「必要は発明の母、復讐は法律の母」~僕先輩の論理学部~
(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが極論を述べる
「ようこそ、僕先輩の論理学部へ」
「先輩、またやるのか?」
「今回でジャンルエッセイ出張は三回目かな?」
「なんでまた? ジャンル違いと怒られんぞ」
「どうやらこんな僕にもファンがいるらしい。それと今回のネタは対話形式の方が良さそうだ。それで僕たちの出番となった」
「僕先輩にファン? 奇特なヤツもいたもんだ。ネット小説大賞では二次選考落ちしてるのに」
「そう言えば一回目は一次選考に残った記念も含めて、ジャンルエッセイ突撃回をやってみたんだよね。三回やればシリーズかな?」
「それで今回のお題は? ちゃんとエッセイ寄りのものなんだろうな?」
「今回は『復讐』だよ。タイトルにもあるとおりにね。この前読んだマンガの中で、『復讐は何も生まない』と主張する主人公がいてね。僕はちょっと呆れてしまったよ。歴史の勉強不足なのかな?」
「復讐ねえ。復讐の連鎖は悲劇を生む、つーからしっかり悲劇を生んでんじゃないか」
「なるほど。そういう見方も面白いよね。ただ、復讐とは人の社会とは密接にあるもので、人に復讐心が無ければこの世に法律は無い。復讐が無ければ近代国家は誕生していない。必要が発明の母なら、復讐は法律の母なのだよ」
「復讐が法律の母ってのは初めて聞いた。どういうことなんだ先輩?」
「後輩君、こういうのは歴史を学べば分かること、なのだけどね。詳しくはジョン・ロックの統治二論を読むといい」
「そこを先輩がかいつまんで分かりやすく」
「僕の解釈が入って良いのなら」
「そういうのが無いと、昔の小難しいものを理解する足掛かりになるものが無いし。それに先輩の理屈は俺には分かりやすい」
「人によって納得の方向性は違うものだからね。だからこそこの世には大量の物語があるわけだ。さて復讐は法律の母、と聞いて疑問に感じるならば、先ずは法律の無い社会を想像してみよう」
「♪とーきはー、まさに世紀末ー」
「文明崩壊後のがっこうぐらし、でもいいけれど今回は過去に遡り原始時代とした方がいいかな? 後輩君、君が遥か古代の原始人だった場合をイメージしたまえよ」
「俺が原始人か。……ウホ、おれ、原始人。石器、つくる」
「後輩君はある日、作った石器を使ってウサギを一匹仕留めたとしよう」
「やった、今夜は焼き肉だ」
「と、ウキウキとウサギを解体し焼き肉の準備をしているところに一人の男がやって来た。『おまえ美味そうな肉持ってやがるな! 俺様に寄越しやがれ! ヒャッハー!!』」
「やっぱ世紀末じゃねえか、そいつモヒカンだろ」
「さて、後輩君はどうする?」
「どうする?って、あー、法律が無い社会となれば警察もいない弱肉強食か。自分の物は自分で守らないといけないか」
「そういうこと。力有る者が奪って良し、となれば対抗するには力が必要となる。所有権も占有権も著作権も無い時代、先に見つけたから自分の物、と言ったところで拳ひとつで奪われてしまうわけだ」
「ウサギ肉を守るためにはバトルが必要と。晩飯ひとつも命懸けだな」
「そして後輩君はヒャッハーにボッコボコにされてウサギ肉を奪われてしまった」
「おおう、俺の焼き肉が。原始人、きびしい。取り返せないか? そのヒャッハーを懲らしめられないか?」
「では、後輩君と同じようにヒャッハーの被害を受けた人が他にもいるとしよう。彼らも暴力的なヒャッハーに困っていた。そして後輩君はウサギを捕まえるのが得意だったとしようか」
「それなら、皆に呼び掛けるか。皆、このままヒャッハーに奪われ続けていいのか? あのヒャッハーを野放しにしていたら皆が悲しい思いをするばかりだ。だから皆でヒャッハーをやっつけよう。上手くいったら皆でウサギの焼き肉パーティーしようぜ」
