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5.探し物と忘れ物

5.探し物と忘れ物

彼女が姿を見せなくなってから早一ヶ月が経とうとしていた。周りの友人や先生は毎日心配していたし、最近では『死亡説』なんてものまで出てきた。どれも馬鹿馬鹿しい物好きの妄想でしかない。そういうのを考える人は、きっと心に余裕がありすぎる人なんだろう。周りばかり見回して、大事なところに気付いてない。うわべで物を測ったり解釈したりする人は、芯を追求することはない。具体的に言うと、そこまでしなくても良いのだ。彼らにとってそれは、どこまでいっても自分には関係のない話の延長線でしかない。『自我がない』なんて言葉がパズルのピースのようにしっくりくる表現だ。

 咲良の居場所なんてのは、僕でさえ分からない。もうとっくに死んでしまっているのかもしれない。ほんとは今すぐ会いたいのに、どこからか現れた僕の心がそれをさせてくれない。良心か悪意か、あるいはどっちもなのか。実際、彼女がいなくなり、なにか生活に支障をきたすことはなかったし、一人になっても僕は過ごし方を心得ていた。どこかで見たことのある景色のようだ。ただ、そんな生活を続けるのも二ヶ月と持たなかった。

 たまに寂しさで気が狂いそうになることがあった。彼女がいないことと冬の寂しさが化学反応を起こし、爆発を連鎖させていた。ただ布団にうずくまり、名前をひたすら呼んだ時もあった。自分でも壊れたのかと思ったが、本当は彼女と出会った時からすでに壊れていた。頭の中では彼女がいないことにエラー反応が表示され、彼女でしか補えない養分を必要としていた。このままでは、僕の方が先にくたばってしまいそうだ。

 そんな日々に耐えられなくなったある日、僕はある決意をした。彼女を探す旅だ。それは自己満でしかなかったが、今の生活よりは充実したものになるのは間違いなかった。学校には、流行病だと説明し、荷物をまとめた。

 だいぶ大掛かりな荷造りをしていたので、母に見られた時は少し焦った。何を言って良いかわからず、ただ、いってきます。とそれだけ言った。

 いってらっしゃい、思ってもなさそうな言葉が耳を突き刺した。痛みを感じてる余裕は今の僕にはなかったのだが。

 まずは彼女の家へ向かった。両親が出てきたらどうしようなどの余計なことは考えなかった。今だけは自分が勇敢な戦士に思えた。家のピンポンを押すと、彼女の父親と思われる人が出てきた。きっと彼女もよそ者扱いされていたのだろう。「咲良さんは、」と聞いたところで彼の表情が曇った。寒そうに腕を組む彼は、不機嫌ながらも僕を自宅に招き入れてくれた。きっと伝えることがあるのだろう。どんなことでも受け入れる覚悟はできていた。

 彼は居間のソファに僕を座らせると、台所へ行き、何やらお茶らしきものを淹れ始めた。ぼくは舐め回すように見回した。やはり彼女は僕と同じ類の人間なのだろう。彼女の写真らしきものは飾られていなかったし、人生の形跡のようなものはなかった。遺品整理を今のうちに済ませてしまったのかもしれない。

 数分して、彼は一杯の茶と、三つ折りにされた紙を机の上でこちらに滑らせた。開けろ、と言わんばかりの形相でこちらを見つめた。僕もお言葉に甘えて、と言わんばかりの表情を返し、三つ折りにされた紙を開いた。


『家を開けます。ある男の子が来ても、何も伝えず突き返してください。』


 それは明らかに咲良の筆跡だった。彼女と宿題を写しあった仲だ、はねの自然すぎるほどのかくつき、止めの色が濃くなる癖、たった二ヶ月前のことでは当たり前のように思えたことが、今では懐かしく思えた。

 ぼくは、お借りします。と言って三つ折りを戻しながら言った。彼は小さく頷いた。宝物のような思い出と伝えたい言葉が詰まっているリュックサックにしっかりとそれをしまった。

