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6月4日 宗治陣営 晴乞い

 6月3日、深夜にもかかわらず会談が持たれ、宗治は秀吉の譲歩を耳にした。しとしとと雨のそぼ降るわずかな雲間に朧に現れる月に照らされた小舟はゆらゆらと漂い、恵瓊はあたかも幽鬼のように高松城にたどり着く。

「宗治殿。秀吉はそう申しましたが、毛利は必ずあなたをお守りする所存です」

 宗治は僅かに頭を振る。

「その御心、誠にかけがえ無く存じます。けれどもどうかこの書状を豊臣殿にお持ちください」

「しかし!」

 止めようとする恵瓊に対し、宗治は深く頭を下げた。

「主家の大事に私如きを重んじて頂けたこと、望外のことでございます。私の命で主家とこの城の兵の命が助かるのであれば安いものです」

「しかし……」

 恵瓊はその覚悟の浮かんだ瞳に二の句を告げなかった。僅かな燭が焚かれた室内に、静かに月光が差し込んでいる。

「|御両三殿《毛利輝元、吉川元春、小早川隆景》はお許し下されぬでしょう。ですから私は上意に背き、明日、腹を切ります。その代わりこの城の者を必ず毛利本陣にお送り頂くよう、豊臣殿にお頼み申します」

 何とか思い止めようとする恵瓊に、宗治は柔らかく書を押し付けた。その書は自らと兄弟ら4人の首と引き換えに、城内の命を嘆願するものだ。結局宗治は主家の援軍を頼らず、それどころか迷惑を掛けぬようにはかろうとしている。恵瓊はその心に思わず涙し、その跡を僅かな明かりが照らした。

 恵瓊は三殿の期待と異なり、秀吉の言が覆らないであろうことはその身で感じていた。先程までの会談は、それほどの気迫を持って行われたからだ。けれども確かに、三殿は宗治の切腹を諾とはいえまい。その立場からも、心情からも。

「私はこれからも貴殿と馬を並べたかったのです」

 宗治がわずかに頷くのが、その影の動きから感得された。だからこそ、恵瓊は震える手でその書状を受け取るしかなかった。

 毛利方としても豊臣方になにか急ぐ事情があるのだろうとは認識していたが、今は和睦を飲むしかなかった。来島水軍が織田に寝返り、その制海権を失いかけていた。これから信長軍が来る。信長の死の報を持たぬ毛利としては、講和は絶対だ。

 その夜、真夜中にも関わらず小舟が忙しく往来した。


 翌朝、宗治は家族と家臣を集めた。

「皆のもの、毛利様と織田との間で和睦がなった」

 途端に家臣の顔に明るさが戻る。城の周りに水で溢れたのは半月あまりのことだが、雨はますます激しくなり城内も胸高ほどまでは水没している。食料も欠け、秀吉軍の監視によって補充は絶望的だった。夏の始めとはいえ水浸しの生活は病を呼び、倒れる者も相次いだ。皆、疲れ果てていた。

 だからそれは、紛れもなくこの城内の者にとっては朗報だった。抱き合って喜んだ。宗治の家族以外には。

「この雨もいずれ上がる」

「父上!」

「日の下で、正しく生きよ」

 父子は背筋を伸ばし、その目にはわずかに涙が滲み、けれどもわずかに微笑んでいた。

 和睦がやむを得ないこと、そしておそらく、宗治の命が俎上に上がっていることは幼いとはいえわかっていた。そして、秀吉が自身を憎んでの所業ではなくむしろその信義ゆえであることと、それこそが戦国の習いであることも。


 宗治は前日深夜、秀吉から送られた酒肴で家族と主だった家臣を集め、小さな別れの宴を行った。その時にすでに、涙は流し終わっていた。

 宗治は城内の清掃を命じ、見苦しくないよう身なりを整えて秀吉が迎えによこした小舟り、杯を干し、舞う。高松城前にぷかりとういた小舟に全ての耳目は集中し、誰もが息を呑んだ。宗治を見つめる視線には最早、憐憫や悲哀は浮かんでいなかった。宗治の舞う姿は人とは思えぬほど堂々とし且つ優美であり、その生き様が現れていたからだ。


 |浮世をば 今こそ渡れ 武士の《この渡世を今こそわたり名を残すのだ》

 |名を高松の 苔に残して《この高松の城に苔むすほどに続く名を》


 その句を残して静かに宗治が腹を切り、同行の3名が同様に息絶えるのを秀吉陣営は無言で、そして予想外の毛利陣営は止める間もなく見守った。

 こうして一つの戦が終わった。

 しばらくして、まさにその小舟に一条の光が雲間から差し込んだ時、既に秀吉はその場を後にしていた。

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