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蜃気楼

「こちらが本日分の魔石になります」

「ありがとうございます」

「それとは別に、こちら、陛下から」

「これはっ!」

 使用人が布に包んで持ってきたものは魔石は魔石でも特上の品。Sランク相当の中でも高品質で、不純物を一切含んでいないのだろうその魔石は、形を認識することすら難しいほどの透明感を誇っていた。


 最近納めた魔石は徐々にだが、確実に質が上がってきている。Sランク水魔石を完成させられる日が近い。ラッティはそう思っているし、おそらく陛下付きの魔法使いもそう判断したのだろう。だからこそ期待の意味を込めてこの魔石を託してくれた。


「大切に使わせて頂きますとお伝えください」

 使用人に伝言を預け、部屋に戻る。

「今度こそ……今度こそ、完成するかもしれない」

 高鳴る胸をトントンと叩き、落ち着けと自分に言い聞かせる。だがそう簡単に鼓動は収まってくれない。


 なにせここまでSランクに近づけたのは初めてなのだ。

 それに今回は最も『死』と遠い生活を送れている。


 このままSランク水魔石を完成させられれば、お妃様達以外の人達への牽制にもなる。今度こそ一生を終えられるかもしれない。


「ああ、陛下付きの魔法使いって最高ね!」

 魔石を机に置き、ほおっと息を吐きながら眺める。


 ーーそれがいけなかった。


「最高っていい言葉よね。だってその先はもう落ちることしかないのだから」

「え?」

 魔石にはしゃいだラッティは警戒を怠っていた。この部屋にはいないはずの女性の声がして、初めて失態に気付いたのだ。


 宮殿の中には警戒しなくていい時間なんてないのに。

 寝る時すら魔法道具を携帯していたというのに。

 なんで最後の最後で気を抜いてしまったのだろう。


「あなたが悪いのよ、アラージフ様の寵愛を受けるあなたが全て悪いの」

 紐状のものが首にまとわりつき、グッと締められる。抵抗しようと必死でもがくが、遅れてやってきた協力者が横からラッティの頭を思い切り殴った。声の主の侍女だろうか。薄れていく酸素と意識の中で、もう助からないと理解する。


 また殺されたのだ。


 顔は見えないが声から判断できる。今回の犯人は第二妃。彼女は大人しい性格で、今まで直接的なアクションを起こしたことはなかった。なのによりにもよってこんな証拠が残りそうな方法で殺しにかかるなんて……。これからは認識を改めなければならない。


 それにしても寵愛を受けているなんてどこをどう解釈したらそうなるのか。

 今回のラッティはアラージフ陛下お抱え魔法使いになった。研究のための個室ももらったのでアラージフとはほとんど顔を合わせていない。やりとりだって直接ではなく、手紙を介してのみ。それも封筒に入れたら変な勘ぐりをされるだろうと小さい紙に二、三行。礼儀は最低限に業務的な連絡のみである。


 城に来る前に『必要なものがあればこちらから申請します』とキッパリ告げたおかげで贈り物や差し入れは一度もされたことはない。

 今回のSランク魔石が贈り物といえば贈り物に見えなくもないが、それだけ。


 勘違いもいいところだ。だがそう訴える余裕さえない。完全に意識が途切れる直前、今後こそは普通の生活が送れますようにと強く願う。


 そう、普通が一番なのである。



 ◇ ◇ ◇



「ラッティ、誕生日おめでとう」

「ありがとう、母さん」

 十六の誕生日を祝われるのはこれで二十二回目。


 殺される度になぜかこの日に戻ってしまうのだ。よりによってなぜこの日なのか。もっと幼い頃に戻ってくれれば、と何度も思った。けれど一日のズレもなく、戻ってくるのはこの日、この時間。


 今回もまた死んだばかりのラッティの前には目の前には母のお手製ケーキが置かれている。


 初めの数回は恐怖で顔が引きつっていたが、今はもう慣れたものだ。

 毒殺の後は少し辛いが、今回は絞殺。あの細い身体のどこに人を絞め殺す力があったのだろうと驚きこそすれ、ケーキを切り分けるナイフを見ても身体を強張らせたりしない。


 取り分けてもらったケーキを頬張りながら、前回までの経験を振り替える。


 今までの流れだと、お妃に選ばれれば高確率で毒殺もしくは暗殺される。他の男と結婚すれば疫病にかかり、この国から逃げれば盗賊に殺される。

 八回目では盗賊を回避して砂漠を越えたものの、半年後に『裏切り者!』と叫ぶ男によって殺された。


 水の魔法使いであるラッティが隣国に渡ったことで水魔石の売上の一部が移り、何かしらの問題が起きていたのだろうーーと最近まで思っていたが、十八回目のループでちょうどこの時期に『グウェンの大火災』と呼ばれる大火事が発生していたことを知った。


 国が有している中でも最大の油田が燃えたことで、その後グウェン王国は財政難に陥ることとなる。だがもしも国かギルドにもっと多くのAランク水魔石が備蓄されていたのなら、最悪を回避することが出来た。多くの命が助かったのである。


 国を出ていたラッティがそれを知る由もなく、そもそも国お抱えの魔法使いですらなかったので完全なる逆恨みである。

 だが知った以上は見て見ぬふりも出来ずに常時いくつか手元に置くようにしているし、可能な限り水魔石を納品するようにはしている。


 だからといって未婚のまま国に滞在し続ければアラージフに求婚されてしまう。

 彼自体は好きでも嫌いでもないけれど、やっぱり殺されるのはイヤ。それに愛した人とループの度に関係がゼロになってしまうこと、本来関係なかったはずの彼らを巻き込み続けるのは心が痛んだ。


 またこればかりはどうしようもないのだが、殺害される以外にも、理由が分からずにループしたことが四度。他の経験から考えると死んだのだろうが、四回とも死因に思い当たるものはなかった。

 寝て起きたらループしていた、なんていうのは納得できる方で、瞼を開いたら目の前にケーキが置かれていたこともある。あの時はしばらく頭がパニックになった。


 ーーと、これまでの経験を活かし、前回のラッティが考え出したのが、王家お抱えの魔法使いになること。


 元々アラージフの目的はラッティの能力と技術であり、妃として迎えるのは確実に確保するため。王命とあれば断れない。

 本来、平民が口答えや提案することなど許される相手ではない。喜んでお受けいたしますの一択。断れば牢屋行きからの処刑ルートまっしぐら。だがどうせ処刑されてもまた戻るだけ。


 処刑されずとも誰かに殺されるのならばと妃以外になる道を提案してみた。

 すると思いのほかあっさりと通ってしまったことで、ラッティの人生に陛下付きの魔法使いルートが加わった。


 結局はお妃様の一人に殺されてしまったが、今までで一番の手応えはあった。


「どうしたの? 美味しくない?」

 母はフォークを口に突っ込んだまま考え込むラッティを心配してくれたらしい。優しい母だ。暗い顔をしているとこうしてすぐに気にかけてくれる。

 母だけではない。妹達や父も、大丈夫? と声をかけてくれる。


 何度死んでも、やはりこの家に生まれて良かったと思える素晴らしい家族だ。死ぬ度に家族の温かさを実感し、思わず涙が溢れた。


「ラッティ!? ど、どうしたの?」

「とっても美味しいわ。こんなに美味しいものが食べられるなんて私は幸せものね」

「一体どうしたっていうのよ」


 不思議そうに首を傾げながらも「そんなに喜んでくれるなら、私の分もあげるわ」と自分の皿とラッティの皿を入れ替えてくれる。うん、美味しい。

 本当に、母さんの料理は宮殿で出されたどんな高級品よりも美味しい。



 食事も終わり、妹達が部屋に戻るのを見送る。

 机の上のお皿を回収し、汚れが酷いものだけ軽く布で拭く。洗い物はラッティの役目だ。流しの中に設置した桶に半分だけ水を入れ、ゆすいでいく。


 他の家庭では井戸から運んできた水を使うのが一般的で、ラッティの家もつい数年前までは井戸水を使っていた。だが最近、少し離れた場所の井戸が枯れたらしく以前よりも人が集まるようになってしまった。


