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人探しは箱の中まで

 雨降り続きだった週の末は梅雨時に珍しく晴れ上がり、かねてより親戚間で定めていた墓参りの日は好天の下で行われることとなった。


 この時候特有の熱気と雨量で蔓延っているであろう墓所の雑草の駆除を、夏の盛りが来る前に済ませるのがウチの通例となっていた。親戚同士で顔を合わせ、一足早い暑中見舞いの代わりとするのも例年のことである。


 親戚で集まるとはいえ、自分と実家の両親、そして父方の祖母の合計四名のみという集まりであったが。久々に生まれ育った町へと帰って来た自分は実家に荷物を置き、両親とは離れて暮らしている祖母の住まいへと向かった。


 実のところ、自分は父方の祖母に関しては真新しい記憶を持っていない。幼い頃に母に連れられ、時おり顔を出しに行くことはあったものの。とはいえ母が「おばあちゃんに会いに行く」と言って自分を連れ出す先は、もっぱら母方の祖母が住まう家を指していた。


 父方の祖母もまた孫である自分を可愛がってくれたので、自分を連れて出かける母が彼女に会いに行く頻度が低いことには明確な理由を見いだせなかった。夫の実家に顔を出す妻が、どれほど窮屈な中で気を遣っていることか、今となってはある程度分かるようになったものの。


 それゆえ、自分が親しんだ印象がより強いのは必然的に母方の祖父母のほうである……どちらも、今は天寿を全うし他界してしまったが。


 亡くなる直前、弱った体に呼吸用のマスクをつけて浮かべていた心細そうな表情もハッキリと覚えているし、祖父母の葬儀が立て続けに行われたがゆえ両親も親戚もすっかり葬儀慣れしてしまい、手際よく進む式次第にしんみりする暇などなかった事もまた印象深い。本来、葬式とは悲しみを深めぬために慌ただしいものであるらしいが。


 だが、父方の祖父母に関しては印象が薄いのだ。父方の祖父は、自分が生まれるより先に亡くなっていた。何も知らない幼少期の自分が、姿の見えないおじいちゃんについて祖母に尋ねた際、


「箱の中に入っているのよ。」


 とだけ返された記憶は今も残っている。骨壺に収められて埋葬されている状況を言っているのだとは知らなかった自分は、更に「出てこれないの?」と問うたものだ。


「きっちり箱が閉められてるから、出てこれないの。」


 ようやく言葉を話せるようになったばかりの幼児に対する説明としては言葉が足りていないことなど彼女も意識していただろうが、父方の祖母は冗談めかした喋り方を好む性質であった。


 説明を言葉通りに受け取った幼い自分は、祖父はかくれんぼか何かで箱の中に入り込んでしまい、きっちり蓋を閉められて出て来れなくなったのだ、今もこの家のどこかにある箱に押し込められているのだ……と恐怖した。小学校に上がるころには、さすがに祖父の遺骨が墓に収められていることなど理解できていたが。


 他に印象的だった父方の祖母にまつわるエピソードといえば、自分が折り紙で遊んでいた時の出来事がある。


 折り紙で作る「やっこさん」は「はかま」と合わせれば和装の人物のような形状となり、そのまま顔や服装を書き込めば簡易的な人形遊びに役立った。その際、自分は和服の合わせ目を描きこむつもりで左前に書いてしまったのだ。左前とは左側の身頃を先に着付けるものであり、亡くなった人に着せるものである。


 家中に水彩画を飾り、自身も水彩画を趣味としていた祖母が古い時代の人間だという印象はなかったのだが、これを目にした祖母はいつになく慌て、声をそこまで荒らげはしなかったものの叱った。


「それは、死んだ人に着せるものよ。やめて。」


 その後、母を呼び出して何事か小言を喋っていたようだが、母は神妙に頷きながらもどこか気の立った様子であった。当時の自分にはいつも可愛がってくれる祖母から叱責を受けるなど、よほどのことだったのだろうという印象ばかりが残った。


 小学校の高学年ともなると、自分も自分の用事に忙しく、祖母の家を訪れることもなくなった。一度だけ、祖母が転倒して怪我をしたとのことで母が泊りがけで病院へと見舞いに向かったことがある。


