緑の証言
少し皆の耳を貸して欲しい。こんな話がある。
仲の良い男子高校生四人組のうち、特に付き合いが長く、いつも一緒にいた二人が相次いで自殺した。この二人を仮に「赤」と「黄」とする。
そしてそのしばらく後、二人の自殺をキッカケに精神を病み、学校をやめてしまった一人を「青」とする。
これらの登場人物の中で、今回の主人公は誰だろうか。
「赤」か「黄」か、それとも「青」か。
実はその誰でもない。
上記の三人と仲が良く、「青」とはよく一緒にいたはずなのに、何故か蚊帳の外にされてしまった『何も知らない』人間。すなわち、「緑」のおれが、今回の物語の主人公だ。
おれが知る三人は、ただただ明るくて、楽しくて、かなりアホなとこもあって、くだらないことで爆笑できるような、本当に、なんの曇りもないような仲間だった。何でも相談できた。喧嘩も腐るほどした。それでも一緒にいた。何があっても分裂なんかしない、一生モノの親友。そう胸を張って言えた。
それなのに、それは、突然だった。
夏休み。蒸し暑く、騒がしい、普通の夏の日。確か、八月も中頃だったと思う。
おれは学校にいて、夏期講習を受けていた。集中力も切れかかる昼前。おれは呑気に、これが終わったら何をしようかなんて窓の外を見ながら考えていた。そうだ、あいつら誘ってプールなんかどうだ、なんて。
するとその時は突然やってきた。
瞬間、窓に大きな影ができた。鳥の影かと思ったその0.1秒後、重力に従って垂直に落ちていく「黄」と、目が合った。
見間違いだと思った。でも、はためく白いワイシャツも、なびく黒髪も、意思の見えない瞳も、その表情も、完全に、目に焼き付いて、そしてそれは紛れもなく、黄色のあいつで。
その影を見送った後数瞬遅れて、重たく水っぽいぐしゃりという音と、何者かの叫び声。
授業中だということも忘れて机を蹴飛ばして立ち上がり、半分だけ開いた窓から体を乗り出して下を見た。
じわじわと広がる赤が、黄色のあいつを染め上げていた。濃厚な死の色だった。
おれはその場に固まったまま、その姿を見ていた。何か周りで音がした気がするが、まるで耳には入らなかった。
あいつの口元が、微かに何か言った気がした。赤色のあいつの名を呼んだ気がした。
そして、おれは視界の端で、立ち去る「青」を捉えた気がした。
その場に足が縫いとめられたように一歩も動けないおれの肩を揺り動かす誰か。
この際どうでもいい。そんなこと知らない。
その時間がどれくらいの長さだったのかもわからない。一分か、それとも一秒か。
視界の中はどんどん色が失われていった。反対に、頭の中はどんどん原色で染まっていく。
「赤」「黄」そして「青」。
部活のジャージに身を包んだ「青」。おれのケータイには、そいつからの不在着信が一件だけ残されていた。
「青」はおれに、何を伝えようとしたのだろう。
呆然としたまま、気づけば帰途についていた。大人たちが口々におれに向かって何か言っていたような気がするが、おれがあまりにも反応を示さなかったので、程なくして解放された。
側から見れば随分と不審だっただろう。どこを見ているかわからない空虚な目をして、暑さに流れる汗を拭うこともなく、行くあてもなくふらふらと歩くおれ。
頭の片隅で、汗で肌に張り付いたワイシャツの不快感を、他人事のように眺めていた。
そうだ、と思いつく。「赤」は、「赤」は今どこにいるのだろう。今日一度も姿を見ていない。心配だ。
あいつの家の方に足を向ける。近所だ。何度も訪れたことがある。
見慣れたドアの前に立ち、ドアノブをひねる。鍵は開いていた。
お邪魔します、と小さく声に出す。玄関には、これまた見慣れたスニーカーがふたつ。「赤」と、「青」のものだ。
物音はしない。まるで家の中に誰もいないかのようだ。二人は何をしているのだろうか。
自分の家ではないが、間取りは覚えている。
リビングに入る。カーテンは閉じていて、電気もついていないため、薄暗い。
微かに布地の隙間から筋状に漏れた光が空中の埃を可視化している。
ぼんやりとそれを眺めていたら、おれの耳がひとつ、ごく小さな違和感を拾い上げた。
水音。
キッチンか、洗面所か。音の遠さから、洗面所と推測する。
相変わらず薄暗い家の中を進む。音が大きくなっていく。
半開きになったそのドアの下にはどうやら水溜りがあったらしい。暗くて気づかなかったため靴下が濡れてしまった。
軽くドアを引く。何の抵抗もなくそれは開いた。
と、その時、人の姿が見えた。
そして、溜まり、流れ出す湯船の水。そこに片腕を突っ込み、壁に寄りかかったまま動かない誰か。
そして、それを黙って見つめる、誰か。
電気をつける。
途端広がる、鮮血の赤。暗くて見えなかったその色がわかるようになると同時に、蒼白となった「赤」に既に助かる見込みがないことに本能的に気がついた。