 国は早めに新たな井戸を掘ると言ってくれているが、場所探しで難航しているようだ。水脈のない場所には井戸を掘れない。ラクダに乗って移動している役人を見かける度、村の人達は今回も見つからなかったのかと落胆している。


 それに今ある井戸だっていつ枯れてしまうか分からない。使用者が増えた井戸には国が買い上げた水魔石を定期的に投入してくれているが、水魔石の効果も永久ではない。


 短期間で高品質の水魔石を大量に作ることのできる魔法使いがいれば話は別だが......。


 そんなことを考えているうちに皿を洗い終え、部屋に帰ろうとした時、母から声をかけられる。


「ラッティ、何か辛いことがあったらちゃんと話すのよ?」

「母さん……。心配しないで。少し疲れているだけだから大丈夫」

「最近前にも増して頑張っているもんな。だが無理する必要はないんだぞ? 今だって十分家計を助けてもらっているし、少しくらい休んだって」


 食事中は見逃してくれた両親だが、やはりいきなり涙を溢したのには驚いたらしい。だが『実は何度も死んでいて、今回も死んだ直後なの』なんて言えるはずもない。大丈夫と繰り返して笑うしかないのだ。


「大丈夫よ。それにあの子達を学校に行かせたいもの。今のうちに貯めとかないと!」

「ラッティ……」

 妹達を学校に行かせたいのは本当だ。

 初めは家計を支えるために水魔石を作っていたが、それだけなら何も高品質のものをと頑張る必要はない。


 今まで通り、Bランクの水魔石を月に五個も納品すれば十分だ。

 だが妹達が学びたいというのなら話は別。学校に通わせるとなれば学費はかかるし、制服代などその他諸々の必要道具に、場所によっては寮費もかかる。


 お金は貯めても貯めすぎるということはない。


 一周目のラッティが迷わずアラージフの第四妃となったのは、妹達のためにお金が欲しかったからでもある。

 学校に通うには学力も必要となってくるが、そちらの方は心配いらない。妹達は幼い頃から亡き祖父の書斎に入り浸っており、文字を読み書き出来るのだって他の子よりもずっと早かった。

 水魔石を納品するようになる少し前に必死で計算を覚えたラッティとは頭の出来が違う。


 才能があるなら伸ばすべきだ。

 実際、何度もループする中で妹達の成長を見てきたが、ラッティが思っている以上の伸びを見せてくれた。途中で死ななければ彼女達の成長をもっともっと見られたのだろう。


 だから死ぬ道に繋がっているかもしれないと分かっていても、ラッティが水魔石作りを止めることはしない。


「気にしないで。少し寝ればすぐに戻るから」

「……分かった。今日は早く寝るんだぞ」

「ええ、父さん。日が変わる前にはベッドに入るわ」

 まだ心配そうな表情の両親と別れ、自室に戻る。

 さすがに両親をこれ以上心配させたくはないので、夜更かしは出来そうもない。ランプにオイルを継ぎ足すことはせず、これが終わったら今日の作業は終わりにしようと決めた。



 水魔石とは空になった魔石に水魔法を付与したものを指す。

 いわば道具の一つである。魔法自体は珍しくはないが、触媒を使わずに使える者はごくわずか。


 魔石などの物質に魔法を付与できるものは中でも魔量が多いものだけ。ラッティはその一握りに含まれていた。


 使えるのは水の魔法。力はそこまで強くないため、魔物の討伐依頼や護衛依頼は受けられないが、魔量だけは多いので水魔石の生産に役立てている。


 水魔石さえあれば手持ちの水が尽きても、水が取り出せる。水魔石は使用時に魔素を必要としないので誰でも使用することができる。これにより砂漠を移動する際の飲み水問題が解消する。


 魔法道具の一種になのでやや値段は張るが、砂漠を通る商人や冒険者は必ず携帯する。砂漠に囲まれたグウェン王国では水魔石はポーションと並ぶ人気アイテムだ。


 季節構わず、かつ値段も下がらず売れるのでわりといい金額がもらえる。水魔石はS~Eのランクに分かれており、ランクが上がるほど魔石から出せる水の量が増え、買い取り金額もアップする。


 最低ランクでも大人の日当にやや届かないほどにはなるし、Bランクともなれば一つで十日は家族を養うことが出来る。

 王都まで行けばAランクを作れる魔法使いもいるそうだが、ラッティが住む村やその周辺ではBランクが精々。


 最高ランクであるS級ともなれば砂漠にオアシスを発生させることができるらしい。だが現在大陸に存在するS級のほとんどが海底から採掘された天然物。人工的に作り出せる者はここ二百年ほど登場していないそうだ。


 過去にグウェン王国内でSランク相当の品を作れた者は片手の指ほどもいないともっぱらの噂である。


 そもそも能力云々以前にそれだけ膨大な魔量に耐えられる魔石がほとんど存在しない。ここ数百年で人工魔石の生成に成功したらしいが、流通している人工魔石はAランクまで。


 それ故、Sランクの水魔石は今も特級アイテムの一つとして数えられている。

 もし今の時代にそれを作れるものがいれば確実に歴史に名を刻むこととなるだろう。


 数百年ほど水問題で頭を悩ませることはなくなり、疫病だってうんと減る。

 確実に国が、いや大陸中が発展を遂げることだろう。


「君にはその英雄になってもらいたい」

 一周目の人生で十八歳を迎えてすぐの頃にやってきたアラージフはラッティの手を取ってそう力説した。


 ラッティが水魔石を作るようになったのは六歳から。

 初めはE級、それも一日に一つしか作り出せなかった。けれども日に日に要領をつかんでいき、ループ地点となっている十六の頃にはB級水魔石をかなりの量生産できるようになっていた。

 そして水魔石を納品している商業ギルドのギルドマスターの勧めでA級の生産にチャレンジするようになる。


 アラージフがラッティの元にやってきたのはA級の水魔石を月に一つ納品できるようになった頃。噂を聞きつけた彼はS級水魔石を作れるよう援助をすると言い出した。その方法が結婚だったという訳だ。


