満月と流れ星の夜に誓う with 令息殿(=婚約者)
ぽかぽか陽気を通り越したジリジリ陽気の中、サラティアの婚約者である侯爵家の令息殿が伯爵家を訪れていた。
ガーデニングが得意で自称ガーデナー(中級者)の兄が手入れする伯爵家の庭を2人並んで歩きながら、令息殿とぽつぽつと会話する。
淡いすみれ色のオキザリスの花が慎ましげに咲いていた。菫は植えていない。サラティアの瞳の色は茶色だった。
兄自慢の薔薇のアーチをくぐり(※トゲに注意)、兄自慢の松のアーチをくぐり(※チクチクに注意)、ほぼ野生の蔦のカーテンをくぐり抜け(※首吊りに注意)、兄一押しの柳の暖簾をくぐり抜け(※焼き鳥の誘惑に注意)、どうにか無事にたどり着いた兄作成の枯山水の庭にピクニックシートを広げて宇治抹茶ミルクティーを楽しむ。
柳は剪定したばかりだと、今朝兄が言っていた。
「これ、サラティアにお土産だよ」
令息殿から差し出されたお土産の紙袋を受け取った。
袋の中の土産物はばっちり赤福の包装紙でくるんであって、急かすように「開けてみて?」と令息殿に上目づかいに言われても、「うん、中身赤福ですわよね」との気持ちが消えてはくれず、緩慢な指の動作になることは致し方無いことで、それでもやる気の無い指を叱咤し、時に激励し、どうにか包み紙をビリビリに破いて中の箱を取り出した。
「どう?気に入った?」
気に入った。
この香り、何故今の今まで気が付かなかったのか。
鼻腔を柔らかに撫で、気管、肺へと降りていくニッキのスッとした凛とした香り。
スンスンと鼻息が荒くなってしまい、「わたくしとしたことが」とサラティアは令嬢らしく頬を赤らめた。
「ですが、どうして生八つ橋ですの? わたくし固い普通の八つ橋でもよろしかったのに」
サラティアはさりげなく、いや、あまりさりげなくはなく、自分はハード系が好みなのだと伝えてみる。
「固いものを食べて、可愛い君が口の中を傷付けるようなことがあってはいけないからね」
過去の実績に基づいた事前の対策。
危険からの回避。
侯爵家の令息はかつて、梅干しの種を噛んで割って種の中身を食べようとした。結果として、上の歯が1本欠け、歯には白い詰め物を施された。医学の進歩とは素晴らしい。パッと見は健康な歯となんら変わらない。
「今夜ビアガーデンをしないかい?」
令息殿が唐突に提案する。
「でもわたくしアルコールは苦手で、牛乳入りでないと飲めませんの。牛乳は特に木次乳業のパスチャライズだと有り難いのですけれど」
水腹になりそうな提案。
ティータイムの最中だというのに、また水分摂取の話。サラティアは急激に貝殻もなかを食べたくなった。粒あんがぎっしりで、しかしながら上品な甘さでペロリと食べきれてしまう、あの不思議な最中を。あぁ、ドンドンと、胃袋まで響くような太鼓の音。漁夫達の太く渋味のある声。幻聴の波の音と共にBGMで聞こえてくるのは、かの名曲、貝殻節。
目の前に無いはずの最中に思いを馳せるサラティアを、令息殿は甘やかに細めた目でうっとりと見つめた。
「君のその表情、いつまででも見ていられるのだけれど。ただ、時間が限られていてね。きっと美味しいだろう想像の最中に話を戻してすまないが。今夜のビアガーデンはそんなに難しく考えなくてもいいよ。デパートの屋上ではなく、うちの邸の庭で開こうかと思っている」
「え、庭で?」
「そう、庭で。一畑百貨店でも天満屋百貨店でもそごう百貨店でもなく、うちの庭で」
ガーデンパーティーとビアガーデン、麦酒を飲んでしまうと同義になるのだろうか。
サラティアは麦酒は飲まないが。木次パスチャライズ牛乳を好む。
サラティアの母は白バラ牛乳(大山乳業農業協同組合)を好む。
父は……蛇口の水でよいだろう。高松空港には捻ればうどん出汁が出るという魔法の蛇口があるらしい。
令息殿は言葉を続ける。
……で、兄の飲み物は?