 鞄のチャックが部屋中に響いたあと、彼は落ち着いた様子で訊いてきた。

「彼女は、普段の様子を教えていただけませんか。」

 その言葉は、愛情に満ち溢れていた。きっといつもなら素直になれず、伝えられない愛情だ。やはり親は偉大だ、そう思った。さっきの''行ってらっしゃい''の意味も見誤ってしまったかもしれない。

 僕は彼女の話をした。包み隠さず。誇れるような優しさから、僕だけしか知らない恥ずかしいところまで全て。

 時折、彼は照れ笑いを隠しきれていず、口を結んでいた。久しぶりに、僕は人の暖かさに触れた。

 小一時間、僕はありとあらゆる記憶について話した。自分でも驚くほど、色々なことを喋った。咲良が自分にとっていかに大切な存在であったかを学んだ。やはり人間は醜い生き物だ。幸せを無くした後に再確認する。そして僕はこれを最低でも一度は経験するのだろうから。

 お茶はとっくに冷めてしまっていた。僕はそれを飲み干し、一つお礼を言って家を出た。咲良をお願いします、それが彼が放った最後の言葉だった。彼女は言わなかったが、彼女の父親はいい父親だった。きっと大切な何かを失くしているのだろう。あれはそういう強さだった。その何かは考えなくてもすぐにわかった。それが彼らの間に築かれた高い壁だということも容易に想像できた。

 夜行バスに乗り、僕は目的地に向かった。いくつか候補があったが、やはり一番目は決まっていた。あの旅行で行った素晴らしい街、今回の本命だった。二年足らずでそこにまた行くなんてあの時は考えもしなかっただろう。


 夢を見た。咲良が崖につかまっている。僕は彼女の手を掴み引き上げようとするが、なぜか彼女はますます重くなっていく。このままだと僕も、と思った次の瞬間、彼女が僕の手を離し、悲しい笑顔で飛び降りていく。頭が岩に当たり、鈍い音を発する。


 その音で僕は目が覚めた。久しぶりに悪夢を見たようだ。そこから目的地までは一睡もしなかった。ただただ外の流れる景色を見ていた。もちろんイヤホンを付けて。

 そこからは長くなかった。目的地についた僕は、あまりに変わっていない光景に、懐かしさを覚えた。ひとつひとつあの時の足跡を辿るように。あちこちに僕らの影を感じた。

 同じ経路でホテルに向かう。思い切ってここまで来てみたのはいいものの、することは特になかった。彼女を見つけるという名目でここまで来たが、これでは思い出を反芻するだけで終わってしまう。だが、どうしていいかは僕にも分からなかった。先日、二年前に泊まった部屋が奇跡的に空いていたので、そこをとった。意味があるのかと聞かれたら、答えられないのだが。部屋に荷物を置いて、これからの計画をしっかり立てようと思った。彼女が行きそうなところ、行きたいと言っていたところ、頭の中でもう一人の自分との質疑応答を繰り返した。冬の正体は彼だったのかもしれない。気づくとすっかり外は照明を落としているようだった。僕はこの時を待っていたと言わんばかりに急いで外へ出た。ここの夜の姿が好きだった。今は旅行シーズンでもないので人はいなかった。あの時はあった寒さも今では抑えられていた。冬は、そのうち正体を消してしまうだろう。彼がいなくなったらまた一年が始まる。冬はある意味では嫌いで、ある意味では好きな季節だった。

 何をすることもなく、道を歩いていると、ある店が目に止まった。(なんの店かは言わなくても分かるだろうが)

 その店に入り、一人で射的コーナーへ向かう。奥から出てきた店員に一回と伝えると、コルク玉が入った皿を渡された。彼は眠いのだろうか、また奥へ入っていってしまった。何を狙うわけでもなく、先端にコルク玉を詰める。同じシリーズだろうか、虎のよく似ているキーホルダーが置いてあるのを見つけた。僕はそれに狙いを合わせる。これ以上近づけないというところまで近づき、コルク玉を発射する。見事、眉間に命中したが、なかなかに重いらしい。右足が少し下がるだけで、それ以外は動かなかった。五発で落とす算段がどうしても立てられなかった。だが、物は試しようだ。

