異世界巡り計画
「儂の話、ちゃんと聞いていたんじゃよな?」
新しいカップをテーブルに置くと、アイリスはそう切り出した。
びっくりするのも、ひっくりがえるのもしょうがない。
俺は、彼女の話を聞いたからこそ、そう思ったのだ。
不満ながらも休戦を受け入れた人間たちの本当の思い。
それを生で聞いてみたい、そう思ったのだ。
「はぁ、そこはゲェナと違うのな……あやつならば様子見と言って、城から動かないだろうに。というか、実際そうしておったわい。休戦協定が結ばれてからというもの、あやつは人族からの侵攻がない限り、動かなかったからのぅ」
アイリスはちらちらとこちらの様子を伺っていた。
そう向けられた目線に、俺は真剣に見つめ返す。
「はぁ……しょうがない。そちもなかなかの頑固じゃな。良いじゃろう。儂が知っている人族の村に連れて行ってやろう。そこは人族の本拠地、エルスティン・エーラ王国より最も遠い、魔族領から最も近い村じゃ。そこで人族と触れ合ってみるとよい」
「いいのか? あれだけ人族と接するのを嫌がっていたのに」
「しょうがないじゃろ!? そちを一人で行かせられるものか。今のそちは人族よりもか弱い存在なのじゃ。儂がついて回らないと心配でならん」
アイリスは半ばやけくそのように、フンスと鼻を鳴らす。
そのしぐさは怒りからくるものなのであろうが、とてもかわいく見えた。
そう、なんとなく、娘のミルゥに似ていたのだ。
「なんじゃ!? 何を笑っておるか!」
「いや、前世の俺の娘に似てるなって思ってさ。ミルゥっていうんだけどさ、すねると今のアイリスみたいになるんだよ。それが似てて、つい」
「そうか、そち、前世では所帯を持っていたのか……幸せだったのか?」
唐突に問われ、すぐに答えを返せない。
家族に対してできたことといえば、厳しい父親であったことと、死んだ後にありがとうと伝えたことだけだ。
それでも。
「とても幸せだった。俺にはもったいないぐらいの、優しい家族だったよ」
「そうか。そうかぁ……そちがそんなにも笑えるということは、そういうことなのだろうな。まったく」
アイリスはふふふと笑う。
その微笑みの裏に隠された、何か寂しげなものを俺は感じた。
それを口に出そうかと思ったが、その前に彼女がしゃべりだす。
「話を元に戻すが、どこの人族に会いに行くのじゃ? 人族とは一括りにいってもの、休戦協定によって魔族領を訪れるようになった人族もおるし、王国やその周辺に住む者もおる。それに、そういったところから離れ、独立してくっらしている者たちもおる。まぁおすすめは魔族領を訪れる人族じゃな。そやつらなら、魔族と分かってもだいじょ――」
「王国とか、魔族とか、そういった縛りから離れている人たちに会いに行きたい」
「おすすめすら聞かずにこたえるとな!? はぁ、もうよい。そちの一言一言に驚かされていたらきりがないからのぉ。もう学んだわい」
アイリスはため息を一つ吐き、座りなおした。
その姿を見た俺も、居住まいを正す。
「『我が記憶より、光をもって映し出せ』投影」
そうつぶやいたかと思ったら、壁の一部、垂直に切り出された場所に何かが映し出される。
「今のが投影というスキルなのじゃが、まあ、いまはよいか。見よ、これがこの世界のすべてを写した地図じゃ。ほれ、ここ。一番左端にある大きな城が魔王本城イストエンデで、儂らは、うーむ、ここじゃな、ここにいる。そして、右に行くとあるのが人族の一番大きい国、エルスティン・エーラ王国、そして、その周りにも大小多くの国があるのじゃ」
アイリスは地図に近づいてゆき、すこしじっと見た後、ここと指をさす。
「位置関係はわかったかの? まあ、正確には精霊界とかあるのじゃが、今は関係ないから割愛するのじゃ」
「人族からも魔族からも離れている場所となると、儂が思うに……ここじゃな、エルヴァイン独立村。今いる場所からはちょっと遠いが、儂が全力を出せば一日二日で着くじゃろう。ここはどうじゃ?」
「アイリスの話を聞く限り、そこがよさそうだ。ここでの休養が終わったらそこに行こう」
「わかったのじゃ」
まず行く場所の目星はついた。
エルヴァイン独立村。
初めて会うであろうこの世界の人という種族に、図らずともわくわくしてきた。
そうそわそわしていると、アイリスは思い出したように話しかけてくる。
「あ、そうじゃ。そちには儂の簡単な紹介しかしておらんかったな。儂の名前は、アイリス。アイリス・ブラドクイン。血狼族の女王にして、魔王ゲェナ・ェル・サタァーンの古き友じゃ。改めて、これからよろしく頼むぞ、主よ」
アイリスはそういうと、小さな右手をこちらに差し出してくる。
「お、俺は、元平民のアデル。アデル・ヴァイシュター。でも、アデル・ヴァイシュターはもう死んで、いない。だから、この世界では前魔王の名前を借りようと思う。だから、俺の名前は、アデル・ェル・ゲェナ。魔王の後継者にして、魔王適正のない男だ。こんな男だからいろいろと迷惑をかけるが、よろしく頼む、アイリス」
俺は差し出された手を握り返す。
「アデル・ェル・ゲェナ、か、良い名を考えたの。うむ、さすが儂の主様じゃ」
手を固く結びながらお互いに笑いあう。
この瞬間、なんだかアイリスと本当の意味で仲間になれた気がした。
「さあ、主様、今日はもう休んで明日に備えようぞ。もう明日から出発するつもりなんじゃろ?」
「ああ、そのつもり」
「なら、儂にまくらして眠るとよい。儂の毛はふかふかで気持ちよいぞ」
アイリスはそういって狼の姿に変化する。
その言葉に甘え、俺は狼姿の彼女を枕にして、目をつぶった。
その柔らかい毛皮はが俺の意識を奪うのに、そんなに時間はかからない。
気づかぬうちに、睡魔のとりこになっていたのだった。