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地下室の祖父

 こんな夢を見た。自分は知り合いに連れられて手品師の家を訪れていた。何を思い立ったのか、手品を習いたくなったのである。


 夕日に照らされた手品師の家は、岩石や低木が乱雑に顔を出した荒れ地の只中に立っていた。道路沿いに並ぶ朽ちかけた木製の電柱を辿って車で到着した我々は、何ら気取る所のない現代的な家で出迎えを受けた。


「やぁ、はじめまして。まずは入って。」


 知り合いは、この手品師と親しい様子だった。歳はまだ若く、招き入れられた居間で談笑を始めた我々はすぐに打ち解けた。


 最初の内はコインを手の中で消す簡単な手品を習ったり披露したり、本来の目的通りに会合は進んだ。が、やがて我々が手土産に持ち込んでいた酒瓶が持ち出され、つまみや他の飲料を買い出しに近くの町のコンビニへ車を走らせた辺りから完全に不真面目な集いと化した。


 知り合いはもとより、親睦を深めた上での飲み会を画策していたらしかった。


 当の自分も、手品は興味本位で覗きに来たに過ぎない。買い出しから戻ってくると同時に酒瓶が開栓され、チューハイ等の缶も開けられ、手品グッズの片付けられた机上にはつまみのスナック菓子が散乱し始めた。


「たまに来てくれると、羽目を外したくなってしまうんだ。自分は寂しがりでね。」


 酒の入ったコップを手に、上機嫌で酔い始めた手品師はフライドポテトを噛んでいる。歳の近い者同士で集まったこともあり、この場には手品師も来客も区別なく、ただ酒を飲み交わして笑いあっている若者ばかりが居た。


 調子に乗って買い込んだ飲料は夜を徹しての飲み会に十分耐える量であったが、つまみの役割を果たすスナック菓子はほどなく食べきってしまった。今から追加の買い出しに向かおうにも全員が飲んでしまっているし、深夜、この荒野のど真ん中に来てくれるタクシーはない。


 すると手品師は言い出した。


「地下に保存食の乾パンがあったはず。持って来よう。」


 ろれつの回らない舌で誰に話すともなく呟いて、立ち上がった彼は千鳥足である。その不安定な足取りのまま地下室へと向かう梯子段を降りていくので、流石に心配になった自分は上から覗き込み、あとについて地下へと降りていった。


 地下室は黄ばんだ光を投げかける電球によって眠そうに照らされ、打ちっぱなしコンクリートの床にカビとも何ともつかない染みが不規則な模様を描いていた。壁に沿って備え付けられた棚には雑多な物品が所狭しと詰め込まれ、日用品と手品の仕掛けが入り混じって溢れたジャングルのごとき様相を呈していた。


 荒野の只中に建つ家らしく、災害に備えたシェルターの役割を果たしているのだろうか。この中に食糧が保管されていたとしても、湿気にやられていないか心配である。


「缶に入った乾パンだ。どこにしまったっけ……そっちも探してみてくれ。」


 手品師にそう言われ、自分は彼と反対方向へガラクタの山をかき分け進み始める。地上の居住スペースよりも広く作られているのか、地下室は多少進んだところでまだ先があるように見える。


 棚からこぼれ落ちたのか、元から床に置かれていたのか、進めば進むほどひどくモノが散乱した地下室奥部は足の踏み場もない。が、苦戦の甲斐あってか自分は乾パンの缶がいくつか奥の壁の棚に並んでいるのを見つけた。


 ここにあった、と声を上げる前に、すぐ隣にあったものを目にした自分は息をのむ。


 使い古された大きな椅子、あちこちが破れて中のクッションがはみ出ている立派なビジネスチェアが、奥の方にいくつも置かれて並んでいるのは遠目にも見えていた。が、そのひとつに何者かが座っているのには気づかなかった。


 ひとりの老人である。骨ばった顔面は皺に覆われ、小柄な身体は椅子の背もたれによって隠されていた。落ちくぼんだ目は静かに閉じられている。立派なビジネスチェアに似つかわしくない、薄水色の手術着のようなものを身に着けている。


