女神様の交換条件
自分にとって初めての異世界転生物です
楽しんでいただけたらうれしいです!
……
…………
………………そうか、俺は死んだのか。
不思議な浮遊感に包まれ、意識が覚醒する。
瞼を開く感覚、手足を動かす感覚がないことを考えると、ベッドの上ではないことが伺えた。
死ぬ寸前は家族に囲まれていたが、今は周りに人の気配は感じない。
つまり、ひとりぼっちになったと言うことだ。
……いやはや、死後の世界というものが本当にあったとは。存外、教会が説いていたことは間違っていなかったのかもしれないな。だったら神に祈るのも悪くない、って言っても死んだ後だ、どうしようもない。
あいにく生前は神というものを信じてはいなかった。
神という不確定な存在を信じるより、実在する人や物を信じたほうが都合がよかったからだ。
……今頃どうしてるだろうか。俺が死んだのを悲しんでるだろうか。俺が死んじまって誰かが悲しむなら、死にたくなかった、そんなこと言っても寿命で逝っちまったら仕方ねえか。でもよ、できるならもう一度、かあさんとミルゥの顔、見てぇなあ。
死んだ後になって、意気地なしになったと想う。
死ぬ前にはそんなことは思わなかっただろうに。
むしろ最後まで、エミリアとは憎まれ口を叩きあっていたし、ミルエットには厳しく接しては反抗されていた。
今思い返してみれば、彼女たちにとって俺はひどい父親だったのかもしれない。
何一つ、彼女たちにしてやれなかったのではないか、と思ってしまう。
しかし、いまさら生前に想いを馳せても、彼女たちへの態度を正そうと思っても、もう遅い。
死んだ、その状況に変わりはなく、自分ではどうしようもないのだ。
……そうか、時すでに遅し、とはこのことを言うのか。まったく極東の書物の言うことはよく当たるもんだ。時すでに遅し、かぁ。
悔いるように、残してしまった最愛の家族を想う。
妻のエミリアは、こんな偏屈な俺を彼女なりの愛情でいつも受け止めてくれた、護ると決めた人。
娘のミルエットは、容姿は母親似、性格は父親似の、かけがえのない宝物。
娘の夫、カイゼルは優男のくせして我慢強く、うちに婿に来てくれた、もう一人の宝物。
孫のイーリカは、赤ん坊だから、これからの成長が楽しみだった。
……あぁ、そうか。おれはこんなにも恵まれていたんだな。
生きている時は生活することで手一杯だった。
だから、家族の事は愛していながらも、二の次にしてしまっていたのかもしれない。
しかし、悲しいかな人間は、そういうことについて生きているうちはあまり感じることはできない。
死んでから初めて、気付かされる。
俺の家族はこんなに素晴らしい、誇らしいものだったと。
なんて俺は愛されていたのだろう、と。
……それなのに俺は、彼女たちにお礼を言えてない。ありがとう、って伝えられてない。
それは、死ぬまで気づけなかった、家族への本心。
死んでから気づいた、家族への本音。
後悔の気持ちがふつふつと、心の奥底から湧いてくる。
しかし、伝えようにも手段がない。
意識体の俺には、何もすることができない。
「探しましたよ。まさかまだ境界にとどまっていたとは、神たる私を此処まで、ってええ? あなた、泣いているの? というか、感情のある御霊なんていつ以来だろう……?」
突如そばに、人とは似ても似つかない感覚が現れる。
ここが死後の世界なら、天使か神様のどちらかだろうか。
……あなたは神様か?
「まぁ、ええと、そうよ。人の御霊を天界に召し上げる仕事を、天父神様より仰せつかっているの。というか、その意識体、大変そうだから、一時肉体を返還するわ」
すると次の瞬間、視界が開け、神様の姿が見える。
形成された肉体は、死ぬ間際ではなく、全盛期のものだった。
「神様、お願いです。自分勝手なのは理解しています。ですが、最後に、もう一度だけ家族に会わせてください!」
「うーん、そうさせてあげたいのはやまやまなんだけど、天界法で死者を現世に戻すのって禁じられているのよ。ごめんなさいね」
さらっと神様に一蹴された。
それでも、諦められきれず、懇願する。
「神様からしたらちんけな願いかもしれない、でも! 最後に、家族に伝えたいことがあるんだ。叶えたら、俺ができることならなんでもする。だから――」
「そこまで言われたら、神として叶えてあげたいですね……っと、そうだ天界法ってたしか抜け道があってそれを――」
神様はどこからともなく本のようなものを取り出し、独り言をしゃべりながら眉間にしわを寄せた。
うーうー、と何度か唸ったのち、はっ、と何かに弾かれたように本のページをめくる。
すると、いつの間にか本のようなものが消えていた。
「見つけたわ。よし、これならっ! こほん、あなたの最後の望み、叶えましょう」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「でもその代わり、ある人物に転生して――」
「する! いや、します、させてください! だから、一刻も早く家族のもとへ連れてってください!」
最後の望みがかなうことがうれしくて、ついつい神様に詰め寄ってしまう。
「わかった、わかりましたからそんなにせかさないでください。会わせるといっても、実体も、幽体も作れません。ただ、わたしがあなたを現世に連れて行って、人間たちを俯瞰する感じで、言霊を飛ばすことしかできませんけど、いいですか?」
「言葉をかけられるだけでいいんです。それだけで、望みは叶うんです!」