「青」はおれの突然の登場にも眉ひとつ動かさず、無表情で「赤」を見つめている。
声をかけてみる。「青」は、緩慢な動きで振り返り、おれの目を見た。何の感情も読み取れないその顔。笑顔ばかりが印象的な普段の「青」とのギャップに、背筋を駆け登る悪寒。そして、その唇を薄く開いた「青」は、ぽつりと一言。
「おせぇな」
そしておれは、その手に握られた小さなナイフに、気がついてしまった。
「青」がそれを自分に振り下ろさんとするのを、すんでの所で弾く。「青」の手から離れ床に落ちたそれをおれは急いで拾い上げた。
それを止めることもなくただ見ていた「青」は、沈黙の後に膝から崩れ落ち、ほとんど空気みたいな掠れた声で、ごめん、と呟いた。
誰に対して言ったのだろう。おれに対してか、でも確実に違う気がして。
そしてその少し後に、今度ははっきりとおれの方に向かって言葉を発した「青」。
おれの手の中の刃物を虚ろに指さす。
「なあ、せめて、どっか、ちっちゃいのでいいから、傷、つけていい?」
そうして「青」は、掌を切った。
その後、茫然自失な「青」に代わっておれがその傷の止血をし、救急車を呼んだ。案の定、「赤」は助からなかった。おれが来た時点ですでに息絶えてから一時間は経っていたらしい。これは後から聞いた話だが、飛び降りて死んだ「黄」の掌や衣服には、本人のものではない血がついていたという。おそらく「赤」のものだ。
つまり、時系列で考えると、先に死んでいたのは「黄」ではなく「赤」だということだ。
どちらの自殺も見届けたらしい「青」は、その後おれの目の前で死のうとした。
おれ以外の三人があの日突然、それぞれに自殺を図ったのには、何の理由があるのだろうか。そしてそれをおれに教えてくれなかったことに、何か理由はあるのだろうか。もっと早くあの不在着信に気づいていれば、何か違ったのだろうか。
何より、何であいつらが死ぬ必要があったのだろうか。
理解ができない。昨日も一緒に遊んだ。楽しかった。みんな、いつもと同じだったはずだ。皆、笑っていたはずだ。あれが作り物の笑顔だとは到底思えない。
記憶の混濁がみられる「青」に今、それを問いただす気にはなれない。これ以上ショックをあたえたら、あいつは今度こそ死んでしまいそうだ。それは嫌だ。
おれは無知を装うことにする。何もわからない。事実そうだからだ。
「青」は、夏休みが明けても学校には来なかった。おれは毎日のように「青」の元を訪れた。徐々に、「青」は「赤」と「黄」の事を忘れていった。否、忘れようとしていたのかもしれない。とぼけた笑顔に、以前のような綺麗さや快活さは微塵もない。掌にはずっと包帯が巻かれたままだ。
忘れようとしたはいいものの、「青」はあまりに多くの時間をあいつらと過ごしすぎていた。あいつらと一緒にいたときの記憶を消してしまうと、「青」の人生に大きな穴が空く。その違和感に、「青」はどんどん病んでいった。しまいには、幻覚まで見だす始末。
そのまま学校まで辞めてしまった「青」を、おれはずっと横で見ていた。何もできることはなかった。ただ、隣にいることしか。
落ち着いたら聞こうと思っていたあいつらの死の真相も、聞ける時は来なかった。
事件が起きたのは、冬も目前に迫った寒い夜のことだった。
あいつらが死んでから明らかに鳴ることが少なくなったおれのケータイに、どこかで見た番号から電話がかかってきた。
どこで見たかは思い出せないが無視するわけにもいかず、おれはその電話に出ることにした。
すると、聞き馴染みのある声が電話口から大音量で響いた。
そうだ、この番号、「青」の家電だ。
「っな、なぁ「緑」、知ってんだろ、なんか、誰かがオレのこと呼ぶんだ、助けて、たすけてっ、やだ、やだああ!!」
支離滅裂に叫ぶ「青」。ただ事ではないその雰囲気に、おれは家を飛び出して、「青」の家に向かった。あの電話の後ろは騒がしかった。焦るような声も聞こえた。「青」を必死で止めようとしているような、そんな言葉も聞こえた。
「青」の家の前、インターホンを一回だけ鳴らすが、誰も出ない。扉に鍵はかかっていなかった。勝手に入るのは若干気が引けたが、そんなこと、気にしてる場合じゃなかった。
大きな物音。おれがそのドアを開ける前に、向こう側から開いて、血まみれの「青」が飛び出してきた。右腕をつかんで強引にその場に引き止めて、何があったか問う。
「青」の掌の包帯は取れ、傷が開いて血が流れている。どうやら新しく付け直したらしいその傷以外に目立った外傷は見られないが、傷付いたその手で至る所を触ったのか、身体の所々が血に濡れている。