「ほら、うちの邸の庭には2羽ニワトリがいるだろう? それを君と僕、2人で一緒に焼いて食べようと思うんだ」
「1人が1羽ですの? 水腹にニワトリ1羽分を追加しますと、きっとリバー……お腹がはち切れてしまいますわ」
ウエストがゆったりした、腹回りの布地に余裕があるワンピースはどれかしら。ビアガーデン、ないしはガーデンパーティーに最も適したワンピースはどれだったかとサラティアは思案した。
嘔吐止め薬の効力が試される時。キャパシティオーバーにも対応可能か?
某ファストフード店のチキン9ピースで鶏1羽分だったことをふと思い出す。
「はち切れんばかりのお腹の君か。まるで、君が将来僕の子を宿した時の予行演習だな。ハッハッハ」
令息殿は自分で言い出しておきながら急に恥ずかしくなったらしく、絹のハンカチーフでせっせと額と鼻回りの汗をおさえている。
黄色いヒヨコのワンポイントがちらりと見えた。
昨年のクリスマスに、サラティアが刺繍して送ったものだ。
サラティアが令息殿と出会う時、2回に1回はそのハンカチーフで、もう1枚も今年の春、令息殿の誕生日に刺繍して送った、ニワトリの鶏冠のワンポイントのもの。
どちらも大切に使ってくれている。
「真ん丸のお腹、わたくしは有名な童話に出てくる狼を想像しますの。仰向けに横たえられ、お腹を切開され、食したつもりの子やぎ7匹全てを取り出され、石を詰められ、縫合される。そして、ふらつきながら水落オープンに参加する狼を」
「君のメルヘンな思考回路を僕はとても愛おしく思うよ」
令息殿はサラティアの手を優しく取り、ふんわりと包み込む。結婚年齢が間近に迫り、最近殊にボディータッチが多い。
「もし脳へ伝達する神経がショートしそうになったら、遠慮せずにすぐに会いにおいで。例え真夜中でも。まぁ、今夜はうちに来てもらうから、またすぐに会えるのだけれど。そういえば、今夜は満月らしいよ。フルムーン」
*************
日中より少し気温が下がった。
ホー、ホー。
夜の訪れ、フクロウが鳴く。
ホッ、ホッ、ホッ、ホッ。
ポコンと飛び出たお腹をゆさゆさ揺らしたおじさんが、温泉タオルを首にかけ、日課のランニングで夜道を駆ける。
夏の夜は明るいものだが、今日は大気が不安定だった。
夕方からは上空に灰色の雲がどっと押し寄せ、月も星も見当たらない。かろうじて雨は降っていないという程度の空の状態で、自然の明かりは無く、夜間の屋外活動には不向きの天気となった。ランニングを日課とするおじさんは雨の日も雪の日も、天候に負けることなく毎夜たった独りで駆けていく。
「今後の気象情報には細心の注意を払うとしよう」
肩を落とした令息殿にサラティアは慰めの言葉を掛ける。
「暗闇の中であなた様と2人、それもいつの日か良い思い出になるかと」
いつの日か良い思い出に……、現状は決して良しとは感じていない、しかしいつかは時間が解決してくれる、そんな思いを含んだ言葉をそっと掛けた。
常ならば侯爵家の庭には2羽ニワトリが存在していたが、既に庭には2羽のニワトリは存在しなかった。
厨房にも、皿の上にも、胃袋の中にも存在しない。
一体どこへ、どこへ消えた!?