 もう一発打等とした瞬間、スニーカーが入店してくる音がした。その音はたった今、身を乗り出している僕に近づき、すぐ真後ろで止まった。こんな時間に射的をするひとが僕以外にもいたのか、と思ったが、その人影は僕の皿からコルク玉を取り、銃に詰めた。

 鼓動が早くなり、反射的に、咲良。と声を荒げて横を向いた。次の瞬間、後悔より恥ずかしさが勝ってしまった。


 そこにいたのは、間宮透子だった。彼女は絶叫する僕を見るなり、真顔で呟いた。

「運命の人でなくて、すみませんね。」



 彼女と僕はあの時と同じように二人並んで街を見て歩いた。あの時と見比べたら、咲良の方が彼女より幾らか身長は低いだろうか。彼女は咲良と違って寡黙な人間なのだが、気を遣ってか、今日はよく話しかけてくれた。本当はお喋りが大好きで仕方ないのかもしれない。

「目的は分かります。ですが、夜遅くに一人で射的は、少し気味悪がられますよ。」

「彼女との思い出なんです。そう言うそちらもなぜここに」

「過去旅行の最後に近場でいいところはないかと思いまして、観光がてら思い出作りに来ました。」

「いい思い出になったかな。」

 僕は反射的に先ほどの虎のぬいぐるみを見た。出会ったばかりの彼女なら、そんなくだらない物取って何になるんですかと言って、もっと大きな商品をスムーズに取ってみせたことだろう。だが、いまの彼女は快くそれを受けて入れてくれた。コツを解説しながら標準を合わせ、それを一撃で射抜く。やはり彼女は狂気殺人犯なのかもしれない。彼女は隣にあった同じシリーズのコアラのキーホルダーも一発で仕留めてみせた。これもあげますと言われたが、記念にと言って彼女はそれを嫌々受け取った。別にもともとお願いはしていないのだが。

「さっき、咲良さんの名前を呼びましたよね。彼女と喧嘩でもしたのですか。」

 ため息混じりに彼女は言った。

「彼女は消えたんだ、僕の目の前から。ある日突然。なんの前振りもなく。」

 思い当たる節があったのだが、それまでも言う勇気は僕にはなかった。そんなの、僕が悪いと言われるに決まってる。彼女は、不似合いはフレームの眼鏡をしているが、それでも女性だということを理解しなければならない。

「だから、こんな夜に、一人で街を徘徊し、ついでに射的なんかもしていたと。」

「どこまでもダサい人間だな。僕は。」

 それを聞いた彼女は少し立ち止まって話を続けた。

「それを自分で口にしてしまってはもう戻れなくなってしまいます。千秋さんは自分で『自分はダサい』と言うことによって自分を外界から守ろうとしているのです。人々はそれを『自虐』と言いますが、ただの保身でしかないのです。そんな人間になりたくないのならすぐ解決法を探します。自虐はそうするのが面倒臭い、どうせできないと言って一生殻に籠っている人がやることです。他人はそういうところを無意識的に感じ、ダサいと言うのだと思いますよ。」

「確かにそうかもしれない。」

 いつのまにか、僕は彼女に敬語を使わなくなっていた。

「だから」

 そう言った次の瞬間、彼女はこちらを向いた。キスでもするのかと内心興奮していた僕は、次の瞬間、打ち砕かれた。頬に強い衝撃を感じ、その数秒後には疼痛(とうつう)が僕の身体中を駆け巡った。