「青」は必死になっておれに何かを訴えかけようとしてくるが、何が言いたいのかまるで伝わって来ない上に時間が時間なので、とりあえず家に入る。
少々室内が荒れているのは、こいつが暴れたからだろうか。
にしても、こいつ以外誰の姿も見えないのは、なぜだろうか。横目でカレンダーを見ると、今日の日付をまたぐ形で『出張』と矢印が引かれていた。
つまり、この家の中にはこいつ以外誰もいなかったのだ。
ではあの声は何だったのだろう。
掌の止血を済ませ、落ち着いた「青」に声をかける。足元付近の空中を眺めている「青」は、ほとんど掠れた風のような声で、おれに対する謝罪の言葉を絞り出した。
「しってる感じすんのに、しらねぇやつが、オレに、話しかけてくる」
「青」はそう言った。幻覚だろうか。
「死神だって、言ってた。オレ、殺されんのかなぁ」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、小さな子供のような口ぶりで、怖い、怖いと繰り返す「青」。
それがとても冗談には見えなくて、心配になったおれは、そのまま「青」の家に泊まることにした。眠る「青」はとても静かだった。
その日から、度々こうして暴れだすようになった「青」は程なくして入院した。
そのまま、「青」の状態が良くなることはなく、今に至る。
おれは大学生になった。
「青」は病院を次々にたらい回しにされ、今はとある病院に落ち着いている。「手遅れしかいない」とも言われる悪名高い精神病院だ。
おれは現在も毎日のように「青」の元を訪れている。
そこそこ自由度の高い病院で、「青」も毎日を比較的普通に近い状態で過ごしている。本人曰く、今までで一番居心地がいいらしい。
「青」は深夜に病棟の中を徘徊するのが癖となっている。相変わらず幻覚もみるらしい。先日、深夜徘徊中に階段から落ちるなんていう事件も起こした。
特に大きな怪我はなかったが、その後数日の間夜に病室から出られないよう鍵をかけられてしまったらしく、「青」は文句を言っていた。そこそこ大事になったあのような事件を起こしておきながら、なんて思ったりもしたものだが、なんでも本人には深夜徘徊中の記憶がないらしい。
あの時と変わらない位置に巻かれた包帯に赤が滲んでいる。
治りかける度につけ直される掌のその傷は、もうどうしようもなく深くなっていた。
先日、恐る恐る傷をつけ直している「青」にその理由を聞いた。おれの心配をよそに、「青」はいたって穏やかにその問いに答えてくれた。
「これだけは忘れちゃいけないと思って」
あれから「赤」と「黄」については何一つ言及してこなかった「青」は、どうやらその傷の事だけ覚えていたらしい。
「ここだけ、もうなんも痛くない」
溢れる赤を、目を細めて眺める「青」。元々青などの寒色系が好きだった「青」は、今ではすっかり赤に固執している。深層心理に深く刻み込まれたらしい血の色は、恐らく拭っても消えないだろう。
時々暴れ出す「青」は、毎回同じ言葉を吐く。誰かが自分を呼んでいる、死神が来る、怖い。
最近不思議なのは、「青」に聞こえる声とやらが、おれにも聞こえるような気がすることだ。心霊現象か何かだろうか。この病院ならそれもおかしくなさそうだが。
確かに、その声は「青」を呼んでいる。が、死神というには優しすぎる。諭しているような感じさえする。とうとうおれもおかしくなったのだろうか。
「青」が入院し始めてからしばらく経ったある日、衝撃的なニュースが舞い込んできた。
ふたつ上の階に入院していた「青」の入院仲間ふたりが相次いで自殺に成功したとの知らせだった。
それを教えてくれたのは、「青」の主治医だった。何回も会ったことのある先生ではあったが、どうやら今回亡くなった患者の主治医もしていたらしく、精神的に随分参ってしまっている様子だった。その時の先生の縋るような視線を忘れられない。これ以上何も起こらないでくれよと言外に訴えているようにも見えた。
そして、また「青」は暴れだした。主治医から例の話を聞いた数時間後の事だった。だが普段と様子が違う。おれの耳に届く声も明らかに何かが違った。
途端、気が抜けたようにへたり込む「青」。
その目から一筋だけ流れた涙に謝罪が溶けていた。声に出す事は無かったが、確かにおれにはそう感じた。
その数日後。深夜だった。おれは寝ていて、夢をみていた。
白い風景の中に、「青」が立っていた。久しく見ることのなかった、一点の曇りもない、大空のような笑顔だった。まるっきり以前と同じ、綺麗な笑顔。
おれの大好きだった笑顔。
思わずその名を呼んだ。そいつはこちらに手を振って、こう言った。
「オレ、やっとわかったんだ。間違ってたって。」
何が言いたいのかまるでわからないおれに大きな不安が襲いかかる。やめて、おれを一人にするの?