辺りは暗い。
ホー、ホー。
フクロウが鳴く。
コー、コケ。
鶏小屋へ移されたようだ。
サラティアは夕食に素麺を食べたいと主張し、ニワトリは固く辞退した。
鶏肉、特にハツや砂ずりの部位などを大変好むサラティアだが、令息殿と昨年出掛けた夏祭りで買ったかつてヒヨコだったニワトリ達を食べたいとは思わない。どうしても食べるというのなら、せめて毎月28日のとりの日か、毎月29日の肉の日に食べたいと夢見るロマンチストだった。
暗闇の中、ちゅるちゅると、2人並んで素麺をすする。夜空に瞬く星は皆無の為、それぞれの器に盛られたオクラの断面を各自眺める。
「あ、流れ星」
令息殿の箸からオクラが1粒こぼれ落ちた。
「食べ物を粗末にしてはいけませんわ」
メルヘンな頭の持ち主でありながら、常識をわきまえた侯爵令嬢サラティアの至言。
「あぁ、すまない。以後は気を付けよう。サラティアは……その、その……願い事は、何か言えたかい?」
「え、落下するオクラに? わたくし、願い事は特に何も」
願い事、強いて言うなら貝殻もなかを食べたい。目を閉じれば雄大な日本海の荒波が。あぁ、貝殻節を聞きたい。一畑電車に乗りたい。
カチリ。箸と器を置いた令息殿が緊張した面持ちでサラティアを見つめる。
「僕は、願い事をした」
続きを促せと目で必至に訴えてくる。目が合ってしまっている以上、これは無視出来ない。
「では、どんな願いを?」
カチリ。サラティアの箸と器を令息殿が強制的に奪い、令息殿の食器の側にそっと置いた。
食器は夫婦用らしく、対になっている。
その横には空になった麦酒のグラスと、紙パックにストローを刺した500mlの木次パスチャライズ。
「僕と……僕と、結婚、してほしい」
両手を握られたサラティアは自分の指をもにょもにょ動かして片手を逃し、手を伸ばして令息殿の頭をそっと撫でる。
「今更ですわ。来月にはもう夫婦でしょうに」
令息殿はホッとしたようで、肩の力を抜いた。
「本当は、満月の下で、2人だけで誓い合いたいと思ったのだ。週間天気予報を見て、満月になる今日という日を7日間ずっと待ちわびていたのだが」
「1週間もあれば予報は変わりますものね。仕方ありませんわ」
真っ暗の中、2人は寄り添う。
「雲の向こうに満月は隠れておりますもの。ただ見えぬだけで、必ずそこにあるのです。きっと大丈夫ですわ」
真っ暗の中、2人で夫婦となる誓いをたてる。
そして、そっと口付ける。
ホーホー、フクロウが鳴く。
ランニングおじさんの息遣いは遠く、2人のいる場所では聞こえない。
コー、コケ、ニワトリが2羽、庭にはおらず鶏小屋で鳴く。
「あ、もし結婚後も食べ物を粗末にしたら、お仕置きでしてよ」
「何に代わって?」
婚約者を愛するあまりメルヘンというよりオタク寄りな知識を身に付けた令息殿と、来月にはその妻となるサラティア。
地上からは全く見えない満月が、2人を厚い雲の向こうで透視し、凝視し、温かく見守ってくれている。
2人はこの夜の誓いのもと、きっと末長く幸せに暮らすものと思われる。
イラスト:茂木 多弥 様
イラストは 茂木 多弥 様 に描いていただきました。
めっちゃ綺麗! めっちゃ可愛い(>_<)♪
素敵なイラストを有り難うございました。
●肉フェス(長岡更紗 様 主催の「肉マッスルフェス3」)参加作品『どうしてもハニーブレットを手に入れたい騎士と、どうしても教えを乞いたい令嬢の話』
https://ncode.syosetu.com/n9629hl/
●ホラー?作品『狂った「時計」とホットケーキ、んなもん、ほっとけい』
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●詩作品『カミキリ虫がすくったら』
https://ncode.syosetu.com/n0292he/
●肉フェス(長岡更紗 様 主催の「肉マッスルフェス2」)参加作品『マサル大衆食堂』
https://ncode.syosetu.com/n9729gt/
にも 茂木 様 に描いていただいたイラスト有ります♪