で嗅げば多分かび臭いのだろう。


薄い灰色の表紙には鉛筆で『私の愛おしい子  1968年』と記されていた。

二枚めくるとページ上部の左端に日付──九月十日・快晴と、やはり鉛筆で書かれていた。角張った力強く読み易い文字だ。



九月十日 快晴

あの子は風呂場に行くと言った。私もついて行った。湯船に浸かり身体を温め一度立ち上がった。そして中腰になり両手で湯船の縁を掴むと、ううっといきんだ。顔が充血して真っ赤になっていた。

そんな事がどの位続いただろうか。突然あの子が脱力したみたいにしゃがみ込んだ。やがて立ち上がるとその両手には透明な塊が乗っていた。

硬めに練った葛みたいだった。私はそのまま様子を見守る事にした。あの子は立ったままその塊を大事そうに胸元でそっと抱いた。

ぽこっと出っ張ていた下腹はペタンコになっており、足の付け根辺りから血が流れていた。本当に出産したんだね。

抱かれた塊は勝手に少しずつ上へと動いて、脳天まで行くと薄く広がって身体を覆い尽くした。その途端あの子は気を失った。

私は駆け寄り頭をぶつけない様に腋に左手を入れ、右手を後頭部に当ててあの子を抱きとめた。風呂場から部屋まで運ぶのには難儀した。可哀想だが腋に手を差し込んでずるずる引き摺った。体が冷えない様に手ぬぐいで水気を拭き取り布団を掛けた。

目を覚まさないまま長い時間が過ぎていく。



九月十一日 晴

明け方、あの子が目を覚ました。ほっとした。だが、私が誰なのか分からない様子だった。

昨夜、意識を失った時に頭を打っていたのだろうか。私がしっかり受け止められ無かったのかも知れない。

そして、あの子のお腹が鳴ったので何を食べたいか問うてみたが返事をしてくれなかった。取りあえず急いでおにぎりを用意した。私が頬張ると、あの子は真似をするみたいに食べてくれた。

小さな子供に説明する様に一つ一つ物事を教えるとすぐに理解し覚えていった。

十八年前、この子が少しずつ言葉を覚えた頃を思い出した。それと同時に遠い遠い昔、私の母が話してくれた物語を思い出した。


『人魚の伝説を話してあげようかね。いいかい、他の誰にも言ってはいけないよ』と母は言った。『迷信や作り話と思われているけれど本当にいるんだよ、人魚が。そのほとんどが海にいてね、全てと言って良いくらいオスなんだよ。何故メスがいないかって?メスは卵を身籠もり、それを産み落とすとその後死んでしまうのよ』


私は、鮭などが川を遡上して産卵するとオスもメスもどちらも息絶えるのに、人魚はどうしてメスだけが死んでしまうのかと聞いた。


母は私の頭を撫でながら『ちょっとややこしいのだけど、人魚のオスは人間の若い処女を妊娠させるらしい。やがてその(ひと)は何か得体の知れない物を産んでね、それがその(ひと)の全身を覆って体の中に入り込むの。そうするとね見た目は今までと変わらない姿なんだけど、それがメスの人魚なんだよ』囁くように言い、更に続けた。『その人魚にサカリが来ると人間の若い男と関係を持ってその精子を全て自分の中のたくさんの卵子に受精させてね、それを近くの海や川に産み落とすんだって。そしてメスの人魚はぼろぼろになって死んでしまうのさ。ただ、受精する事無くサカリの時期を越えたら、無精卵を排出してその人魚は不老不死になるんだと』


この話の人魚は、まさに今のあの子の事ではないか。



十二月一日 雨

平穏な日々が続いた。あの子の様子も落ち着いて、このまま何事も無く新年を迎えられればと願う。ただ、このところ家の傍で人の往来が多くなっている気がする。こんな田舎にしては若者たちの姿が目立つ。それと、あの子の体から匂いがする。日に日に強くなっている気がする。微かに甘く、そして生臭い。外に漏れないようにしなければ。



十二月七日 晴

今日から奥の納戸にあの子を閉じ込める事にした。

ごめんね。でも、あの子の匂いは強烈で外に漏れ始めている。家の外に何者なのか分からない男がうろついている。納戸は窓が無く扉もしっかりしているので少し安心だ。念のため扉に南京錠を取り付けた。家の入り口も常に鍵をかけ、昼間も雨戸を閉めておこう。

あの子が無精卵を産み落とすまでの辛抱だ。



一月三十一日 晴

今日で一月も終わりだ。それにしてもあの子の匂いは凄く、朝晩蒸した手ぬぐいで全身をくまなく拭いてあげるが生臭さは取れない。風呂場は窓があるので使えない。今日から昼も清拭をしよう。



二月十日 晴

入り口の戸を少し開けて外の様子を見た。やはり男がうろついている。そろそろ食料を買ってこないと…米も醤油も残り少ない。



二月二十三日 雨

誰かが庭を歩き回っているようだ。どうしたら…どうしよう。

辺りが暗くなると雨戸や入り口の戸がガタガタ揺れた。絶対あの男だ。便所と風呂場は板を打ち付けてあるが簡単に剥がされてしまうかも知れない。とにかくあの子を守らなければ。私の命に代えても守る、絶対に。誰かが侵入したその時は納戸の鍵を私が飲み込むわ。私のかわいい愛おしい紬。



そこで日記は終わっている。


「紬って…」


古いノートを閉じてマユコは、そして繭は混乱した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