「こうして、自分と自分の仲間を守るために復讐が行われるわけだ。そして後輩君がリーダーで、ウサギの焼き肉を絆にひとつの集団が誕生する。集団に貢献する者にはウサギの焼き肉というご褒美を。集団に攻撃する者には皆で報復を」
「数もまた力、と。集団を束ねるのが暴力という恐怖か、ウサギの焼き肉というご褒美か、の違いか。飴と鞭、パンとサーカス、そんなところか?」
「そして君の集団はよくウサギ焼き肉パーティーで盛り上がる。これが他所からは羨ましがられて、奪おうとしてきたり盗もうとしてきたりするのがいる」
「奪われるのも盗まれるのもヤダな。その度に報復活動するのか」
「反撃しないと、『あの集団から盗むのはチョロイ』とか思われてしまうね。それを防ぐには復讐しかないわけだ。我らの集団に手を出す者に我らは容赦しない、と行動で見せる必要がある」
「なるほど。必ず復讐する集団だという評判ができれば、被害を減らすことができると」
「これは現代のイジメやパワハラも変わらない。必ず復讐する人間に攻撃しようって人はなかなかいないものだよ。相手が復讐しないと思っている人ほど酷いことをやれてしまう」
「ある意味で人をイジメるのが得意なヤツってのは、人を見る目があるのかもな」
「悪い意味でね。相手に攻撃を思い止まらせるためには、『我らはこのように復讐する』と見せつけなければならない。敵の死体を晒しものにしたり、切り落とした首を晒し首にしたりね」
「お前もこうはなりたくないだろう、ってヤクザかマフィアか? 法律が無い社会はたいへんだ。あちこちで報復合戦が続くことになる」
「そうだね。だから集団はその治安を守る為に掟を作るようになる。その前に復讐の効能は理解できたかい?」
「復讐しないと自分と自分の家族、友達とかを守れない。俺たちに手を出せばこうなるぞ、と示すことで自分たちを守る評判を作る、ということか?」
「そういうこと。そしてそんな時代においては復讐とは義務であり権利でもある。己が一族を守るためには復讐をしなければならない、とね。キッチリ復讐をしなければ一族の危機に繋がるからだ。そして復讐とは、物を食べる権利、水を飲む権利、息をする権利とおなじくらい、人が生まれつきその身に持った権利でもある。復讐を果たせばスッキリする、というのは人の本能に刻まれた、原始の『家族思い』の成れの果てなのだよ」
「なるほど。勧善懲悪の物語も、ざまあの物語も、その爽快感の根は同じところにありそうだ」
「これをサラリと説明してるものは、『復讐』を検索すれば出てくる」
「引用するぞ、日本大百科全書(ニッポニカ)の『復讐』の解説より、
『自らの利益を侵害された個人や団体が、その報復として加害者に対し害悪を加えること。復讐は復讐感情ともよびうる原始的な本能に根ざすものではあるが、歴史的には、無法な攻撃を防止したり、被侵害者の権威を維持・回復する手段でもあった』
昔は復讐が義務であり権利っていう時代もあったってことか」
「だが、そのまま個人の復讐を容認していてはあちこちで復讐が行われる。中には勘違いや冤罪もあるだろうね。やり過ぎの過剰防衛となることもあるだろう。そこで人は治安を良くするために『政府』を作る」
「いきなり原始時代から近代にかっ飛んだ」
「飛んでないよ。神が王様に人々を支配せよ、という権利を与えた王権神授という理屈付けでも中身は変わらない。権力者と民衆の関係の話だから。
人々は自分が生まれつきに持った権利、復讐の権利を政治家に預ける。政治家がその復讐の権利を預かり代わりに行使する。その行使に必要となる資源の為に税を徴収する。この政治家が血統で選ばれるのが封建制や君主制、選挙で選ばれるのが民主制。原始的に一人の代表が治める小さな集団は独裁制とも言う」