「先に行って待ってるからオレ。お前のこと。」
「待てって「青」、意味わかんない!!」
「大丈夫!「赤」がちゃんとやってくれるって、言ってたから!お前のことも、「黄」がなんとかしてくれるよ。」
わからない。わからなかったが、そのままにしてはいけない気がした。思わず走り出す。あの時のように、その手のナイフを弾き落とさないと、今度こそお前は、
「ごめんな「緑」!後でちゃんと説明するから!」
その瞬間、何もない白い空間に、赤が散った。間に合わなかった。弾けなかった。首、恐らく頚動脈。助からない、そう悟った。
「青」は依然笑顔のままだった。心底幸せそうだった。
「ほんとごめん」
そこで夢は終わっていた。
翌日、おれは朝一で病院に出向いた。大学の講義があったがそんなことを気にしている場合ではなかった。面会時間外であったが、受付に要件を伝えるとすんなり通してくれた。
最早行き慣れた病室へと向かう。予想通りそこは朝いちだというのに慌ただしかった。白と赤が入り交じる病室の中で真っ先に目に入ってきたのは、立ち尽くす主治医の先生の姿。
声をかけると、ゆっくりとした動きで振り返った。君か、と先生は口ごもる。残念だけど、と続けようとしたその言葉を制して、おれは問う。
「あいつ、笑ってましたか。」
先生は黙って頷いた。そのままおれは昨晩の夢のことを先生に話した。それを聞いた先生はおれにその時のことを教えてくれた。
「青」がいつもの深夜徘徊中、珍しく騒いでいたので何かあったのかと先生が病室に出向いたところ、その病室の手前で先生は「青」らしき声のこんな言葉を耳にしたという。
「待ってた」
そして、病室に入ると、血まみれで倒れている「青」がいた。頚動脈が切られていて、即死だったそうだ。
自分がもう少し早ければ、と先生は言った。でもおれはその言葉を頭の中で否定する。
どうせ「青」は死ぬつもりだった。先生には申し訳ないが、正直「青」は昨日死ねて良かったと思う。
おれは先生に礼を言ってその場から立ち去った。とうとう教えてはくれなかったが「青」はおれにヒントをくれた。そして、待っていると約束もしてくれた。
おれは歩いた。
何より大切な親友たちとの約束を果たすために、おれが向かった先は、ひたすらに高い場所だった。
眼下に街が一望できる。ここに来るまでにいつも見かける線路やコンビニ、横断歩道。
なんてことない風景だったが、どこかおれの中で感慨深いものがあった。
何も知らなかったおれが、何も知らないまま過ごしてきたこの数年間。決して楽しい日々ではなかった。極めつけはあの夢だ。悪夢極まりない。まったく、「青」のすることは毎回タチが悪い。
だが、あの笑顔に魅せられてしまった。
おれは馬鹿だ。
ゆらり、重心が不安定となり、とうとう足の裏がなにも捉えられなくなったその時、聞き覚えのある声が確かに聞こえた。
「遅かったね、「緑」。何年も「青」のお守り任せちゃってごめん。」
「黄」だ。
「多分、これからずっと一緒だよ。楽しくはないかもしんないけど、おれら四人一緒にいれば全然大丈夫だよね。」
地表との距離が縮まっていく。
「痛くないよ。一瞬だから。」
「黄」は笑った。実際、とても笑えない冗談ではあるが、おれは笑った。
くそ、お前ら、おれを仲間はずれにしたこと、覚えてろよ。
目前に迫る地面。
「じゃあね、すぐだから。待っててね」
その言葉が最後だった。おれは目を閉じた。
よかった。これで、皆に会え_____。