 唐突に現れたそれを前に自分は固まったまま声も出せず、彼を凝視する視線を外せずにいる。


 が、ある事に気付いた。薄暗い灯りの下であったが、老人の表皮は樹脂のようにてかっており、いかにも作り物といった質感である。そうと分かった自分はようやく安堵した。おそらく、手品師が何らかの目的で作った精巧な人形なのだろう。


「ああ、そこにあったか。持ってきてくれ。」


 当の家主はのん気に言いつつ、先んじて梯子段を登り始めていた。自分も早いところあの楽しい飲み会へ戻りたく、床を埋もれさせるガラクタに足を取られかけながらも歩を進ませて棚の乾パンへ手を伸ばす。


 乾パンの棚の真横に座っていた老人の人形と必然的に顔が近づくこととなったのだが、新たな気付きに自分はわずかに動きを止められた。人形の顔を、自分はどこかで見たことがある気がする。それがいつのことだったか、まるで思い出せないが。


 そんな曖昧な記憶を探るよりも、現在の楽しみへと早く戻りたい。地下室でガラクタに埋もれた老人の人形を後にし、乾パンを手に飲み会の現場へと戻ってきた自分は大袈裟な歓声で迎えられる。


 その後は夜通し愉快に騒ぐ仲間たちとの宴会に身を任せ、はしゃいだ。知らぬ間に人数が増えているが、知り合いが運転役の友人でも呼んだのだろうか。


「あぁ、眩しい。」


 そんな手品師の声に窓の方をみれば、いつの間にか外からは明るい光が差し込んでいた。若さゆえか一人も酔いつぶれず眠ることなく朝を迎えた我々は、酒を口に出来ず寝ていた運転手を叩き起こしてゾロゾロと手品師の家を出ていく。


「楽しかった。また、来てくれ。」


 挨拶もあっさりと、簡単に手を振り合って手品師と別れた自分は帰りの車に乗り込んでドアをバタンと閉める。遠ざかっていく手品師の家は、リアウィンドウの向こうでタイヤにまき上げられる砂埃に煙り、早くも陽射しが立ち上げ始めた荒野の陽炎に揺れている。


 この荒野は何処なのだろう。ふと考え始めると、分からなくなった。日本に、こんな広大な岩石砂漠の広がる場所があっただろうか。確かに自分は友人の車で来たので、海外ではないはずだ。疑念をこねくり回しているうちに、自分はようやく、そして唐突に思い出した。


 あの人形は、自分の亡くなった祖父と同じ顔をしていた。


 祖父とは疎遠だったわけではなく、むしろ幼い頃からよく遊んでもらっていた。自分の記憶に刻まれていたはずのその顔を、何故忘れていたのだろう。自分たちが夜通し酒を手に馬鹿のように騒いでいた声も、地下室の祖父は聞き続けていたのだろうか。


 いや、あれは祖父ではない、祖父の姿を象った人形に過ぎない。随分と精巧に出来ていたし、あの手品師が何故単なる一般人に過ぎないウチの祖父の人形を所有しているのかは不明だが、地下室に居たのは祖父ではない。自分は祖父の葬儀に参加し、確かに火葬場まで行って骨を骨壺に入れる手伝いをしたのだから。


「結局、まともに手品を何も習えなかったな。また今度、行こう。」


 隣席の知り合いが話しかけてくる。また行くのは嫌だ、あの手品師の部屋は地下室への扉が開きっぱなしだったじゃないか。それに、地下室に並んでいた椅子はまだ他にいくつもあった。祖父の人形が座っていた椅子と同じく、大きな背もたれをこちらに向けて。


 他の椅子にも、きっと自分の知っている誰かが人形になって座っている。確かめる勇気は自分になかったし、あの家に戻って確かめようのある状況にこの身を置きたくはない。


 いま一度窓越しに振り返って手品師の家を見ようとしたが、いよいよ強まる陽射しに照らされた荒野の砂地が眩しい。目をひそめた自分はその顔のまま夢から醒めた。

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