「あー、チンピラの集団もそのリーダーは、独裁制の政府なわけだ」
「そういうこと。つまり政府とは復讐の代行者。皆から預かった復讐の権利を束ねて使う権力者のことなんだ」
「政府は必殺仕事人か、怨み屋本舗か」
「極論すれば、政府の役割とは、国民の税金で運用される復讐代行業者でしかない。これが政府の仕事で一番大事なことで、あとの仕事は復讐に付随するおまけだ」
「ずいぶんと極端な」
「だが政府がキッチリと復讐することで国民は安心して安全に暮らせる、というものだ。外国の侵略に対する自衛権も、個人の大切なものを害した者を犯罪として処罰するのも、やられたらやり返す、というのをハッキリとさせてるだけのことだ」
「じゃあ、法律というのは?」
「どのような行為が復讐に妥当するか、その種類を書き表したものが法律。復讐される行為をしたかどうか調べるのに警察があり、どの程度の復讐量が妥当かを判定するのに裁判所があり、復讐を実行するために刑務所がある。復讐代行を円滑に進め、加えて国民から預かった復讐の権利が正しく行われるように、法律があるわけだ。ほら、復讐が無ければ法律もまた存在しないだろう?」
「刑罰が復讐の代行っつーのも、回りくどいけどそういうものか?」
「回りくどいかい? 基本は同じもので『うちのファミリーに手を出したらタダじゃすまねえぞ』というのが治安を守るわけだ」
「国家もヤクザと変わらねえな。じゃあ、法律ができて個人で復讐する権利を政府に預けたから、個人で復讐するのができなくなったってことか?」
「日本では1873年に『復讐ヲ嚴禁ス』と敵討禁止令があって敵討は禁止されたね。というのも復讐というのはその分量を決めるのが難しい。やられたらやり返す、で済まないことが多い訳だ」
「ブラックジョークでそんなのあったか。
『てめえ! よくも俺の女房を撃ち殺しやがったな!』
『すまん! 代わりにあそこにいる俺の女房を撃ち殺してくれ!』
というのが」
「どちらも同じ『女房』だけども、旦那からの愛情には雲泥の差がありそうだね。ハンムラビ法典には『目には目を、歯には歯を』とあるが、人はなかなかそうはなれない。やられた分だけやり返したら、そこで勘弁してやってくれ、で止まれない。復讐については人は『等価交換』よりも『倍返しだ!』の方が好きなんだ」
「あー、ざまあの物語とか、復讐のやり過ぎになるものとか多いかもな」
「物語ならそれでもいいけどね。日本では裁判員の求刑が重すぎて裁判官が、この罪でその量刑は重すぎる、と訂正することがある。最高裁で減刑されたりね」
「悪人は叩いて良し、となりがちになるものかもな」
「まあ、一方で裁判員制度が始まってから、冤罪も少しは減ってきているらしい。公判での証言、被告人の供述、証拠の信頼性、などに重きを置く『公判中心主義』が随分と進んだ。これで長時間の取り調べなどの強引な証拠固め、自白の強要が減り、冤罪を生まないようにする司法制度の改革に裁判員制度が役立っている」
「おや? 日本は冤罪の多いのが名物の国じゃなかったか?」
「それを不名誉だと改善しようと裁判員制度ができたわけだ。また、裁判員制度は、政府に預けた復讐の権利が民衆に納得される使い方になるように、という役目もある」
「じゃ、政府がその復讐の権利をメチャクチャに扱ったら? それこそヒャッハーの大将みたいなのが好き勝手したら?」
「おぉ、いい質問だね後輩君。それが現代の問題でもあるのだよ」
「どういうことだよ先輩?」