 女性に頬を殴られるのは初めてのことだった。その一発にはきっと、彼女の様々な気持ちが込められていたのだろう。

「だから私みたいに、弱い人間のまま、その時を待っているみたいなことはしないで下さい。咲良さんはきっと今もあなたを待っているはずです。」

 その一言とまだ疼く痛みは僕の目から涙を流させるのには十分すぎる材料だったのかもしれない。

「咲良に、会いたい。」

 自分でも情けないと思うほど僕は泣いた。心の奥底でずっと思ってい続けていたことだ。だが、僕はその気持ちに自ら蓋をして鍵をかけてしまっていた。箱の中身はとても大切なものが入っているつもりだったのに、僕はそれに気づこうとすらしなかった。いや、ほんとはとっくの前に気づいていたのかもしれない。これが『素直になれない』というやつだろうか。自分は酷い人間だ。咲良といることで錯覚に陥っていたただの馬鹿。下劣でずる賢い人間だ。

 しかし僕は、それを受け入れなければならない。

 受け入れて進まなければ、蓋の鍵を探すことはできない。そんな単純なことを目の前の透子から学んだ。


 殴打一つで僕の目からは大量の、そして大粒の涙が流れていた。それを貶すわけでもなく、救うでもなく、彼女は僕をただじっと見つめていた。今はそうしてくれることが何よりありがたかった。僕が顔を上げれるまで何分かかったのだろう。まだ目の前は涙でよく見えなかったが、彼女が懐かしそうに僕を見つめているのだけは確認することができた。

 僕はポケットに入っていた三つ折りの紙を一枚取り出して、彼女に渡した。紙を読んだ彼女はそれを僕に返して言った。

「確かに、この紙からは彼女の居場所を特定するものは何も書かれていませんね。」

「僕は、彼女が好きだったところに来たはずなのに。」

「僕は彼女を見つけることはできないのか。」

 赤子のように泣き叫ぶ僕に、彼女は手で頭を頭に差し出してさすってきた。

「まだ分からないのですか。あなたは本当に大バカです」

 彼女は咲良がするように悲しく微笑んだ。


 僕は何を見逃しているのだろう。手紙を開いて文字を見る。それはすぐに分かった。なんでこんなことにも気づかなかったのだろうと不思議になるほど簡単な問題だった。


『家を開けます。ある男の子が来ても、何も伝えず突き返してください。』

 最後の文字が彼女の涙で滲んでいた。


 それに気づくと僕はまた、大声で泣いた。

 自分は何も見えていなかったのだ。彼女についてのこと全てだ。自殺の原因を探すあまり、いつのまにか本質を理解することさえしなくなっていた。僕は、結局噂話をしていた彼らと同じだった。上辺だけでものを見て、理解した気になっていたひ弱な人間なのだ。思えば思うほど、後悔と愛しさが渦を巻き、涙として頬を伝った。


 そんな様子を見ていた透子は僕に耳打ちした。


「あなたなら彼女を見つけることができるはずです。」


 それは慰めの言葉でもあり、別れの言葉でもあった。感謝の言葉でもあったし、僕という存在を認めてくれる言葉でもあった。


 ひとしきり泣いたあと、僕は空を見上げた。そこには規則的なほどに不規則な星が空を彩っていた。空を見上げることなんていつぶりだろう。僕から見るそれは少なくとも美しく、儚かった。透子はもうそこにはいなかったが、心の中で彼女に感謝した。ある意味で自分を一番成長させてくれた人だ。またいつか会いたい。


 咲良に会いに行こう。目的を再確認した僕はホテルに戻った。翌日、清々しいほど気持ちのいい目覚めだった。それは顔にも表れていた。鏡に映る自分は、昨日までのそれとは別のものだった。

 特に理由もなく、布団を綺麗に畳み、ホテルを後にした。バス停までの道で、なんかも往復したあの道を見かけた。僕にとってこの場所はとても大切な場所になるだろう。しばらく見ていると、四人の影を見た気がした。僕はそれらすべてに別れを告げた。