 二周目以降も来るタイミングが同じ。高水準の水魔石の噂を聞きつけると彼は必ず商業ギルドにやってくる。

 国王訪問は他の人と結婚していても発生するが、Aランク水魔石の生成に成功しなければ彼がくることはない。


 明らかに水魔石目的である。それ以外に平民を妻にするメリットがない。

 アラージフはラッティとの結婚が決まると必ず家族に十分なお金を用意してくれたし、今までお世話になったギルドにも少量ではあるが水魔石を卸すことを許してくれた。


 つつがなく結婚が決まった一周目の人生で、ラッティは彼の妻の末席、第四妃として迎えられた。


 それから後宮のひとつ『花の宮』で一日中水魔石を生成して暮らしていた。

 衣食住全てが最高のものを与えられ、研究のための魔石は使い放題。それもより多くの魔法が込められるようにどれも最上級のものばかり。


 ラッティは少しでもアラージフに報いようと部屋に閉じこもってばかりだったが、彼は度々外に連れ出してくれた。

 他のお妃様と接する時のような甘い時間はなく、油田や水路の視察ばかりだったが、初めて見るものばかりで胸が踊った。


 それが気に入らなかったのだろう。

 第一妃の派閥の貴族によって差し向けられた暗殺者によって殺された。


『君の作った魔石にはお世話になってるけど、これが僕の仕事だから。ごめんね』

 暗殺者の男が死ぬ理由も分からなければ報われないだろうと、犯人と殺害理由をわざわざ教えてくれた。そしてせめて苦しまぬようにと一瞬で命を奪ってくれた。


 それが最初の死。

 意味がわからない上に怖くてずっとガチガチと歯を鳴らしていた。

 けれど、今となってはあの暗殺者は『わりといい人』だったのだろう。ラッティはあの後にも何度と殺されてきたが、彼が一番優しかった。


 だから出来ることならあの時が最期でありたかった。

 けれど気がつけばまた同じ場所に戻っている。


 どうすればこのループから抜けられるのだろうか。

 地道に死亡年齢の記録は伸ばせているが、それでも二十五が限界だ。


 剣の腕を磨いても、疫病に効果のある薬草を事前に集めていても、何かしらの理由で死ぬ。反感を買わずにひっそりと生きても死ぬとはどんな因果か。


 今までで一番ひどい理由だと思ったのは『平民の分際で水魔石なんか作るから!』である。

 ヒステリーを起こした第三妃に階段から突き落とされた時に言われた言葉だ。


 水魔石を作ることがアラージフからの寵愛を受けることと考えられているらしかった。全くひどい話である。


 そんな訳でできることならお妃様たちに関わりたくないのだが、前回の一件から、妃達でなくともアラージフに目をつけられれば彼女たちから敵視されそうだということを学んだ。


 城に行くか、平民として生きるかーー悩みどころである。


 ちなみに分かれ道を左右する高品質水魔石だが、今日中に作成可能だ。

 Aランク相当の空の魔石なら手元にあるし、ループの度に磨いた技術は魂に刷り込まれている。


 効率のいい魔法の注ぎ方も身についているし、前回は今まで以上に効率・品質重視を心がけていた。

 その分、何段もレベルアップをし、ついにSランク水魔石を完成させるーー直前で殺されたので、まだ伝説級には手が届かないものの、Aランクの量産ならお手の物だ。寝る前のわずかな時間でも二、三個くらいなら余裕である。


「いっそアラージフ様から嫌われてしまえば……」

 呟いてから意外といい案のような気がしてくる。

 ただどうすれば嫌われるのかが分からない。前回はわりと攻めた要求をしてみたが、彼は受け入れてくれた。それも迷うことなく即決だった。


 宮殿に入ってからも、業務連絡と一方的な要求だけしかせずとも怒りもせず、それどころか前回以前、特に一周目からの数回は礼儀もなってなかったはずなのに機嫌を損ねたところを見たこともなかった。

 心の中でどう思っているかはともかく、寵愛が~とのたまうお妃様たちからも彼がラッティに好意的に見えていたことは間違いない。


 つまり今のままではダメなのだ。

 もっともっと攻めて、殺される寸前であり続けなければならない。


 アラージフの機嫌をほぼ確実に損ねられる話題が全く思い当たらないでもない。


 彼の家族と疫病ーーそれがアラージフの、いや、宮殿内共通のタブーであることくらい一周目のラッティでも気付くほど。

 それに触れることは今まで避けてきたし、出来れば死者を愚弄するようなことはこれからもしたくない。


 だからなるべくここには触れない方向で、かつ確実に嫌われる方法を見つけたいものだ。


 加減を間違えて今度こそ処刑されてしまうかもしれないけれど、その時は今回の経験を次に活かせばいいだろう。


 となれば接触は早い方がいい。

 今までは状況整理や疫病対策の準備なんかでAランクの水魔石完成は後ろ倒しにしていたが、今回は最短で行こう。


 二十回以上もループを経験していれば、魔力量は一度目の数十倍までに成長しており、Aランク魔石もサクッと作れるのである。


 少しズルいが、ループ経験者の特権は有効活用するに限る。

 ギルドマスターには最近Bランク魔石を安定して作れるようになったのに……なんて怪しまれるかもしれないが、そこは何とでも言い訳が出来る。



 すっかり死ぬことに慣れたラッティは早速Aランクの水魔石生成に取り掛かることにした。


 材料となるのは、ギルドマスターがくれたAランク相当の空魔石。

「ラッティもそのうち、お前のとこの爺さんみたいに凄い魔法使いになるさ」

 それがギルドマスターの口癖で、初めて水魔石を納品した時から親切にしてくれている。

『型落ち寸前だから気にすんな』なんて言ってくれたが、この石一つでBランク水魔石五個以上の値段になる。小娘にほいほいとプレゼント出来るような品ではない。


 だがこの魔石があったからこそ、何回ループしても作ろうと思った時にすぐ高品質水魔石が作成出来るのである。

 そんな意味でもギルドマスターにはお世話になってばかりである。空中に向かって「ギルドマスター、ありがとう」とお礼を告げ、魔石を袋から出す。


 ラッティが持っているAランク相当の空魔石は二個。初めてBランク魔石が作れるようになった時にもらったものと、先日、早めの誕生日プレゼントだともらったものである。どちらもありがたく使わせてもらおう。


 とはいえ、Aランク水魔石だけ納品するのもおかしな話なので、Bランク水魔石の作成も同時に行うことにする。


 最後の納品が確か三日前。すでに手元には完成品が一つある。後三個くらい追加すればいいだろう。


 Bランク相当の空魔石と合わせて五個の魔石を並べ、端から順番に乾いた布で拭いていく。周りに付着した小さな埃を取り除き、終わったら自らの魔法で濡らした布で丁寧に拭いていく。この時、魔石の表面にうっすらと水が残る状態がベストである。

 あまり大量に残ってもいけないし、すぐに乾くほどでもいけない。しばらく放置して水を内部に吸い込ませることに意味があるのである。そして乾燥が済んだ魔石を再び濡らした布で拭いて乾かしてを何度か繰り返す。


 これらの作業を何度繰り返すかは物によって異なるが、大体は五回以内に終わる。


 もう何度も使い回されて、ランクオチ寸前のやつなんかは結構時間がかかるが、そこは気長に作業するしかない。


 ちなみにこの作業は水魔石を作り出す上で必須ではなく、初めの状態の魔石にそのまま魔力を注ぎ込む方法が通常である。


 他の魔法使いがしているところを見たことはない。祖父に教えてもらった時も何も言っていなかった。おそらくラッティのオリジナル。

 だがやるのとやらないのとでは完成品の質に大きな差が出る。特にリサイクルされたものは中に他の属性の魔法や他者の魔力が残っていることがあるので、そのまま付与すると混ざって効果が落ちてしまうのだ。


 水魔法は浄化作用も含まれているので身体に害を与えることはないが、せっかく詰め込んだ魔法の一部を浄化に割くのはもったいない。


 そこで考え出したのが、先に外から自分の魔法を染み込ませておく方法である。


 二度の水拭きで浄化が終了したBランク魔石を三つまとめて拾い上げ、胸の前で両手を合わせる。ふ~と長い息を吐きながら手の中に魔力を流し込む。

 魔石に魔力が流れ込んでいくのを感じながら、三つともが満たされるまでゆっくりと注ぎ続ける。といっても本当にわずかな時間で終わってしまうのだが。


 完成品は専用の袋に入れ、Aランク魔石拭きを再開する。

 そしてすぐに異変に気付いた。片方は四回目で終わったのに対し、もう一つの魔石は何度拭いてもすぐに表面の水が乾いてしまうのだ。布に染みこませる水の量を増やしてみたが、結果は同じ。少し目を離した隙に乾いてしまう。


 もうかれこれ十回は繰り返している。

 ラッティが過去に作った高品質水魔石の多くは人工の空魔石を使用していた。この作業量の差が人工物と天然物の差だと言われればそれまでだが、こんなに手間がかかるものなのだろうか。