「政府は民衆から復讐の権利を預かり行使する復讐の代行者。しかし時が流れていくうちに本来の役割を見失いつつある。民衆もまた、生まれながらに持った復讐の権利を預けたことを忘れつつある。人は復讐の権利は政府に預けて持ってはいないが復讐心はある。持て余した復讐心がネットやSNSの炎上になったりするんじゃないかな?」
「復讐を他人任せにしてたツケが回ってきたのか」
「そうかもしれないね。自分の拳で敵を鼻血が出るまで殴る、そういう生身の経験をする人も少なくなってきた」
「正当防衛か過剰防衛か、その違いは肌の感覚で分かるものでもないか」
「そして政府もまた同じ。復讐代行機関という本来の役目を忘れつつある。企業という政治家への投資家の為の政策が仕事というケースもある」
「政府が役に立たなくなればどうすれば? デモとか? ストライキ?」
「欧米ならね。民衆は自分たちが生まれながらに持つ権利のひとつを政府に預けた訳だ。ならばどのように政府がその権利を扱うか、しっかりと見張っていないとね。政府が重税を課す。一部の者を特権階級と特別扱いする。民衆が望まない権力の行使をするとき、民衆は政府に預けた復讐の権利を取り返さねばならない。これが抵抗権だ」
「反乱か? 革命か?」
「ジョン・ロックの政治思想は名誉革命を理論的に正当化するものとなり、社会契約や抵抗権についての思想がアメリカの独立、フランスの人権宣言に大きな影響を与えた。近代国家で影響を受けて無い方が少ないよ」
「日本もか?」
「今の日本の在り方も、歴史を見ればアメリカの影響が多大にあるだろう。もっとも抵抗権については欧米の民主主義と日本の民主主義は大きく違うがね」
「アメリカは、いざというときには民衆が政府を武力で制圧する義務と権利があるから、個人で武装ができるんだろ。銃を持ったり戦車を持ったりできるって」
「そういうこと。自家用戦車ってカッコいいよね」
「リアル戦車道か?」
「政府が間違った使い方をするなら、政府に預けた復讐の権利を取り返して良し。圧政するとか、国民を奴隷や家畜のように扱うとか、国民の納得できない暴政愚政となるならば、復讐の権利を本来の持ち主のもとへ。これが欧米的な抵抗権」
「日本では聞かないな、抵抗権って」
「日本に輸入したときに魔改造された民主主義と人権には、抵抗権は消されている。福沢諭吉の『学問のすすめ』では、欧米の人権や平等、社会契約説など紹介されたが、武力抵抗権は否定されている。こういうところで日本に根付いた人権と、欧米や国連の人権とは大きな違いがある」
「どっちも同じ『人権』と呼ばれているのにな」
「なんと言えばいいかな? ウンシュウミカンとグレープフルーツは大きさも味わいも違うけど、どちらもミカン科ミカン属の柑橘類だよ」
「なるほど、チワワもシベリアンハスキーも犬だもんな」
「ちょっと脱線したね。話を戻すと復讐を果たすという治安維持効果、これを円滑に進めるために人々は自分たちが選んだ権力者に復讐の権利を預ける。そして生まれた政府が復讐代行を円滑に行う為に法律を作った。これが近代国家の礎となる」
「政府と法律が未成熟な時代では、復讐は個人の義務であり権利であったと。現代では政府が復讐を代行するので、個人で復讐すれば犯罪にもなったりする、と」
「やり方次第では私刑となり重罪になるね」
「個人で復讐やリンチはできないが、古代から受け継いだ復讐心を持て余すのが今の時代、か」
「政府が万人の納得する復讐代行ができれば問題無いけどね。政府は万能の神でも無いし。神が権利を与えたという王権神授を否定したなら、そこにいるのはただの人だ」
「でも先輩、人は復讐する権利は手放しても復讐心は消せないものだろう」
「そうだね。しかも復讐心とは自分たちを守る為の防衛本能に根差している。ネットで叩いたりマウントを取ったりするのも、正義を土台として行うものになりがちになるのは、復讐感情があるからではないかな?」
