故障していなかった
日々のスケジュールをガチガチに固められた合宿は窮屈なものであるが、逆に参加者が自由に過ぎる合宿も考えものである。
男子校に通っていた時分、自分が入っていた写真部は運動部のごとき規律や練習メニューなどの無い自由な気風の集団であったが、仮に合宿中にミーティングを行うとなればそれが済むまでに膨大な時間を要した。
話し合う内容が煩雑なのではなく、そもそも話し合いが始まらないのである。趣味の合うオタクな男子同士、尽きぬ話題に私語も延々と続く。開始時刻も終了時刻も定められていない、まとまりのない集団を叱りつける顧問の教師もいない。
一応の演壇に見立てたテーブルへ司会進行用のマイクとを運んできた面々がいたものの、部屋に備えられているスピーカーとの接続がうまくいかず中々開始の音頭を取れずにいることもまた、時間がダラダラと浪費される一因となっていた。
さして人数が多いわけでもないこの部において、そんな音響機材などなくともミーティングの進行は可能だったはずだが、私語が飛び交う中でわざわざ自分の喉から声を張り上げ地声で司会を務めようとする気概のある者も居なかった。マイクを持ち出してきた彼も、必要に駆られたわけではなく、自分が見つけた物をただ弄ってみたくなっただけに過ぎなかったろう。
そういったわけで、誰も真面目に議題を開始しようとしないミーティングルームは喧噪に満たされ、自分も誰かが場を取りまとめて状況を収めてくれるのを受動的に待つばかりの時間が過ぎていった。
違和感に気付いたのは、その最中である。私語に溢れ、ガヤガヤと騒がしくなっているはずの部屋で自分の耳には囁き声のようなものが聞こえてきた。
自分の周囲でヒソヒソと内緒話をしている様子の者はいない。皆だらしなく歓談し、冗談を言い合ったり笑い転げたりなどしている。この喧しさの中で囁き声など簡単にかき消されそうなはずだったが、何事かを呟き続けているような声だけはハッキリと聞こえてくるのだ。
カクテルパーティー効果というものを聞いたことはある。どれだけ喧噪にあふれた空間の中でも、自分が聞き取ろうと集中している対象の言葉は判別できるというものだ。しかし、そもそも自分はその囁き声の主に注意など向けていない。向こうから、こちらの耳朶に声を流し込んでくるような具合だ。
流石に何を言っているのかまでは聞き取れなかったが、徐々に不気味になって来た自分は嫌なことを思い出した。
仮に幽霊なるものが居たとして、その存在を間近に感じる時、それは自分の背後ではなく頭上に居る、という小話だ。
夏合宿で楽しまれた怪談大会や肝試しではお約束のように誰かが口にし、もはやそれで怖がる者はおらず茶化されるまでに手垢のついたそんな内容であったが、現に自分の身に不気味な現象が起きている際に思い出したそれは覿面に効果を発揮し、これだけ賑やかで明るい空間にいるにもかかわらず自分の肌を粟立たせた。
が、ここでいつまでも蒼ざめているわけにはいかない。何かに怯えている様を友人に勘づかれたが最後、その件をしばらくの間ネタにされ冷やかされるに決まっている。
不気味な何かの存在よりも、その状況に陥ることを恐れた自分は、意を決して自分の頭上に目を向けた。気がかりの内容は、早めに明確にしておくことで楽々と解消されるのが常である。
今回も、その通りに事は運んだ。すなわち、自分の真上の天井には埋め込み型のスピーカーがあったのである。
前方の演壇テーブルでは、尚もマイクを手にあれやこれやと配線を弄っている面々が居る。おそらく、彼らが喋っている声をマイクが微かながら拾い、それをスピーカーから流していたのだろう。
謎現象のカラクリを明らかに出来た自分はホッと胸をなでおろし、その後ダラダラと長引いた結果大したことも決まらないミーティングの時間を過ごしたのであった。
終わり際、自分は司会を形だけ担当していた友人のもとへと歩み寄った。彼は結局マイクが故障しているものと踏んだのか、それを使わず大して通りの良くない地声を以て司会にあたったのである。
「さっきのマイク、壊れてなかったよ。ちっちゃく聞こえてたし。」
「マジで?でも、あのマイク電源自体が入らなかったんだよな。」
「いや、スピーカーから声が聞こえてたから。見せてみ。」
彼から手渡されたマイクは、確かに幾度スイッチを入れ直しても電源は入らなかった。真新しい電池のフィルムが机上に散乱している所を見るにつけても、電池切れという仮定に彼はすでに行き当たっていたようであった。
「でも、たしかに天井のスピーカーから声が……」
「気になるんならどうぞ。片付けよろしくな。」
片付けの手間を押し付ける都合よい相手が来てくれたとばかりに自分はマイクを押し付けられ、友人はミーティングルームを出て行ってしまった。
先ほどの席に戻り、天井のスピーカーに耳を凝らしてみる。完全に静かになった今、そのスピーカーからも当然ながら声は聞こえない。自分が手にしたマイクへ大きめに声を吹き込んでみても、やはりスピーカーからは何の反応も無かった。
仕方なく、ミーティングルームの備品室へとそれを片付けに行く。放送機材のまとめておいてあるコーナーにマイクを戻そうとした際、その予備がもう一本残されていることに気づいた。
今持っているよりもさらに古びていたが、試しにスイッチを入れてみても電源ランプは点灯した。きっと友人はより接続の可能性が高そうな新しい方を選び、この古いマイクは備品室の中へ置き去りにされていたのだろう。
十分な動作確認を怠った友人へこの件を伝えようかと考えた自分であったが、そのことを口にするのは止めておくことにした。
あのミーティングの間、友人が手にしていたマイクに電源が入っておらず、備品室に残されていたマイクがスピーカーに接続されていたのだとしたら……囁き声の主は、「無人だったはずの備品室内に居た何か」以外に考えられない。
むろん、こっそりと備品室に忍び入った部員の誰かが分かりづらいイタズラを仕掛けていた可能性もある。が、この何をするにつけてもいい加減な集団から捗々しい答えを得られるとは到底思えなかった自分は、この件を明らかにすることをあきらめたのであった。