 すでにランプのオイルは尽き欠けており、設定したタイムリミットがすぐそこまで来ていることを示していた。


「残りは明日に回すか……」

 初日から計画がズレるとは思わなかったが、仕方ない。



 明日には終わるだろうーーなんて軽く考えて眠りについた自分を殴ってやりたい。


 朝食後、残りの水魔石作りに取りかかったラッティは完成品を前に頭を抱えることとなる。


「高品質魔石で失敗するとこんな色になるんだ……」

 一つは成功したのだ。非常に透明度が高く、Aランクの中でも高品質のものが出来たと思う。失敗したのは昨日上手く水を吸い込ませられなかった方。


 朝起きてからも何度か水拭きを繰り返して、やっと表面に水が残るようになったそれに魔力を込めた結果ーー見事な濃い青の魔石が出来上がってしまった。


 透明度0。黒に近いその色はずっしりとした重みさえ感じるほど。窓から差し込む日差しにかざしても向こう側なんて見えやしない。


 前回は陛下付きの魔法使いとして生きただけあって、それまでよりも多くの水魔石を作ってきた。だがこんな、Eランク以下の水魔石なんて一度も出来たことはない。


 正常に水を出すことが出来るのだろうか。

 試してみたいが、暴走されても困る。


 水魔石の暴走なんて聞いたこともないが、他の属性だとたまに起きる現象ではある。火の魔石だったら爆発、風の魔石だったら暴風なんて具合に属性ごとに被害も異なる。


 水魔石だとすれば洪水だろうか。

 入れ物となる魔石が高品質なこともあり、中には大量の魔力が込められているはずだ。

 大洪水なんて引き起こしたら笑えない。家に置いておく訳にもいかない。


「ギルドに依頼して海に投げ込んでもらうのがいいんだろうけど、いつ暴走するか分からない魔石の処理なんていくらかかるんだろう」

 ラッティの住む村から一番近い港まで、ラクダと馬を使って三週間。

 その間他の依頼を受けてもらうことは出来ないので、自然とその間の移動費や生活費なんかも依頼料に上乗せされることとなる。


 危険度は判定が出来ないので一般物として搬送依頼は出せないだろう。頭の中で必要経費を足していき、増えていく桁に頭が痛くなる。


 これがもしも火の魔石や風の魔石ならば搬送用の専門ケースがあるので、それに入れて渡せば問題ない。近くの砂漠で処理出来るので移動費もさほどかからない。


 だが水魔石は暴走した例がないので、そもそも対応するケースが存在しない。


 生産ギルドに製作依頼を出せば作ってもらえるかもしれないが、一刻でも早く失敗作を手放したい身としては悠長に完成を待っては居られない。となればやはり高額依頼を出すしかなくーーとスタートに戻ってしまう。


「お金作るしかないか……」

 ちょうど手元には高品質水魔石がある。一つ納品した程度では足りないだろうが、これを元手に前払いを済ませてBランク魔石を売ったお金でAランク空魔石をいくつか購入すれば用意出来なくもない。


 避けるべきは出費よりも被害である。

 机の上の魔石をバッグに入れ、ローブを羽織る。


「ちょっとギルド行ってくる」

 リビングに顔を出せば、ちょうど母と妹達が昼食の準備をしようとしているところだった。


「お昼は?」

「うーん、いいや」

「そう。町に行くなら帰りに乾燥ナツメヤシの実とコウリャンを買ってきてちょうだい」

「分かった」

 いってきますと手を振って、ラクダに跨がった。



 ギルドは少し離れた町にある。

 この辺りだと一番栄えており、市場に並ぶ食材も多い。だからギルドに行く時は大体買い物も済ませてきてしまうことにしている。


 母が言ったものと、後は市場を見た具合で適当に。バナナが安かったら妹達にバナナのロティを作ってあげよう。そんなことを思いながら砂漠を越えていく。


 町の入り口でラクダから降り、綱を引いて歩く。町に入ってすぐ、市場通りに差し掛かるといろんな人から声をかけられる。


「帰りはうち寄っていってよ。サービスするからさ」

「顔出すね」

「珍しい果実が入ったんだ。妹さん達にどうだい?」

「今日はナツメヤシ買っていくって決めてるの」

「質の良い小麦粉でケーキ作りなんてどうかしら」

「小麦粉じゃなくてコウリャンが欲しいって」

「あ、ラッティ! さっき依頼出しといたから見てくれよ」

「確認しておくわ」


 水の魔法使いが近くにいれば井戸が枯れても安泰と言われている。

 ましてやBランク水魔石を作れるともなればなおのこと。だからこの町の人達はよくサービスしてくれるし、ラッティも遠慮なく受け取るようにしている。


 お店の人達に挨拶をして、ギルドに向かう。ギルドの前には小さな子どもが三人ほど立っており、その一人に声をかける。

 ラクダを預かる子ども達だ。彼らは町の子ども達で、ギルドの他にも近隣の町や村からやってきた人のラクダを預かるのが仕事なのだ。


「預かっておいてくれる?」

「鉄貨一枚」

「はい。よろしくね」

「ん」


 鉄貨一枚でナツメヤシの実が二個買えるので、たまに高いと渋る者もいる。だが町の門をくぐるのに通行料を取る町もあることを考えると、安い通行料みたいなものなのだ。


 子ども達の取り分がどのくらいかまでは分からないが、子ども達に安定した職があるからかこの町の治安はとてもいい。

 ちなみに料金を多めに渡せば預けている間に水やエサを与えておいてくれるサービスなんかもある。ラッティはそこまで長居することがないので、使ったことがないが。


 ギルドに入り、いつも通り受付カウンターへと向かう。並ぶのは一番カウンター。ここが一番ギルドマスターの席から近いのだ。ラッティが来れば受付の人が彼へと繋いでくれる。


「マスター。ラッティさんがいらっしゃいました」

「今回は早いな」

「うん、ちょっと早めに出したいものがあって」

 そう言いながらバッグを撫でると彼は目を大きく見開く。これだけで何かあることを察してくれたらしい。

 デスクから鍵を持ってくると、奥の個室へと通してくれた。他の個室よりも念入りに防音がなされたこの部屋に通してもらうのもこれで何度目か。少なくとも十は越えている。


 初めは明らかに高そうなソファに座るのも怖くて、勧められても断ったほどだ。王宮に住んでいれば嫌でも慣れるので、今のラッティにはもうそんな初初しさはない。座るようにと言われて腰を降ろすと、すぐにバッグから魔石を取り出した。


「まさかとは思ったが、もうAランクの生成に成功したのか……」

「たまたまよ。これの買い取り金で新しい魔石を買いたいんだけど」

「すぐに用意させる。それにしてもこんな純度の高い魔石、お前の爺さんが納めてくれたものでも早々なかったぞ。凄いな」

「でも失敗作も出来ちゃった。暴走するかもしれないから処理をお願いしたいんだけど、どのくらいかかるかな?」

 前置きをしてから例の魔石を出すと、ギルドマスターはわなわなと震えだした。

「これ、本当にラッティが作ったのか?」

「うん」

「この元の石どこで拾った」

「ギルマスが安く譲ってくれた奴よ。こっちのAランクのやつと同じ時に」


 疑うような視線を向けるギルドマスターに、バッグの中から他の魔石も取り出して見せる。記憶を取り戻す前に作ったBランク魔石を並べて「これが今回の成果」と伝えれば、彼は信じられないと首を振った。


「だがここにこれがある以上、放置は出来ないよな。……今から城に向かう。今日は帰れねえって手紙書け。ラッティのラクダと一緒に家に届けさせる」

「え、これってそんなにひどい物なの!? 偶然の産物で意図的じゃないし、国家反逆なんて私、一回も考えたことないよ」


 アラージフと関わらなければ死ぬ確率も減らせるのでは? なんて考えてはいるが、この国を水没させたいなんて考えている訳ではないのだ。


 そもそもそんなに力の強いアイテムを意図的に作れるなら他のことに使う。例えばオアシスを作り出すとか。


 だから即行で牢屋行きは勘弁である。

 フルフルと首を震わせながら必死で『偶然だから!』と繰り返す。そんなラッティの肩をギルドマスターはガッシリと掴んだ。


「落ち着け、ラッティ。これは失敗作なんかじゃない。Sランク水魔石だ」

「S、ランク?」

「俺も数回しか見たことはないが、間違いない。それもかなり純度が高い品だ。おそらく売った空の魔石にSランクからの型落ち品が混じっていたんだろうが、材料があったところで簡単に作れるようなもんじゃない。……Aランクを作れるだけでも報告義務があるってのに、偶然だろうがSランクまで作っちまったとなれば連れて行くしかないだろ。ということで早く書け」


 Sランク水魔石?

