元農民魔王の決意
「すまないすまない、チクチクしたじゃろう」
「……そんなこと、ないよ」
ハッと気づいたようにアイリスは逆立てるのをやめた。
すると、乗るのじゃといい、体を起こす。
俺はそれにまたがると、彼女は走り始めた。
「で、これからはどうするのじゃ、アデルよ。そちはどうしたいのじゃ?」
そう問われ、どうこたえるべきか迷う。
そんな雰囲気を感じ取ってか、アイリスは再び言葉を続けた。
「なんじゃったら儂と共に世界を巡るか? なんだ、その、ゲェナと前に話していたことがあってな、やることを終えたら世界中を旅しよう、と。魔王という地位を奪われたのじゃ、やることを終えてといっても相違あるまい」
そういうとケラケラと笑う。
その間にやることを見つけたらどうじゃ、そうアイリスは続けた。
俺は意を決して、答えるべきことを告げる。
「実は、俺にはやることがある。この世界に来る前、女神様に頼まれたことなんだけど……」
「そんなこと無視して自分の好きなように生きればよかろうて」
「いや、でも、あなたにしか頼めない、そう言われたんだ」
「ほう、あの気まぐれな神がそこまで……して、なんて言われたのじゃ?」
「今この世界は争いに満ちているから、魔族も人族も幸せに暮らせる世を作ってほしい。あなたにはそれを実現するだけの力がある、そう言われたんだ」
アイリスはそれを聞くと、スピードを落とし止まる。
はぁ、とため息を一つ吐き、ゆっくりと歩き始めた。
「アデルよ、それは無理な話じゃ。魔族というのはの、古来より人族から憎まれているのだ。なぜだかは知らんがの。今儂らがここにいるのも、大昔より人族の手によてこの地に押し込まれたからじゃ。ここ以外で暮らすことは許さぬとばかりにの」
アイリスの口から語られたのは驚くべきものだった。
もとの世界で聞いていた魔王という存在についてのことを、すべて覆すようなものである。
「じゃあ、人族は何のためにそんなことを……」
「さっきも申したであろう。奴らには攻める理由など一つしかない。魔族が魔族であるが故、滅ぼす。それだけじゃ」
理不尽極まりない。
それが人族に対して抱いた初めての感情であった。
魔族からは何もしていないのに人族がわざわざこちらに侵攻してくる。
だからやむなく戦うという。
魔族には何の非もない。
むしろ、明らかに非は人族側にあった。
「それでも、悲しいかなこの世界はの、魔族よりも圧倒的に人族のほうが多い。儂らには、味方は少ないのじゃ」
「それでも、それでも俺は、魔族と人族が手を取り合える、そんな世界にしたいんだ」
「そちも相当強情じゃな。しょうがない、儂がそちについていってやろう。そち一人だと何かと危なっかしそうだしな」
「いいのか? いままで不可能だなんだって言ってたのに」
「しょうがなかろうて、そちは儂の主ぞ。そちがこうしたいといったことに儂は反対などせん。それにの、百年前、初めて出会ったあの日、ゲェナも同じことを言っておったよ。変なところで似ておりよって……」
「アイリス……」
しょうがないしょうがない、そうアイリスはつぶやいた。
ナァスタト様と約束したことにようやく一歩前進できた、そんな気がする。
「そうはいってもの、具体的に何をするのじゃ?」
「まずは、アイリスが言っていたように世界を巡ってみたいと思う。世界を巡って、どうにかできないか探してみたいんだ」
「そうかそうか、ならばそちはもう魔王の地位と名を捨てて、アデルと名乗るべきじゃ。そうすれば、あとはなんとかなるじゃろう」
そういい加減なことをアイリスは言った。
かくいう俺も、そんな漠然とした思いを浮かべ、身体を揺らされるのであった。