 翌日帰ってきた母は、消毒液か何かで黄色く染まった指を見せながら、


「自分の母親の面倒ぐらい、自分で見てほしいんだけど。」


 と、父に愚痴っていた。結婚したが最後、結婚相手の親の面倒まで見させられる妻としての苛立ちは、その頃の自分には薄々伝わって来ていた。


 あれから二十年近く経った。祖母は今なお生きているらしいが、もう九十歳はとうに過ぎているだろう。


 祖母が済んでいる団地……アパートやマンションではなく、いわゆる昔ながらの「団地」と呼ぶのがふさわしい古い建物……は、相変わらず子供の気配が皆無の小さな公園を取り囲んで、静かに降り積もった年月とともに立ち続けていた。


 最近は上階の方が家賃が安いらしい。それというのもエレベーターが備えられていない団地では、住民の大半を占める老人も階段での移動を強いられるためだ。この古ぼけた建物の薄暗い入口に立った自分は、久々の訪問を前に祖母の部屋番号をすっかり忘れ去っている自分に気づいた。


 一階部分に寄せ集められている錆の浮いた郵便受けで名前を確認し、自分は階段を上り始めた。幼い頃は一段一段が大きく見えたこの階段も、今となって見れば足を掛ける段が小さく、上りづらいものだ。


 祖母の住んでいる部屋に着き、呼び鈴を鳴らしたが応答がない。今日、墓参りに行くという連絡は届いているはずだが……買い物か何かで出かけているのかもしれない。母から渡されていた鍵を使って扉を開け、中に入る。


 団地特有の狭い玄関に足を踏み入れた時、今まで忘れていたもう一つの記憶がよみがえってきた。ちょうど、この玄関の壁に、かつてはピエロの人形が飾られていたのである。操り人形のように手足を糸で吊るされ、飾り方次第でおどけた格好になる人形が。


 幼い頃の自分は、これが嫌いだ、怖い、などと言って大泣きした。今にして思えば、ピエロの顔もそこまでリアリティ溢れる造形などではなく、可愛らしくデフォルメされたものであったが。


 祖母はその人形を気に入っていた様子ではあったが、自分が泣き喚くのを目撃した日以来、ピエロをどこかに仕舞い込んだ。ただでさえあまり顔を見せない可愛い孫と、会える機会をそれ以上逸したくなかったのだろう。


 自分が大人になった今になってもなお、ピエロの人形は壁に飾られていなかった。


 スマホが震え、メッセージの受信を報せる。


〈おばあちゃん、そこに居るはずなんだけど。まだ?〉


 先ほど呼び鈴を鳴らし、反応が無かったので部屋に入っていることを伝えた。


〈部屋の中、捜してみて。まだ寝てるだけかもしれないけれど、もしも倒れてたりしたら、大変。〉


 靴を脱ぎ、祖母の暮らしている空間へと足を踏み入れる。幼い頃の記憶は大して残っていないが、あの当時と何ら変わりない時間が今もそこに残されているように感じた。


 食卓には古臭く茶色く染みたレースのテーブルクロスが掛けられ、塩や胡椒、醤油などの調味料がきっちりと並べられた銀の小さな盆が光っている。床続きの洋間には大きな照明スタンドがおかれ、その一帯だけを華やかに彩っている。


 寝室として使われている和室も覗き込んでみたが、祖母の姿は無かった。布団は畳まれ、祖母が起床して時間が経っている様子ばかりが残されている。


 いったいどこに居るのか。トイレや風呂場で倒れていたとしたら……等と考えてあちこちを開けてみるも、人がいた気配自体が無い。まさか、押し入れやクローゼットを整理している内に、その中で気分が悪くなってでもいるのだろうか。


 ここに居るはずである祖母の姿を求めて、自分はおぼろげな記憶を頼りにそこここと押し入れや収納、更にその中まで手を突っ込んで探し回り始めた。


〈おばあちゃん、自分で歩いてこっちまで来てた。戻って来て、すぐ墓参り行くから。〉


 スマホにメッセージが届いた時、自分は深く溜息を吐いた。安堵の意味も込めてはいたものの、自分が苦労して探し回っていた労力が無に帰したためでもある。


 溜息を吐いた分の息を吸い、自分は足元に散らかっている引き出しや箱の類を元の場所へと片付け始める。……異状に気付いたのは、全ての片づけを終えて祖母の住む部屋から出た時のことである。


 なぜ引き出しの中、収納箱の中にまで自分は祖母の姿を求めて捜索を続けていたのだろう。初夏の陽気にどこかおかしくなっていたのだろうか。


 あるいは、あの祖母の部屋の中であれば、それも当然起こり得ることだと感じていたのかもしれない。人間が、箱の中に収納されて仕舞いこまれるぐらいのことは。

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