 この明らかなる失敗作が、ずっと作ろうとしていた水魔石?

 え、こんなにあっさりと出来るものなの?

 だってギルドマスターが安く売ってくれた魔石はジャンクに近いって。王宮で用意したものとでは明らかに質が違うのに……。


 なんで? とパニックを起こすラッティに、ギルドマスターは半ば強引にペンと紙切れを押しつける。ペンはいつも胸元に入れているものだが、紙切れは彼のポケットの中で丸められていた書き損じである。

 これだけ見てもギルドマスターの焦りが伝わってくる。


「いやいやいやいや、急に来られてもあちらも困るだろうし、私にだって予定があるし。せめて日を改めて……」

「買い物ならこっちの紙に必要なもの書いておけ。それもまとめて送らせる」

「……行かなきゃダメ?」

「一日でも早く、な」


 Aランク水魔石が完成した時でも騒ぎになったほどなので、これが本当にSランク、伝説級ともなれば焦るのも仕方のないことなのだろう。

 諦めて紙の皺を伸ばしてから家族への手紙を書く。ついでに買い物リストも。重たいものも遠慮なく書き連ねていく。


 それからギルド側が用意してくれた車に乗って、お城へと向かう。

 ラクダと違って屋根があるので、移動中も睡眠が取れる。寝てて良いぞとの言葉に甘えて、瞼を閉じた。


 何度もループを繰り返していれば案外どこでも寝られるようになるものだ。何よりギルドマスターに殺されることはないだろうと信頼しているから。

 彼に殺された時はーーもう家族以外の人を信頼しないようにして生きるしか道は残されていないと考えを改めるほかないだろう。何度繰り返してもそんな事態に陥ることはないと思うが。



 それから何度か休憩を挟み、ほぼ一日かけて城に到着した。

 突然の訪問なので審査に時間がかかると思われたが、到着してすぐに王の間へと通された。人払いがされており、王とラッティ達の他には四人ほどの臣下しかいない。


 けれど王座に座った男性はラッティの知る彼ではない。

 父よりも少し年上に見える彼はおそらく先代、ツェット=グウェン。ラッティが妃に迎えられたのは毎回王が変わった後なので、先代の顔を知らなかった。


 王都に住んでいるならともかく、半日以上も離れた場所に暮らしていればいくら自国の長だろうと顔までは知らないものだ。


 ここに来て初対面を果たしたツェットは八ヶ月後、正式に王位を譲ることになる。

 それよりも以前から謎の病魔に犯されていたとのことだが、いつから病んでいたのかラッティには知る由もない。少なくとも今の彼は顔色が良く、とても病を患っているようには見えない。


 王位を譲ってから必ず三年以内に亡くなっている彼だが、そのタイミングはループするごとに変わる。おそらく情勢の関係で死亡を隠しているのだろう。なのでラッティは彼がいつ亡くなるのかを知らない。


「本日はお日柄も良く、陛下におかれましては」

「形式的な挨拶はいい。Sランク水魔石はどこにある」

「こちらにございます」


 ギルドマスターは胸元から革袋を取り出し、近くの人に渡す。

 革袋を受け取り、陛下の元へと運ぶ男には見覚えがある。この国の宰相だ。忙しい人でよほどの用でもなければ話す機会もなかったので、顔と名前以外ほとんど知らない。ただ重鎮の中でも信頼されているようだった。


「これは……本当にそこの娘が作ったのか?」

「はい。Aランク魔石の生成と同じくして出来たようです。そうだよな、ラッティ」

 いきなり話を振られ、ビクンと身体が跳ねる。ここで変にごまかせば速攻で首が飛ぶ。だからといって余計なことまで言うほど馬鹿じゃない。

 コクコクと頷けば、大人達は緊張で声が出ないと勘違いしてくれたようだった。ギルドマスターが代わりに状況を説明してくれる。


 話の内容は主にSランク水魔石の利用について。

 そしてラッティがAランク魔石はどのくらいのペースで作成出来るのか。ベースとなる空魔石を高品質のものに変えればAランクが量産出来るかどうか、であった。


 途中で挟まる確認に頷くか首を振るか、はたまた首を捻ればギルドマスターが言葉を補ってくれる。そのままトントン拍子で話が進んでいった。


 けれど人に頼りすぎるのもよくない。

「試しに半年、王宮で働いてもらうのはどうでしょうか」

 宰相の提案に陛下は「それはいい」と顎をなで始める。


 このままでは王宮での生活が始まってしまう。今までとは長が違うとはいえ、それもたった数ヶ月のことだ。

 慌ててギルドマスターの袖を引き、抗議をしようと試みる。だが彼の表情はとても明るいものだった。


「ラッティ、これはとても名誉なことだ。家族と離れ、寂しいかもしれないが半年だけでも頑張ってみないか?」

 ギルドマスターを説得するのは無理だと周りを見渡すも、ラッティ以外の全員がこの話に乗り気になっていた。大人達はラッティが頷くのを待つばかり。味方なんてどこにもいなかった。


「半年だけ、なら」

 渋々でも出さざるを得なかった言葉にギルドマスターは笑顔で頷く。


「本日よりそなたを王宮のお水番に任命する!」

 ラッティの職務内容は主に二つ。

 王宮に用意されたカメに水を補充していくことと、水魔石ストックを作ること。メインは水魔石作りで、空の魔石は国が用意してくれる。衣食住は国が保証してくれ、お給料も出る。


 ここに至るまでの流れと年齢は違うが、前回までとあまり変わらない。

 ただラッティの部屋として提供された場所が今までとは違い、陛下の居住スペースにある部屋だった。


 そう、陛下は初めて会った身元もよく分からない女を自分の寝室のすぐ近くに置いたのである。第一妃様の部屋よりも近い。

 それだけ重宝されているのだろうが、いくらなんでも警戒心がなさすぎるのではないかと心配になる。


 暗殺はもちろん、ハニートラップを仕掛けるような色気もないけれど、反感を買いそうだ。それも両親と近い年の方々から。


 王が変わった後も城に残るなんてことがあれば、さらにアラージフの婚約者候補達が加わるようになる。人数が増えればその分殺されるリスクも高まる。今までの人生よりも気が重い。


 だがここに来てしまった以上、働くしかないのだ。



 翌日からラッティはせっせと空の魔石を磨いた。

 なにせ魔力を込めるとすぐ完成してしまうのである。Aランクの水魔石を大量に作ることが出来ると知られれば、半年では帰してもらえなくなる。かといってあからさまに手を抜けば反感をかう。


 だから一日中磨く必要のない石をひたすらに磨く。


 たまに様子を見に来る宮廷魔法使いやツェット陛下、宰相達が首を傾げても『これが私のやり方なのだ』と主張すれば引き下がってくれた。

 実際、やり方自体に嘘はない。無駄な動きが多いだけで。



 一ヶ月目の成果はBランクが六個にAランクが二個。

 本当はSランクとAランクの魔石は偶然の産物であることを強調するためにBランクだけ作るつもりだった。


 だが空の魔石を磨きすぎた影響か、Aランクが出来てしまったのである。それもかなりの透明度のものが。


 さすがに二個同時に作成してしまうのはまずい。絶対睨まれる。せめて再来月以降に持ち越せないかと隠し場所を探した。

 だが隠し場所が見つからないばかりか、部屋をうろうろしている時にタイミング悪くツェットが来てしまったのだ。


 ツェットはそれはそれは喜んでくれた。ラッティが渋々渡したそれを陽の光に当てて楽しんだほど。返してくれなんて言えやしない。バツ悪そうに目線を逸らせば、なにかを勘違いしたらしい。