そこには、これまでの頑固一徹の父親の姿はなく、ただ家族に会うことができると知った、とてもうれしそうな父親の姿だった。
この姿で家族に接していられたら、どれだけよかったことか。
体感で数秒ののち、神様は手を広げた。
「先の言葉、しかと聞き届けた。汝の魂、一時現世に旅立つことを女神ナァスタトが了承しよう」
大仰な口上を女神様が読み上げたとたん、身体に重力らしきものがかかる。
俺の身体はたちまち意識体へ戻り、女神のそばに移動させられた。
「じゃあ、飛ぶわよ」
そんな声と共に、俺の意識はその場から切り離された。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「そうか、あんた逝っちまったのかい。あたしたち、最後まで憎まれ口、叩いてたねぇ」
聞きなれた声に意識が目覚める。
周りを見渡すと、ベッドに横たわったおじいさんと、それを囲むようにして座り込む男女の姿があった。
そう、見間違えるはずのない、家族の姿だった。
……ここにいられるのは長くて5分。あなたの言葉は言霊になって向こうに伝わるけど、思いが強くないと伝えることができないの。だから、あとは、あなた次第よ。
脳内に直接語りかけてくるように女神様の声が聞こえてくる。
家族に伝わるときもちょうどこんな感じなのだろう。
「お母さん、わたし、結局素直になれなかった。お父さんに優しい言葉、かけてあげられなかった」
「そんなもん、あたしも同じさ。結局いつも通り、最後の最後まで憎まれ口を叩きあったまま、終わっちまったよ」
「でもぉ……!」
「ミルゥ、僕がお父さんに伝えたから、娘さんは僕が絶対守り抜くって。だから……」
家族のやるせない思いが伝わってくる。
それを思っているのは俺も同じだ。
――ごめんな、俺もお前たちに何も言えなかった。
声に出そうとしても発することができない。
伝えたいことが伝えられず、ただただ時間だけが過ぎていく。
「お父さんらしい最期、だったんじゃないかね?」
「うそ、お母さん、そんなこと思ってない! 最後は笑って話せるといいなって言ってたもん!」
――ごめんな、そんなこと思わせちまって。
やっぱり、声が出ない。
どうにもならない状況で、ただ一刻一刻と時間が過ぎていく。
そして、残りは1分を切った。
「ミルゥ、泣かないで、お母さんも。ほら、お父さんが唯一好きだった笑顔で送ってあげないと……」
「でも、でもぉ!」
「そうじゃないと、お父さんにまた怒られるぞ?」
カイゼルがミルエットを、子供をあやすようになだめた。
俺は、こんなにも家族に迷惑と心配をかけてきたのか、そう思うといたたまれない気持ちになる。
だから、最後の最後に、祈るようにことばを紡ぐ。
ごめんではない、感謝の気持ちで。
――ありがとな、俺のことをそんなに思ってくれて。だから、最後は笑おうぜ
『ありがとな、俺のことをそんなに思ってくれて。だから、最後は笑おうぜ』
「えっ……」
ようやく声を出すことができた。
それと同時に言霊が発せられる。
エミリアはその場で嗚咽を漏らしていた。
――ありがとう、ミルゥが優しい子に育ってくれて、俺は嬉しいよ。
『ありがとう、ミルゥが優しい子に育ってくれて、俺は嬉しいよ』
「おとうさぁぁぁああん!」
ミルエットはその場に泣き崩れる。
カイゼルはそんな彼女を、抱きかかえた。
――ありがとう、君のような男がうちに来てくれて、嬉しかった。娘を頼むよ。
『ありがとう、君のような男がうちに来てくれて、嬉しかった。娘を頼むよ』
「はい、必ず」
カイゼルは決意に満ちた表情に涙を浮かべ、ミルエットを強く抱きしめた。
ミルエットもそれに応えるように強く抱き返す。
――ありがとう、イーリカの顔が見れて、俺は幸せだ。
『ありがとう、イーリカの顔が見れて、俺は幸せだ』
「だー……うー?」
イーリカは心なしか、こちらを見ているような気がしたが、気のせいだろう。
なんにせよ、最後に伝えたかったことを伝えられてもうやり残したことはない。
意識の中で、カチッカチッと、時計の針が動くような音が聞こえ始めた。
ついに、最後の最後、本当のお別れの時だ。
「……!…………」
音が遠くなっていき、声が聞き取りずらくなる。
ポーン、という音とともに意識が刈り取られていく。
最後に見た彼女たちの表情は、泣きはらした目で作った笑顔であった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
天界との境界に戻ってきた俺に女神様は語りかける。
「あなたの気持ちを伝えることはできたかしら?」
「ああ、おかげさまで思い残すことはもうない。女神様がおっしゃった代わりの条件、謹んでお受けする」
「わかったわ。女神ナァスタトの名のもとに、汝の御霊を転生させる。こころして第二の天命を全うせよ」
再び大仰な口上を述べ上げ、俺の足元に魔方陣を形成した。
「女神様、俺が転生するって、何に転生するんですか?」
「急いでたから伝えあぐねていたけど、この世界とは別世界の魔王よ」
ん? 何か聞き間違えたような気がする。
「え、ちょっとまってくれ、魔王? 俺が?」
「ええ。貴族階級でも特権階級でもない、平民のあなただからこそ、その世界の魔王にふさわしかったのよ。それでは、第二の人生、魔王ライフ、楽しんでねー!」
「えええええぇぇぇぇえええええぇぇぇええええええぇぇぇぇえええええぇぇぇええ!」
光の柱に飲み込まれた俺は、とぎれとぎれの意識の中で想いを馳せる。
こうなるんだったら、想いを伝えにいかないほうが良かったのではないか、と。