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来る人を待つ

 子供向けの怪談の本に描かれた挿絵程度のものであっても、幼い頃に見れば妙に怖かったものとして記憶されるという類の話は珍しくない。


 私にも似たような記憶はあるが、それは怪談話ではなかった。たしか「わらしべ長者」というタイトルの子供向け文庫本だったと思う。


 むろん「わらしべ長者」の一話だけで一冊の文庫になっているはずも無く、今昔物語集や宇治拾遺物語などの説話集を子供向けに編纂し、多種多様な「むかしばなし」として載せた本である。


 その中に、ある男が鬼の出没するという橋に出向き、実際に鬼に遭遇して追いかけられるという内容の短い話があった。似たような類の伝説や説話は多く、それが安義橋であったか一条戻橋であったか、今となっては定かではない。はっきりと最後まで読み終えていないためだ。


 何しろ男が鬼に追いかけられる場面の挿絵があまりに恐ろしく、幼かった私は話の途中で本を閉じ、そのまま本が開くことが無いようにしっかりと両手で押さえつけながら本棚へと戻しに行ったのだから。


 その挿絵は、鬼に遭遇した男の見た光景として描かれていた。鬼気迫る筆致でページからはみ出さんばかりに描写された一匹の鬼が、大口を開けてまっすぐこちらに向かって走ってくる。


 鬼の姿は、子供向け書籍での昔話にてイメージされる、あのステレオタイプな……角が生え、棍棒を振りかざし、虎皮の褌をしめたような……姿ではなかった。女性の長髪のような豊かな毛が、鬼の全身をほぼ覆い隠すほどに振り乱されている辺りから異様であった。


 やせ細った手足は華奢で、屈強なイメージとは対照的である。むしろ子供にも力負けしそうなほどに弱々しくも見える四肢が、頭部から振り乱される髪の隙間から小さく覗いている。


 顔の中でも唯一黒い毛におおわれていないのは一つだけの目、そして開かれた口。本の外側にいる読者をも見据えているかのような目も恐ろしい視線を放っていたが、何よりも印象に残ったのは尋常ならざる大きさの口である。


 がばと開かれたその口の中には、さして立派な牙が生えそろっていたわけではない。隙間が空いた、乱雑な歯並びはむしろ粗末であった。が、真っ黒に塗りつぶされた口腔内、そして顎の限界まで開かれた口の形には何の理性も、同時に何の感情も乗っていない。


 捕食のためとも、威嚇のためとも、攻撃のためとも察せぬその大口。真っ黒な毛で覆われた顔に浮かぶ表情は憤怒とも、悲嘆とも、無念とも読み取れぬ。


 それが読みとれたところで、鬼に襲われた哀れな男の辿る命運が変ずることは無いだろうが、何の故あって襲ってくるのか推し測り得ない存在が全霊をもってこちらに牙を剥く様を描いたこの挿絵は、幼い頃の私に総身の毛を逆立てるほどの恐怖を与えたのであった。


 当時は気に留める余裕など無かったが、その恐ろしさは墨をたっぷりと含ませた太い毛筆によってその挿絵が描かれていたことにも因ると思われる。


 すなわち、細部を精緻に描くことの出来ないツールである。細部が分からぬ点については、見る側が想像する他にない。よく分からないものに起因する不安を払拭しようとするほどに、想像力によって情報を補おうとするほどに、ますます恐ろしい想像が頭の中に浮かび、恐怖は増幅するものだ。


 昨今のホラーゲームやホラー漫画が、昔ほど怖くないと評価を下されることが少なくないのもそのためであろう。


 グラフィックを描写する技術の向上はいずれの媒体においても目覚ましく、それだけの物を描き出すのに掛けられる労力も尋常ではないだろうが、しかしよく見え、細部まで分かるものを人は驚きこそすれ、怖いとは感じない。


 話は逸れたが、私は件のその子供向け文庫本をしばらくぶりにひもとく機会があった。家の中に溜まった古本を処分するため、本棚の奥から手あたり次第に子供時代の蔵書を引っ張り出していた時のことである。


 その表紙を目にした時、さすがに今になって子供の頃と同じ恐怖が甦ってくることなどは無かった。むしろ懐かしさと好奇心が同時に湧き上がってきた私は、あの当時自分が震え上がった挿絵がどのようなものだったか、改めて見てやろうとページをパラパラと捲りはじめる。


 が、その挿絵が見つからない。子供向けゆえにページ数も大したことはなく、文字も小さくはなく詰まっておらず、挿絵があれば容易に発見することが可能であった。いずれも言ってしまえば無難な子供向けの挿絵ばかりで、あの異様さを孕んだ鬼の挿絵はどこにもない。


 目次に戻り、丹念に一話ごとの題名を見直す。たしか「○○橋の鬼」とかいう題であったはずだが……それが載っていない。私の記憶違いで、その挿絵が載っていたのは別の本だったのだろうか。


 しかし……改めて表紙を見直した私は、この本に違いないとの確信を記憶から得ていた。あの挿絵、まるでページの中から飛び出してこちらに向かってきそうな鬼の絵を目にした私は慌てて本を閉じ、その瞬間にこの表紙を目にしていたのである。


 どうしても納得のいかなかった私はスマホにキーワードを打ち込み、「橋の鬼 挿絵」などと検索を掛けた。


 目当てのものは見つからなかった。真っ先にヒットするのは当然のごとく最近話題となった某漫画のキャラクターであったり、その他ソシャゲのキャラクターであったり。「絵本」や「文庫」等とキーワードを追加しても、出てくるのはごくありふれたイラストのみである。


 唯一、先ほどの特徴に近い鬼の姿を描いた挿絵は見つかった。顔ばかりか身体全体を覆い隠すほどに振り乱した長髪、一つ目、そして大きな口。太い毛筆にて、墨の黒一色で描かれている点も類似している。


 だが、その絵の鬼はこちらに向かって走って来てはおらず、橋のたもとにて虚ろに空中を見上げて立ちつくしているばかりであった。鬼の噂が広まって人通りが絶え、手持無沙汰に新たな人間の訪れを待ち続ける姿を描いたものであろうか。


 何にせよ、それはきっと、自分が目にした本の挿絵とはそもそも異なるものだろう。インターネットによって網羅される情報量の豊富な現代とはいえ、そう都合よく求めるものが見つかることは無いのだ。


 そう思うことにした。

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