「立て続けに出来たからといって、今後も同じ量を要求することはないから安心してくれ」

 ツェットは優しく頭を撫でながら「悪い。プレッシャーをかけすぎたな」と謝ってくれた。ラッティの心配はそこではないのだが、平民の子ども相手に気を使ってくれていることは分かった。


 それからツェットは毎日のようにラッティの部屋へと足を運ぶようになった。

 お茶やお菓子、果実などを手土産になんてことない話をしたり、時には部屋の外に連れ出してくれた。


「綺麗な花がある。それを見ながら茶でも飲もう」

 そう言って手を引かれた先は花の宮。何度か目にしてきたその場所は今まで以上に美しく色とりどりの花が咲き誇っている。


 以前、アラージフから『この場所は管理する妃によって全く違う花を咲かせるのだ』と聞いたことがあった。

 実際ラッティが管理している時と、他のお妃様とが管理している時とではまるで花の活かし方が違った。けれど今はこれほど変わるのかと息を飲んでしまうほど。


「美しいだろう?」

「はい……とても」

 花の香りに包まれて飲むお茶はいつもの何倍も美味しい。

 ループする度にこんな小さな幸せを見つけることすら出来なくなっていたのだと実感する。死を恐れるあまり、死に急いでいたのである。


 警戒を解きすぎるのも良くないが、気を張り詰め過ぎればいつか精神的にやられてしまうことだろう。


 ラッティが平静でいられるのは二人目の夫の言葉が今も生き続けているから。


『強くなるには魔物への恐怖を捨てろ。恐怖心がある限り、彼らに打ち勝つことはできない。だが生き残るために恐怖は必要不可欠だ。自らは強者であるという奢りこそが人を死に誘うのだから』


 彼は異国の冒険者であった。

 この国に立ち寄ったのは、彼が護衛を務めていたキャラバンが水魔石を補充するため。国を出る時に大量に買った水魔石を切らしてしまったらしかった。水魔石を買い求めるついでに食料品を買い求めた彼らは町に三日ほど滞在した。

 その時、たまたま出会ったのである。

 水魔石の納品にやってきたら見慣れぬ大男がいて、こちらに大股でやってくるのだからひどく驚いたものだ。


 タイミングの関係か、彼とはあの時しか出会っていないが、とても優しい人だった。


 いろんな国を旅してきた彼はいつもラッティに異国の話を聞かせてくれた。

 プロポーズの時の、二人で海を見に行こうとの約束は叶わなかったが、楽しかった思い出の一つとして今も輝いている。


 彼の話でも特に好きな話は『蜃気楼』である。

 砂漠で見える大気が揺らぐ現象ではなく、蜃と呼ばれる伝説の生物が作り出す楼閣の話。この国では耳にする機会はないが、彼の故郷では有名な話らしい。


 蜃は特別な力を持つ者だけが呼ぶことのできるらしく、見るものによって姿形さえも変えるのだという。農業が盛んな彼の故郷では干ばつが続くとドラゴンの姿をした蜃が現れるらしい。

 蜃は恵みの雨を降らす雲を連れてやって来て、湖の上に作った楼閣に十日ほど滞在するのだとか。水不足が解消する頃にその楼閣ーー蜃気楼はゆらゆらと空気に溶けて消えてしまうそうだ。


 グウェンにも来てくれればいいのに、と溢せば彼は目を細めて笑った。俺も子どもの頃は似たようなことを考えていた、と。


 だけど大人になって考えが変わってーーあれ、なんで変わったんだっけ? 確か彼は何かを知ったから考えが変わったと言っていたはず。その何かが思い出せない。それに対してなんと返したのかも。


 重要なことだったはずなのだが、記憶に靄がかかってしまったかのようだ。

 首を捻れば隣から声をかけられる。


「何か気になることでもあったか?」

 彼よりも少しだけ高い声に、現実へと引き戻される。隣にいるのはかつての夫ではなく、この国の陛下である。


「あまりの美しさに呆けてしまっていました」

 慌てて取り繕えば、ツェットは嬉しそうにふわりと笑った。その表情はアラージフとよく似ている。


「そうか。気に入ったのならまた連れてこよう。ここは季節ごとに違う花が咲くんだ」

 また、は存在するのだろうか。季節が変わる頃にはこうして並ぶことすら叶わないかもしれない。


 ツェットとは出会ってまだ一ヶ月ほど。

 何を考えているかは全く分からない。面倒ごとに巻き込まれる前に早く解放して欲しいとも思っている。


 それでも一ヶ月も暮らしていれば、彼がラッティをなるべく人目に触れないようにしてくれていることには気づく。魔法使いや宰相達が来る時も決まって彼は側にいて、今だって花の宮で暮らすお妃様とすら顔を合わせていないのだから。


 このまま病に侵されて弱っていく姿を眺めていることは出来ないくらいには情が湧いている。

 宮廷医師がどうにも出来なかった病から救うことができるなんて思っていないが、初期に気づけば……。


 そもそもツェットはなぜ亡くなったのか。

 一般的な病は初期症状であれば水魔法が浄化してくれるはずだ。城にはお抱えの魔法使いがいるので、一般的な病ではないと思われる。

 また今回も数年のうちに平民の間で流行るであろう病も、水魔法は効かなかった。国が備蓄した水魔石を解放したが効果がなかったのである。


 水魔法が効かなかったことで多くの犠牲を払うこととなったが、効果のある薬草が特定されるまでさほど時間はかからなかった。同じ病なら宮廷医師が試さないはずがない。


 部屋まで送ってもらった後も考えたが、原因は分からなかった。

 やはり症状を見てみないと分からないか……。


 うーんと唸りながら、水魔石作りに入る。

 考えごとをしていると力が分散して、Bランク、Cランクの魔石ばかりが出来ていく。ポコポコと出来てしまったので、量は増えてしまったが、Cランクまで入るのならこのくらいがちょうどいいのかもしれない。


 質の良い空魔石を用意してもらって、質の低いものを返すのは気がひけなくはない。だがはじめの数周はこれが当たり前だったのだ。



 二ヶ月目からは時間をかけてせっせと磨き、考えごとをしながら力を注ぐようにした。Cランクの水魔石は増えたが、その代わりにAランクの魔石もいくつか混ぜることにした。


 すると半月を過ぎたあたりで朝と夕に二回、カメに水を補充する仕事が増えた。慣れたと判断されたのだろう。元々お水番の仕事には水の補充も含まれている。


 家にいた頃と同じように入れていけばいい。

 そう簡単に考えていたが、これが意外と難しい。


 なにせ普通に入れれば割れてしまうのである。

 ラッティが実家で使っていたカメは井戸まで運んで水を汲んでくる用のもので、とにかく強度が高かった。

 だが城で用意されたものは強度よりも見た目が重要視される。カメというよりも大きな花瓶、薄くて割れやすいのだ。


 力を調整しながらチョロチョロと入れる必要がある。

 今までここまで細かい調整をしたことがなかったので、気を抜けばすぐに勢いが出てしまう。


 高いカメをいくつも割るわけにはいかないと、使用人が使っているカメを借りて練習することにした。


「ううっ難しい」

「すでに想定以上の量の水魔石をいくつも作ってもらっている。無理に水入れをしなくていい、と言いたいところだが君の出す水は好評らしい。使用人の間で次はいつ来るのかと順番争いになっているそうだ」