「現代は持て余した復讐感情が社会問題に繋がる、と」
「もうひとつ。かつての復讐からの闘争とは自分たちを守るためのものだった。だから相手を自分たちの縄張りから追い出せばそれで終わりだった」
「獣の縄張り争いと変わらない、と。野良猫の縄張り争いで片方が死ぬことはあんまり無いか」
「ところが現代ではミサイルやドローンなど開発されて、攻撃できる範囲は随分と広がったものだよね」
「それじゃ復讐は、何処までやれば相手が手を出さなくなるか分からないのが今の時代、とか?」
「そして復讐を政府に代行させるのに慣れた人は、自らの手で復讐した経験のある者が少なくなる。どれだけやれば相手が後悔して諦めるか、復讐量の手加減を肌で分かる経験者も昔より少なくなった。もっとも剣や弓ならともかく、戦車や爆撃機では手加減などできよう筈も無いがね」
「先輩、それってもしかして、今の戦争のことか?」
「自分でケンカした経験も無い人は、当然始まったケンカの終わらせ方についてもよく知らないだろうね。そして妥協案も落とし所も見いだせ無ければ、戦争とはどちらかが継戦能力を失うまで続くんじゃないかな?」
「ふーむ、ケンカの終わらせ方の下手くそな現代人。その集団の民意で動く近代国家。これは弾薬と食糧が無くなるまでドンパチしてるかもな」
「さて、そろそろまとめに入ろうか」
「復讐をもとにして政府と法律が生まれたってのは分かった。で、復讐の権利を政府に預けるのに慣れた人は、自分で復讐するのが下手になったと。なんだか刃物を持つのが危ないと、子供に刃物を持たせないような感じがしてきた」
「そのまま刃物を使う作業を人任せにして、一生刃物と無縁でいられたら幸せかもね。もっともその幸せとは、人が生まれながらに持つ権利をひとつ失うことで得られたものだ」
「自らの手で復讐する権利、か。まあ、権利を手放しても復讐心の無い時代なんて皆無だろうな」
「近代刑法では、国家が刑罰権を独占することになり、国家のみがこれを行使する。故に被害者が加害者に対し復讐を行うことは禁止され、復讐が殺人、暴行傷害などいずれかの犯罪を行えば処罰される。近代では復讐権は人権に含まれなくなった。かつての義務と権利を忘れろ、というのが現代だ」
「だけど、忠臣蔵とかモンテ・クリスト伯、さるかに合戦と復讐を描いたものとかあるよな?」
「僕は青の騎士ベルゼルガ物語が好みだね。さて、復讐についての実験の中にはおもしろいものがある。人の脳が復讐で快楽を感じるというものだ。
fMRI(機能的磁気共鳴画像)装置で被験者の脳の活動を計測する。その被験者の前で裏切り者に電気ショックを与えるという実験だ」
「裏切り者に罰を与えるのを見たら脳がどう反応するか? おかしな実験だ。その裏切り者ってのは?」
「事前にゲームをして被験者を挑発したり煽ったりして、ゲームの中で裏切る訳だ。被験者が裏切り者に嫌悪感を持つようにする。そして裏切り者が電気ショックを受けるのを見て、被験者の脳はどう反応したか。
腹側線条体および側坐核など、脳の報酬系に関わる領域の活動量が増大したんだ。この領域はドーパミン報酬系を構成する部分で、セックスやドラッグによって快感を得る神経系でもある。
人の脳はね、罰を受けるに値する人間が目の前で罰を受けることで、快感を得るようにできているらしい」
「復讐を果たすと気持ち良くなる脳ミソ、か。なんだかゾッとしてきた」
「その厄介な復讐感情があるからこそ、人は法律や政府を拵えることができたとも言える。そしてこれからも人は、この原始の本能と付き合っていかねばならないのだよ」
BGM
『The Everlasting Guilty Crown』
EGOIST




