魔王様、危機一髪
意識が肉体に入っていくのが何となく感じられる。
目を開けると、空から見ていた景色がそこにはあった。
幸いなことに、魔王の肉体には戻れたらしい。
ということはと思い、腹部に手を当てると、やはりそこにはあってはならない異物が刺さっていた。
少しそれに触れただけで、腹部に激痛が走る。
しかし、触らなければジンジンとした痛みがあるだけで、これぐらいの痛みならば耐えられるものだった。
とりあえず灯りのある場所へ、と周りを見回す。
しかし、あたりを見渡してもあるのは暗闇だけ。
よっぽど高い森林なのか、光が地上まで届いていない。
「とりあえず、ナイフの処理だけはしないと……傷口が化膿しかねない」
言い聞かせるように独り言を発する。
光もない中でどうやって処置したらよいものか。
考えても考えても、良い案は浮かんでこない。
まどろっこしくなった俺は、ええいままよ、とナイフを引っこ抜いた。
「ぐうぅ……わかってはいたがさすがに痛むな。でも、悩んでいるくらいだったら行動したほうが早い、はずだから、間違ってはいない、はず、なんだけど……」
血の付着したナイフを捨て、傷口を抑えながらその場に座り込む。
衣服を千切り傷口の止血を試みるが、うまくいかず血が少しずつ、際限なく流れ落ちていく。
もしかしたら失血死してしまう可能性があるかもしれない。
「なんとかして、止血しなければ……そして、誰かに助けを求めねば」
そう自分を鼓舞するようにつぶやく。
近くにある木の幹に手をつき、のそのそと立ち上がる。
そして、痛みをこらえながら暗闇へと歩みを進めた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
歩き始めてどれくらいたっただろうか。
体感的には二時間くらいかもしれないし、三十分くらいしか経っていないかもしれない。
その間ずっと歩き続けているが、一切建物という建物が見えない。
それよりも人、魔人といえばよいのだろうか、まったく気配がない。
「そろそろ、きつく、なってきた、な……はぁ、はぁ」
これまでに何回か止血の布を変えていたが、不思議なことに血が止まる気配はない。
まるで、傷口に何かしらの細工をされているような、そんな感じがする。
「あっ!……っぅ……」」
足元がおぼつかなくなり、地面の小さなでっぱりにつまずく。
普通ならば態勢を維持できるはずだが、今の状態ではそううまくいかず、前のめりに倒れこむ。
その衝撃で、ズキリと痛みが走り、今までに経験したことのない痛みが体を襲った。
痛い。
体中が痛い。
歩き続けていた身体も、ついに悲鳴を上げた。
本当は腹部の刺し傷に加え肺も損傷しているらしく、吐血を繰すようになっていた。
ここまではだましだまし歩いてきた。
それも、限界のようだ。
もう一歩も歩く気力はない。
加えて、息ももうろくにできていない。
おそらく肺に空気か血がたまっているのだろう。
そんなことを思い浮かべていると、大きな茂みがガサガサと揺れる。
そして、ソレらは姿を現した。
「ふ、はっほ、ごはぁ……うぅふ、は」
うまく言葉が出てこない。
茂みから姿を現したのはブラッドウルフだった。
ブラッドウルフは知能が高く、血のにおいに敏感で、獲物が弱ってから仕留めるという。
警戒するようにゆっくりと近づいてくる。
このままでは殺されてしまう。
咄嗟にそう思い、最後の力を振り絞り、右手をその獣に伸ばす。
すると一瞬警戒するそぶりを見せ止まったが、歩みは止まらない。
なんでもいい、なにか、この状況を打開できるなにか……!
はっ、とナァスタト様が言っていたことを思い出す。
スキルは、考えるんじゃなくてイメージするもの、という言葉だった。
自分から獣を遠ざけるイメージ……!
かすれゆく視界の中でブラッドウルフに焦点を合わせ、右手に力を込める。
するとその獣は、喉元をかきむしるようにして苦しみだし、宙に浮かんだ。
今起こった現象が俺によるものだと信じて、そのままのイメージで右手を前に突き出す。
瞬間、ゴンっという音とともに獣は大木にたたきつけられた。
よくわからないが、撃退に成功したようである。
早くこの場から逃げないと。
そう思っても、もう腕に力が入らない。
ピクリとも動かせない、そんな状態だ。
すると、周りから地面と爪が擦れるような音が聞こえてくる。
周りを見渡すような気力はないが、瞳を動かすと見える範囲全体にブラッドウルフがいた。
そして視界の真ん中には、ひときわ大きい真っ白なブラッドウルフがおり、こちらを見下ろしている。
それがこちらに向けて走り出してきたのと同時に、意識が途絶えた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
温かい。
身体が優しい温かさに包まれているのが感じられた。
ついに死んでしまったのだろうか。
ナァスタト様ー!
呼びかけても返答はない。
ということは、どうやら本当に死んでしまったようだ。
だとしたら、本当に女神様に対して合わせる顔がない。
何もできなかった男が、あの女神様になんて言ったらよいだろうか。
フリフリ!
なにかふわふわしたものが表面をなでる。
なんだよこんな時に、死ぬ時ぐらいゆっくり死なせてくれよ。
フリフリフリフリっ!
いい加減にしろよ。
もう何なんだよ、ゆっくり死ねないだろ。
フリフリフリフリフリフリぃっ!
フリフリうっとおしいんだよ!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……んだよ!」
上半身が起き上がる。
身体が存在していることに気づき、手をまわして確認してみると、まぎれもなく本物であった。
下を見てみると、黒い毛でおおわれた何かが横たわっている。
そう、ブラッドウルフだ。
「うわぁ!」
驚いてその場を後ずさろうとするが、体勢を崩し、再びブラッドウルフの毛並みに飛びこんでしまう。
するとその獣は、大事そうに己のしっぽで俺をなでる。
すこし心地よかったが、何とかこの場から逃れようと、起き上がた。
するとそこには。
「なんじゃ、そち、目は覚めたのか。よかった、安心したぞ」
そこには、銀色の髪の少女がこちらを見下ろすように立っていた。