「そうなのですか?」

「城には井戸がある。使用人が使うのは本来そちらの水だ。城の井戸はしっかりと管理がなされているが、魔法使いの水と比べるとやはり質がまるで違うようだ。ラッティの出した水を使って掃除をした場所とそうでない場所を見比べると雲泥の差だぞ」

「はぁ……」


 雲泥の差はさすがに言い過ぎだ。

 多少は浄化の効果もあるのだろうが、元々城内のいたるところはピカピカに磨かれている。今回は彼らの成果を見る機会はあまりないが、廊下はいつ見ても綺麗なものだ。


 苦手でも上達するまで努力を重ねろと言いたいのだろう。

 誉められずとも、元よりここで投げ出すつもりはない。

 それに魔石作りばかりしていればいつかボロが出そうで怖いというのもある。


 苦手なものがあるくらいがちょうどいいのだ。

 水の魔法を使おうとカメに手をかざす。するとツェットはラッティの手元を見ながらポツリと呟いた。


「優秀な水の魔法使いを残せばもう思い残すことはないと思っていたが、君のおかげでまだやれることはあったと思い知らされた」

「陛下はどこかお身体が悪いのですか!?」

 元気そうに見えるが、すでに諦めなければならないフェーズに入っているのか。ギョッとして振り返れば、ツェットはパチパチと瞬きをする。


「いたって、健康だが。……ああ、そうか。言い方が悪かったな。心配をかけた」

「健康、なんですか?」

「この年まで病一つしたことがないとまではいかないが、身体は丈夫な方だと思うぞ」

「そう、ですか」

「それがどうかしたか?」

「いえ、ご健康で何よりです!」

 嘘をついているようには見えない。つまり今の彼は病に侵される前、もしくは自覚症状がない状態なのだろう。



 ここから少しの変化でも見逃さないようにせねばーーなんて考えていたのだが、ラッティの水入れが上達してからも、いつのまにか契約期限が伸びてからも、ツェットの体調が悪くなる気配はない。

 むしろ顔色は明るく、髪も艶々として見える。


 先週なんてソワソワしながらやってきたから何かあったのかと怯えてお茶を出せば「近々、子どもが増えるかもしれない」と耳打ちされた。


 他のお妃様や子ども達の手前、限られた人にしか話すことが出来ないのだろう。前回までの後宮生活を思えば簡単に想像がつく。

 そんな中でどの派閥にも属さず、部屋から出て誰かと連絡を取ることもないラッティは秘密を共有させる相手としてちょうど良かったのだろう。


「それはそれはおめでとうございます」

「最近は国内の水も安定してきている。水魔石の備蓄も十分。なによりSランク水魔石があれば今後干ばつが来てもすぐに蜃を呼べる」

「シン?」

「蜃は雨雲を運んできてくれる神獣の名前だ。あまり知られてはいないが、この国にも何度か来てくれている」

 まさかここで『蜃』の名前を再び耳にするとは思わなかった。すでにこの国にも来ていたとは……。


「雨雲を運んで来てくれるのに、なぜSランク水魔石が必要なのでしょう? それにSランク水魔石があるのなら、雨雲を呼ぶ必要はないかと」

「いくら強大な力を持つ魔石とはいえ、カバーできるのは一部のみ。国全体を救うことはできない。だから蜃を呼んで雨雲を運んできてもらうのだ。蜃を呼ぶためには彼の身体が入りきるほどの水場が必要で、大きな水場を作るためには力の強い水魔石が必要になる。蜃が消えれば水場も消えるが、土地は潤う」


 それは初耳だ。

 アラージフがラッティを援助すると言い出したのはこれが理由だったのだろう。


 それにしても蜃はどのようにして国中に雨雲を広げているのだろうか?

 人が溜めた水を吸い上げて雲に変えている?

 蜃が滞在するとされている楼閣は雨雲が生成される際に出来る幻影?