 再び夜行バスに乗ると、通路を挟んで向かい側の席に母子と思われる二人組が座っていた。

客は僕とその二人しかいなかった。

 寝るために目を瞑った僕を見た母は、息子を眠りにつかせるためか読み聞かせの本を開いた。僕は寝てはいなかったので、それを聞こうと思った。盗み聞きする形となったが。内容は、なぜ人は泣くのかというものだった。絵本特有の陳腐な文字が僕にはやはり合わなかったが、その内容にいつのまにか釘付けになってしまっていた。

 人を失った時、人の温かさを知った時、この二つは相反するものだが、どちらも出てくるのは涙だ。色でもついていたら分かりやすいのに。僕が真相を突き止め、納得した気持ちで彼女の死を見届けることはどちらの涙になるだろう。多分、二つの気持ちが入り混じった涙になるだろう。そしてきっとそれは、なによりも美しいはずだ。

昨日のような、後悔の涙など、もう二度と流したくはない。

 短いようで長い旅だったなと思う。それはつまり、この旅には意味があり、価値があるものだった。ほんとうは、どこに行けばいいかなんて最初からわかっていたのかもしれない。家に着く頃には、夕陽が地平線に隠れる寸前のところまで来ていた。いつ、どんな時でも夕方だけは変わることはなかった。街をオレンジ色に染め、夜の知らせを告げていた。


 こんな時に、行きたくなる場所。すべてが一望できる場所。町の住民、一人一人の生活をのぞき見できる場所。階段がキツく、鉄のフェンスがいつも寂しそうに立っている場所。


 君の好きな場所ではなく、僕の好きな場所に君はいる。それを僕は学んだ。遠い記憶のようなことだけれど、つい昨日のことだということを思い出す。

 僕は丘を見上げ、その階段を登りだす。やっとの思いで最後まで登り切った時、僕は小柄の人影を一瞬で見つける。高校生とは思えないほど大人びた顔立ち、華奢な体、艶やかで長かった髪はいつの間にか切られ、無造作にはねている。恐らく、自ら切ったのだろう。辺り一面にはオレンジ色の花が咲いていた。


 覚悟はできていた。僕は僕を受け入れ、一歩、また一歩踏み出す。


「おはよう、千秋くん。」

 彼女はいつもと同じ笑顔で言った。


 何を言おうか、なんと言ったらいいのか、僕はまっすぐ彼女を見て黙りこんでしまった。大丈夫、そう言い聞かせると、彼女が座っている柵に僕も腰掛けた。


 二人は手を繋ぎ、街を眺めた。

 二、三人の子供が公園ではしゃいでいる姿、手を繋いで幸せそうに歩いている家族、ランニングをする中年男性。言葉は交わさずとも、二人とも今がこの上なく幸せなことくらい分かっていた。

 夕日が落ちて、夜になった。陽が落ちるのを見るのは珍しかったので、ここが現実世界でないと言われても差し支えないのかもしれない。僕と咲良だけの世界のような気がした。

 先に言葉を発したのは僕の方だった。

「髪、似合うね」

「えへへ、ありがとう。」

 咲良は髪をかきながら言った。言いたいことや聞きたいことがたくさんあったが、僕は異様なほどに落ち着いていた。心地よくさえ感じていた気がする。

「この町は変わらないね」

 彼女は黙ってそれを聞いていた。それが引き金となったのか、一呼吸おいて、口を開いた。彼女は珍しく真面目な顔をしていた。

「千秋くん、伝えなきゃいけないことがあるの。」

「うん。」

「何を言っても信じてほしい。長くなるけどね」

 フッと彼女は笑った。いつもの能天気を忘れちゃいけない、といった具合に。

「大丈夫、ここには僕と咲良しかいない。」

彼女の繋がれた手はいつのまにか震えていた。いつも僕は、彼女に守られていた。彼女という媒体を使ってでしか世界と交流を図れないからだ。けれど今は違った。僕が彼女を守ってあげたかった。

 二人は強く、絡めた指を深めた。

 

 そうして咲良は、彼女の、清水咲良の、話をした。淡々と、事実を述べていった。機械が規則的に何かを作っていくように、死体が腐っていくように、季節が変わるように、この町のように、オレンジ色の花のように。


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