 ポンポンとそれらしい理由を思いつくものの、どうも過去の記憶が引っかかる。使用した水が国に還元されるだけなら、彼が考えを改めることはないように思う。


 おそらく何かしら大きなデメリットがあるはずなのだ。

 だがそうだと仮定すれば、今度は陛下の明るい表情が引っかかる。


 蜃は良い存在なのか、悪い存在なのか。

 人間にもたらすものは本当に恵みの雨だけなのか。


「よければ蜃の水場を見に行くか?」

「良いのですか?」

「ああ、今はちょうど誰も住んでいないからな」

「住む?」

「蜃の水場は水の宮にあるのだ」


 水の宮ーーそれは第二妃の住んでいた宮である。

 ラッティの立場や住む場所が変わる度、お妃様の住居も移動することがある。けれど第二妃様だけは必ず水の宮に住んでいた。


 花の宮が第一妃や寵妃に割り振られるように、それぞれ宮ごとにも意味や仕事があるらしい。

 ラッティはその意味を知らずに反感を買っていた訳だが、今大事なのは水の宮の役割である。


 名前からして水に関係があるのだろうが、水の魔法使いとしての力を認められて城に来たラッティがそこに割り振られることはなかった。


 第一妃の場所ですら知らずに与えられていたというのに、だ。

 ここに何か大きな理由があるのではないか。その謎を解き明かすかのように、陛下の後ろについていく。


 けれど水の宮に繋がる廊下に差し掛かると腹の底がスウっと冷えていく感覚に襲われた。一歩、また一歩と歩けば手足にまで冷えが広がっていく。


 まるですぐそこに死があるかのようだ。


「どうかしたか?」

「あの、私、この先へは」

「……この先には何もいない。恐れるものなど何もない」

 そう告げると、ツェットはラッティの身体を抱き上げた。ラッティの顎が彼の肩にくるように高さを調整してから、ゆっくりと水の宮へと進み始めた。


 ツェットが進むごとにラッティの見える景色は遠ざかっていく。引き返してはくれないらしい。


 怖くて逃げ出したいと思うのに、尻の下と背中の二点でホールドされた腕から逃げ出すことは叶わない。

 少しでも怖さを和らげるためにギュッと目を閉じれば、彼にしがみつく手にも自然と力が入る。


「怖くない、怖くないぞ」

 陛下は繰り返し言い聞かせながら、子供をあやすかのように一定のリズムでラッティの背中を叩く。その感覚に懐かしさを覚えた。


 だがあの時はもっと視点が低かった。

 背中をトントンと叩く手は皺くちゃで、耳元で聞こえる声は聞き覚えがあるものだった。


 そうだ、あの声は祖父のものだ。

 祖父の声が頭の中で甦ると、同時にループを繰り返し始めるよりも前に、祖父に連れられてこの場所に来たことがあることも思い出した。


 あの時も途中で行きたくないと言って、けれど駄々をこねるなとこうして抱き上げられた。


 少しずつ鮮明になっていく記憶に思わずフルフルと首を振ってしまう。

 思い出したくない。忘れたままでいたかった。どんなに恨まれても、殺されようとも知らないふりをしていたかったのにーー。


 何度も同じ時を繰り返すのは、それがラッティの役目だから。その役目について、今の今まで忘れていた。無意識のうちに記憶に蓋をし続けていたのである。


 そう、いつか必ずこの道を歩かなければ行けなかった。逃げることなどできない。


 なにせラッティは蜃気楼の楼主となるために、祖父から水の力を引き継いだのだから。


 死を繰り返してもなお魔量が減ることがなかったのは、元より力を増やすため同じ時間を繰り返していたから。死はただのキッカケに過ぎなかった。

 殺されずとも、ラッティの成長が止まれば時間がリセットされるようになっていた。


 それが『楼主』に選ばれた人間の定めなのだ。


 ツェットが会ってすぐの小娘に自分の寝所に近い部屋を与えたのは、ラッティの素性を知っていたから。

 何度繰り返しても、ラッティがAランク水魔石を完成させるとすぐにアラージフが駆けつけたのも、城に来てからなにかと親切にしてくれたのも、同じ理由だろう。


 陛下の肩をトントンと叩けば、ゆっくりと下ろしてくれる。

 だがもう逃げようという気にはならない。ぐるりと辺りを見渡してふうっと長い息を吐く。


「……家具も全てあの頃のままにしてあるのですね。私は、今日からここに住むのですか?」

「記憶が戻ったのか」

「はい」


 水の宮は蜃気楼を建てるための場所にして、楼主の住まう場所でもある。幼い頃に祖父とツェットから説明を受けた。

 他のお妃様達がこの宮の役割を知っているのかは定かではないが、少なくとも第二妃は知っていたはずだ。


 なにせ水の宮は大きな水溜りを囲んで部屋がいくつか並んでいるだけ。

 従者を何人も連れて移り住むような場所ではない。ラッティが力を隠し続ければ第二妃が代わりの楼主になる手はずだったのかもしれない。


 楼主に選ばれる条件は水の魔法使いであること。

 先代から力を引き継いでいなくとも、水場を満たせるだけの水さえ用意できればそれで良い。楼主に選ばれた者は蜃が去るまでの間、彼をもてなす必要がある。



 水で出来た楼閣に十日間もいれば普通の人間なら死ぬ。

 水の魔法使いは他よりも水に対する耐性が強いとはいえ、数日持てば良い方だ。だが楼主が死んだからと途中でもてなしを止めれば蜃が去ってしまう。楼主の他にも何人も水の魔法使いを用意するのが一般的だ。


 だが先代から力を引き継いだ楼主は違う。

 蜃をもてなしている間に死んでしまうことのないよう、何度もループを繰り返して力を育てているのだ。


 万が一、力不足で死んでもまたやり直せる。

 繰り返し続ければいつか蜃を満足させることができる。


 そのために初代は楼主としての力を引き継ぐ魔法を編み出した。


 ラッティがループすることを知っている王家にとって、第二妃はただの繋ぎでしかない。けれど彼女からすれば、アラージフは愛人の命惜しさに役目を他の者に押し付けたと見えたことだろう。


 だから蜃を確実に呼び出すことが出来るSランク水魔石の完成を阻んだ。

 そう考えるとラッティを敵視していないと思われた彼女がいきなり牙を剥いた理由も納得ができる。


 ……他のお妃様の動機は嫉妬だろうが。

 いきなり出てきた平民が特別扱いされることが面白くなかったのだろう。


「君がそれを望むのなら、すぐにでも新たな調度品を手配しよう」

「私ではなく、蜃が望めば、でしょう」

「……今は蜃を呼ぶつもりはない」

「この先に蜃はいますよ」

「そんな、まさか」


 いるはずがないーーそう続けようとして、ツェットは空を食んだ。

 通常、蜃は呼び出されなければ人の住処に現れることはない。

 だが祖父がラッティに力を引き継いだあの日、蜃はこの水の宮に現れたのだ。


 ラッティが自らの能力を忘れていたのはこの場所が恐ろしかったからではない。魔物もろくに見たことがなかった彼女にとって、巨大な蜃の姿は恐ろしかったのである。記憶を消してしまいたいと願うほどに。


 蜃が人のために力を使うのは、自らに相応しい相手を探り当てるため。

 水場は蜃気楼を建てる場所であると同時に、楼主の実力を示す役割を持つ。蜃を呼び出すために魔法で出した水か水魔石を必要とするのはそのためだ。


 引き継ぎには当代と引き継ぐ相手が作った水魔石が必要となる。

 水場に魔石を投げ入れることで蜃に楼主の世代交代を告げるのだ。そして蜃は来てしまった。


「私の作った水魔石を水場に投げ入れたのでしょう?」

「っ!」

 記憶を取り戻した今なら分かる。

 ツェットを筆頭に、王族が何人も立て続けに亡くなった理由はおそらく水不足だ。


 各地で井戸が枯れれば、王家の貯蔵している水魔石が放出される。

 新しい水脈を掘り当てるまでの短期間ならともかく、長期化すればするほど貯蔵は減っていく。すると当然、王家は水魔石作りを優先させなければならない。


 民達が水不足で喘ぐことがないように。

 そして何より、この水場を枯らさないために。


 その結果、本来水魔法によって浄化されるはずだった病が進行し、気付いた時には手がつけられなくなっていた、と。

 いや、気付いていても水場の維持を優先したのかもしれない。


 砂漠に囲まれたグウェン王国にとって、水不足の問題は常に頭の端に置いてあるものである。だが一度でも水場を枯らせば、二度とその場所に蜃が降り立つことはない。

 故に水場を満たすための水は最も優先すべきものなのだ。


 ラッティに楼主である記憶がないと知りながら、すぐにお水番に任命したのは、それだけ水不足が深刻だったからだろう。

 水場を満たすためにラッティが作った水魔石を投入していても不思議な話ではない。むしろ楼主の水で水の宮を満たすことは道理である。


 おかしいのは、蜃が呼び出されずとも度々訪れてしまうこと。

 本来彼らはAランクやBランクの水魔石を入れたところで簡単に来てくれるような相手ではないのだ。水場を作ってから呼び出すまでの儀式だってあるはず。


 だが彼はそれを守らない。人間の掟を守る理由などないのだろう。


 水の宮の中心まで進めば、予想通り、蜃はそこにいた。

 Sランク水魔石と同じ色の鱗を持つドラゴンは水場にどっぷりと浸かっていたのである。人の近づく気配を察したのか、のそりと顔を上げる。すると水場に沈んでいたのだろう、空の魔石や大きな貝が陸地に打ち付けられた。


「遅いぞ。待ちくたびれたわ」

「お久しぶりです、シャクラン様」

 ラッティはあの日、蜃の、シャクランの伴侶として認められたのだ。

 彼はすぐに自らの住処にラッティを連れて帰ろうとしたが、幼い子どもでは蜃気楼の中で生きていくことはできない。


 だから彼はラッティが一人前の楼主として育つのを待った。

 水場に投げ入れられたラッティの水魔石に反応して来たのは、次の楼主に力が継承されないうちに攫おうとしたからだろう。


「シャクランで良い。それにしてもやはりラッティの水は心地よいな。早くこの水で蜃気楼を建てたい。さぁ水魔石を寄越すのだ」

 シャクランがひと睨みすると、ツェットは胸元から水魔石を取り出した。一国の王が刃向えるような相手ではない。ならばただの小娘は頷くしか選択肢はないのだ。


『楼主は蜃への生け贄だ』

 今になってかつての夫の言葉を思い出す。

 つい少し前まで役目を忘れて過ごせた分、ラッティは他の楼主よりもずっと幸せな人生を歩めたのかもしれない。


 ただ、他の人とは違うだけ。

 神獣と呼ばれる蜃を見たその日から、ラッティは普通の人生というものから大きく外れてしまっていたのだろう。


 高品質なものとは思えぬほど深い青をしたそれを受け取ると、シャクランは満足げに笑った。


「我らの楼に相応しい青ーーさすがは我が伴侶だ」

 そう呟くとシャクランの手がラッティへと伸びる。

 彼はそのまま魔石とラッティを包み込むと空高く飛び立った。その時出来た水飛沫が次第に楼閣へと形を変えていく。


「綺麗......」

 一度見てみたいと憧れたそれを見下ろしながら、ラッティは蜃に運ばれグウェン王国を去った。



 ーーその後、ラッティの所在を知る者はいない。

 だが蜃が去り際に残した蜃気楼は何年経ってもなくなることはない。あの日の形を保ったまま水の宮にあり続けている。

 その楼閣が出来てからというもの、不思議と水場が枯れることもなければ、グウェン王国が水不足に悩むこともなくなった。


 いつからかグウェン王国は蜃の加護を受けているのだと噂され、人々は蜃を神と崇めるようになった。だがその加護の影に、蜃の伴侶となった少女の存在があったことを知る者はごくわずかである。

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